「シェル、今戻った―――…」


 玄関のドアを開ける
 その途端に火波は家中に漂う異様な雰囲気に気がついた

 家を漂う空気が、妙に殺伐としている
 火波は本能的に走り出した

 向かうところは決まっている―――…キッチンだ
 思い当たる節といえば、セーロスの料理しかない

 火波がキッチンのドアを開けると、そこは一面光の世界だった
 部屋中がキラキラと光を反射して照り輝いている



「あ、火波」


 彼の帰宅に気付いたシェルが手を振った

 シェルの体は光っていない
 そのことに安心しつつ、火波は疑問をぶつけた

「何故、部屋が光っている?」

「あ――…これはのぅ…ゼリーじゃよ」


 ゼリー!?



「デザートに作ったゼリーが突然破裂してのぅ
 部屋中が飛び散ったゼリーでコーティングされてしまったのじゃ」

「…って事は、この光ってるのは…ゼラチン質?

 恐る恐る指で突いてみると、プルルンと弾力が伝わる
 所々に具と思われるサクランボやピーチが埋め込まれているのが切ない

 見ようによってはファンシー…かもしれないが、やっぱり不気味



「どうするんだ、これ……」

「ほれ、これを使え」

 シェルが取り出したもの
 それは銀のデザート用スプーンだった


「いや、食わないから!!」

「そう言うな…疲れた時は甘いものが一番じゃよ
 フルーツのビタミンとコラーゲンでお肌もツルツル」

 そんなサプリメントのキャッチコピーみたいな事言われても困る
 下手に食って自分の腹の中までコーティングされてしまったら大変だ

 火波にとってはスキンケアより腹具合の方が大事だ



「で、こっちは―――…」

 シェルは何処かから包みを取り出す
 これはゼリーでコーティングされていなかったが…

 警戒心を解く事無く、身構える火波
 それは決して大きくはない箱だった


「こ、今度は何だ!?」

「いや…単なる弁当なのじゃが」

 何だ、弁当か
 警戒して損した―――…


「―――…って、待て待て!!
 製作者によっては警戒どころか厳重体勢が必要になってくるだろうが!!」

「まぁ…そう言うでない
 確かにセーロスが作ったものじゃが、もう大体静まっておる


 何が!?
 自分が遊羅にタックル掛けられている間に一体何があったというのか


「弁当箱って、開ける瞬間の緊張感が堪らぬのじゃよ
 何が入っているのか楽しみで、ちょっとした宝箱気分にならぬか?」

「わしはトラップボックス気分を味わっている」

 物凄くタチの悪いビックリ箱
 開けたら最後、必ず何か珍しい厄介事が起こる



「…中身は…何だ?」

「心配するな、ただの握り飯と漬物じゃよ」

 具を入れて握っただけの簡易メニュー
 それだけの作業で米が凶暴化するとも思えない


「そ、そうか…それなら安心だな」

「うむ、もうカタがついたから安心致せい」


 何の!?


「ひと騒動あったみたいな言い方は…まさか…」

「大丈夫だと言っておるじゃろうに
 用心深い男よのぅ…もう動かぬから平気じゃよ」


 動いてたの!?
 思わず弁当箱から飛びずさる火波


 中身は確か、おにぎりと漬物




「…動く要素がないのだが…」

「セーロスが作るという事が動く要素じゃよ」

 誰か料理を止めさせろ
 何で皆この珍事を黙認しているんだ


「ユリィが作った方が世界に優しいと思うんだが」

「帰宅した時に食事の支度をしている妻に出迎えられるのがユリィの楽しみなのじゃよ」

 裸エプロンのマッチョに出迎えられてもなぁ…
 ―――…って、ちょっと待て



妻!?

「何じゃ、知らなかったのか?
 ユリィとセーロスは養子縁組をして世間的には兄弟じゃが、
 実際は夫婦という濃い関係なのじゃよ
 あ、ちなみに以前住んでいたレンは、ある意味子供のポジションだったのじゃ」

「…恋人同士だとは思っていたが…
 まさか、そこまで発展した関係だったとは…」


「ダナン≠ニいうのはユリィの姓なのじゃよ
 セーロスの旧姓はセーロス・フォル・ダリルレン≠ニいってのぅ、
 実はちょっとした家柄の跡取り息子だったのじゃが…ユリィと駆け落ちしてのぅ」

 名家の跡取り息子が今じゃ裸エプロン
 世の中、それで良いのだろうか…

 っていうか親泣いていないか?



「裕福な家系の一人息子と貧しい若者が恋に落ちて駆け落ち…
 その辺に良く転がっておる話じゃから新鮮味も無いかも知れぬが…」

「いや、男同士という時点で充分珍しいが」

 ちょっとだけ二人の馴れ初めが気になる
 一体どこら辺に惚れる要素を見出したのかを問い詰めてみたかった



「…で、あの二人はどうした?」

「セーロスは買い物で、ユリィは仕事じゃ
 病院の診察時間は九時からだからのぅ、朝早いのじゃよ」

「あぁ、そう言えば確か白魔道師だったな…
 あんなのが病院勤めなんかして大丈夫なのか?」

「ユリィはカウンセラーのような仕事をしておるのじゃが、
 オカマ白魔道師として、ある意味名物となっておるようじゃぞ
 一部では妙なファンがついておって、わざわざ地方からくる者もおるそうじゃし…」

 妙なファン…微妙な響き


「ユリィの場合はカマキャラで売るより、
 黙っていた方が普通にモテそうなんだが…」

「いや、あの顔でオカマって所がマニアには堪らないのじゃよ」


 どんなマニアだ


「蓼食う虫も好き好き…と言うしな…」

 あれはあれで良いのだろう…たぶん
 人の好みの奥深さを知った火波であった






「…さて、そろそろ出かけねば最後の船にすら間に合わぬぞ」


 シェルに急かされながら火波は渡された荷物を背負う
 結局に持つ持ちのポジションを引き受ける事になってしまった

 …まぁ、小柄で華奢なシェルに大荷物を持たせる気は元々無かったのだが

 火波は礼の言葉を書き綴った手紙をテーブルの上に置く
 本当は直接言いたかったが二人とも不在なので仕方が無い



「出会った者達、それぞれ個性が強過ぎる奴らだったが…悪い奴は一人もいなかったな」

 見ず知らずの者を十年来の友のように温かく迎えてくれたユリィとセーロス
 初対面のくせに自分を助けようとしてくれたらしい遊羅

 そして―――…さり気なく気遣ってくれていたシェル


「結局…悪者は、わしだけか…」

 善人だらけの環境で、自分だけが明らかに異質なものだ

 人の生き血を啜り喰い殺すモンスター
 けれど、時折その事を忘れてしまいそうになる

 それはきっと目の前にいる小さな存在のせいだろう




「…のう、火波」

「――…ん…?」

「今日のパンツ何色?」


 お前は何処のセクハラ課長だ



「昨夜は黒ビキニじゃったから、今日は――…」

「…って、何で知ってる!?
 いつの間に見たんだお前!?」

着替えている間

 人はそれを覗きと呼ぶ


「…お前なぁ…」

「良い歳した男がそう怒るでない
 パンツを下ろした所までしか見ておらぬよ」


 充分だ


「……うぅ…わしの安息の地は何処に…」

「そう落ち込む事もなかろうて
 安心せい、ささやか過ぎて良く見えんかった」

 ささやか言うなぁ!!




「…まったく、最近のガキは…」

「あっはっはっは」

 豪快に笑い先を行くシェル

 何故か一生勝てないような気がする
 泣く子には勝てない――…が、泣かない子は更に強かった


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