Requiem to collapse





 紅く光る巨大月が漆黒の闇を照らす夜

 聞こえるのは狼の遠吠え
 蝙蝠の羽ばたき


 そして―――…



 今日も獲物を求めて彷徨う影がひとつ

 その指先は先日の犠牲者の物である血痕に汚れていた
 乾いた血がぱらぱらと剥がれ落ちて地面に落ちる

 このように紅い月の晩は特に飢えを感じる
 殺戮的な衝動を押さえ切れずに、血を求めて闇空に舞う

 それがこの、呪われし吸血鬼の本能
 欲望のままに本能のままに



 …――…まだ足りない……

 …もっと……もっと………血を―――…


 闇に向かって紅い月に向かって歩を進める

 殺意のまま
 衝動のまま


 渇きを潤す更なる贄を求めて――…






  





 ふと視線を落とすと、木陰に佇む人影


 このような人気の無い森の中で道にでも迷ったのか
 不運な事だ―――しかし、自分にとっては好都合

 こんなに早く獲物を見つける事が出来るとは

 気配を殺し、獲物から数メートル離れた所に降り立つ
 驚かせて逃げられては元も子もない

 まずは様子を見て作戦を練ることから始める



 この角度からは獲物の性別はわからない
 しかし小柄な体躯からまだ歳若い――恐らく少年・少女だと予測をつける

 本来ならば美しい処女を狙いたい所
 けれど折角、都合良く見つけた獲物だ

 人里へ繰り出す手間を考えれば、この際そんな些細な事に構っていられない


 …幸いな事に、武器を持っているようには見えない

 体格も魔力も自分の方が上だ

 そう見極めた瞬間、勝利を確信する
 後は哀れな獲物を血祭りにあげるだけだ


 逸る気持ちを抑えながら、そっと獲物に近付いた






「―――…っ!?」


 近付く気配に気付いたのだろう
 獲物は振り返ると微かに声を上げた

 その瞳は次の瞬間驚愕に見開かれる
 当然といえば当然だろう


 鋭い爪と剣のような牙
 今宵の月のような紅色に濡れる鋭い瞳

 全身を覆うしなやかな獣の身体には悪魔の翼が生えている


 そう、目の前にいるのは血に飢えた凶悪なモンスター
 それが今まさに襲い掛かろうと身構えてるのだから


 しかし、驚いたのは目の前の獲物だけではなかった



 捕食者の方も驚愕に思わず目を見開く
 伸ばした腕を無意識に退けた

 そこにいたのは何とも艶のある姿をした若者だった
 歳の頃は15、16…白い肌が闇に仄かに浮かび上がる

 その身を包んでいるものは村の民族衣装と思われる薄絹
 それは半透明に透けていて白い肌を惜しげも無く晒していた

 頭部にも似たような絹を巻いて束ねて―――…






 そこまでは良い


 何とも色っぽい…目の保養だ

 しかし問題はその他の部分


 顔の半分は覆い尽くしているであろう、ごっついゴーグルは一体何なのであろう
 一瞬、海から上がりたての海女かと思ったが此処は深い森の中
 更に目を疑わざるを得ないのは、白い足を包み込む粗い目のアミタイツ


 いや、アミタイツも嫌いじゃない
 透けた服にアミタイツ―――…悪くない


 けれど、その爪先に召されているのは誰がどう見てもゴム長靴
 マリンブーツ…なんて小洒落た物言いも厚かましい、土木作業員が履くようなゴム長靴


 そしてその手に握られている物は―――サラダ油だった





「―――…何で…?」


 思わず口を吐いて出る疑問符
 食欲よりも何よりも、まず職務質問をしたい衝動に駆られる

 外見から職業を特定する事はまず不可能
 というより何の為に此処にいるのか、それすら謎だ

 リアクションに迷っていると、その間にようやく気を取り戻したらしい
 目の前の謎の若者はサラダ油を構えると開口一番



「――…おのれ…何者じゃ!!」


 こっちが聞きたい

 それよりそのサラダ油の意図を知りたい




 食欲も殺戮衝動も、あまりのインパクトに消え失せた
 百年あまりの時を過ごして来たが、この様な経験は初めてだ


 …というより、何が起こっているのか…事態が上手く飲み込めない
 先に行動を起こしたのは獲物の方だった



「…ふむ、そこのワンちゃん――…」

「誰がワンちゃんだっ!!」

 即座に突っ込む

 ちなみに自分は犬ではなく―――…狼である
 更に言うならば狼の姿を模したモンスターなのであるが…



 恐怖心を抱かれていないのは何故だろう




「ふむ…そうか
 ではポチとやら――…」

「ポチと違うっ!!」

 勝手に命名するな
 しかも思いっ切り犬の名前だし



「ええい、くどいっ
 しからば名を名乗れぃ!!」

 …何で命令されてるんだろう…
 というより、この人一体何?


