「…ねえ、カーマイン――…
 私たちの旅は、別れを前提に始まったものだったよね…」



 メルキゼはカーマインに語りかける
 当然ながら返事は無いが、一方通行の会話にも既に慣れてしまった

 二人きりで過ごす、静かな時

 すっかりやつれてしまった細い手を握り締めて、
 汗の浮いた額に、頬に、口付けた


 愛おしそうに何度も



「本当はね、ずっと一緒にいたいんだ
 でもそれは私の我侭だから…胸に封じ込めていたんだ

 いつか来る別れの時を覚悟していたつもりだった…

 でもね、カーマイン…
 これじゃあ、あまりにも別れが早過ぎるよ―――…」


 抱き締めた身体は今にも折れそうだ
 元々華奢なその身体は、ひと回り以上も細くなっている

 死が、すぐそこまで来ていた


「…私は…こんな別れ方は嫌だ…
 最後は笑顔で…さようならって言いたいんだ

 ―――…いや、それは単なる言い訳だね

 本当は…ただ、君ともっと一緒にいたいだけだ
 君はこんな結末を望んでいないかも知れない…

 …全ては私の我侭だよ
 だから君の怒りや悲しみ、恨みは全て私にぶつけてくれ…」


 憎まれても良い
 それでも生きていて欲しかった

「君がどんなに私を恨もうと…
 それでも私の想いが潰える事は無いよ
 どんな姿になっても――…君は私の愛するカーマインだ」





「…二人きりの時は、いつもそんなクサいセリフ吐いてるの?」

「………リャンティーア……ノックくらいして欲しいよ……」


 いつの間にか背後に立っていた少女

 ご丁寧に気配まで殺している徹底ぶり
 一体、いつから覗き見していたのか

 メルキゼはげんなりとした表情で少女を見上げた


「いいもの聞かせて貰ったわ
 やっぱり本物の恋愛は違うわね、迫力があるわ
 ―――…あぁ、邪魔するつもりは無かったのよ
 薬湯持ってきたの、カーマインに飲ませてあげてね」

「……はいはい…」

「じゃ、ごゆっくり
 また後で覗きに来るわ」

「……………。」


 羞恥心より疲労感が勝る
 メルキゼは溜息を吐きながら、それでも薬湯を受け取った

 リャンティーアのせいで、精神的にかなり鍛え上げられた気がする

 以前なら悲鳴を上げていたような恥ずかしい目にあっても、さらりと受け流せるようになった
 …羞恥心を感じる余裕も無い程、疲労して追い詰められているだけかも知れないが




 メルキゼは薬湯を口に含むと、中に含まれていた薬草の葉を噛み砕く
 完全に形状を無くした所でカーマインの口の中へ流し込んだ

 カーマインに食事を与えるのはメルキゼの役目だ

 意識の無い彼に食事を摂らせるには口移ししかない
 しかし最初は羞恥心が勝って、スープすらまともに与える事が出来なかった

 羞恥心だけではなく、寝込みを襲っているような罪悪感も感じたのだ


 食事を摂らせなければカーマインの死期が早まると、
 リャンティーアに一喝されて、羞恥に泣きながら食事を与えた事も今となっては懐かしい

 今では肉だろうが魚だろうが躊躇い無く与える事が出来るようになった

 皮肉にもカーマインの意識が無い事が幸いしている
 震えの混じった下手なキスでも笑われる心配が無いから



「…ねえ、カーマイン
 少しは上手になったかな…?」

 カーマインの評価はいつも『初々しい』、『青臭い』といったものばかりだった
 知識も経験も乏しいメルキゼと、経験豊富なカーマイン

 彼から見ると、自分は幼子の様なものだったのだろう


 舌を絡めて強く吸い上げる
 以前よりは大分マシになった

 少なくとも、緊張のあまりカーマインの舌を噛んでしまうような失態は無くなった



「…でも…何の反応も返って来ないのは…やっぱり寂しいよ…」

「――――…入っても良いか?」


 ノックの音

 悲愴に包まれた部屋の空気をかき消すかのように、
 少年の声がメルキゼに呼びかける


「…シェル…?」

「うむ…少し、話があって…」

「どうぞ、入って」





 緊張した顔持ちで少年が部屋に足を踏み入れる
 メルキゼはその肩を静かに抱いた

「ごめんね、シェル…
 久しぶりに会えたのに、こんな事になって…」

「誰のせいでもない…謝るのは止してくれ」

「うん…そうだね」


 まともに睡眠もとっていないのだろう

 疲労感の滲み出た顔
 荒れた肌、痛んだ髪

 全身からも血の気が引いている



「…全ての作業が済んだら、カーマインに結界を張るそうじゃ
 結界の中で身体がモンスターの物へと変化して行くらしい

 青虫からサナギになって、やがて蝶となるようなものだとリャンは言っていた

 完全にモンスターへと生まれ変わった時、カーマインは自力で結界を破るらしい
 それがいつの事になるかは判断できぬらしいが――…その間、しっかりと休むと良いぞ」


「そう…なんだ…
 じゃあ当分の間、カーマインに触れる事も出来なくなるんだね…」

 ずっと眠りについたまま
 声を聞けないだけでも寂しさに胸が潰れる思いがする

 それなのに、結界を張られたら触れることさえ叶わなくなる


「寂しいと思わずに、楽しみだと思うと良い
 カーマインが目覚めた時、どんな表情で、どんな言葉で迎えるか…
 彼が一番喜ぶ言葉とシチュエーションを考えるのも楽しいじゃろう?
 そうしているうちに、時間などあっという間に過ぎ去るものじゃよ」

