「○月×日、晴れ
 サークルの合コンに誘われる
 初めての経験だ、何を着て行こうかな」


 次にシェルが選んだページは、ごく普通の日記のようだった

 意味のわからない小説よりは聞きやすい
 しかしプライベートを覗き見しているという罪悪感は小説の比ではない

 火波は落ち着き無く視線を泳がせていた


「合コンの目玉は大学のミスコンでも選ばれたアキコちゃん
 他の野郎たちは、みんなこの女の子を狙っているんだって
 合コンに行く仲間たちは床屋に行ったり服を買いに行ったりして忙しそう」

 華のキャンバスライフか…

 大学生ともなると、そろそろ恋人が欲しい年頃
 交流や出会いを求めて合コンも頻繁に行われるのだろう


「青春だな…若い頃を思い出す」

「ちょっとお兄さん…
 何を老けた事言ってんのよ
 まだ年齢、30ちょっとでしょ?

「享年はそうだが…
 死後から70年以上経ってるから」

「あらあら…死んだ後の年齢はカウントしちゃダメよ
 せっかく歳をとらないんだから、いっそサバを読むくらいで行かなきゃ」

「…逞しいな…エレン…」

 母は強し、と言うが…
 彼女の場合は生まれ持っての性格に違いない



「何じゃ火波
 また気弱な事でも言っておるのか?」

「頼むからまた≠チて言うな
 わしの事は気にせずに続けてくれ」

「ならば続けようかのぅ
 ええと――…

 俺はスイミング・サークルに属している
 合コン相手のアキコちゃんはミイラ製作研究会らしい」


 作るな



「…彼女は考古学の学科か何かにいるのか…?」

「いや、家政科と書いておるぞ?
 調理実習で残った肉や魚をミイラ化させて楽しんでおったようじゃ」


 干し肉?
 煮干し?

 それってミイラって言うより保存食なんじゃ…


「△月○日、くもり
 今日は初めての合コンの日
 高架下の焼き鳥屋で安酒を酌み交わす」


 中年の飲み会かい

 青春真っ只中の若者たちよ
 頼むから、もっと華やかに行ってくれ

 これではあまりにも地味過ぎる
 それとも最近の若者はそういう趣向なのだろうか…


「ほろ酔い気分になった頃、店の奥から悲鳴が上がった
 店内の様子が明らかにおかしい―――…俺は周囲を見渡した
 その途端、店の扉に鉄の格子が降り、鋭い針の付いた天井がじわじわと迫ってくる」


 何のトラップだ
 というより本当にそこは焼き鳥屋か?

「足元からは噴水のように水が噴出し始める
 俺は冷めないうちにレバ串を平らげると熱燗をオーダーした」


 食ってる場合か
 しかもこの状況で飲むつもりか


「猪口を片手に一息つこうと背面の壁に寄りかかる
 その瞬間、その壁がぐるりと回転して謎の忍者軍団が現れた
 忍者が投げた煙球が炸裂して大量のカモノハシが溢れかえる」


 ちょっと待て
 話の流れがつかめなくなって来た




「続いて竜の落とし子ロマン戦隊ネムインジャーが登場
 メタルボディも眩しい円筒型ロボットが地下の秘密基地から召喚される」


 その展開はおかしい
 というか、あらゆる面で有り得ない


「このままでは焼き鳥屋が危ない
 俺は巨大化させた近海産フジツボで挑む」


 挑むな
 というかこの焼き鳥屋の存在そのものが犯罪のような気がしてきた


「フジツボの必殺技・猿煉りビーム
 その威力は凄まじく、落雷が降り注ぎ山は噴火し海は全てを飲み込んだ
 結局、合コン会場の焼き鳥屋は跡形も無く崩壊したが、俺はそれなりに楽しかった」


 崩壊したんかい

 思うんだが…
 トドメさしたの、お前だよな?

 しかも被害は焼き鳥屋だけに留まってないよな?



「合コンは津波と共にお流れになった
 結局、アキコちゃんをモノにしたのは後輩のアヤちゃんだったらしい
 晴れてカップルとなった彼女たちはミイラ作りに勤しんでいるとの事だ
 彼女たちの愛の巣は今日もミイラで溢れかえっている事だろう…めでたし、めでたし」


