「お疲れ様〜」



 空が再び闇に染まり始めた時刻
 疲労の溜まった身体に鞭を打つのも限界に達している

 彼らは一先ず解散という形を取った
 流石に連日の重労働はきついものがある

 火波とメルキゼは欠伸を噛み殺しながら睡魔と闘っていた


「…疲れたな…」

「明日が終われば楽になるよ
 それまでの辛抱だ…頑張ろう」

「そうだな」


 互いに励まし合ったり労い合ったり
 どこか社会に疲れたサラリーマンのような空気が流れる

 しかしそんな彼らとは対称的に、まだまだ若い二人は余裕綽々の表情を見せる




「明日はいよいよ結界を張るんだからね
 アンタたち、寝坊しないでちゃんと手伝いに来るのよ!?」

「言われんでもそのつもりじゃ
 リャンも逸る気持ちはわかるが急いては事を仕損じるぞ
 今宵はしっかりと休んで明日に備える事じゃ…夜更かししてはならぬぞ?」

「わかってるわよ
 最近は寝不足でお肌もボロボロだったからね
 今夜は美容パックでもしながら、ゆっくり過ごさせて貰うわ」


「結界を張り終えたら余裕が出るのじゃろ?
 やっと町を探索して遊べるというものじゃ…」

「あっ、それは同感!!
 アタシもこの町に着くなりこの状況で不満だったのよ
 シェル、せっかくだからショッピングに付き合って頂戴

 綺麗なアクセサリーのお店見つけたのに行けず仕舞いだったから
 色々な種類があって結構穴場な感じだったのよ〜…桜貝のペンダント綺麗だったわぁ…」

「ほぅ…貝殻細工の装飾品なら拙者も欲しいのぅ」


「そういえば、ケーキのお店も見つけたのよ〜
 ショッピングの帰りに寄って行きましょうよ、甘いもの大丈夫よね?」

「うむ、そうじゃな」

「そろそろ新しい色の口紅も欲しいし〜…」





 疲労困憊の火波とメルキゼを傍目に、シェルとリャンティーアは笑顔で会話が進む


 歳が近いせいか、それとも元々の相性が良かったのか
 傍で見ている限りでは、まるでデートの約束をする恋人同士にも見える

 それなりに、結構良さそうな雰囲気だ

 邪魔はしたくない
 そんな野暮な趣味は無い


 しかし――――…


「…シェル、悪いが話の続きは明日にしないか?」

「リャンティーア、私…もう眠たいよ
 先に失礼して休んでいても良いかな?」


 おじさんたちは、疲れていた




「…寄る年波には勝てぬか」

「三十路男には辛かったかしらね」

「……………。」


 厳密に言えばメルキゼはまだ二十代、
 そして火波は三十路どころか百路過ぎである

 外見だけならメルキゼも火波も同じくらいに見えるのだが…
 どちらにしろ、シェルたちの視線から見れば立派な『おじさん』である


「老体にこれ以上無理を強くのも気が引けるのぅ
 では話の続きは明日にして、今日はもうお暇する事に致そうかの」

「…ろ、老体…まで言わなくても…」

 火波はともかく、メルキゼはちょっと傷付いた
 何となくゴールドの苦悩の意味がわかったような気がする

 …が、話を長引かせるのは嫌なのでそれ以上突っ込む事はしなかった


 そんなヒマがあれば一分でも早くベッドに入りたい

 というよりカーマインを抱いて癒されたい
 …勿論、メルキゼの事だから健全な意味でだが


 カーマインと同じベッドで夜を過ごすのも、当分の間ご無沙汰になってしまう
 結界を張ってしまえば触れるどころか近付く事すらままならなくなってしまうのだから

 とにかく今は時間が惜しい




「じゃあ、おやすみ
 また明日頑張ろう」

「えっ…あ、ああ…」


 挨拶もそこそこに踵を返す
 シェルや火波とは明日になればまた逢える

 しかしカーマインと過ごす夜は下手をすればこれが最後になるかも知れない

 必ずしも成功するとは言えないのだ
 リャンティーアも確率は低いと口にしていた

 仲間を信じていないわけではないけれど、それでも悔いは残したくない





 真っ直ぐに寝室へ向かうと躊躇いなくそのドアを開く
 夜闇で暗く染まった部屋に、今にも消え入りそうな微かな寝息だけが聞こえてくる


「……カーマイン……」

 逸る気持ちを抑えて着衣に手を掛ける

 森の中を歩いたり、薬品が沁み込んだりした服だ
 この姿のままベッドに入るわけにはいかない


 汚れた衣類を全て脱ぎ捨てる

 我ながら大胆になったものだと思う
 少し前までは人前で服を脱ぐなんて考えられなかった

 …最も、これはカーマインの意識が無いからこそ出来る事だ
 彼の意識が戻った後も同じように服を脱いだり口付けを交わせる自信は―――…無い



「もう少し待っててね、カーマイン…」

 濡らしたタオルで全身を拭う
 山奥で暮らすような今の生活では毎日風呂に入る事は不可能だ

 それでも清潔を保つ事だけはしたい
 特に、恋人と眠る夜は念入りに身体を拭き清めていた


 …ちなみにこうして身体を拭いている所をリャンティーアに見られた事がある

 そのおかげで性別の誤解も解けて気が楽になったわけだが―――…
 流石に一糸纏わぬ姿を人に、しかも女性に見られた時はショックで卒倒しそうになったものだ


 …リャンティーアの方も、かなりの衝撃を受けていたようだったが

 暫くの間は『お嫁に行けない』だの『ソーセージが食べれなくなった』だの散々言われていた
 流石に状況が状況なだけに、互いにその件については綺麗に忘れる事にはしたが…