 名乗れと言われても素直に名乗っていてはモンスターの名が廃る
 どうも相手のペースに流され気味だし、ここは脅しでもかけて蹴散らしておこう

 所詮相手は子供

 モンスターの恐ろしさを目の当りにすれば逃げ出すはずだ
 折角の獲物だが、これを口にするのは色々な意味で危険な気がする




「…わしの姿を見て驚かんとは肝の据わった小童だ
 しかしこの牙に掛かれば命は無いのは明らかだ
 今なら見逃してやろう…わしの気が変わらぬ内に早々に―――」


「ふむ…オス犬か…」



 脅してるんだから逃げろよ

 そんなに接近しないで――…



「…って、何処を触ってるっ!!
 こら待て小童、肝が据わるにも程があるぞっ!!」

「肝が据わっているというより、拙者の場合は欲望に忠実なだけじゃよ」


 威張って言うな

 しかも欲望って…欲望って…!!

 ゴーグルで顔はわからない
 けれど声は明らかに男のものだ

 もしかして――…
 いや、もしかしなくても危ない人と遭遇してしまったのではないだろうか

 本能的に身の危険を察知する
 危険感知は長年の勘で培われていた




「…わ、わしは忙しい
 今宵は見逃してやる、早く家に帰るがいい」

 踵を返して街へと歩を進めようとする
 しかしその前に少年の手が肩を掴んだ


「…ちと、待たれぃ」

 細く白い首に巻かれたマフラーが風も無いのにハタハタとなびく

 しかも白手袋だと思いきや―――良く見たら軍手だし
 色っぽいのかオヤジ臭いのか、その辺をはっきりして貰いたい




「拙者、この辺に住んでいるという吸血鬼を探しておるのじゃ
 お主がここらの者なら存じぬじゃろうか…恐らく城か屋敷がある筈なのじゃが」

 それは、もしかしなくても自分の事を言っているのだろうか
 古くからこの地に居座っているせいだろう、少なからず自称・勇者の訪れはあった


 自己満足甚だしい正義感を振りかざし、無謀にも戦いを挑んできた愚か者たち

 彼らの多くがこの爪の、牙の餌食となり命を落として行った
 吸血鬼である自分は不死身の肉体を持っているのだ

 そう簡単には倒されない


 改めて目の前の少年を見やる
 彼もまた、正義の炎を燃やす愚かな勇者なのだろうか

 しかし――明らかに今まで相手にしてきた者とは異なる
 剣どころか鎧も身に纏わずに吸血鬼に挑もうというのか


「…小童、吸血鬼と一戦を交える気か?」

「愚問じゃな…その為に拙者はこの地へ来たのじゃ」


 言い切ったよ、この子…!!

 本当に勇気があるというか単にバカというか…
 ここまで潔いと呆れるよりも、いっそ感心してしまう



「悪い事は言わん、思い直した方が無難だ
 しかし何でまた、小童風情が吸血鬼を相手にしようと?」

「拙者も、そろそろお年頃というわけじゃよ」



 会話、噛み合ってる?


「ふん…小童の度胸試しと言ったところか
 しかし子供の遊びにしては限度が過ぎる」

「遊びで身を滅ぼすような教育は受けておらぬ
 拙者は本気じゃよ…覚悟を決めて此処に参ったのじゃ」




 どうやら、それなりの事情があるらしい

 食指は削がれてしまったし今から村へ行った所で出歩いている者もいないだろう
 飢えた吸血鬼は狩りを諦めて、目の前の少年に興味を移した

 夜は長い…暇潰しにはなるだろう

 それに乙女ではないが綺麗な身体だ
 話を聞いた後に血を啜ってやるのも一興

 吸血鬼はそう考えをまとめると、少年に正面から向かい合った


「わしで良ければ話を聞こう
 何かワケ有りなのだろう?」

「拙者の話を聞いてくれるというのか?
 それは有り難い…誰にも相談できる相手がおらぬでな…
 言葉に甘えて聞いて貰う事にしようかの…ええと、ワンワンとやら――…」



 ぷちっ



「火波(ほなみ)だ!!
 わしを犬扱いするな小童が!!」

「ようやく名乗ったか
 うむうむ、拙者はシェルと申す
 まぁ肩の力を抜いてリラックスなされよ、火波とやら」

「…………。」


 火波は思った
 目の前の子供は色々な意味で本当に食えない奴だと――…




 シリアスと見せかけて、相変わらずのコメディティストじゃ

 いきなり方向性がヤバい気が致しまするが、こんな感じでスタートにござる
 きっとBL色が強くなるじゃろうが…まぁ、拙者のことじゃから大丈夫じゃろう…


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