火波の放った火炎の波はターゲットを呑み込んだ


 断末魔を上げて息絶えるのは痩せ細った狼の姿をしたモンスター、ワーウルフだった
 群で行動して巧みに獲物を捉える知能派の厄介なモンスターである

 一体一体の能力は大した事が無い
 しかし数が多いとなると少なからず手を焼く破目になる

 火波は軽く舌打ちをすると、敵に向かって飛び掛った
 迷っている暇があったら一体でも多くの敵を仕留めなければ


 鋭い爪で敵を串刺しにし動きを封じた後、牙で喉元を喰い千切って息の根を止める
 他の敵が間合いを詰めてきたら攻撃魔法で蹴散らして――…という戦法の繰り返し

 地道な戦いだが、確実に敵の亡骸が増えて行く


 骨と皮ばかりのワーウルフの血は決して美味な物ではない
 それでも血に飢えた身体にはありがたかった

 戦いながらも空腹を満たして行く…火波にとっては一石二鳥だ
 獲物を喰い散らかしながら戦の腕を上げて行く――…火波にとっては日常的な行為




 しかし今夜はいつもの戦いとは違った


 戦場にシェルの存在があるのだ
 殺戮に意識を奪われていた火波がその事に気付いたのは、少年の悲鳴が響いてからだった

 振り返るとそこには、今まさにワーウルフに喰い千切られそうな姿が
 咄嗟に魔法で生み出した火炎弾を投げ付けるが間に合わない

 牙の食い込んだ白い肌から紅い飛沫が溢れ出す


「…くっ…シェル――…っ!!」

 形振り構わずに駆け寄る
 頼む、無事でいてくれ――…!!



「――ええい、一度ならず二度までも犬っころに襲われる拙者ではないわ――…っ!!」


 次の瞬間、シェルの周囲が豪炎に包まれた
 凄まじい火柱が上がり、獲物に群がっていたワーウルフを一掃させる

 突然の事に思わず火波の足が止まった


「…し、シェル…?」

「ん…どうしたのじゃ?」


 こっちが聞きたい




「お前…こんな巨大な火柱をどうやって…」

「何て事無い…火に油を注いでやっただけじゃよ」


 はっはっは、と渋く笑う少年の手には半分ほどに減ったサラダ油が握られていた




「…傷は大丈夫か?」


 気を取り直した火波は、シェルの傷口に手を伸ばす
 白い肌に幾筋も流れる紅いものは、痛々しいが同時に美しい

 ふわりと香る血の香りに思わず喉を鳴らす
 人にとっては鉄臭い液体だが、吸血鬼である自分にとっては絶品の美酒だ

 肥えて栄養を多量に含んだ人の血液――…
 しかも子供の血は特に生命の力に満ち溢れている

 空腹は満たされていたが、痩せ細ったワーウルフとは明らかに違うその香りに火波は酔い痴れた


 堪らずに、むしゃぶり付きたい衝動に駆られる

 しかし目の前の少年は、一応戦闘に加勢してくれた助っ人でもある
 彼がいなければもっと苦戦を強いられていたであろう事は当の本人が一番わかっていた


 火波は理性に鞭を振るうと、出来る限りの平常心を装い、傷を診る




「…傷は広い…が、思ったよりも浅いな…
 消毒をして化膿止めの薬を塗って――…あとは包帯でも巻いておけば治る」

「ヨダレを垂らしながら診察されても信用性が無いのじゃが」

 うっ…いつの間に出ていたんだ…
 極めて平静を保ちながら、口元を拭う


「吸血鬼の性だ
 気にしないでくれ」

「そうじゃな…交換条件と行かぬか?」

「…は…?」


 思わず聞き返す火波に、シェルは口の端を持ち上げた
 しかし微妙に表情が読めないその姿が妙に胡散臭い

「拙者の傷口から流れる血をくれてやろう
 どうせ治療の際には洗い流さねばならぬからな
 捨てるくらいならば多少なりとも腹の足しにすれば良い」

 ごく、と唾を飲み込む火波

 既に腹は満たされているが、少量の血はデザートとして丁度良い
 無意識に尻尾がパタパタと左右に揺れていた


「そ、その血を舐めても良いのか…!?」

「拙者の条件を呑んでくれたらな
 まぁ大した事ではないのじゃが…
 お主の家は、この辺にあるのじゃろう?
 今から村に戻っても宿の取れる時間ではないから…一晩泊めておくれ」

