「…少し、出てくる」



 火波は徐に立ち上がると、一人で身支度を始める
 朝食後の茶を飲んでいたシェルは眉を顰めた

「何じゃ、出発の時間はまだじゃぞ
 一人で一体何処へ行こうというのじゃ」

 一緒に行こうという話をしたのは、つい先程の事だ
 それなのに先に行こうとするなんて――…

 すると、火波は気まずそうに視線を遠くに向ける
 しかし今更だと思ったのか、シェルの耳元で小声で囁いた


「……食事に行って来るだけだ」

「今、食したばかりではないか
 これだけ腹におさめても、まだ足りぬのか」

 豪快な男の料理は、その量もまた豪快だ
 恐らくセーロス自身の満足する量が基準となって盛り付けられているのだろう

 朝からヘビーな量の食事に、火波が苦戦していたのを知っている
 今がまさに食べ盛りのシェルとは対照的に、火波は体格のわりには食が細い
 恐らく、セーロスの半分の量でも充分に足りるに違いない




「ふむ…珍しいのぅ
 握り飯でも作ってやろうか?」

「もう入らん…これ以上詰め込んだら腹が破裂する
 そうじゃなくてだな、わしは体質的に普通の食事だけでは駄目なのだ」

「…そう言えばそうじゃったな…
 じゃが、この町の者を襲うのは許さぬぞ」

「心配するな、わかっている
 モンスターや獣を襲うつもりだ」

 しかし、本人が言うにはモンスターや獣の血は不味いらしい
 シェルを気遣ってくれているのは理解出来るが、少し申し訳ない


「吸血鬼というのも、難儀なものじゃのぅ」

「まだ暫くの間は持つだろうが…
 船に乗っている間は獲物にありつけないからな
 念の為に、今の内に食いだめしておくだけだ…」

 確かに船の中では獣もモンスターもいない
 その間に餓えてしまっては大変な事になる

「うむ、行って来るが良い
 セーロスたちには、食後の散歩に行ったと伝えておくぞ」


 シェルは自分が吸血鬼であるという事を黙っていてくれている

 吸血鬼はモンスターに分類される邪悪な存在だ
 モンスター退治を生業としている戦士のセーロスに知られると面倒な事になるだろう

 それがシェルの優しさなのか、それとも単に面倒事を避けたかったのかはわからない


 けれど、シェルはさり気なく料理に入ったガーリックを取り除いてくれたり、
 吸血鬼の好みそうなトマトやワインなどを多めに寄越してくれていたようだ


 そのささやかな心遣いに、火波は心から感謝していた





「―――…ふぅ…」


 餌の残骸を炎で焼き尽くし、火波は一息つく

 口内に不味い血の味が広がっていた
 淡白な上に獣臭くて最悪な味だ

 本当はシェルの血が欲しい

 しかし火波は理性で自粛している
 モンスターの本性を曝け出して警戒されるのが嫌だった


 単なる餌≠ニして見ていた筈のシェル
 しかし今では仲間意識のようなものが芽生えている

「獣姿のわしを見て…恐れなかったのはシェルくらいのものだからな…」


 しかもシェルは自分の屋敷に泊まり、
 更に火波自身も自らの家に招き入れた

 久しぶりの、他者との交流



 70年以上も昔

 まだ自分が人であった頃の記憶が嫌でも思い出される
 家族や友人に囲まれていた、人として生きていた頃

 もう随分と色褪せて薄れてしまった記憶だが、幸せだったという事だけは覚えている





「…ふん…過去の話だ
 わしはもう、人の心は忘れた――…」

「ダメだ、早まるなぁ―――っ!!」


 べき

「ぐをっ!?」

 背中に衝撃を感じ、仰け反る火波
 軽く2メートルは吹っ飛んだだろう

 鈍い音を立てた背骨が気になるが、今はそれ所じゃ無い



「死んで花実が咲くものか!!
 一人で抱え込んだらダメさ!!
 辛い事も話せば楽になる――…さあ、胸中を話してみて!!」

「…………。」

 腰にタックルかます、この腕
 そしてこの妙になまったこの声は―――…



「まっ…またお前かぁっ!!
 この極小スケールの違反生徒め!!」

「えっ…?
 あ――…昨日の投身自殺者っ!?」


 違う



「まだいたのか…」

「いんやぁ〜…まぁた失敗だ
 焚き火を見つめながら物思いに耽ってたみたいだからさ、
 てっきり焼身自殺者かと思ってさあ―――いやぁ、えらいすんません」