 めでたくない
 色々な意味で嫌なカップルだ





「…これ…も、レンが書いた小説か…?」

「日記じゃからノンフィクションじゃよ
 まあ、レンの生き様を考えればこのくらい日常茶万事じゃな
 フジツボが巨大化するあたりなんか、いかにもレンらしいじゃろう」

「…本気でどんな男なんだ…」

「一言で表現するなら歩く怪奇現象じゃな
 彼が行く先々で説明の付かぬ珍事件が起こるのじゃよ」

「つまり全力で行動を阻止したくなるような男なんだな」

「レンの動きを封じるのは魔王でも無理じゃ」


 無敵ですか





「さて、次は何処を読もうかのぅ――…」

「もう充分だろう
 そろそろ夜も明ける頃だし…」

「夜明けギリギリまで良いではないか
 どうせ船に戻ったからと言って特にする事もないのじゃし」

「そうよ、どうせヒマなんでしょ?
 ケチケチしないで朝まで付き合ってよ」

「寂しい彼女を少しでも慰めてやりたいという心がお主には無いのか?」

「人と話せたの、数十年ぶりなの
 せめて夜明けまででいいから―――…」


 …………。

 ここで帰ったら確実に悪者扱いされる
 しかもこの先シェルに延々とイヤミを言われ続ける事になりそうだ

 夜行性の火波としては朝日が昇る前に帰りたかったが、
 とことん強気の二人にタッグを組まれては何を言おうと勝ち目が無い


「…じゃあ…これが最後だぞ…?」

「うむ、心得た
 では拙者も最後のページを読む事に致そうかの」

 シェルは一度日記を閉じると、
 裏返して最後のページを開いた


「最後のページはこの日記のシメにもなっておるのじゃよ
 レン自身の色々と思う事や近況も書いておってのぅ…
 ちなみにレンがこれを書いたのは、結構最近なのじゃ
 拙者を居候させる為に実家に帰った時、残りのページを全て使い切って書いたのじゃよ」

