草木の緑が日増しに濃くなる季節
 陽射しも強さを増して白い肌を焦がし始める

 缶ジュースを頬に当てて熱を散らしながら、
 描きかけの原稿に向き直った


 ペン入れはもう済んだ
 あとはトーンと写植を貼れば終わり
 何度読み返してみても、なかなかの力作だ
 慣れない長編に挑戦してみた甲斐があった


 ちら、とカレンダーに視線を送る

 …入稿まであと僅かだ
 また修羅場になりそうな予感がする

 それでも今度の夏コミは絶対に落とせない





 俺の名前は鎌井 蘇芳

 未だに高校生に間違われるが、これでも立派な大学生だ
 美術部という名の漫研で、部長という肩書きのもとに活動している

 現在は夏コミに向けて部員総出で原稿に取り組んでいる所だ



「…さぁて…片付けちゃうかな!!」

 愛用トーンナイフを手に取る
 年季が入っているらしく、少し皺の寄った写植やトーンカスが何枚か張り付いていた

 ちなみに写植には『儚い』の二文字


 偶然張り付いた写植だが、
 これがそのままこのナイフの名前になっていたりする

 ちなみに同じような過程を踏んで名付けられた、
 定規の『合体だ!!』君やGペンの『くっ…!!』ちゃん、消しゴムの『ああん』様なんかも存在する



「カーマイン部長、ここってベタ塗りですか?」

「ああ、こっちのトーン貼ってくれ」

 部員に指示を出すのも部長の役目だ
 ちなみに『カーマイン』というのは…俺の事だ

 副部長の大滝 要が俺をモデルにして書いた同人誌のキャラクターの名前
 主人公の『カーマイン』が尋常ではありえない世界で活躍するファンタジー小説だ


 行く先々で謎の美形男に襲われるという、
 モデルにされた俺にとっては迷惑極まりないストーリーなんだけど…


 見た目も性格も俺そのもので、結構人気出たんだよな

 しかもシリーズ化して、不定期に連載までしているらしい
 そしていつの間にかこのカーマインの方が俺より有名になった

 今では部員の殆どが俺の事をカーマインと呼ぶ有様だ
 もう俺のペンネームも『カーマイン』にしちゃおうかな…


 そっちの方が売り上げも知名度も上がりそうだ




「カーマイン先輩、買い出し行って来ます
 ついでお弁当でも買ってきましょうか
 今日もどうせ、深夜までやるんですよね?」

「あー…じゃあ、ヤキソバ弁当とツナマヨ握り
 あとザンギとか…肉があったら適当に買ってきてくれ」

「飲み物は?」

「そうだな…じゃあ酎ハイ、缶のやつ
 桃かライチかブドウ味の奴がいいな
 5、6本頼む―――…タケ、お前は?」


 ついでに隣に座ってゴムかけしている男に声をかける

 振り返った拍子に、栗色の髪が蛍光灯に反射してキラキラ光った
 脱色した髪は綺麗に分けてセットしてあったけれど、少し伸びてきている

 無事に入稿が終わったら、髪切りに行く時間くらい与えてやらないとな――…



「…俺、は…コーラ
 ペットボトルのやつ」

 茶髪の青年は言葉少なく告げてくる
 普段、あまり自分から口を開く事はない

 別に俺が嫌われてるわけじゃなくて――…単に口下手なだけなんだけど

 むしろ、俺にはまだ喋ってくれる方だと思う
 どっちにしろ言葉は足りないから色々と不便はあるけどさ


 そういう時は、俺が代弁してやる事になってる

「えっと…じゃあ、タケにもヤキソバな
 あと、お好み焼きとかあったらそれも」

 俺が言わなきゃ、タケの奴はずっと絶食で過ごすぞ
 ただでさえ一人暮らしで食生活が危ういってのに…

 あー…でもコイツの場合、飯作ってくれる女友達とか大量にいそうだな…




「…何ですか?」

「ん、いやぁ…タケってモテるよな――…って
 学食でも女の子に囲まれてるし、あっちこっちの合コンにも出てるんだって?」

 良いよな、顔のいい奴って
 ちょっとくらい無愛想で口下手だってモテるんだから

「…で、どれが本命の娘なのよ?」

