「穏やかな海を見るのも久しぶりじゃのぅ
 エレンとやらはもう、遠くの海へ行ったのじゃろうか」


 船の甲板でシェルは落ち着きを取り戻した海面を眺めていた

 陽射しが眩しい
 火波は積荷で出来た影に身を寄せた


「…エレンはもう、ここにはいない
 もう海が荒れる心配は無いだろう」

「じゃが、エレンは他の海へ行ったのじゃろう?
 今度は他の場所の海が荒れておるのではないか?」

「―――…いや、大丈夫だ
 さっき、天に昇って行ったのが見えた」

 火波は空を指差すと微かな笑みを漏らす


 エレンが彷徨っていたのは息子を探していたからだ
 しかしその安否がわかった今、もうこの世に留まっている必要は無い

 未練を解き放った彼女は心置きなく天の国で息子を見守っている事だろう


「…なんと…成仏したのか!?
 まさか日記で笑い過ぎて昇天したとか――…」

「……んなわけあるか、阿呆」

 まあ…恐らく今頃、彼女は日記片手に笑い声を上げているだろうが

 シェルは首を捻る
 エレンが日記一冊で成仏できたのが理解出来ないらしい


 もしシェルがレンの正体を知っていて、
 そしてエレンの姿を見る能力があれば全てを理解出来ていただろう

 しかし火波はあえて何も言わなかった

 事実を告げたからと言って何かが変わるわけでもない
 それに結末はハッピーエンドで幕を閉じたのだから、それで充分だ

 幸福のお裾分けを貰った気分で、火波もまた満ち足りた思いを味わっていた





「シェル、寝不足…か?」

 何度目かの欠伸を噛み殺す
 そんなシェルをジュンは珍しそうに眺めていた

「珍しいな、いつもはそんな事無いのに」

「う、うむ…まぁ…
 火波と月見をしていたのじゃよ
 荒れた波間に覗く月もまた乙なものじゃぞ」

 適当に誤魔化しながら、シェルは手札に視線を戻した
 今、ジュンお手製のカードでゲームに興じている所なのだ

 小さなカード一枚一枚が名画の如く見事に書き込まれている
 ゲームに使用するのが勿体無いくらいだ


「ええと…うむ、これで猪と鹿と蝶が揃ったのぅ」

「うわ、早いな
 じゃあ俺は…花見酒だ」

「あと一枚で青丹が揃うのぅ…」


 ジュンとシェルは日増しに親睦を深めている

 そんな彼らを保護者のような眼差しで見守っている内に、
 火波とリノライの間にもまた、ささやかな友情が築きあがっていた


「ジュンの故郷のカードゲームとの事だそうですよ
 花札と言って…その名の通り、美しい絵が描かれております」

「見事なものだな…
 この絵全て、あの男が描いたのか」

「ええ、故郷では芸術を学ぶ為の学校へ通っていたとか…
 ―――…ああ、お茶のおかわりをどうぞ」

「ああ…すまないな」

「今日は暖かくて良い日でございますね」

「天候も回復したようだしな」


 茶を啜りつつ天気の話
 その姿はまるで、何処かの隠居

 船内には平和かつ、のほほんな空気が漂っていた

 その雰囲気に拍車をかけるかのように、
 間延びした声と共にドアをノックする音が響く


「おー…兄さん方、ちょっと良いかね?」

 現れたのはパイプを咥えたマイペース船長
 嵐だろうが凪だろうが、彼の表情は変わらない…大物だ


「如何なさいました?」

「うむ、実は必要物資が心許無くなってきての
 そこの港で数時間ばかり補給させてもらえんかの〜」

「別に構いませんよ」

 これだけ嵐で漂っていたのだ
 今更他の港に立ち寄った所で、どうと言った事は無い

 燃料や食料の補充の方が大切だ


「ありがとうの
 兄さん方も、気分転換に外を歩くといい
 出港時間になったら呼びに行くさね、心配なさるな」

 船員はそう告げると、相変わらずの、のんびりモードで去って行った