 嬉しそうなシェルの表情

 レンと過ごしていた時の事を思い出しているのだろう
 まあ…確かに、聞いた感じだと楽しそうな男ではある

 かなり危険性を伴うが



「では、読み上げるぞ」

 シェルがそう言うとエレンは急に姿勢を正した
 少し緊張したような、それでいて名残惜しそうな表情

 久しぶりの会話もこれで聞き収め―――…

 そんな心の声が聞こえてくるかのようで、火波は思わず彼女から視線をそらした






「俺の名前はレン・ダナン、この夏で22歳になった

 今日、休学していた大学に退学届けを提出した
 恐らくもう――…学校に行く事は無いだろうから

 俺は今、ある小さな国で暮らしている
 そこは国土全てが戦地で、毎日が生と死の隣り合わせ

 いつ命が潰えるかわからない
 だから、この日記に俺の事を書きとめておこうと思う

 遠い国で人知れず命を落としたとしても、
 この俺が確かにここに存在し、生きていた証拠として」


 今までの軽い文面から一変
 急に内容が硬く重いものになった

 火波も思わず姿勢を正して口を噤む


「頬に当たる、焼けるように熱い砂浜
 聞こえるのは絶えず繰り返される波音
 目が眩むほどに眩しい太陽の陽射し…

 海岸が俺の意識を呼び覚ませてくれた

 見た事のない景色
 知らない空気の香り

 ここは何処なのか
 自分は何処から来たのか
 何もわからないまま、俺は海岸を歩き続けた

 唯一わかる『レン』という俺の名前
 このたった二文字が俺の全てだった―――…」





 海面が奏でる波音が響き渡る
 シェルが読み上げる過去の場面と現在がシンクロした


 突然、エレンが立ち上がる
 彼女は真っ直ぐにシェルのもとへ歩を進めた

 心なしか青ざめた頬
 唇が震えている



「…え、エレン…?」

「ねえ…その日記、貸して…!!」

 シェルに向かって手を差し出す
 しかしシェルには彼女の姿が見えていない

 火波は慌てて声を出した


「シェル、日記をエレンに貸してやってくれ」

「……うむ…構わぬが……?」

 彼女の姿が見えていないシェルは見当外れ方向に日記を差し出した
 しかしエレンはしっかりと日記を受け取ると、その場に座ってページを捲り始める







 ――…何も思い出せない

 どんなに記憶の蓋を開けても、
 見えるのは暗い海の底ばかり

 歩き続けているうちに、目の前も深海のように真っ暗になった

 どうやら疲れて眠っていたらしい
 自分に何が起こっているのか、それすらも気付かずに眠っていた

 どのくらい寝ていたのかはわからない

 目覚めてすぐに視界に入ったものは、
 心配そうに俺を見つめる4つの瞳だった


 『お名前は?』

 ――…レン…

 『どこから来たの?』

 ――…たぶん、海


 『お家はどこかな?』

 ――…思い出せない

 『お母さんはどうしたの?』

 ――…わからない――…


 優しく問いかけられる声に、
 俺は曖昧な事しか答えられなかった

 わからなかった
 思い出せなかった

 何もわからない真っ暗な海底の色をした頭で、
 それでも俺は本能的に生き延びる為の手段を取っていた


 大きな手
 大きな身体

 俺は全力でそれに抱き付いた
 決して離すまいと、離れたら終わりだとでも言うように

 この4つの瞳が俺を護ってくれる存在だと信じて――…





「―――……。」

 エレンが時折、何かを呟く

 しかしそれは波の音に消されて火波の耳には届かない
 一人状況がわからないシェルは手持ち無沙に頬杖を付いていた

 彼女は二人には脇目もふらずに日記に没頭している
 火波はエレンの邪魔にならないように、さり気なく彼女から距離をとった





 ユリィ・ダナンとセーロス・ダナン

 その日、二人の義兄が出来た
 俺の名前もレン・ダナンになった

 俺は海で拾われた子

 でも、二人は実の子供のように育ててくれた
 海から賜った天使だと言って大切に育ててくれた


 俺は海が大好きだ
 暇を見つけては海水に身を浸して過ごしていた

 ユリィもセーロスも『海が怖くない?』と聞いてくる
 俺はその問いにいつも『懐かしいよ』と答える

 海は怖くない
 眺めているだけで懐かしさが押し寄せてくる

 ここが、この広い海が、俺の居場所なんだと思う


 セーロスは俺は海の彼方から来たのだから、
 やがて海の彼方へと帰って行くのだろう…と言う

 ユリィは俺が海に護られていると言う
 そして、それと同時に俺が海を護っているとも言う

 二人の言っている意味が、よく理解できなかった
 どんなに訊ねても『大人になればわかる』としか返ってこなかった


 時は流れて、俺はもう22歳
 今では二人の言っていた意味が理解できる

 失われた記憶は未だ取り戻せない
 それでも自分が何者なのか、そして何をするべきなのかは知っている


 セーロス、ユリィ、そして―――…お母さん

 俺の事を護ってくれてありがとう
 俺にも護りたいと思う大切な友人が、そして愛する人が出来たんだ

 大切な人と過ごす時間
 それが俺の何よりも大切な宝物


 俺にもいつかこの海に還る日が来るだろう

 それがいつの事になるかは、まだわからない
 でもその日まで、俺はこの宝物を護り続けたいと思っている

 その為に、俺は戦う道を選んだ
 凄く危険な道を選んでしまったけど――…

 でも、これだけは断言できる


 ――…俺は今、凄く幸せだよ







 ひとつ、またひとつと輝く星が消えて行く


 空が、海が、淡く揺れる光で彩り始める
 もう間もなく夜明けを告げる使者が顔を覗かせるだろう



「…もう、いいのか?」

「ええ…充分よ
 これ、お返しするわ」

 差し出された日記帳
 一人の青年の人生が綴られた記録

 星の数ほどもいる内の、たった一人
 けれど、彼女にとっては―――…



 静かな想いが芽生える

 火波はシェルに耳打ちした
 エレンには聞こえないように


「…なあ、シェル
 この日記は…見た通り、分厚くて重い
 こんな物を持ち歩いてこの先旅をするなんて無謀だろう」

「……うむ…?」

「だから…だ
 この日記、エレンにやらないか?
 彼女の方が有効活用してくれるだろうし、日記も喜ぶと思うのだが」

「まあ…構わぬじゃろう
 レンも新たな日記帳を買ったと申しておったし…
 本棚でホコリを被っておるよりは暇潰し相手をしておる方が良いかも知れぬのぅ」

 名案とばかりに何度も頷くシェルに火波は思わず笑みを漏らす
 火波はエレンに向き合うと、日記を握ったその手を押し返した


「……えっ…どうしたの…?」

「その日記、貰ってやってくれ
 きっとレンも日記自身もそれを願っている
 それに――…一人で待つのは退屈だろう?
 これを読みながら親子再会の日を待つといい」

「……貰っても…いいの……?」

 じわ、とエレンの瞳に涙が溜まる
 しかしそれは初めて会った時のような悲しげなものではなかった

 両手で日記帳を抱き締める
 我が子のように、愛情を込めて



「…ありがとう…」

「別に、わしらは日記を持って来ただけだ
 泣いて感謝されるほどの事はしていない
 礼を言わなければ気が済まないのなら、この偶然に礼を言うんだな」

 どうも、こういう空気は苦手だ
 火波はシェルを背負い直すとエレンに背を向けた

 白み始めた空が視界いっぱいに映る



「…じゃあ、な」


 所詮は死者同士だ

 長々とした別れの言葉は要らない
 それに、そんなものはガラじゃない

 火波は翼を広げると、白み始めた空に飛び立った



 ――…この偶然も、セイレーンが呼び起こした奇跡なのかも知れない…


 降り注ぐ朝の陽射しを浴びながら、
 火波は心の片隅でそう呟いた


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