荒い呼吸
 滝のように流れる汗

 苦しそうに呻く声が響く
 小さな命の輝きが潰えようとしていた


 細くやつれた手を握りながらうわ言のように呟く

「…大丈夫、だよね…?
 助かる…助かるよね…?」

 しかし現実は残酷だ
 僅かな希望すら抱く事は許されない


「――…残念だけど…もう長くはないわ」

「そんな…!!
 何か治療法がある筈…!!」

「…これは病気でも怪我でもないのよ
 どんな薬でも魔法でも…この命を救う事は出来ないわ」

「…嫌だ…嫌だよ、死なないで…!!」


 人気を忍んだ薄暗い森の中
 その一角で人知れず悲劇が幕開けていた







「―――…まあ、こんなものかのぅ…
 うむ、腕も脚もよく上がるし…サイズもぴったりじゃし…」


 勧められた旅人用の服
 流石に機能性には問題ない

 しかし、いまいち華に欠ける
 深紅の刺繍が施された着物と比べれば尚更に

 動きやすいから、と自分自身に言い聞かせて何とか納得しようとしているらしい


「…わしはよく似合っていると思うぞ
 このマントと合わせれば、そう地味でもないだろう」

「うむ…そうじゃのぅ
 火波はその服で良いのか?
 お主には少し大きいように見えるのじゃが…」

「ああ、変身後の事も考えてな
 大きめの服を選ぶようにしている」

「成程…」

「問題無いな?
 会計を済ませてくるぞ」


 心配とは裏腹に、特に問題も起こらない
 シェルの服も民族衣装的な柄のせいか良く似合っている

 順調に買い物も進んで火波は上機嫌だった


「じゃあ、古い服を船に置いてくる
 すぐに戻るから、その辺で待っていてくれ」

「うむ、心得た」


 足取りも軽く店を後にする

 シェルも少し眠った事ですっきりしたのだろう
 いつもの憎まれ口も控えめで話し易い

 二人分の服を抱えながら、火波は珍しく笑みを浮かべていた





「――…さて、と…
 天気も良いし何処に行こうか…」

 荷物を置き、軽くなった身を伸ばしながら今後の予定を立てる

 今のところ、特に買うものは無い
 それならどこかのカフェにでも行こうか

 それとも―――…

 ―――――――………


 ぱき、と足元で乾いた音が鳴る
 枯れ木を踏ん付けたらしい



「――……あ……っと…?」

 気が付くと、そこは森の中だった
 考え事をしながら歩いていたせいで、いつの間にか道を外れていたのだろう

「おっと…いかん、いかん
 シェルに知れたらまた馬鹿にされる…」

 慌てて方向を転換させる
 …が、そこに人の姿を見つけて思わず足を止めた


「――…こんな森の奥に…人影…?」

 山菜取りとも、薬草取りとも様子が違う
 その人影は木に寄りかかるようにして、うずくまっていた

 怪我人か、急病人か――…

 どちらにしろ放っておく事は出来ない
 わけを話せばシェルも文句は言わないだろう

 火波は人影に向かって走り始めた





「…おい、大丈夫か…?」


 恐る恐る近付いて、その肩に手を掛ける
 微かな震えが伝わってきた

 それと共に、押し殺したような嗚咽も


 ―――…泣いている…

 もしかすると、人目を避けて涙に暮れたかったのかも知れない
 だとしたら余計なお節介を働いてしまった

 少し気まずいものを感じつつ、火波はそれでも声をかける


「何があったのかは知らないが…
 森の中はモンスターも出るし危険だ
 ――…早々に町に戻った方がいい」

 言ってから自分がそのモンスターである事に気付く
 …が、まあ人の姿ではまず気付かれる事はないだろう

 気を取り直してもう一声かけようとした時、消え入りそうな声が耳を掠めた



「…私の大切な…愛する人が……死にそうで…
 助からないって言われて…どうしたらいいか…わからなくて…っ…」

 そう告げると、そのまま泣き崩れる
 見ているこっちまで貰い泣きしそうだ


 ―――…参ったな……

 火波は頭を抱えたい衝動に駆られた
 世の中には、こうも愛する人と引き裂かれる者が多いのか

 声からして相手は男だとわかる
 歳も背格好も自分のものと近そうだ

 その姿が一瞬、家族を失った時の自分と重なった


「…と、とにかく森の中は危険だから…」

 何も出来ない
 力になれないことは理解している

 …それでも放っておけない


 火波は彼を立ち上がらせると、その手を引いて町へと誘導した





「…あっ…やっと見つけた!!
 一体、何処に行っておったのじゃ――…」


 自分の事を探していたらしい
 シェルが駆け寄ってくる

 …が、自分の隣にいる人物に気付いたのか一瞬動きを止めた
 よほど驚いているのか、瞳は眼一杯に見開かれている


「…えっと…だな
 彼は森の中で――…」

 慌てて事態を説明する

 …が、シェルの表情は変わらない
 まるで魂が抜けたかのように固まっている



