「―――…おい、そろそろ起きろ」


 草木も眠る丑三つ時
 船内は暗く静まり返り、波に揺れて軋む音が響くのみ


「…困ったな…」

 火波は翼の生えた手で額を押さえた

 シェルはマントをシーツ代わりにして安らかな寝息を立てている
 声をかけたくらいでは起きそうにない

 本来なら寝ていて当然の時刻だ
 それを無理矢理起こすのは良心が痛む
 そもそも寝た子を起こすとロクな事にならない

 しかしこのまま放置して朝を迎えれば何を言われるかわかったものじゃない
 火波は心を鬼にして、傍らで寝息を立てる子供を揺り起こした


「明日は昼まで寝ていて良いから、今だけ起きてくれ」

 ゆさゆさ
 何度か揺り起こすと少年はふらふらと起き上がった

「…ん…んん―――…
 拙者の眠りを妨げる者は誰じゃ…?」

 呻き声を発しながら、目をこするシェル
 寝ぼけているのか焦点が定まっていない

「おい、しっかりしろ
 意識が何処か遠くへ旅立っているぞ」

 ぺしぺし
 頬を軽く叩いて彼をこっちに呼び戻す


「…ん~…火波…?
 何じゃ、こんな時間に…」

「セイレーンと話しに行くのだろう?
 早く起きなければ夜が明けてしまうぞ」

 シェルの手に日記を握らせる
 その重みで現状を思い出したらしい

 急に目を見開くと、シャキッと姿勢を正す

「おお、そうじゃった
 こうしてはいられぬ…支度をせねば」

「…お前、寝起きが良いのか悪いのか…」

 せっせと帯を締め直すシェルに思わず額を押さえる火波だった




「―――…むっ…?」

 不意にシェルが足を止める
 彼の視線は不審そうに火波の腕を見つめていた

「…何だ?」

「火波、お主…腕から水掻きが生えておるぞ?
 いつの間に犬からカッパに進化したのじゃ?」

 これは水掻きではなく


「コウモリの翼は腕に付くんだ
 これで海面を飛んで行くから、しっかりとつかまれ」

「うむ、その点は心得ておる
 しかし何処につかまったものか…
 片手は日記を持つのに使っておるしのぅ」

 剣技に多少覚えはあっても、力自体には自信が無い
 片手でつかまって体重を支えられる時間は―――…恐らく数分


「十中八九、途中で力尽きる気がするのぅ…」

「わしのマントを身体に巻き付けてみたらどうだ?」

「確かに巻き付けやすそうな構造をしておるしのぅ
 このタコ足のようなマントが初めて役立つという事か」


「お前、わしのマントをそんな目で見ていたのか…?」

 個人的には風通しが良くて気に入っていたのに
 一度タコ足と言われてしまったら、そういう風にしか見えなくなってくる

 色も赤いし

 ちょっと悲しくなってきた火波であった



「…さて、今からキャラを作っておかねばのぅ」

「キャラ…?
 今度は一体、何を企むつもりだ?」

「うむ、母性本能を擽るような可愛らしい少年を演出しようかとな
 少し幼くて手が掛かるくらいの方が、母親にはウケが良いのじゃよ」


 やめておけ

「お前の性格では、あまりにも無理があるだろう
 ただでさえ老け過ぎているくせに…すぐにボロが出るぞ」

「容姿には多少自信があるのじゃが
 こうやって上目遣いだと、それなりに見えるじゃろう?」

「見た目だけ取り繕ってもな…」

 最大の問題はこの渋過ぎる性格
 口調からして既にアウトだし

 そもそも中身からして可愛くない


「お前な…『拙者』とか言っている時点で駄目だろう…
 あのジュンとかいう人間の方がまだ若々しく見えたぞ」

「彼と拙者ではキャラが違い過ぎるじゃろうて…比べるのが間違いじゃ
 まぁ安心致せ、こう見えて拙者の演技力はちょっとしたものなのじゃよ」

「…どうだか…」

 火波から見れば、これほど可愛げの無い子供も珍しい
 彼にとっての子供の可愛さの基準は無邪気さや青臭さ、そして子供特有の若々しい力だ

 シェルのような15、16歳くらいの子供なら、粋がって無鉄砲な行動に走っても不思議ではない
 例え若さに任せて無謀な行動をしたとしても、そこは大人の自分がフォローすれば良いだけの話だ