 俺は彼の頬をGペンで突きながら、揶揄混じりに囁いた



 こいつの名前は武瀬 純
 俺は『タケ』って呼んでるけど、周囲からは『ジュン』って呼ばれる事が多い


 茶髪にピアス

 流行にもそれなりに敏感で、しかも御洒落
 色素の薄い琥珀色の瞳が髪の色と良く合ってる

 特に長身ってわけでもないけど、それでも俺より5cmは高い
 それなりに引き締まった細身の身体が凄く羨ましい…

 ったく…後輩のくせに、先輩の俺よりガタイが良いとは生意気な奴だ


 ちなみに体重は――…俺の方が5s近く重いという悲しい現実がある



 ちなみに男友達は極端に少ない
 せいぜい、ここの部の奴らぐらいだろうな

 その代わりというか、女の子には結構人気あるんだけど…

 タケの奴、絶対入る部活間違えたよな
 バンドとか組んでる方が遥かに似合いそうだし
 夏休みとかは女の子たちと泳ぎに行ってそうなタイプなのに

 それが、何でよりによって漫研で消しゴムかけなんかやってるんだか――…



「お前さ、女の子と遊びに行ったりとかしないわけ?
 夏休みにデートの予定とか入ってるんじゃないの?」

「誘われたら行きますけど…
 基本的に、相手は誰でもいいんです
 一人でいるのが嫌いなだけなんで…」

 寂しがり屋なのね
 でも、だからってムサい男だらけの部室にいて楽しいか?


 しかも9割方が見るからにオタクって容姿だぞ
 いや、実際にオタクそのものなんだけどさ…俺も含めて

 お前一人がこの部から浮いて見えてるんだぞ?
 その辺の事情に関して、おまえ自身はどう思ってるんだ…?



「タケ、お前さ…部活楽しいか?」

「いつ行っても、誰かがいるし…
 最近は夜遅くまで人が残ってるから
 部活している間は寂しくなくて好きです」

「…いや、あのさぁ…
 そうじゃなくって…原稿の手伝いとか…」


「活動内容も、嫌いじゃない…です
 基本的に絵を描くのは好きですし」

「そ、そうか…?
 それなら別にいいんだけどさ」

 楽しんでくれてるんなら俺も言う事は無い
 部長として嬉しい限りだ

 でも―――…なぁ…?


「別に無理して俺たちに付き合う必要は無いからな
 女の子からの誘いがあったら、そっち優先して良いし」

「下心のある女性たちと遊ぶより、
 先輩と一緒に絵を描いてる方が好きです」

 それ、女の子たちが聞いたら泣くぞ…?
 しかもある意味全国のオタクたちに対する挑戦に近い

 言葉が一々、モテる男の余裕―――…って感じがして癪だし…


 いや、ひがむな俺、見苦しいぞ
 一応俺にだって彼女はいるだろ

 彼女って言うよりは、よく一緒につるむ幼馴染って言った方が正しいけど
 しかも向こうは俺を彼氏としてではなく、同人誌のネタとして見ているみたいだけど

 ちなみに『カーマインシリーズ』も俺の彼女が生み出した産物である




「下心無しで遊んでくれる女の子がいたらいいんですけど…」

「下心…って、一応ホテルとか行ったりもしてるんだろ?
 女の子に不便しているようにも見えないし…俺としては羨ましい限りだけど」

「…そんな金無いです
 親からの仕送りで遣り繰りしてますし」

「バイトは?」

「していたら、今ここで原稿なんかやってません」


 そう…だよな…
 連日、缶詰めになって手伝ってくれてるもんな…

 タケは自分では話を書かない

 あくまで活動は油彩中心だ
 いつもは部室の隅の方でカンバスに向かっている

 コミケが近い時だけ臨時アシスタントとして原稿を手伝ってくれているのだ




「…何か…お前には色々と苦労かけてるな…」

「そんな事、無いです
 俺…先輩には感謝してますし」

「何が?」

「…俺、先輩に会いに部活に来てる…って言っても過言じゃないですから」

 そりゃ初耳だ
 何でだろ…数少ない男友達だからか?

 それとも通訳的存在だからか?



