「馬鹿者が…少しは空気を読んだらどうじゃ
 一応、あの中では火波が最年長なのじゃからな」


 意外と早く見つかった火波に駆け寄る
 彼は無造作に転がされたタルの上に腰掛けていた

 しかしその瞳は暗く沈み込み焦点が定まっていない
 シェルの声にも無反応だった

「ど、どうしたのじゃ…?
 今更船酔いも無いじゃろうが…」

 血の気の無い白い身体
 恐る恐る触れると、それは驚くほど冷たかった

 改めて目の前の男が死者である事を知らされる
 年齢よりも種族の差よりも分厚い、生者と死者の間の壁


「…どんなに生きたくても、それが叶わない者は星の数ほどいる
 わしのように、無理矢理生かされている奴もいるというのに…皮肉なものだ」

 吸血鬼となって蘇った、不老不死の身体を持つ火波
 恐らく恋人の生死を案じる二人といる事に耐えられなくなったのだろう

「…火波が悪いわけではない…」

 悪いのは、最初に火波を襲った吸血鬼だ
 殺された恨みと悲しみで甦った火波を、一体誰が責める事が出来るだろう



「…愛する者を失うのは…自らが死ぬよりも辛い事だ…
 この呪われた命、分け与えてやれるならどんなに良かったか…」

「火波は…誰かを愛した事があるのじゃな…」

 そして、その愛した人を死によって失う悲しみも知っている
 抑揚の無い彼の声が、そう告げていた


「70年以上も昔の…まだ人として生きていた頃の話だ
 もうあまりにも昔過ぎて、記憶も殆ど薄れてしまっているが――…」

「そう…か…そうじゃったな…」

「わしの昔話は、以前にも話した事があったな
 ふん…もう少し詳しく聞きたそうな顔をしているな」

「ほう、珍しく拙者の内心を読んだのぅ
 お主の事に興味があるのは確かじゃ
 色々と好奇心旺盛な年頃じゃからのぅ…
 まぁ…聞いた後で後悔するのは目に見えておるのじゃが…な」

 仲間の悲しい話を道楽で聞くほど物好きではない
 それでも聞きたくなるのは、相手が火波だからだ

 シェルは黙って火波を見据える
 それを了承と得たのか、彼は淡々と語り始めた



「別に、話すほどの事でもないんだが…な…
 いつも通り仕事に出て…帰宅したら村ごと吸血鬼の襲撃を受けていたんだ
 吸血鬼は少なく見ても五人はいたな…あっという間に村は壊滅して、誰も生き残らなかった」

「…逃げ切れなかったのか…」

「いや、逃げれば助かったかも知れない
 しかし…わしには、掛け替えの無い家族がいた
 家族を見捨てて逃げるわけには行かないと…そう思った」

 火波は家族想いの優しい男だった
 そして、正義感も強かったのだろう

 だからこそ、人一倍悲しみも強かった


「家のドアは破壊されていて…中に入ると、
 吸血鬼が、妻の首を引き千切っていた…
 妻の腹の中には、もうすぐ生まれる筈の子供がいて――…」

「…ほ、火波…っ!?」

「わしは、妻の首を取り返そうと吸血鬼に飛び掛って…そのまま、食い殺された
 だが…激しい怒りと悲しみが、わしを化け物としてこの世に再び甦らせたのだ
 わしが目覚めた時、最初に見たものは身体半分の無い干乾びた胎児だった――…」

「も、もう良いっ!!」

 シェルは居た堪れずに自らの耳を塞ぐ

 動悸が激しくて痛いほどだ
 呼吸をするのさえ苦しい


「……シェル、お前が涙を流す必要なんか無い」

 言われて初めて自分が泣いている事に気付く
 呼吸が上手く出来なかったのは、その為だったのか

「言っただろう…もう、70年以上も前の…過去の話だ
 もう村の風景も妻の顔も――…全て忘れてしまった
 過ぎた事を想って泣くのは無意味だ…お前も忘れろ」

 火波の言う通り、過去の事を嘆いても現実は何も変わらない
 けれど、忘れる事なんか出来る筈がない

 シェルは何度も首を横に振った


「じゃが、記憶は薄れようとも心の傷は深く残ったままじゃ…」

「ふん…わしは人の心を捨てた
 だから、もう傷付く事も悲しむ事も無くなった
 あの日…残酷無慈悲な吸血鬼として生まれ変わって以来な」


 ―――…それは、嘘だ
 現に火波は傷付いている

 彼自身は人の心を捨て、身も心も魔物に成り果てようとしているのだろう
 そうする事で、受け入れられない現実を忘れようとしているのだ

 しかし―――…完全な魔物に堕ちるには…火波は優し過ぎた
 魔物にもなり切れず、人の心を抱えたまま70年もの間、火波はずっと苦しみ続けている

 不老不死の身体は、永遠に終わらない苦しみと悲しみを火波に与えたのだ

 ただ一人、永遠の命を持って甦ってしまった火波
 もう愛する妻の元へも、逝く事が叶わぬ身になってしまった――…



「…火波…」

 冷たい死者の胸
 頬を押し当てても、鼓動は聞こえない

 それでも――…彼の優しい人≠フ心からは確かに温もりを感じた

「こ、こら…急に懐くな」

 困っているのか、焦っているのか…恐らくその両方だろう
 しかし泣いている子供を自分の胸から無理矢理引き剥がす事は出来ないらしい

 参ったな…と呟きながら、それでもシェルの細い肩を抱き締めてくれる
 こんな彼の一体何処が残虐なモンスターだと言うのだろう


「…お前は生意気で無愛想で可愛げの無い小童だ
 そんなお前に急に…こんな風な態度を取られると…」

「…取られると…?」

 彼の胸から顔を離し、その表情を窺う
 火波はシェルと視線が合うと慌てて顔を背けた

「お前がそんなだと調子が狂う
 …へ、変な気分になってくるじゃないか…」

「変な気分…とは?」

「い…言わせるな、馬鹿……!!」

 ―――…ぐしゃ
 バンダナごと髪の毛を掻き回された

 照れ隠しだという事は容易にわかる


「…ふふん、まぁ良いわ
 今夜も船内は蒸し暑そうじゃ
 お主の身体を抱いて寝れば快適じゃろうて」

「わしは、氷嚢代わりか?」

「堅い事を申すでない
 冬場は拙者が湯たんぽ代わりになってやろうて」

 珍しく素直だと思っていたのに、いつの間にか減らず口の絶えないガキに戻ってしまった
 けれど、その瞳に涙がもう溜まっていない事に火波は安堵の息を吐く

 泣かれるよりは生意気な方が良い
 普段のシェルは可愛気が無くて腹立つ事も多々あるが――…


「…お前は、今のままで良い…」

「…ん…?」

「何でもない」

 抱いた肩は見た目よりもずっと細い
 やがて微かな寝息が聞こえてくるまで、火波は彼の肩をずっと抱いていた

 その穏やかな寝顔に、昔愛した妻と産声すら聞くことの叶わなかった子の面影を見たような気がした――…


TOP