「…はぁ…疲れた…」



 肉体的にも、精神的にも疲労ゲージ満タン
 許されるなら今すぐにでもこの場から逃げ出したい

 しかし―――…



「ほれ、ここが風呂でトイレは向こうじゃ
 パジャマはこれを使っておくれ…恐らくサイズは合うじゃろうて」


 ナチュラルに着替えを渡され、客室に案内される火波

 …いや、ちょっと待って…


 この問答無用でお泊り決定ぽい雰囲気は一体何事!?
 火波は泊まるだなんて一言も言ってないし、聞かされてもいないのに

 どうやら、ここの住人達の暗黙の了解により強制執行されていると見た



「…おい、わしは泊まる気は無いぞ」

「別に遠慮する事は無いぞ?」

「遠慮じゃない…嫌がってるんだ
 こんな、ワケのわからん家庭環境の中で寝られるか!!」


 右を向けば生真面目そうな医療系オカマ
 左を向けばマッチョな裸エプロン男

 耐え切れずに正面を向けば、そこには謎の鼓動を繰り返す奇怪なディナー



 気分はすっかり罰ゲーム





「こんな所で寝てたら命が幾つあっても足りないぞ」

「まぁ、気にするな…そう警戒する事もない
 たまにキッチンから謎の怪奇現象が起こるだけじゃ」


 気にするって!!



「わしが、どれほど神経をすり減らしていたかわかるか!?
 何もしていないのに裁きを受けている気分だったんだぞっ!?」

「…何も、そこまで言わんでも…」


「もう、嫌だ…不味い食事でも構わない
 広い屋敷に独りぼっちの孤独な生活でも良い
 わしは…わしは…平和な環境で静かに生きて行きたい


 人を襲う吸血鬼の言葉とは思えねぇ




「火波、モンスターのお主がそれを言ってはお終いじゃよ…」

「わしだって生まれた時はモンスターではなかった
 昔は静かで平和な村で家族と楽しく暮らしていたんだ」

 火波の家族…想像できない
 そもそも人型なのか犬型なのか…


「ほぅ…それは初耳じゃのぅ
 吸血鬼は生まれた時から吸血鬼ではないのか?」

「違う、吸血鬼に食い殺された餌≠ェ、無念の意を抱いて再び吸血鬼として甦るんだ
 奴らはそうやって無限に増えて行く…生まれながらにして吸血鬼という奴はほんの一握りだ」



「……そ…そう、か……」

 暗に自分は昔に吸血鬼に殺されたのだと告げているのだ
 そして、その無念から自分もまた吸血鬼として甦ったのだと―――…

 シェルは火波から視線を逸らすと遠くを見つめる
 悪い事を聞き出してしまった…気まずいものを感じて落ち着かない


「…すまぬ…」

「別に気にしてない、もう昔の事だ…70年以上も経ってる
 恨みも妬みも悲しみも――…全て時と共に消えて行った
 唯一残ったものは、呪われた不老不死のこの身体だけだ…」

 血の気の無い白い肌
 死して得た不老不死の身体は火波にとって呪い≠ネのだという

 目の前の男が一度死んでいるなど、とても信じられない
 普通に動いて話もしているし、シェルと同じように食事も睡眠も取っているのだから




「…ゾンビ…のようなものなのか…?」

「確かに奴らも死んだ後甦っているが…わしとは少し違うな
 ゾンビは時空の流れに拒まれていない、不老不死ではないのだ
 だから時が経つにつれ、身体は腐敗し崩れ落ちて…やがて土に還る
 土に還った身体は大地を豊かにし新たなる生命を育むという役目を担う

 奴らの身体には限りがある…救いという名の最期が訪れる
 しかし吸血鬼は時空の流れにすら見放された呪われた存在だ
 幾年の時が経とうとも、わしらはこの姿のまま永遠に変わることは無いのだ」

