「…はぁ…」


 酔いが回ってきた身体は火照って汗ばみ始める
 ジュンは濡らしたハンカチで熱を冷やしながら物思いに耽っていた

 ――――…物足りない

 本能的に身体が不満を訴える
 否、不満と言うよりは寂しいと表現した方が正しい


「…ゴールド…怪我大丈夫かな…」

 脳裏に浮かぶのは黄金色に輝く恋人の姿ばかり

 リノライとゴールドを比較する事自体が間違っている
 それは理解している筈なのだが―――…

 やっぱり、あらゆる場面で比べてしまうのだ
 何だか粗探しをしているようで罪悪感が募って行く
 失礼だし止めようとは思っているのだが無意識の行動なので阻止の仕様がない


 リノライとゴールドは一見同年代に見えても、実際は一回り以上も歳が違う
 十歳以上の年齢差は当然、大きな経験の差となって表面に現れてくる

 昔から各地を転々としていたゴールドと、旅そのものが始めてのリノライ
 全てが手探り状態のリノライの行動は、あまりにも要領が悪過ぎて焦れて来る

 まず目に付くのが、哀しい程に衰えている体力
 少し歩いただけで座り込んでしまうのは勘弁してほしい
 魔法の実験に明け暮れていたせいで極端に運動不足なのは理解している

 しかしこれでは一人で旅をしたほうがずっと効率が良い
 厳しいようだが足手纏いにしかなっていないのが現状なのだ


 更には、温室育ちのせいで妙に世間知らず
 特に金銭感覚の麻痺は著しく―――…致命的としか言えない

 ゴールドなら定価より銅貨三枚は値切っているだろう物資を破格の値段で買い取ろうとするのだ
 日本の通貨で例えるなら、百円のパンを五万円で購入するようなものなのである

 しかしリノライ本人が無自覚なのだから救いようが無い


「駄目だな…否定的な事ばかりが目に付く
 人には得て不得手があるんだから仕方が無いのに」

 リノライはリノライ、そしてゴールドはゴールド
 それ以外の何者にもなれないというのに、自分はリノライにゴールドと同じレベルの事を要求している


「常々オヤジ臭い奴だと思ってたが…
 でも裏を返せば大人だって事でもあったんだな」

 比べてみる事で初めて実感する

 リノライの方が身分が上で
 頭も良くて魔力も桁違いで――…

 それでも、やっぱり自分にはゴールドしかいない


「―――…うげ」

「……………。」

 速攻で二日酔いに陥っているリノライを眺めていると、改めて実感させられる




「リノライさん…そんなになるまで飲まないで下さい」

「も、申し訳ござ―――…げふ…うげ…」

 すっかりバケツと仲良しになっている
 絶対に部下にもカイザルにも見せられない姿だ

 何だか世話の焼ける先輩の面倒を見ている気分になる


「…この感じ、学校に行ってた頃を思い出すな…」

 一番楽しみにしていたサークル活動
 絵の好きな自分は迷わずに美術部に入った

 そこで出会った、個性的過ぎて物凄く世話の焼ける先輩たち―――…


「うぅ…ジュン殿、そんなに遠い目をして笑わないで下さいませ」

「あ、すみません
 でもリノライさんの事を笑ったんじゃないんです
 ちょっと昔の――…学生時代の頃を思い出して」

 もう通う事も無いであろう学校
 平和な世の中でバカやって過ごしていたあの頃が懐かしい

「あぁ、そう言えばジュン殿は学生でございましたね
 私には複数の家庭教師がついておりましたので…学校に行った事がないのですよ
 ですから学校には少なからず憧れを抱きます…どの様な場所なのでございましょう?」