 やっぱりトラウマになったのか、陽が落ちてからは滅多にこの部屋には入ってこない



「まぁ…私はカーマインと二人きりの時間をあまり邪魔されなくて嬉しいけれど…」

 やっぱりちょっと複雑な心境
 もしカーマインの意識があったなら、散々指をさして笑われていた事だろう


「あの時は酷い目に遭ったよ
 まったく…私の身体を見て良いのはカーマインと医者だけなのに」

 とりあえず医者は別枠らしい
 幸いにして未だ医者に掛かった経験は無いが

 それでも肌を露出する事さえ躊躇う彼にとっては、かなりの進歩だ




「カーマイン、お待たせ」


 ベッドに潜り込むなり頬にキス
 両手で抱き寄せて、今度は額に

「君に口付けて良いのは私だけだよ
 柔らかい肌も黒い髪も―――…この甘い唇も、全部私だけが…」


 たとえ姿が変わってしまったとしても、
 この剥き出しの独占欲は決して衰える事が無いだろう

 何せこうしている間にも君への想いは募って行っているのだから

「ねぇ、カーマイン…君は私の事をどのくらい好きでいてくれているのかな…
 私の愛は海の砂粒の数よりも、空の彼方で輝く星よりもずっと多いんだよ」


 ただ、その想いを上手く表現する術を知らないだけで
 どうすれば全ての気持ちを誤解も偽りもなく伝える事が出来るのだろう

 自分という存在を恨まずにはいられない
 何故、自分はこうも不器用なのだろうか

 カーマインなら、きっと上手い言葉を生み出す事など造作も無いだろうに


「…知って欲しいよ、私がどれだけ君の事を想っているか…」

 全てを伝えたい
 これが最後の夜になっても悔いの残らないように

 メルキゼはカーマインを腕に抱いたまま、空が白み始めるまで言葉を掛け続けた








「…はぁ…やっと休めるな…」


 宿の部屋に戻るなり、荷物を置いて浴室に足を運ぶ
 一日の汚れを疲れと共に洗い流して、その日に終止符を打つ

 濡れた髪を拭きながら火波はベッドに腰掛けた
 向かいのベッドではシェルが正座で何かの作業をしている


「…シェル、何をしている?」

「ん…リンゴを…」

 少年の手には赤いリンゴと果物ナイフが握られていた
 どうやら皮を剥いているらしい――…が、悪戦苦闘している様子が見て取れる


「…酷いものだな
 お前、刀使いだろう?」

 リンゴの皮は、そのままサラダに入れられそうな程に分厚い
 丸い果実も無残にガタガタな形状になっていた

 全ての皮が向き終わる頃には、リンゴは半分の大きさになっている事だろう


「刀とは使い勝手が違うのじゃ…
 どうもナイフは力の加減がわからぬ…」

 ざく、と何度も刃は果実に突き刺さる
 見るからに危なっかしい手付きに火波は思わず目を逸らした

 …いつかそのまま手に刺さりそうで見ていられない




「あ…っ……!!」


 隣で微かな悲鳴が上がる
 続いて何かを取り落としたような鈍い音

 どうやら嫌な予感は的中したらしい


「痛っ…」

「…大丈夫か?」

 どうやら手の平を切ったらしい
 ある意味器用な怪我の仕方だ


「見せてみろ」

「…はぁ…不覚…」

「最初の内は誰だってそんなものだろう
 料理も戦いも、そうやって身体で覚えていくものだ」

 慰めの言葉をかけながらも、慎重に傷の程度を確かめる
 鋭利な刃物による怪我は治りが早い


 しかし―――…これは、少しばかり傷が深い
 白い手の上で赤いものが量を増して行く

 立ち込める甘い香りに本能的に喉が鳴る



「…別に我慢せんでも…舐めても構わぬぞ
 怪我をした時は血をくれてやるという約束だったからのぅ」

「あ、ああ…そうだったな
 だがお前が怪我をして痛みを訴えている時に、
 嬉々として血を啜っているというのも不謹慎な気が…」

 傷は決して浅くは無い
 黴菌が入る前に手当てをするべきだろう

 しかしシェルはそんな火波を鼻で笑う


「ふん…良く言うわ
 最初の内は拙者を餌としか見ておらんかったくせに
 捕らえて血を奪おうとしておったのは何処のどいつじゃ?」

「そう言われると苦しいな
 だが…今のお前は、わしにとって餌ではない
 相変わらず生意気で可愛気の無い子供だが―――…一応、仲間だと認識している」


 言われるまでもない
 シェル自身もそれは理解している

 そうでなければ、こうして同じ部屋で寝泊りなどするものか




「…まあ、そう肩を張るでない
 それに舐めているだけで消毒にもなるしのぅ」

 血が零れないように気を付けながら、シェルは手の平を火波の唇に近付ける