 土に還る事の無い身体
 天に浄化される事の無い魂
 彼の時は吸血鬼となった日から止まったままなのだろう


「…じゃが…この顔が腐り落ちる所など見たくないのぅ
 お主には酷な事なのかも知れぬが…拙者にとっては幸いじゃ」

「まぁ普通は腐敗したゾンビなんか見たら気絶するだろうな
 とは言え、お前にゾンビを怖がるような可愛い一面があるとは思えないが」


 むしろ、ゾンビの方が逃げ出しそうな気さえする



「…むっ…」

 カチンと来た様子のシェル
 しかし反論する言葉が見つからなかったらしい

 悔し気にシェルは、火波の鼻先を突く


「ザルそばのザルを喰って喜ぶような吸血鬼のくせに…」

「喜んでねぇ!!
 いや、そもそも喰ってねぇから!!」

 あの時のウエイトレスの視線の痛かった事と言ったら!!
 あの日の記憶がこの世から薄れる迄はあの店に行けないだろう…恥かしくて



「望んでなった訳ではないとは言え、
 一応わしには100年生きた吸血鬼としてのプライドはあるんだが…」

「でも…自分でもエビフライを揚げているのじゃよな」


悪いかよ!?
 これでも揚げ物の腕はちょっとしたものなんだぞ!!」

「怒るでない…悪いなどとは一言も言っておらぬではないか
 ただ拙者は誇り高き吸血鬼殿がエビフライを揚げている姿というのもオツなものだと…」


 鍋の前で揚げ箸を持って、エビが揚がるのを待つ火波の姿を想像してみる

 こういう男に限って、調理中なんかは楽しそうにするものだ
 新妻の如く鼻歌交じりに火加減を調節していそうだ

 しかも割烹着とか三角巾とかもつけちゃったりして…



「…きっと、幸せそうな顔をしてエビフライを揚げておるのじゃろうな…」

 でも…ある意味とても似合う姿かも知れない
 ちょっと想像するだけでも心が和めそうな光景だ



   

 <↑自称:誇り高き吸血鬼の調理風景(想像図)>





「…おい…お前、物凄く失礼な想像しなかったか…?」

「いやいや、気のせいじゃろうて…
 ところで火波よ、お主の趣味は何じゃ?」

「…趣味…?
 これはまた唐突な質問だな」

「ちと気になってのぅ…まぁ、深い意は無いから安心致せ
 今後行動を共にするに当たって互いの趣味趣向くらいは知っておこうと思ってな」


 火波の趣味は一体何だろう

 カードやチェスなんか似合うかも知れない
 ワインなんかに凝っていても似合いそうだ


 火波は少し考えた後、のんびりと呟いた



磯釣りだな


 磯釣り!?



「…そ、それはもしや…魚を竿で釣り上げるという…!?」

「今の季節ならカレイだな…
 手の平くらいの小さい奴をから揚げにすると美味いぞ
 やはり釣りはロマンであり冒険だ…どうだ、わしって海の男だろう?」


 お前は海の男ではなく吸血鬼だ




「な、何故吸血鬼のお主が磯釣りを…?」

「そこに海があるからだ
 屋敷の裏手が一面の海だからな、何となく潮風に誘われて…」


 そうか…気付かなかった

 崖っぷちに建ってる屋敷だとは思っていたが、まさか裏手が海だったとは
 波飛沫舞う岩壁に聳え立つ屋敷といえば格好良いが、実際住んでみると色々不便そうだ



自殺の名所のような立地条件に住んでおったのじゃな」


「地理的に、いつ崖崩れや津波が来るかわからないからな
 地震や豪雨の日は屋敷の外に避難しているんだ、危険だから


 引っ越せや




「吸血鬼って、もっと格好良いものだと思っておったが…
 まぁ、所詮はなんちゃって吸血鬼じゃからな、オーラが無いのか」

「わしをコスプレイヤーみたいに言うなっ!!
 お前だって、かなり胡散臭い格好だぞ!!」

「拙者は似合うから良いではないか」


 わしのは似合ってないと?




「吸血鬼といえばタキシードじゃろう
 なのに、お主と来たら乳首丸出しの格好で…嘆かわしい」

 別に嘆かなくても良いじゃない


「…に、似合わないか?」

「拙者はチラリズム萌えじゃ
 個人的にモロ出しは好きではないのぅ」


 お前の萌えなんか聞いてない



「…もう良い…お前に聞いたのが間違いだ」

「まぁ、そう言わずに拙者の意見を聞けい
 そうじゃな…乳首に星型のシールでも貼ってみたら――…」

大却下



 いい加減ストレスが絶頂に達して頭痛さえしてくる
 一体シェルは自分の事をどんなキャラだと思っているのだろう

「…ったく…」

「これ待たぬか、こんな時間に何処へ行くのじゃ」

「少し散歩に出てくる
 そのうち戻るから気にするな」


 夜風にでも当たらなければ、やってられない
 静かな場所で束の間の安らぎを求めても罪にはならないだろう

 火波はマントを外すと無造作に椅子に掛け、踵を返す


 その背中に向かって少年は一言、叫んだ



「あまり遅いと裸エプロンのマッチョに捜索願を出すからな!!」


 凄く嫌な脅迫だ


 深夜、裸エプロンのマッチョに探し回られる自分の姿を想像して…失神しそうになる火波
 色々な意味で自分の社会的地位が危ぶまれる…まぁ、今更かも知れないが


「…わ、わかった…すぐ戻る…」


 シェルの場合、本気でマッチョ捜索を行いそうで怖い
 火波は時間を気にしつつ、コソコソと家を出て行った


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