「お、おい…聞こえているか?」

「………っで……」

「――…え?」

 上手く聞き取れない
 火波はシェルの目線まで身を屈めた


「シェル、どうし―――…っう!?」

 突然、胸倉を掴みあげられた
 意表を付かれて目を白黒させる

「なっ…な、な…!?」

「火波、一体どういうことじゃ!?」

 元々ツリ目がちの瞳を更につり上げて
 まさに鬼のような形相

 やましい事がなくても思わず数歩、後ずさる


「だ、だから森の中で――…」

 火波の声を遮ってシェルが叫んだ
 厳密に言えば火波にではなく、その隣の人物に向かって



「何故、メルキゼデクが此処にいる――…!?」






 混乱していた
 状況が上手く飲み込めない

 ただ、どこかで聞いた名だという事だけ思い出せる


「……ええと……?」

 確かシェルの知り合いだった筈だ
 こんな所で出会うなんて、奇遇さに驚きを隠せない

 そして驚いたのは向こうも同じらしい


「……君、誰…?」

 涙を拭いながら、シェルの事を見つめている
 しかし仕草や言葉からして知り合いのようには思えない

「…おい、シェル…
 お前の人違いなんじゃ――…」


「――…シェル…!?」

 その名前に反応を見せる
 彼はシェルの顔をまじまじと見つめ始めた

 そして、納得したかのように頷く


「微かに面影が…髪の色も瞳の色も同じだ…
 …そうか…成長して、男の子になったんだね…
 あんなに小さかったのに、こんなに大きくなって――…」

「うむ…じゃが、拙者の事はいい
 それより、何故ここにおるのじゃ?
 カーマインと二人でティルティロに向かっていた筈では…?」

 ―――…カーマイン

 メルキゼデクと呼ばれた男はその男の名に再び瞳を滲ませる
 長い睫毛に涙の滴が溜まって行く



「…カーマイン…私と、ずっと一緒だったよ…
 でも、もう…お別れを言わなければならない
 熱がずっと下がらなくて…喋る事も出来なくなって…長く持たないって…」

「……まっ…待て!!
 何故そのような事に!?」

 シェルは今度はメルキゼデクに掴み掛かる
 彼の肩を掴んだ指先は酷く震えていた


「…私は…知らない内に、カーマインを殺そうとしていて…
 彼の異変に気付いた時には…もう手遅れで…っ…!!」

 そのままメルキゼデクは泣き崩れる

 道行く人々が何事かと振り返るが、
 当の彼らはそんな事を気にしている余裕もない


「…そんな…嘘……」

 シェルはショックで茫然自失に陥っている
 血の気を失った肌は抜け殻のように覇気が無い


「…嘘…どうして……?
 だって、カーマインは…迎えに来てくれるって…」

「…シェル、少しは落ち着け」

 カーマインと面識の無い火波だけが落ち着きを取り戻していた

 今、此処でこうして嘆いていても状況は変わらない
 とにかく例のカーマインという男に会うのが先決だろう


「まずは彼に会いに――…」

「…カーマイン…どうして…」

「――…シェル…?」

 虚ろな眼差し
 生気の抜けた体たらく

 流石に尋常じゃない空気を察する


「…おい、シェル!!
 しっかりしろっ!!」

 シェルの名を読んで我に返らせようと試みる

 しかし何の反応も無い
 呼吸すら止まっているかのように見える

 幾ら名を呼ぼうとも、今の彼には何も聞こえてはいないようだった



「―――…っ……シェル、許せ…!!」


 火波の手が空を切る
 シェルの身体を引き寄せると、その頬を勢い良く張り飛ばした

 破裂音にも似た乾いた音が響く


「…っぐ…ぅ…!!」

 衝撃でシェルの身体は地面に倒れ込んだ
 押し殺すような呻き声が漏れる

「…我に返ったか?
 まだ足りないと言うなら、もう片方の頬も打つぞ」

 襟首を掴むと力任せに上体を起こさせる
 しかしシェルの頬が濡れている事に気付いて火波は手の力を緩めた

 俯く顔を片手で上向かせると、空いたもう片方の手で涙を拭う


「…今は、泣くよりも先に成すべき事があるだろう
 お前は賢い子だ、何をするべきか―――…言わなくてもわかるな…?」

「―――…ついて来て…くれるか…?」

「…お前が望むなら」


 シェルは頷くと無言で立ち上がった

 その頬は赤く腫れ上がっていたが、
 彼自身は特に気にしていないらしい

 いつもの真っ直ぐに澄んだ瞳が前を見つめていた



「…メルキゼデク、カーマインは何処に?」

「森の奥に…小屋が…」

「案内してくれるな?」

「……ああ…」


 メルキゼはよろよろと立ち上がると、踵を返して来た道を戻り始める
 シェルと火波は無言でその後に続いた

 空は茜色に染まり始めている


 今日の夕日は特に赤く、血の色を連想させた


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