「俺って、そんなに好かれてるわけ?」

「…親身になってくれるの…先輩だけですから…
 俺、自分が無愛想で感じ悪い奴だって自覚してます
 それでも…こんな俺なんかの事、いつも気遣ってくれて―――…」

 別に感じ悪いとまでは思わないけど…
 タケはちょっと口下手なだけなんだよな

 でも――…


「別に、俺だけじゃないだろ?
 お前の事気にかける奴なんか、他にいくらでもいるじゃないか」

「先輩だけ…です」

「いやほら、女の子たちとかさ」

「鎌井先輩だけです」

 ……………。

 まぁ、本人がそう思ってるなら別に良いんだけどさ…


「でも…俺ってお世辞にも人に好かれるような奴じゃないぞ?
 根暗だしオタクだし、原稿とパソコンで一日の大半費やしてるし…
 お前、良く俺なんかに懐いてるよな…その懐の広さには脱帽だよ」

「俺、先輩とは不思議な縁を感じています
 漠然としたもので具体的には言えないんですけど…
 先輩とは同じ気持ちを分かち合えそうな気がするんです」

「ふーん…?
 俺とお前じゃ、キャラ全然違うと思うけど…
 まぁ、相性とかは特に悪いってわけでも無さそうだしなぁ」

 タケの言ってる事は、ハッキリ言ってよくわからない
 でも…とりあえず嫌われていないなら良いや







「…じゃ、続きやっちゃうか
 ゴムかけ終わったらトーンの整理頼むな」

「はい」


 一度原稿に向かうと、凄い集中力を発揮するらしい
 鮮やかな手捌きでトーンを貼っていく様は見事としか言えなかった


 …プロの漫画家って…こんな感じなんだろうか…
 タケこと、武瀬純は消しゴム片手に感嘆の息を吐く

 ハンドルやマイクを握ると性格が変わる…という話はたまに聞く
 しかし、どうやら目の前の先輩は原稿を手にすると性格が変わるらしい


 普段はリンゴどころかカキの皮さえ剥かないで食べるような先輩だ
 寝癖があれば頭から水道水をかぶり、洗濯洗剤は付属のスプーンを使わず目分量

 料理をする時は常に強火、鍋の中の食材は丸ごとの原型を保っている事も多い
 以前、一緒にお好み焼きを作った時――…彼が切ったキャベツは俺の手の平サイズだった



 O型のOは、大雑把のO

 初めてそう言われた時、成程と納得してしまった程だ
 その先輩が、ミリ単位のサイズにトーンを切り分けている
 しかも、それを目がチカチカするほど細かく描かれた集中線に沿って貼っているのだ

 原稿描いている時にだけ、別の何かが降りてきているのでは…とさえ思えてくる


 ―――…不思議な人だ…鎌井先輩……

 話せば話すほど、その人間性がわからなくなる
 そしてその人間性を知れば知るほど、首を傾げずには要られない



 角砂糖をそのまま食べたりするくせに、コーヒーにはミルクしか入れなかったり

 カラオケではアニメやゲーム、声優の歌しか歌わないくせに、
 何故か彼の部屋にはクラシックのCDが山積みになっていたり

 運動不足で用事がない限り外出は殆どしないような出不精なくせに、
 実はサバイバル知識が豊富で『無人島で生き延びる手段』なんかについて語りだしたり

 学食で『今日のカレーは甘いな』と文句を言ったら『俺、ガラムマサラ持ってるよ』と返ってくる
 すれ違いざま、ポケットの中からブロッコリー(生)を取り出して『はい、プレゼント』なんて事もあった