 困ったような、複雑そうな表情を浮かべる火波
 それでもシェルの手を取ると、躊躇いながらもそこに口付けた


「……あ…っ……」

「ん…沁みたか?」

「い、いや、何でもない」


 ただ…少しだけ昔の記憶が甦っただけ
 まだ元気だったカーマインとメルキゼ、そしてゴールドとレン…

 迎えの船が来るまで彼らと過ごした楽しい日々の思い出が、ふと甦ったのだ



『ボクの国では手の甲にする口付けは敬愛と忠誠、
 手の平にする口付けは求愛を意味しているのですよ』

 そう言って笑っていた金髪の男
 今思えば、よくぞ年端も行かぬ子供相手にマセた事を教えたものだ


 ……求愛――…

 勿論、火波にそんな気は無い
 それは理解しているが…思わずシェルは頬を赤らめた





「これは求愛ではなく、吸血だというのに…」

「…ん…?
 今、何か言ったか?」

「いや…何でもない」


 馬鹿な考えは忘れよう
 意識を違う方向へ向けようと試みる

 しかし、柔らかい舌が手を滑る感覚に肌が泡立つ

 手の平どころか、指の間にまで舌が這い回る
 執拗なまでに乾き始めた血を丹念に舐め取って行く


「……っ……!!」

 思わず首を竦めるシェル
 背筋に悪寒が走った

 しかし舐めろと言ったのは自分だ
 自分から言い出した以上、途中で嫌だとは言えない


 …でも――――…



「…ひ〜…」

 ぬるぬるした初めての感触
 傷は痛いし、舐め回される感覚は気持ち悪いし――…でも、少しだけ気持ちよかったり…

 ゾクゾクと駆け巡る悪寒は腰に溜まって行くらしい
 次第に身体の中心に力が入らなくなる

 身体中が小刻みに震えだした
 終いには眩暈までしてくる始末

 流石に限界



「ほ…火波…っ!!」

「…ん…
 もう降参か?」

「こ、降参…って…」

 火波はシェルの手を解放すると微かに唇の端を上げた


「想像していたよりも感じやすい体質だったんだな
 あまりにも敏感に反応が返ってくるから面白くてな
 少しばかり遊ばせて貰ったが、他意は無い――…気にするな」

「…随分と悪趣味な趣向をお持ちのようで?」

「お前にだけは言われたくないな」


 火波はそう言うと荷物の中から小さな容器を取り出す
 シェルに向かって放り投げると、軽く手を振った

「手を洗って、それを塗って来い」

「……傷薬?」

「リャンティーアお手製の薬だ
 わしも以前使わせて貰ったが、本当に良く効く
 幼いながらも流石は魔女だな…市販品とは比べ物にならない」

「…そうか…なら遠慮なく使わせて貰おうかの」




 容器の蓋を開けると、中にはジャムのようなものが詰まっていた
 ローズヒップのような甘酸っぱい香りが鼻腔をくすぐる

 思わず味見したくなる衝動をシェルは何とか堪える
 念入りに手を洗い清めると、まずは少量を傷口に薬を乗せてみた

 体温の上がった身体に冷たいジェル状の薬が気持ち良い


「…良かった、沁みない…」

 薬は粘着力があって、しっかりと傷を覆ってくれている
 確かにこれは良く効きそうだ


 明日、彼女に会ったらまず礼を言おう

 こんなに良い薬なら、作り方を教えて貰うのも良いかも知れない
 この際だから傷薬に限らず他にも役立ちそうな薬の作り方も教わって――…

 彼女に思いを馳せながらシェルは寝室に戻った




「……あ………」


 戻ってまず見たものはベッドの上に置かれた皿
 そして綺麗に剥かれて切り分けられた果実

 火波が剥いてくれたらしい


「お前に任せたら今度は指を切り落としそうだからな
 それ食ったら大人しく寝ろ―――…わしは先に休む」

「うむ……その、火波…」

「ん?」

「……どうも」

「ああ」


 それ以上会話を続ける気は無いらしい
 程無くして静かな寝息が耳を掠め始める



「――――…。」

 頭の中が纏まらない
 考えたい事が沢山あるのに、それが何なのか理解する事が出来なかった

 眠気なんか既に吹っ飛んでいる
 自分が今、何をしたいのかわからない

 ただ混乱している事は理解出来た
 そして、自分自身を持て余している事も


 いつもなら散歩にでも出ている所だが、
 こんな時間から外に出るわけも行かない

 …明日になれば、本調子に戻る
 そう言い聞かせながらシェルは僅かにカーテンを開く


 その夜、シェルは果実の欠片を口に含みながら灯台の明かりを眺めていた


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