「えっ…」

 飛んで火に入る夏の虫ではないが、自ら吸血鬼の住処に入るのはどうかと思う…
 ―――…って、そういえば元々シェルは夜這いをかけに家に来るつもりだったのだ




「ほれ、血が乾いてしまうぞ?」

「あぁ…わかったって!!
 ただし、一晩だけだからな!!」

 商談成立…もう制止は聞かない
 次の瞬間火波はシェルの傷口に舌を這わせていた…が、


「―――…ん…?」

 ふと感じる違和感に一瞬動きを止める
 舌先から広がる風味は火波の愛して止まないものだ

 しかし今まで味わってきた血とは明らかに違う――…


「どうしたのじゃ?
 拙者の血は不味いか?」

 火波は首を左右に振る

 決して不味いわけではない
 むしろ―――…美味過ぎるくらいだ

 しかし、この違和感は一体…


 火波が専門的に襲っていたのは、魔力も持たないような人間や低級魔族だ
 時には先程のようにモンスターを口にすることもあるが、基本的には戦わずして勝てる相手を選ぶ

 目の前の少年も既に襲い慣れた、大した力も無い低級魔族だと思っていたのだが――…
 しかしシェルの血は人や魔族のものでもなければ、モンスターのものでもない異質な存在であるらしい

 芳醇な香り、甘く濃厚な未知の味、そして何より素晴らしいのは全身を駆け巡る桁外れの強大な魔力
 血と共に口内に広がる圧倒的な魔力に、火波は自分の身体が歓喜に震え上がるのを感じた



「お前、その辺にいるような低級魔族じゃないな…!?
 こんなに強力な魔力を含んだ血なんて、そうそうお目にかかれるものじゃない…!!」

 極上中の極上――…恐らく、一生に一度口に出来るか出来ないか…
 体中を熱く滾らせるその美酒に火波は激しい興奮状態に陥る


「…強力な…魔力じゃと?
 あぁ、確かに脱皮をした直後からちまちまと片鱗を現し始めたのぅ
 まだ魔力を具現化させて戦闘や日常生活に生かすまでには至らぬが…」

「そんな悠長な表現で済むようなレベルじゃないっ!!
 お前は自分の力がいかに素晴らしい物かわかっていないのか!?」

わからぬ


 あっさりと4文字で片付けられた


 あくまでも平然と言いのけるシェルに、火波は思わず叫びたくなる
 こんなに強力な魔力を持っているというのに当の本人はまるで実感が無いなんて

 あまりのもどかしさに苛立ちすら感じてくる


「良いか、良く聞け小童!!
 わしら吸血鬼は不老不死の時から見放された存在だ
 しかし他者から血を奪う事で成長を遂げる事が出来る!!
 それが強力な魔力を持つ者であれば更に劇的な進化を遂げる事が…!!」

ふーん


 明らかに関心無さそうだね




「もう少し親身になって話を聞いてくれても良いと思わないか…?」

 他人事だと言われればそれまでだけど、
 一人で熱くなってる姿って哀しいんだ…


「時と共に成長して大人になれるお前と違って、わしは永遠にこのままなんだ!!
 進化から見放されたわしの孤独を、お前の血で癒すことが出来る――…奇跡だと思わないか!?」

「要するに拙者の血を飲んで成長しようという魂胆じゃろう
 生き血を奪われるとわかっていて、おめおめと賛同できると思うのか?」


 やっぱり無理ですか

 まぁ、普通に考えればそうだろう

 今だって都合良くシェルが怪我をしてくれたから餌にありつけたのだ
 無傷の時に血を寄越せといっても拒絶されるであろう事は常識的に理解出来る

 しかしここで引き下がれば強大な力を手に入れるチャンスを逃してしまう

 大体、自分は冷血非道なモンスターなのだ
 拒絶されようが何だろうが、相手の意思など関係無く襲ってしまえば良いだけの事である



「こんな極上の餌を見逃すと思っているのか?
 お前の血を一滴残さず飲み干して、わしは新たなる力を手に入れる!!」

「ふむ…熱血じゃのぅ」


 何でそんなに冷めてるの



 吸血宣言してるんだよ?
 他人事じゃないんだよっ!?