「それでは私はお言葉に甘えて…少し、港を歩く事に致します
 ジュン、貴方はどうしますか?」

「俺も行くかな…
 まだ船旅も長引きそうだし、
 暇潰しになるような物を買いたい
 俺も、ご一緒して良いですか?」

「ええ、一緒に参りましょう
 それでは私どもは支度をして参りますので…失礼致します」

「ああ」

 二人が外出の準備に席を立つ
 火波も立ち上がって二人を見送った

 …が、シェルは宙を見つめたまま上の空だった


「…シェル…?」

 普段から言動は老けているが、
 キビキビとした行動派のシェルなだけに不安になってくる

「…お、おい…大丈夫か?
 そんなに眠いなら横になってても良いが…」

「んむぅ…じゃが…
 今寝ると夜に眠れなくなるしのぅ…」

「明らかに寝不足だ
 無理しないで眠っていろ」

「…じゃが…」

 不満も露な膨れっ面
 これでは無理矢理ベッドに押し込んでも、すぐに起き上がってくるだろう

 火波は少し考えた末、機嫌をとる手段を思い付いた



「…あと数時間で港に着く
 そうしたら起こしてやるから」

「むうー…」

「一緒に散歩にでも行こう…な?」

「え―――…
 火波とかぁ〜…」

「…何故…そこで更に不満顔になる…?」

 ちょっとショック
 確かにリノやジュンと違って気の利いた話は出来ないが…


「外出しても…特に用があるわけでもないしのぅ」

「…何か欲しい物とか無いのか?」

「そうじゃな…
 強いて言うなら服が欲しいかのぅ…」

「――…服だな?
 よし、じゃあ服を見に行こう
 だから今のうちに眠っておけ」

「…うむ…」


 良かった
 何とか大人しく眠ってくれそうだ

 火波はほっと胸を撫で下ろした


「いつも悪いのぅ…
 まあ、そこまで言うのならば遠慮無く買って貰おうか」

 遠慮しろ
 …って、いつの間にわしが貢ぐ事に…


「おい…」

「じゃ、おやすみ」


 …………。

 強いな…シェル…
 その逞しさ、少しでも良いから分けて欲しい



「…まあ…いいか…」

 誰かと服を買いに行くのも随分久しぶりだ
 折角の機会だ、自分も何か買おうか

 どうせなら乳首の隠れるもの

 変身した時に窮屈なので、あまり服を着るのは好きではないのだが



「シェルも…もう少し露出の低い格好をさせたいな…」

 というより、ズボンを穿かせたい

 青少年の網タイツ姿は由々しき問題だ
 ジュンやリノにも珍しそうな視線を向けられていた

 …いや、シェルが奇怪な視線を向けられる分にはまだいい

 問題なのは―――…


「…わしの趣味だと思われる事だ…な」

 勘弁して欲しい

 …が、傍から見ても自分はシェルの保護者に見える
 意図的にシェルにこの服を買い与えていると思われても仕方が無い

 現に、ジュンとリノにそう思われたのだ

 その時の心境は憂鬱としか言い様が無い
 シェルが服を欲しがっているというのは、またとない好機だ



「どうせなら歳相応に若々しい格好を…」

 シェル自身は嫌がりそうだが…

 しかし資金を出すのは自分だ
 ある程度までなら意見を通せるだろう



 しかし―――…


 …想像できない
 シェルが普通の服を着ている姿が全く浮かばないのだ

 どうしても着物姿が思い浮かぶ
 言葉遣いにも違和感が出て来そうだ

 しかも、時代錯誤っぷりが余計目立つ事間違いなし


「…な…難儀な…」

 何を着せれば似合うのか
 むしろ弄らずに、このままそっとしておくべきなのか

 思わず頭を抱える火波だった


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