「…ふむ…成る程…」


 シェルはのんびりと干し草に腰掛けながら相槌を打つ
 もう涙顔の面影すら見られない、普段の彼の表情だった

「つまり、セイレーンの亡霊が海を彷徨っているせいなのじゃな?」

「ああ…子供を捜していると言っていた
 だが、わしらにしてやれる事は何も無い」

「酷な事じゃが、そうじゃのぅ…
 拙者はセイレーンというものを見た事が無いからわからぬが…
 伝説になっておる種族がそう簡単に見つかるとも思えぬしのぅ
 拙者たちが一緒になって捜したところで、望みは薄いじゃろうな」

 捜す子供の性別も年齢もわからない
 そもそも生きてるかどうかすらわからないのだ


「だが、このまま彼女を去らせるのも不憫でな
 死人同士色々と共感出来る所があるんだ…」

「ふむ…確かにそうじゃろうのぅ
 じゃが、彼女はもう立ち去ったのではないのか?」

「浮遊霊は常に彷徨いながら移動している
 だから極端に移動速度が遅いんだ
 彼女がこの周囲から遠ざかるのに、まだ数日かかるだろう」

 現に、海の荒れは未だ治まらない
 船も相変わらず停泊したままになっていた

 …今ならまだ間に合う


「そうじゃな…発想を転換してみるか
 子を失った悲しみを癒す事は出来ぬ
 じゃが、気分転換の場を与える事は可能じゃろうて」

「……気分転換?」

「うむ、要するにその霊は子供がいなくて寂しいのじゃろう?
 だったら拙者が話し相手になってやれば気が紛れるかも知れぬ」

 この船に乗っている子供はシェルだけだ
 母親の心を癒すには子供が接するのが適任かも知れない

 しかし―――…


「…生身のお前に霊の姿は見えないだろう
 どうやってコミュニケーションをとるつもりだ?」

「火波が橋渡しをしておくれ
 向こうからの会話はお主が通訳すれば問題ないじゃろう
 あとは霊のいる方向と場所を細かく指示してくれれば何とかなるじゃろうて」

 シェルからエレンの姿は見えないし声も聞こえない
 しかし彼女の方からはシェルの姿を見ることも声も聞くことも可能だ
 エレンの言葉を通訳すれば、確かにコミュニケーションも可能かも知れない

 ただ、火波にとっても初の試みなので自信は無いのだが――…


「それで、お前は幽霊と何を話すつもりだ?
 下手な事言って怒りを買う事にでもなったら大変だぞ」

「大丈夫じゃ…その辺は抜かり無い
 凄いインパクトのある話をして、悲しみも吹っ飛ばしてしまおうぞ」

「…インパクトって…具体的には?」

 不安だ

 いきなりイイ男論とか語られても困る
 かと言って記憶喪失中のシェルには思い出話なども出来ないだろう

 シェルが何を話すつもりなのか想像出来ずに火波は首を捻る


「案ずるな、火波よ
 これを読めば良かろうて」

 そう言ってシェルは自分の道具袋から何かを取り出した
 分厚い重量感のあるそれは―――…日記だった

 言うまでも無い、あの破壊的な内容の日記である
 始めてその内容に触れたときの衝撃は、まだ記憶に新しい

 全身凍るようなブリザードを思い出し、火波は思わず後ずさった


「お、お前っ…返して来いと言っただろっ!!
 人の日記を勝手に読むだけでは飽き足らず、持ち出すなど…っ!!」

「下手な小説より、ずっと面白くてのぅ…許せ
 じゃが今までの旅記録なんかも書かれておるから参考になるのじゃよ」

 そう言われてもなぁ…
 やっぱり良心の呵責がある

 それに――…

「寒いポエムなんか聞かされても困るだけじゃないのか?」

「面白い所を選りすぐって聴かせれば大丈夫じゃろうて
 誰かとコミュニケーションを取れるだけでも気分転換になるじゃろうし」

 名案とばかりにシェルは満足気な笑みを浮かべる


「おい…本気なのか…?」

 無意識に口の端が震える
 エレンに対して急に申し訳ない気になってきた

 …が、反対した所で火波には他に案など思いつかない

「更に激しい嵐が来そうだな…」

 津波が来たらどうしよう
 火波は痛む頭を手で押さえながら深く息を吐いた




「やはり、丑三つ時のほうが良いのじゃろうか?」

「そうだな…深夜、皆が寝静まった頃に甲板に出よう
 海面を彷徨っている筈だから、そこまでお前を運んで行く
 わしは飛んでいる間は両手が使えないから自力で掴ってくれ」