 …あの時のブロッコリーは本気で困った
 俺は丁度、講義に向かう途中で鞄類は一切持ってなかったのだ


 ロッカーまで引き返す時間は無かったから、
 筆記用具と一緒にブロッコリーを握って教室に向かった
 そして仕方なく机の上にブロッコリーを置いたまま講義を受けた

 白い机の上にブロッコリー…これが想像以上の圧倒的な存在感
 あの時の教室中から浴びせられた視線の痛みは恐らく、一生忘れない


 …ちなみにブロッコリーは持ち帰って、茹でて食べた
 しかし、何故あの時先輩がズボンからブロッコリーを生やしながら校内を歩いていたのか…未だに謎だ

 そして鞄にガラムマサラを忍ばせて登校する件に関しても同上の事が言える
 一度、先輩の持ち物検査&身体検査をさせて欲しいものだ

 太古のミイラとか持ち歩いていても先輩なら納得できそうな気がする




 こんな先輩だが、俺は決して彼の事が嫌いではない
 むしろ、かなり好き――…な部類に入る

 一見何処にでもいそうな、地味で目立たないタイプ
 華奢で小柄、更には童顔という見るからに頼りなさそうな先輩

 特に成績が良いわけでもなければ美形という面持ちでもない
 全てに置いて中途半場であり平均的――…もしくは、それ以下という評価



 最初、彼が部長だといわれても信じられなかった
 しかし彼と付き合う内に、彼が選ばれた理由がハッキリした

 言葉では上手く表現できないが、彼には何とも言えないカリスマ性がある
 無意識に尊敬の念を抱いて惹きつけられる不思議な魅力

 特に後輩からの支持が圧倒的だった
 本気で『いつかカーマイン先輩みたいになれたらいいなぁ』などと言い出す連中がいるのだ




 しかし、この部で一番頼り甲斐があるのは他ならぬ先輩だ
 外見や先入観を見事に裏切られ――…その結果、反動で尊敬や憧れの念を抱くようになるのだろう

 彼自身、基本的に面倒見の良い性格なのだ
 困っている相手を見ると放っておけないらしい

 しかし助けてはくれるが、決して甘やかすわけではない
 必要なときにだけフォローをしたり、アドバイスをして助けてくれる

 痒い所を的確に掻いてくれる頼りになる存在だ
 俺も何度も助けられた――…というか、毎日助けられているといっても過言ではない


 彼の信者が存在するという理由も理解できる
 ――…当の本人は、全く気付いてないけれど――…

 彼自身は『自分は根暗だから人に好かれない』と思い込んでいる
 二言目には『俺ってオタクだから』、『俺なんかといて楽しいか?』と言ってくる

 部員たちからこれほど尊敬の眼差しを浴びておきながら、どうして気付かないのだろう――…




「…本当に…不思議な人だな…」

「んあ〜…何?」

「―――…いえ、先輩の事がもう少し知りたいと思って…」

 とにかく謎が多いのだ
 ある意味ミステリアスと言ってもいいだろう


「ははは…俺の事?
 物好きな奴だな…でも、もう充分知ってるだろ?」

「些細な小ネタで良いんですから
 俺、先輩の話を聞いていたいんです」

 彼と一緒にいる理由は、頼り甲斐があるからだけではない
 一緒にいると時が経つのを忘れるほど―――…楽しいのだ



「…俺、先輩の話し聞くの好きです
 自分が話すのは苦手ですけど…」

「そうかぁ?
 んー…でもなぁ、俺の話って何話せば良い?
 ゲームやコミックの話なら得意なんだけど俺自身の事はなぁ…」

「すみません、俺…ゲームもパソコンもやらなくて…」


「自分でやらないわりには知識豊富だよな
 しかも、それが結構マニアックなネタだったり…」

「先輩から得た知識が98パーセントを占めてますけどね
 話を聞いている内に自然と覚えてるみたいで…
 最近では無意識にゲームのセリフを引用して表現していたりします」

「でも実際にプレイはしてないから、意味わからないで使ってたりしないか?」


 …そうなんだよな…

 たまに『いや、使い方違うから』とか突っ込まれたりするし
 今度機会があればゲームくらいやってみても良いかも知れない



「…きっと、良くわかっていないからこそ使えているネタもあると思います
 体育で走っている時に『Bボタンダッシュ』とか脳内で呟いたりしていますし

 でも俺自身は『Bボタンダッシュ』が具体的にどういうものかわかってないんですよ
 何となくイメージでは『ピンポンダッシュ』みたいなものかと思っているんですけど…」

「…小学生のイタズラじゃないんだから…」


「あと、近所の猫と遊ぶ時に『ぱふぱふ』とか言いながら肉球押してます」

「…………いや、それはどうかと…」


「嫌な先生見つけると心の中で『バシルーラ』って呟いたり
 ちなみに黄色い鳥は全部『チョコボ』っていう名前で呼んでます

 注意事項は『ニワトリを何度も虐めると反撃されるから危険』でしたよね
 良く使う偽名は『シュトルテハイムラインバッハ』
 乙女が唱える恋のおまじないは『ラブラブフラッシュ』…」


「…ちょっとマニアックなのが混ざってるな…
 でも教えたの全部俺なんだな――…タケ、悪かった」

「…悪くないですよ?
 俺、かなり楽しんでますし…雑学も増えましたから」

「…これは雑学…って呼べるモノなのか…?」



「実戦編も教わりましたよ
 アンデットや獣には炎攻撃が有効で、
 植物系の敵は毒を持っている事が多い
 ゼリー状の敵には物理的手段が効き難いから、
 敵の色から苦手属性を判別をして魔法攻撃で倒す――…」