「…そう…だね……
 シェル、ありがとう」

「まあ、カーマインの為にも元気を出しておくれ」






 そこまで言うと、シェルは急に唇の端を吊り上げた


「…しかしのぅ…暫く会わぬ間に、随分と進展しておったのじゃな」

「えっ?」

「カーマインとの関係の事じゃよ
 いつの間にそんな大人の付き合いをするようになったのじゃ?
 手が触れるだけで赤面しておった、あの頃の初々しさは何処へ行ったのかのぅ
 拙者、ちと寂しい気もするが――…じゃがメルキゼデクも大人になったのじゃなぁ…」

「そっ…そんな事、しみじみと言われても…」

「しかし拙者にはどうしても想像出来ぬのぅ
 お主がカーマインに、あんな事やそんな事をして襲っている姿など…


 うーん、と首を捻るシェル
 一体自分たちのどんな姿を想像しようとしているのか

 メルキゼは思わず顔を引きつらせた



「…シェル…その…悪いけど、
 私たちは君が想像しているような関係じゃないよ
 リャンティーアにも誤解されてるみたいだけれど…」

「何じゃ…そうなのか?
 てっきり、やる事はやっておると思っておったが」

「ちょっ…露骨な言い方しないで!!
 私とカーマインは、そんな汚れた関係じゃないよ!!
 まぁ…確かに、カーマインに誘われた事も時々あったけど…」


 流石に言い淀むメルキゼ
 キスには慣れてきても、猥談の経験は少ない


 しかしシェルは持ち前のマイペースで言葉を続ける




「…ほほぅ…やはりカーマインは誘い受けじゃったか…」

「でっ、でも、私は何もしていないよ!?
 だって…カーマインが色っぽい仕草や言葉でベッドに手招きとかされると――…」

「…されると?」


「ベッドに辿り着く前に、鼻血噴いて貧血で倒れるから
 そんな状態でカーマインに手を出す余裕なんかある筈がないだろう?」

「いや、そんな理論的っぽい口調でヘタレっぷりをアピールしなくても…」


 ある意味、居直っている
 やっぱりメルキゼはメルキゼだった




「それに…不意打ちみたいに突然カーマインが抱きついてくる事もあるんだ
 その時は驚きと恥ずかしさで――――…悲鳴を上げて失神する事もあるし」

「……あー…そう……」


「それから朝、目が覚めたらベッドに縛り付けられていた事もあったよ
 目隠しされてるし、鼻血出さないように鼻栓もされてるし――…びっくりした
 カーマインに『強行手段、今日こそは!!』って意気込まれて上に乗られたんだけど…」

「…けど…?」



勃たなかった

「…………………。」



 目頭に熱いものを感じる
 シェルはそっと涙を拭った

 ああ、悲しい…泣けてくる


 メルキゼのへタレさが
 そして何より、ここまで努力してるのに全て無駄に終わってるカーマインが

 メルキゼの鼻に栓を詰めている彼の姿を想像してシェルは切なさに身を焦がした


 というか――――…カーマインよ、そこまでするか





「私も…私なりに努力しているのだけど…
 どうしてこう、上手く行かないのだろう…?」

「拙者に聞かんでくれ」


 ある意味では進展してるけど、事実上では全然進展していない
 それでも好き好んで健全カップルでいるわけではない――…という事はわかった

 そしてその原因の大方が、
 メルキゼのへタレっぷりにあるという事も


 出来るものならカーマインと一緒に、この男の根性も生まれ変わらせてやりたい



「…カーマイン…なんて不憫な…」

「そう言われても…
 私だってカーマインの事、大切に思っているから――…」

「んむ?」


 メルキゼは苦々しく微笑む

「私と彼の体格差、シェルも知っているだろう?

 あんなに小さくて細い身体を抱いたら、
 私は確実にカーマインを壊してしまうよ…

 愛する人に痛い思いだけは絶対にさせたくない
 だから、私としてはカーマインがもう少し成長するまで待ちたいんだ」


 30センチ以上開いている二人の身長差
 その体格差は大人と子供程も離れている

 メルキゼの視点から見れば、カーマインはまだ子供のようなものなのだろう
 そんな彼の気持ちは理解出来なくも無い

 しかし―――…


 カーマインの成長は既に止まっているような気がするのは気のせいだろうか



「カーマインの年齢は…
 確か21か22…じゃったよな…?」

「うん、そうは見えないけど…本人はそう言っている」

「…それでは…もう、成長の見込みは薄いのでは?
 人間の成長期は10代半ば頃に集中しておるらしいが…」

「えっ…そうなの?
 じゃあ、あれで最終形体!?


 その表現はどうかと思う



「…あ、でもモンスター化するから望みはあるね、ゾウとか牛とか馬とか
 そういうアニマル系モンスターに生まれ変わったら体格も立派になるよ」

「いや、その望みの抱き方はおかしいかと…」

「あぁ…そうか…そうだね
 ハムスターとか、小動物方向に行っちゃったら逆に縮んじゃうかも知れないね
 ううん、動物どころか虫型のモンスターになってしまう可能性だってあるよ
 もしアリ型モンスターになったらどうしよう、踏み潰してしまうかも知れない…あぁ、心配だ」


 心配場所はそこで良いのか


 相変わらずのズレっぷり

 …いや、メルキゼはこれで良いのかも知れない
 カーマインも彼のこういう所が決して嫌いではなかった―――…筈だ




「…じ、じゃあ…拙者はここで失礼致す」

「あれ…もう行くの?」

「うむ…ちと疲れたもので…」

 疲労の原因は、あえて黙しておくが
 シェルは曖昧に笑うと部屋を後にした


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