「…緊張感とか恐怖感とか、感じないのか…?」

「拙者が理性を失うのは美形のお兄様を目にした時だけじゃ!!」


 胸を張って言うな


 というか、何か?
 わしの殺気は美形オーラ劣ると言う事か!?


「わしが言っても説得力が無いだろうが、男は顔じゃないと思うぞ…」

「失敬な、顔だけで男を選ぶような事はせぬぞ
 やはり顔だけでなく身体も――…特に下半身は最重要じゃ!!」


 なお悪い!!


 わしは、そういう不健全な事を言いたかったんじゃない!!
 そうじゃなくって…大切なのは中身だと言いたいんだぁ!!


「もっとこう、人の内面ををだな…」

「見てくれの悪い男の言い訳か?」


 ほっとけや




「お前、さっきから言葉が辛辣だぞ…
 吸血鬼とはいえ心はあるんだ、言葉は選んでくれないか」

「仕方が無いじゃろう――…顔が好みではないのじゃから
 ついでに言わせて貰えば身体は毛深過ぎるし下半身に至っては論外!!」


 論外まで言うか!?


「ちょっ…お前の判断基準を教えろ!!」

「拙者はそろそろ帰ろうかと思っているのじゃが
 また明日改めて――…というわけには行かぬか?」


 相変わらずマイペースだね




「…しかもお前、わしの家に泊まるとか言ってなかったか…?」

「寝ている間に生き血を吸い尽くされても困るしの
 今宵は宿の店主を叩き起こして無理矢理泊まる事に致すよ」


 何処行っても迷惑な奴だな
 己の意思を貫くのは大切な事だが程々にして貰いたい



 ――…って、ちょっと待て!!

 ここで帰らせる=逃がす…って事にならないか!?
 冗談じゃない…こんな極上の餌をみすみす逃がしてたまるか!!


「大丈夫だ、今日はもう満腹だから安心して泊まって行け」

 これは本当の事だ
 今夜はシェルを襲う事はないだろう



 火波の狙いは次の食事まで彼の身柄を手元に置いておく事
 生身の生物と違って、吸血鬼は毎日食事をするわけでない

 しかし自分の住処に連れ込んでしまえばもうこっちのものだ
 言葉巧みに警戒心を解かせ、隙を突いて監禁してしまえば良い

 モンスターとしての性だろうか…火波の住居には数多くの牢がある
 餌の養殖が出来るようにと保険感覚で作ったものだが本当に使う日が来ようとは

 他にも血を絞り取る為の仕掛けや、趣味で集めた無数の拷問器具がずらりと揃っている
 こちらもまた、実際には使った事の無い物ばかりだが…





「お主、獣の目をしておるぞ…」


 獣だもん

 再び殺気混じりの怒りが込み上げる

 しかしここで警戒させてしまっては取り逃がす事になる
 相手の性格を考えると気を抜く事は許されない

 火波は辛抱強くシェルに語りかけた


「吸血鬼は一度食事をすると、数日間は餌を必要としないんだ
 だから、わしがお前を襲う事はないから心配は要らない
 このまま村に戻るよりも、わしの家に向かった方が早いしな」

「ふむ…確かに村までは数キロ離れておるし一理あるのぅ…
 夕食と朝食付きで入浴可能、暖房完備の部屋を無料で提供してくれるなら行っても良いぞ」


 抜け目無さ過ぎ


 本当に、しっかりした子だね…
 今時の子供って皆こんな感じなのか?

 だとしたら、この国の行く末が物凄く心配なんだが…


「わかった、風呂も沸かすし暖炉も自由に使って良い
 食事も用意してやるから、とにかく夜が明ける前に帰るぞ」

 夜行性の火波にとっては朝が来る前に家に帰りたい
 二つ返事で承諾すると、火波はシェルの手を引きつつ早足で帰路についた



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