 ――…が……



「…おい、何をしている?」

「うむ、とりあえず目覚めの茶を一服…
 夜は長いのじゃからな、ゆっくり行動すれば良いじゃろう」

 正座をして湯飲みに口付けるシェル
 その姿はまるでどこかのご隠居のようだ


「…行かないのか?」

「そう先急ぐでない
 お主も少しはリラックスしたらどうじゃ?
 まず心落ち着けなければ上手く行くものも失敗するぞ」

 フォローするどころか窘められた

 自分に落ち着きが無いわけじゃない
 シェルが人一倍ずっしりと構えているだけだ

 そう何度も自分に言い聞かせる火波
 けれど風が妙に虚しく感じるのは何故だろう…


「火波よ、何か途中で問題が起きたら即座に拙者に言うのじゃぞ?
 その要領の悪さで手際良く対処出来る筈が無いからのぅ
 お主は一度ペースを崩されると途端にガタガタになるのじゃよ
 拙者なら少なくとも火波よりはマシにフォロー出来るじゃろうからな」

 言いたい放題ズバズバ言いやがって…って、
 ついにフォロー役すら奪われたんだな、わし…

 そして反論出来ないのが切ない


「……わしの立場って一体…」

「答えて欲しいか?」

「…いや、聞きたくない

 聞いたら絶対に哀しくなる
 というより惨めな気分になる事間違い無し


「馬鹿な子ほど可愛い…というのは正論だな
 わしは今、その言葉の意味を深く噛み締めている」

「火波は可愛いのぅ…一挙一動が」

 遠回しに馬鹿扱い
 しかも一挙一動とまで言いやがった



「……もう良い、行くぞ」

「うむ、安全飛行で頼むぞ
 制限速度60キロを、しかと守るように」

 そんなに出ないから!!


「お前、わしを一体なんだと思って―――…」

「おっ…背中にホクロ発見
 肌が白いから目立つのぅ…」

 人の話、聞こうよ


「そのマイペースっぷりは何とかした方が良いと思うぞ
 賢明なお前ならわかるだろう…いつか痛い目に遭うと思わないか?」

「そうじゃのぅ…うむ、ついでにヘソのゴマもチェック」

 聞け

 会話噛み合わせようよ
 というか、ちゃんと話聞いてた?


「わしだって怒る時は怒るんだぞ…」

「その短気な性格は何とかせねばのぅ
 そんなだからヘソに毛が生えるのじゃよ」


 関係ねぇよ
 何の根拠も無いし

 ―――…って、そもそも生えてないから!!

「お前の心臓になら毛が生えてるかもな…」

「ピンク色の胸毛、もっさ―――…」

 嫌過ぎる
 …って、胸毛違うし



「…さて、これだけ頑丈に結べば安心じゃな
 火波が真っ二つにでもならない限り落ちる事は無いじゃろう」

 不吉な事いうな

「しかし火波も勇気があるのぅ…」

「…何がだ?」

「だって、一時的とはいえ背中を拙者に預けているわけじゃろう?
 まぁ…拙者が何を企んでいるか知らぬからこその行為なのじゃろうが…」

 企むな
 何をやらかす気だ


「以前にも忠告したが、妙な行動は起こすな
 下手をすれば海に真っ逆さまなんだからな」

「飛行の邪魔にならぬ程度の事しかせぬよ」

 って事は、やっぱり何かする気なんだね…?
 しかも具体的に何をするか言わない所が恐怖心を煽る


「妙な事をしたら、即座に振り落とすからな」

「ふっふっふ」

 その笑みは何!?


「否定とも肯定ともつかない、その曖昧さが恐怖だ…」

「まぁ、そう怯えるでない
 早くセイレーンの母親を救いに行くぞ」

「…誰か、わしの事も救ってくれ…」

「まぁ、元気を出せぃ―――…シェル・パンチ☆」

 悲しく呟く火波に、シェルは激励の一撃を加えた
 不意打ちとも言える攻撃に火波は盛大にバランスを崩す

 …とどめの一撃にならない事を願う


TOP