楽しかった
 楽しい一日になる筈だった

 それなのに…
 どうしてこんな事になってしまったのか――…


 引きずり倒された自分の身体
 目の前に転がるのは自分の靴

 そして冷たい床に這い蹲る自分を囲む先輩たち

 ここは美術部の部室
 今日は新入部員の歓迎会

 俺は唯一の新入部員だった

 皆、俺の入部を喜んでくれていた筈だった
 ついさっきまでは宴会の雰囲気だったのに

 それなのにどうしてこんな事になっているんだ…?


「…先輩…どうして…?」

 誰にとも無く呟く
 それに答えたのは一番小柄な先輩だった

 高校生でも充分通用するような華奢な身体に幼さを残した顔
 彼が先輩だなんてどう見ても信じられない

「名前は武瀬 純…だったな
 心配するな、ここの部員の誰もが通った道だ
 まぁ…新入部員に課せられた入部の儀式だと思え」

 そう言って笑う先輩

 彼を止める者は誰もいない
 この部では彼が一番偉いのだ

 彼はここの部長―――…名前は鎌井 蘇芳



「君のような人材を探していたんだ
 俺たちは心から歓迎するよ、武瀬君」

「…鎌井先輩…止めて下さい…」

「大丈夫だ、そんなに怖がる事はない
 抵抗があるのは最初のうちだけだ…すぐにこれが快感になる」

 互いに楽しんだ方が賢明だろう?
 俺にそう囁くと彼は他の部員に命じた

「――…さあ、始めろ!!」


 その瞬間、俺を取り囲んでいた先輩たちの手が一斉に襲い掛かってきた
 彼らの手はジャケットを脱がせ、ベルトを引き抜いて行く

「…嫌っ…嫌だ!!
 止めて下さい…っ!!」

 暴れてたくても強い力で押さえつけられて動けない
 ほとんど無抵抗なまま着衣を剥ぎ取られて行く

 悔しさと屈辱で視界が滲んだ


「意外と良い身体をしているな…もっと華奢かと思った」

「先輩、もう止めて下さいっ!!」

 下着一枚の身体に容赦なく浴びせられる視線
 怒声混じりで叫んでも先輩たちは薄く笑っているだけだった

 堪えていた涙が零れて頬を伝う


「…服、返して下さい…」

「何も泣く事はないだろう?
 大丈夫だ、慣れれば見られる事も快感になる」

「俺はそんなの嫌だ!!
 こんな事をされる為に入部したんじゃない!!」

 昔から絵を描く事が好きだった
 やがて口下手な俺は絵を描く事で自己表現の術を見出した

 今では絵を描く事が生活の一部
 これから部活動で更に絵画を学んで行こうと思っていたのに


「…俺は…こんな事の為に…入部したんじゃない……」

「心配しなくても絵なんかいくらでも描かせてやるさ
 ただし、その前に―――…ひと頑張りして貰うけどな」

「…俺に何をさせる気ですか…」

「そんな怖い顔して睨むなよ
 お前だって、いつまでもそんな格好しているのは嫌だろう?
 さあ、お前の為に用意した俺たちの手作り衣装だ――…喜べ」

 先輩の手には赤い服が握られている
 けれどそれは俺が普段着ているような服じゃなかった

「いっ…嫌だ…!!
 そんなの着たくないっ…!!」

 逃げようとする俺の身体を再び先輩たちの腕が押さえ込む