 コウモリの翼は腕と繋がっているのだ
 その為に何かを運びながら飛ぶという事が出来ない

 まぁ、最終手段として口に銜えるという事もあるが…
 しかしシェルを銜えたら確実に顎が外れる

 やはり彼には自力でコアラと化して貰うしかない


「うむ、ではその白い腰に両腕をまわして―――…」

「言っておくが、悪戯は絶対に禁止だぞ
 バランスを崩したら二人で海に真っ逆さまだからな」

「何じゃ、つまらぬのぅ…
 あれこれ試したい事があったのに」

「お前…わしに何をする気だった…?」

 ぞっと背筋に悪寒が走る
 この子の場合、何をしでかすか予測がつかない


「ふん、そう怯えるでない
 空中で犯るようなマニアックなプレイはせぬよ」

 既にマニアックとか、そいういう次元の問題じゃなくなってる
 それよりも、何で犯られること前提なんだ…

「…わし、そっちの趣味無いんで…他を当たってくれ」

 火波は女好きを自負している
 狙う獲物は、いつも美しい女性ばかりだった

 ちなみに小柄であったり華奢なのはあまり好きではない
 痩せ細っているより、ふっくらと柔らかい方が抱き心地も良いし喰らい甲斐もある

 その点から言ってもシェルは火波の好みではなかった
 恋愛の相手としても、餌としても不向き極まりない相手

 襲うのも襲われるのも御免だ


「お前は、わしの好みから掛け離れ過ぎてる
 わしは男も子供も相手にする趣味は無いんだ」

 大体、自分とシェルとでは犯罪ではないか

 シェルの歳はどう見ても15、16歳と言った所だろう
 火波の享年は32歳――…倍近く歳が離れている

 これでは罪悪感の方が勝る


「んー…好みなど些細な事で変わるものなのじゃが…」

「お前にだって理想像はあるだろう
 根っからの美形好きなマセガキのくせに」

 シェルの面食いは、その身を持って知っている
 獣姿の時は散々『不細工』扱いだったのに、人型になった瞬間にセクハラ攻撃だ

 火波にとっては、どうしてもその辺が癪に障る


「そうじゃのぅ…拙者の理想はメルキゼデクの兄上じゃからな
 長身・長髪のマッチョボディで強くて逞しくて、でも凄く優しい心を持っているのじゃ
 独特の個性的なファッションセンスがあってのぅ…でもそれが妙に似合っておるのじゃよ
 料理上手で面倒見も良くて…でも、少し天然で抜けている所があるのがチャームポイント」

「…高望みのし過ぎは…どうかと思うぞ…?」

「火波も一目見れば、その神秘的な美しさに心奪われるじゃろうて…
 あの悲しみと恥じらいに潤む切れ長の瞳なんか、見つめられるだけでドキドキするぞ?
 まぁ、当のメルキゼデクの兄上は年下の彼氏をしっかりゲットしておるから入り込む余地は無いが」

 うっとりと記憶の中の理想の恋人像≠ノ意識を飛ばすシェル
 彼にここまで言わせるという事は、相当な美人なのだろう

 …個性的という一言が気になるが


「…とにかく、わしがお前の好みではない事は良くわかった」

「まぁ、それはお互い様じゃ
 それに拙者は基本的に顔さえ良ければ食指が動く――…」

「それは少し改めた方が良いぞ…」

 もう少しプライドを持て、と言ってやりたい
 ――…が、自分が言った所で説得力が無い

 火波自身も無節操に人間や魔族、モンスターまでもを糧としているのだから



「まぁ、拙者の事はさておき…
 今夜について、打ち合わせをしておこうではないか」

「そうだな…日記を読む箇所を具体的に決めたおきたいしな
 女性に対して失礼の無いような挨拶も考えておきたいものだ」

「ふむ…本日はお日柄も良く――…≠ナ良いのじゃろうか?」

「…いや、もっと歳相応にだな…」

 日記を片手に試行錯誤を繰り返す二人
 あまりに熱中していた為だろう

 その日はあっという間に日が落ちたのだった――…


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