「俺が通っていた大学は礼拝堂のあるクリスチャン学校でした
 聖書と讃美歌をリュックサックに詰めて登校して…あれは重かったな」

 おかげで、賛美歌のレパートリーが無駄に増えた
 クリスマスの時期に行くカラオケでは重宝する…が、もうカラオケに行く機会は無いだろう



 リノライは神妙な顔つきでジュンの話に耳を傾けている
 少しだけ回復してきたらしいリノライは懐から小箱を取り出した

「…タバコ吸ってもよろしいでしょうか?」

「はい、良いですけど…」

「ふふふ…カイザーには御内密にお願い致します
 タバコなんか吸っていたら不良扱いされてしまいますから…」

 ジュンは思わず突っ伏した


「不良も何も…リノライさん、今の自分の姿忘れてませんか?」

 素性を隠す為の変装
 その姿は、お世辞にも素行が良さそうには見えない

 むしろ、集落の一つや二つは余裕で襲っていそうに見える

「…正直言って、不良扱いならまだマシですよ
 今のリノライさんなら明らかに前科がありそうですし」

「そんな風に見えるのでございますか?
 確かに多少素行の悪そうな衣装ではございますが…」

 …本人に自覚は無いらしい
 青や紫の化粧を施した顔で涼しげに微笑んでいる



  



「私の事などよろしいではございませんか
 それより、ジュン殿の話の続きをお聞かせ下さいませ」

「そ、そうですか…?
 ええと…学校では学食で友人たちと他愛の無い話をして――…
 少し空いた時間があれば、部室で部員たちと遊んだりしてました
 美術部なのにゲーム機があったり麻雀のセットがあったりしたんですよ」

 特に麻雀は絵を描いている時以上に盛り上がった

 何故かOBがやって来て唐突に始まる麻雀パーティー
 一体ここは何部なんだと小一時間問い詰めてやりたくなる

 …俺もメンツに加わっていたので大きな口は叩けないが


「定期的に行われる飲み会も楽しかったな…
 先輩に一人だけ、ずば抜けて強い人がいたんですよ
 小柄で童顔で…どう見ても年上とは思えない人なんですけどね
 飲み放題だからって二十杯近く飲んで…でも、表情が全然変わらなくて」