 そして衣装が身体に装着されて行った




「…良い格好だな、武瀬君」


 着替えて再び床に転がされた俺を、武瀬先輩は満足気に眺める

 あまりの恥ずかしさに両手で身体を覆った
 これなら下着姿の時の方がまだ良い


「見ないで下さいっ…!!」

「恥ずかしがらなくても良い
 ほら、こんなに似合っているじゃないか」

 こんなもの似合っても嬉しくない
 俺は先輩から顔を背けた


 その瞬間眩しい光が身体に浴びせられる

「―――…っ!?」

「記念撮影だ
 …ほら、上手く撮れたぞ」

 何時の間にか数人の先輩たちがデジカメや携帯を手にしている
 フラッシュと共にシャッター音が次々に鳴り響いた


「い、嫌だっ…撮らないで…止めて下さい―――…っ!!」

「良い表情をするじゃないか
 お前は役者の才能もあるみたいだな」

 錯乱して泣き喚く俺を眺めながら先輩は笑い声を上げていた



「どうして…こんな事をするんですか…?」

「お前を一目見た瞬間から適材だと感じたんだ
 でも正直言ってここまでの逸材だとは思わなかった」

 そう言うと先輩は屈み込んで俺の瞳を覗き込んだ
 彼の細い指が頬を、顎を伝う

「俺では役不足なんだ
 頼む…俺たちにはお前しかいないんだ」

 先輩は俺の手を取ると両手でしっかりと握り締めた
 黒曜石のような漆黒の瞳が真っ直ぐに俺を見つめる

 そして彼は真摯に訴えた



「頼む……レッドをやってくれ」

「嫌だって言ってるじゃないですか!!
 何で俺が特撮戦隊モノのコスプレなんかしなきゃいけないんですか!!」

 俺は無理矢理着せられた衣装――…戦隊モノのレッドの衣装を指差した


「こんな派手な格好で外なんか歩けません!!」

 エナメルなのかビニールなのかは知らないが、
 とにかくツルツルピカピカとした光沢があって物凄く目立つ

 しかも真っ赤


「その点は大丈夫だ
 会場外でのコスプレは禁止だから、外を歩く事はない!!」

「人前に出ること自体が嫌なんですって!!
 もうこんなの嫌です…早く服を返して下さい!!」

「頼む、修羅場戦隊ヤバインジャーのレッドが出来るのはお前しかいないんだ!!」

「そう言われても困ります」

 っていうかやりたくない


「鎌井先輩がやればいいじゃないですか!!
 俺はこんな珍妙な格好は絶対に嫌ですからね!!」

「俺じゃ駄目なんだ――…主人公のレッドはリバで行きたいんだ!!
 でも俺がレッドをやったら主人公は総受けになっちゃうだろ!?」

 知らねえよ

 というか、正直言って


どうでもいいです


「…そんなことを言わずに、頼むから協力してくれ
 俺相手に攻めれて他の奴からは受けられるのはお前しかいないんだ!!」

 そんな事で選ばれても嬉しくも何ともない
 むしろ大迷惑



   



「今回俺はブルーをやるんだ
 修羅場戦隊ヤバインジャー・ブルー
 ヤバ過ぎてブルー入っちゃってるんだよ
 身も心もブルーに染まった戦士、それがヤバインジャー・ブルー
 ちなみに対する敵の組織は――…」