 見る者全てが自殺志願者に感じるのか、お前は
 火波は痛む腰を擦りながら消火に勤しむ

 焚き火するだけで焼身自殺に間違われていたら、たまったもんじゃない



「…ほら、消したから里に帰れ」

「まだ里には帰らないんだぁ
 都会に出て、新しい文化と知識を身につけるのさ
 まぁ、何て言うか…革命家も楽じゃねえって事なんだなぁ」

「規則に逆らってるだけだろ」

「革命だって言っとんべ――…!!」

 お前は何処の生まれだ



「忍びの里の暗殺者…皆そんな喋り方をするのか…?」

「はぅっ…し、しまった!!
 この自殺志願者が興奮させるから、
 ついうっかり地元なまりが出ちまったべや…!!」

「…地元なまり…」

「なっ…何だ失礼な!?
 田舎者だと思ってバカにすんなや!!」


 自分で田舎者だって言っちゃってるし…
 彼に命を狙われたとしても、緊張感を感じる事はないだろう

 …それ以前に、こんな奴が暗殺者やってて良いのだろうか…




「…本気で、何なんだお前は…」

「闇の世界を忍んで生きる者だと言っとんべ」

 だったら少しは忍んでくれ
 人前に飛び出して来てタックルかけてるんじゃねぇ


「おめ様こそ誰さ?
 朝も晩も仕事もせんでフラフラ出歩いてっと、
 いい加減、変質者に間違われて警察に職務質問されっぞ?」

 余計なお世話です
 というより、こいつに言われる筋合いは無い



「お前の方が、ずっと怪しいわ!!
 もう、わしの事は放っておいてくれ!!
 何で行く先々で妙な奴ばかり出てくるんだっ!!」

「…最後が魂の叫びっぽいな
 さてはここ最近、ロクな目にあってないと見た」

 うん…そうだね
 確かに散々な目に遭ってばかりいるよ


 お前の存在を含めてな


 長い長い溜息が火波の口から漏れる
 その様子を見て勘違い暗殺者は火波の肩を叩いた



「…まぁ、元気出せや
 田舎者でも相談相手くらいにはなるべや」

「いや、お気遣い無く…」

 思わず丁寧にお断りする火波
 というか、暗殺者にまで気遣われるわしって一体…

 そこまで不幸っぷりが滲み出ていたのだろうか



「自分が情けなくなるから、そっとしておいてくれ…」

「そうかい?
 まぁ、おめ様とは少なからず縁を感じんのさ
 もし何処かで見かけたら声でもかけてやっとくれや」

 出来れば、あまり関わり合いになりたくない…
 同族だと思われたら嫌だし



 …でも、まぁ…基本的に悪い奴では無いのだろう


 早とちりな勘違いで終わったとは言え、
 自殺志願者と思った相手を全身で止めるような真似は普通出来ない

 もし火波が本当に自殺志願者だったとしたら、二度も救って貰った事になるし
 きっと自分以外の連中にも彼は声をかけているに違いない

 その中にはもしかすると本当に自殺志願者がいた可能性もある
 果たしてその人物が救われたのかどうかは別として…



「しかし…何故、暗殺者のお前が、
 わざわざ人命救助なんかやっている?」

「ふっ…これもまた革命だべさ
 暗殺者の冷酷なイメージを払拭する為に、
 人助けやボランティアなんかに積極的に取り組んでんのさ」

 黒装束姿で取り組まれてもなぁ…
 まぁ、イメージアップと言うからには暗殺者という事を前面に出さなきゃならないんだろうけど…



 改めて目の前の男を見つめてみる
 顔半分が覆われていて良くわからないが、恐らく歳は二十代半ば頃だろう

 豊かな黒髪を花で飾って、相変わらず派手な奴だ
 本人に忍ぶ気がないのだから仕方が無いのかも知れないが――…

 ――…不意に視線が合う

 口元が隠れている為にはっきりとはわからない

 が、恐らく彼は微笑んだのだろう
 それが社交的なものなのかどうかはわからないが――…



「―――…っ!!」

 しかし、その瞳を見た瞬間、火波の背を言い様の無い衝撃が走った

 殺気――…といった類いのものではない
 感情を凍りつかせたかのような、冷たい眼差し

 しかし、その中から溶けて流れ出してくる暖かな光
 それは悲しみと、慈愛が入り混じった穏やかな輝きだった

 対照的な二つの感情を宿した瞳
 そのアンバランスさが火波を落ち着かせなくする

 これは暗殺を生業とする者特有のものなのか、それとも彼独自のものなのか―――…




  