「そ、それは正直言って羨ましい限りでございますね…」

 二日酔い気味のリノライは思わず顔を引きつらせた



「ははは…でも、本当に楽しかったんですよ
 今思い返せば馬鹿丸出しの姿なんですけどね
 でも大学生って人生の中で好き放題出来る数少ない時期ですから」

 本当に、色々な事に挑戦した

 中には無謀としか言えないものもあったけれど…それも若いからこそ出来る貴重な経験だ
 良い思い出としてジュンの青春の一ページに記録されている

 しかし、リノライは一瞬表情を曇らせた


「ジュン殿…後悔はしておりませんか…?
 元の世界が恋しくなる事もございましょう?」

「それは…まぁ、確かに…
 でも俺はゴールドと一緒にいたいから…
 あいつがいれば、それだけで意外と満足なんですよ」

 言ってから、ちょっと惚気になってしまった事に気づく
 案の定、リノライに揶揄を含んだ眼差しを向けられる



「ふふ…それは大変、よろしゅうございます」

「いや、別に俺は…」

 しどろもどろ
 あまりこういう展開には慣れてない

 リノライは暫くの間微笑んでいた
 しかしふと表情を真顔に戻すと、真っ直ぐに俺を見据える

「ですが、どうしても故郷に帰りたい衝動に駆られる事が無いとも言えません
 その時は――…後生でございますからゴールドも連れ帰ってやって下さいませ」

「当たり前じゃないですか
 あいつが嫌だって言っても、俺は連れて帰りますよ」

 頼まれるまでも無い
 ゴールドと離れ離れになるなんて考えたくも無い


「今は少しだけ離れているけど…
 でも、心は一緒にいるつもりです
 それに―――…俺にはこれがあるし」

 ジュンは自分の髪を結んでいるリボンに手を伸ばす
 黒い光沢のあるそれは、使い古されてはいるが上質のシルクだ

「それはゴールド愛用のリボンでございますね」

「はい、何時の間にか遠出する時は必ず代わりにこれを預かる習慣が出来てて…
 以前あいつがレンさんと物資の調達に行った時も、このリボンは俺が持っていました」

 単なる布だが、ジュンにとってはどんな護符よりも力強い御守りなのだ
 どんなに離れていても恋人の存在を身近に感じる事の出来る魔法のアイテム



 ゴールドは出かける際に、ジュンの髪を己のリボンで結った

 その時のジュンの反応は唖然≠フ一言に尽きる
 まさか自分の頭にリボンが揺れる日が来るだなんて想像すらした事が無かった

 せいぜい顔を洗う時に輪ゴムで縛る事くらいしかない
 そんな髪に突然大きなリボンが結ばれた時の違和感は――…計り知れない

「…我ながら物凄く似合わないって事は理解はしてるんですけどね
 肌身離さずに持ってるにはこれが一番だと思って…落としてもすぐわかるし」

「ご謙遜を…大変可愛らしくらっしゃいます
 ゴールドが貴方に執着する気持ちが良く解りますよ」

「そんな…リノライさん、あんまり変な事言わないで下さい
 俺はただ、身体は離れてても気持ちはいつも一緒にいるって事を言いたかったんです」

 言ってから、かなり恥ずかしい事を口にした事に気付く
 しかしリノライは嬉しそうに満面の笑みを浮かべた


「それを聞いて私も安心致しました
 ゴールドは今でもジュン殿に置いて行かれる悪夢を見るそうでございますから…」

「えっ…あいつが?」

「ええ、何度かゴールドが話して下さいましたが…
 まるで飼い主に捨てられたゴールデンレトリバーのような姿でございました」

 ゴールデンレトリバー…
 金色の毛並みを持つ大型犬だ
 気は優しくて力持ち、でも甘えん坊な所もあるその犬は確かにゴールドに似ているかも知れない


「俺は…絶対に捨てませんよ
 手放すつもりなら最初から受け入れてませんし」

「ふふ…ゴールドが聞いたら、さぞかし喜ばれる事でございましょう…

 リノライは心底安心したように肩の力を抜く
 そして綻ぶような穏やかな笑みを浮かべた


 同じ笑顔でもゴールドのものとは随分違う

 ゴールドは少し媚びるような愛嬌のある笑い方をする
 どこか悪戯心を含んだ、でもその場の空気が色付くような華やかな笑顔

 逆にリノライの笑みは控えめで静かな湖面のようだ
 華やかさは無いが微笑から穏やかな慈愛が波のように押し寄せる

 ゴールドが燦々と輝く太陽なら、リノライは凛とした光を放つ月だろう
 そう考えた後、自分が再びリノライとゴールドを比べている事に気付く

 ジュンは微かな自己嫌悪を感じながら軽く息を吐いた




「…如何なさいました?」

「あ…いえ、何でもありません」

「お疲れなのでございましょう
 そろそろ休む事に致しましょうか」

 リノライは粗末なベッドに手を掛ける
 しかし彼はベッドメイクの経験すら無いらしい
 綺麗にしているのか、更に汚しているのか微妙な所だ


「…ま、まぁ…こんな所でございましょう…
 さあジュン殿、粗末な寝所ではありますが横になって下さいませ」

 好意は素直に受け取った方が良好な対人関係を築ける
 ジュンは見事に波打ったシーツの上に横になった

 リノライはマントや毛布で珍妙な巣のようなモノを作っている
 ベッドメイクは出来ないが、巣作りは出来る―――…色々な意味で深い男だ

 やがて謎のサークル状をした巣が完成すると、彼は躊躇い無くその上で丸くなる

 丸くなると言っても、それは胎児のような姿勢ではない
 それは土下座というか――…何かに祈りを捧げて拝んでいるようなポーズだった

 その姿は正しく世にも奇妙な新種の生命体
 全体的に白っぽいからだろうか、何かの繭のようにさえ見える



  



 それから程無くしてリノライの寝息が部屋に響いた

 何でこの不自然極まりない姿勢で眠りにつけるのだろう
 …まさか、城でもこのポーズで寝てるんじゃないだろうな…

 腰の低い人だとは思っていたけれど、何もこんな時までその姿勢を貫かなくても…
 そもそも息苦しくないのだろうか――…というより明日の朝、彼の関節痛が心配になる


「リノライさん…俺は貴方が…解らない…」

 カイザルは彼を理解出来ているのだろうか

 以前からリノライはカイザルに対して手を焼いていると言っていた
 しかし―――…ジュンはしみじみと思う

「…きっと…カイザルさんも苦労してるんだろうな……かなり」

 知れば知るほど理解不能になる男、リノライ・ナザレイ
 もしかすると―――…実は、物凄く変わった人なのかも知れない

 前途多難な今後に眩暈を感じる
 ジュンは頭から毛布をかぶると瞳を閉じた


 ―――…もう、寝るしかない


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