聞いてません


 俺は窓の外を見上げた
 黄昏の空が目蓋に沁みる

 …本当に…何でこんな事になったんだろう…


 昔から尋常じゃないハプニングに見舞われる事があった
 しかも必ず今まで面識の無かった第三者の仕業である
 いつもそれは自分の知る由もない所で密かに進められるのだ

 あまりの不運に『俺がお前に一体何をした!? 何の恨みがある!?』と夕日に向かって叫びたくなる


「なぁ、頼むよ〜」

 部員全員がお願いモードに入る
 総出で拝まれる光景は何かの宗教儀式のようだ


「………はぁ…仕方が無いな…」

 基本的にお人好し…なのかも知れない

 たとえ何をされても謝られるとコロリと許してしまう一面が自分にはある
 人に迷惑をかけるよりは自分が被害を被った方が良いと考えてしまうからだろうか

 そして妙な所で諦めが良い事も自負している
 結局は強く言えない自分も悪いのだ


「…今回だけですからね」

 周囲から歓声が上がった
 そして押し付けられる数冊の台本

 表紙には『ヤバインジャー・レッド陵辱編』の文字
 …きっと意味は深く考えない方が良いのだろう…


「これって、何かの劇をやるんですよね?」

「劇っていうか…まぁ、似たようなものだな
 夏コミまでまだ時間があるからゆっくり覚えれば良いさ」

 先輩は俺の背中をパシパシ叩きながらビールの入った紙コップを握らせた
 再び部室に沸き起こる宴会ムード

 場の雰囲気に呑まれながらも俺はとりあえず体裁を取り繕った


「…俺、いつかとんでもない事件に巻き込まれる気がする…」

 しかも人生変わるような大スケールの事件が
 俺は己の行く末を案じながら紙コップに口付けた


 しかし―――…


「ここって美術部ですよね?
 何で劇なんてやるんですか?」

「ああ、美術部って言っても実態は漫研なんだ
 四季のコミケは部員総出で取り組む事になってるから協力してくれ」

「…こみけ…?
 それに協力すれば俺は絵画を描いても良いんですか?」

「ああ、コミケ以外の時は基本的に何をしても良いぞ
 画材の費用はこっちでで出してやるから好きなだけ描いてくれ」

 何て太っ腹な部長なのだろう
 まるで別ルートからの収入があるかのようだ


「…凄い…本当に良いんですか!?」

 タダで好きなだけ絵が描ける
 それならコミケにだって喜んで協力しよう

 その時の俺は『タダより高いものは無い』という言葉を失念していた…



 部員たちは基本的に皆、イイ人ばかりだった
 ちょっと個性的過ぎる趣向の持ち主だが…うん、悪い人じゃない

 常に異様な雰囲気に盛り上がる部室
 人の喧騒が好きな俺には意外と合っているかも知れなかった

 悪ノリしてふざけている内に、いつの間にか与えられたレッドの役割も定着していった

 初めて行ったコミケではキャラになりきってポーズを取ったりできたし、
 何だかんだ良いながらも実際にやってみると楽しかったし充実感があった


「意外と楽しかっただろ?
 ほら、記念にレッドの衣装やるよ」

 先輩から差し出された戦隊モノの衣装

 人前で着る勇気は無いし、かと言って部屋着にするのも躊躇われる
 俺はこの物凄く行き場の無い服を受け取るか正直迷ったが、記念として貰っておいた

「俺、ここに入部して正解だったかも知れないな…」

 そう言いながら俺は自分自身が何処か遠くへ行ってしまったのを感じていた




 楽しい時は過ぎるのも早い
 あっという間に木々は色付き始め、季節は気が付くと秋になっていた

 友人も増えて学校の授業も慣れてきた
 部活動も楽しいし、ゼミにも馴染めて充実した毎日

 俺はゼミで油彩画とCGを組み合わせたグラフィックに挑戦していた
 好きな事を好きなだけ研究出来るゼミは今の俺にとって一番興味の持てるものだった


「明日は中間発表か…朝から講義入ってるし今日は早く寝ないとな…」

 合コンなんかで深夜まで遊び歩く事も多い
 不規則な生活リズムのせいで身体は常に疲れていた

 ベッドに入ればすぐに睡魔が訪れる
 しかし、眠りに落ちる僅かな間――…自分自身に問いかけた


 毎日は確かに楽しいし充実している
 けれど繰り返される日常は何処か退屈だ

 お前の本当にこれでいいのか…そう問いかける自分自身がいた
 そんな疑問も睡魔の前に霧散して行ったのだが――…


「…寒い…」

 深夜、不意に感じた寒さに目が覚めた

 最近始めた一人暮らし
 安いボロアパートにはまだ家財道具が全て揃っていない

 季節は秋…北国は急に冷え込む
 まだストーブの無い部屋は冷たい空気で満ちていた

 寝巻きとして愛用している黒いTシャツと綿パンだけでは寒い
 俺は何か上に羽織るものを探してクローゼットを開いた

 しかしまだ衣替えをしていないその中は半袖の服ばかり
 寒さを凌げるような物は見当たらない


「何か無いのか―――…あ」

 その時、視界に入ったのは埃を被ったレッドの衣装…
 長袖だし前開きのジャケットになっているし、羽織って眠れば暖は取れるのだが――…

 一瞬の葛藤
 果たして戦隊モノのコスプレをして寝る自分は許されるのだろうか

「…まぁ、別にこれ着て出掛ける訳じゃないしな
 こんな時間じゃ来客もないし、別に構わないか」

 誰にも見られる心配は無い
 そう判断して俺はそのジャケットを羽織った

 見られなければ何をしてもいいというわけではないのだけれど…


「でも、やっぱり暖かいな
 風邪を引くよりはマシだし」

 自分に言い訳をしながら、それでも俺はジャケットを羽織って眠ることにした
 多少ゴワゴワするけれど暖かい分寝心地は良い

 そして俺は再び眠りについた―――…


 