 彼は只者ではない

 火波は長年の経験からそう確信する
 ふざけた外見と田舎臭い口調で気付かなかった


「お前は一体―――…」

 そう問いかけた途端、
 彼の時計が時報を鳴らす




「んおっ!?
 もうこんな時間になっとんべ」

「…えっ…」

 話の腰を折られてタイミングを逃す火波
 結局それ以上何も聞けなかった


「オラはこれから老人ホームと孤児院で忍術手品を披露する事予定だべさ」

 忍術手品って何!?
 まさか手裏剣や煙幕を使ったイリュージョンか!?

「…あまり、年寄りが心臓発麻痺こしそうな手品はするなよ」

「そっただ事言って心配すんなや
 これでも意外と人気出てんのさあ」

「なら良いが…」

 巨大カエルが飛び跳ねていたり、
 火柱が上がったりしていないか心配な所だ

 まぁ、彼の口調からして怪我人や苦情を言う者が今の所は出ていないらしい


 …今後どうなるかは謎だが




「んじゃ、オラはそろそろ行くべ
 えっと―――…あぁ、自己紹介がまだだったべな」

 彼は懐から一枚のカードを取り出すと火波に手渡す
 恐らく名刺のような物だろう


「オラの名前は遊羅(あすら)≠チつんべや
 また何処かで逢えれば良いべな――…」

「そ、そうだな
 …わしは、火波だ」

 果たして名を明かして良いのか迷ったが、
 名乗った相手に対しての礼儀として自分も名を明かす

 まぁ、きっと自分の名を悪用するような奴ではないだろう



「おお、良い名だべ
 じゃあ――…お互い元気でなぁ!!」

 遊羅は数回手を振ると、瞬く間に姿を消した

 腐っても忍び
 グレていても忍び


 やっぱり去るのは早い






「…また、わけのわからん知り合いが増えたな…」

 胡散臭さではシェルと良い勝負だ
 本人に悪意が無い分だけ、遊羅の方が厄介かも知れないが

「最近は…ああいう若者が増えているのか…?」

 何気なく、先程貰ったカードを見てみる
 恐らく名前などが書かれているのだろうが――…





  ― ときめいて☆遊羅の夏 ―


   今日も とっても いいお天気
   太陽さん お花さん ご機嫌いかが?

   でも遊羅は ちょっとメランコリー
   だって 誰も遊んでくれないんだもの…イジイジしちゃう

   遊羅は 今日も ロンリネス
   瞳がウルウル… でも 遊羅は泣かないの


   だって お空はこんなに 青いんですもの
   雲さんだって こんなに 白く大きいんですもの

   遊羅も頑張っちゃう ファイト10発 涙を拭いて

   だからお願い ハートがドキドキ 高鳴るような
   トキメキ欲しいの 叶えて遊羅の サマータイム☆ロマンス―――…♪





「………………。」


 何これ

 昨日から、こんなのばっかりだ



「…何か、急に胃の調子が――…」

 キリキリとした痛みを伴う胸焼け
 ついでに頭痛も押し寄せてくる

 火波はカードを持ったまま途方に暮れた
 捨てるに捨てられない

 下手に捨てて、誰かに見られるという不幸な事故が起きたら大変だ
 最悪の場合、これを書いたのが自分だと思われる可能性もある


「行き場の無いモノを寄越しやがって…
 このポエミィ・デストロイヤーが」

 仕方なく、火波はカードをポケットに突っ込む
 下手な護符よりも、ある意味ずっと効果がありそうだ


 ―――…護ってくれるかどうかは別として





「も、もう…帰ろう…
 何処にいても疲れるなら、せめて部屋の中で座っていたい…」

 どっと押し寄せる疲労感
 げんなりとしながら火波は帰路についた


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