 それから暫くすると部屋に大音声が部屋に響いた
 最悪の気分で目覚めさせられる

 一体今日は何なんだ

 苛立ちながら起き上がると、目の前には何故かジャージを着た外人
 窓の外を横切るのはラグビーボールのようなハチ


「…何処ですか此処は…」

「我の治めるディサ国だ
 偏狭の小国ながら良い所だぞ」

 俺は彼との話の流れから自分が異世界に召還された事を知った

 そう、ここは異世界なんだ
 モンスターや魔法が出て来る異世界に飛ばされてしまったんだ


 この姿で

 テカテカのド派手なヤバインジャー・レッドのジャケット
 しかし明らかにヤバいのは俺の方である


「何で…よりによってこんな姿の時に!?
 地球人が皆こんな格好をしていると思われたら嫌だ…!!」

 せめてもの救いはジャケットしか身に付けていなかった事だろう
 全身ヤバインジャー・レッドの格好だったらどうなっていた事か――…

「ちょっと待てよ…じゃあ俺、帰るまでずっとヤバインジャー・レッドなのか!?
 世界初、特撮モノのコスプレ姿で異世界に飛ばされた男として生活するのか!?」

 愕然
 ベッドの上に突っ伏して、己の不運を嘆く


「異世界に飛ばされた事より服装の方が重大な事なのか…?」

「…だって……いや、何でもないです…」

 大丈夫、ここは異世界だ
 黙っていればこのジャケットが特撮モノのコスプレだなんて誰も気付かないだろう


「それでは、少しそなたの事について質問しても良いか?」

「あ、はい…」

「それではまず、名前を―――…」

 目の前のジャージ男から質問責め攻撃
 俺はその質問に答えながら、己の不運を呪っていた

 一生の不覚

 あの時、このジャケットさえ着ていなければ…!!
 いくら悔やんでも悔やみきれない

 時間が戻せるなら普通の服に着替えたい


「…先輩…やっぱり俺にはヒーローの任は重過ぎます…」

 こうして俺は戦隊モノのコスプレをしながらの異世界生活を余儀なくされたのだった――…




「……あ……?」

 目を開けると、そこは古びた船内の一室
 ギシギシと波に揺られて軋む音が響く

「…随分と懐かしい夢見てたな…
 久しぶりに学校の話なんかしたせいだろうな」

 楽しかった
 先輩も、部活動も、学校も

「あのジャケットも…今となれば良い思い出だな
 無事に帰ったら笑い話としてゴールドに教えてやろうか」


 深紅のジャケットは城に置いてきた
 自分の代わりとしてゴールドに託したのだ

 彼は『これをジュンだと思って毎晩抱いて眠ります』と言っていたが…
 それが実はコスプレ衣装だと知ったらどんな反応をするだろう

「…あいつの事だから、何かクサいセリフ言ってくるんだろうな…」


 異世界に召喚されるのは大抵の場合、伝説の勇者だと相場が決まっている

 でも、俺は伝説の勇者なんかじゃない
 剣を扱う力も魔法を唱える能力も無い

 それでも俺はヒーローの姿で召喚された
 悪の秘密組織と戦う戦隊のリーダー・レッドとして

 そして今、大切な仲間を、国を救う為に奔走している


「…もしかすると、全て運命だったのかも知れないな…」

 あの姿で召喚された事
 そして自分がこうして世界を飛び回っている事――…

 今思うと不思議な巡り会わせだ

「…鎌井先輩、俺…何も出来ないけど、頑張ってますよ…」

 先輩は今頃どうしているのだろう
 そんな事を考えながら、俺は再びベッドに横になった


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