「…いや、実戦編って…おい…」

「あははは
 ゲームしていないわりには良く覚えているでしょう?」


「そ、そうだな…ある意味、数式より覚え難いだろうに…
 じゃあ勉強熱心な後輩に俺から上級編のアドバイスしてやろう
 空を飛んでいる敵相手には風属性の魔法が効き易いぞ
 魔法を持っていない時は飛び道具で攻撃するのがオススメなんだ」

「へぇ…勉強になります」

「ははは
 またひとつレベルが上がった、と」

 ふざけて笑い合う
 今日も楽しい一日だ




 先輩が好きだ
 先輩と過ごす他愛の無い時間が好きだ

 不思議な魅力に惹かれて行く
 知れば知るほど惹き込まれて行く


 先輩…俺は貴方に憧れています―――…



「…タケ、そんなに熱っぽく見つめられたら照れる」

「あ…すみません
 別に変な意味は無かったんですけど」

「あったら困るっての
 お前のファンに闇討ちされるよ」


 その心配は無い
 俺は確かに先輩の事が好きだけど――…恋愛感情では無いから

 それは先輩が男だから…という理由じゃない

 別に恋人は男でも女でも良い
 大切なのは互いに愛し合える事だけ


 ただ、先輩は恋人としてではなく『先輩』として俺の傍にいて欲しい

 先輩に抱くのは憧れと尊敬の念だけ
 これは下心なんか無い純粋な気持ちだ


 でも―――…たまに思う




「…先輩の恋人になると、もっと色々教えて貰えそうで良いですね」

「役に立たないオタク情報ばっかりだけどな」

 豪快に笑いながら新しいトーンをファイルから取り出す先輩
 話しながら作業をしていても仕上がりは綺麗だ

 そんな所も尊敬に値する


「…先輩、これからも俺に色々と教えて下さい」

「偏った知識で良ければ…な」

 偏っていようが、役に立たなかろうが、どうでも良い
 俺にとって必要なのは先輩と一緒に過ごす時間なのだから



 そう、この時の俺は純粋に先輩との会話を楽しんでいた
 与えられる雑学はあくまでもオマケという扱いで

 まさかこの時に覚えた戦闘知識を実際に活用する日が来るなんて
 俺は勿論、先輩すら想像出来なかっただろう―――…

 しかし、先輩と交わしたこの会話が後の俺の生死を決める事になるのであった






「…先輩、強いですね…」

「ん―――…そうみたいだな」


 買出しから帰って来た後輩は、コンビニの袋いっぱいの食料と飲料を持って来た
 その中の飲み物の大半がカーマイン用の缶チューハイだった

 その大量のアルコールをカーマインはジュースのように飲み干して行く


 缶はあっという間に空になる
 そのスピードは尋常ではない
 ジュンがコーラを飲むスピードより早い

 何より凄いのは、カーマインが全然酔っていないという事実



「俺を酔わして変な事しようと思っても無駄だぞ
 下手に出費がかさんで泣きを見るだけだからな」

「別に変な事はしませんけど…
 先輩の酔った姿を一度見てみたい願望はあります
 先輩って、一体どれだけ飲めば酔っ払うんですか?」

「ん――…どうだろうな?
 いつも酔う前に腹がガポガポになって止めるからなぁ」


「…羨ましいですね…
 俺はワインボトル二本も空ければ酔い潰れますよ
 女性と飲みに行っても、俺の方が先に潰れる事があるくらいです」

「ははは…女の子にお持ち帰りされないように気をつけろよ?
 その歳でパパになっちゃっても、俺は助けてやれないからな」

「そんなヘマはしない――…つもりですけど
 でも本当に羨ましいですね…俺、先輩が無敵に見えてきました」

 …『無敵』というより『不敵』の方が正しいかもしれないが



「そうか?
 まぁ…せめて後輩の前でだけは強く見せたい願望はあるな
 でも俺だって『もうダメだぁ〜』ってなるような弱点はあるぞ?」

「えっ…何ですか?」

「犬とか猫とか
 あのぷにぷに肉球やフサフサのしっぽ、ピコピコ動く耳とか最高
 じーっと見つめてるだけで腰が抜けて『もう好きにして〜』ってなる」

 実際は『俺の好きにさせろ』な勢いで撫で繰り回すのだが



「そ、それって弱点ですか…?」

「立派な弱点だよ
 だって猫耳とかつけた猛者に『いざ、勝負!!』とか挑まれたらさ、
 どうしてもその猫耳の方に視線が行っちゃうから…負けるだろ?」

「どんなシチュエーションですか、それは…」

「まぁ、たとえ話って奴だ
 でもやっぱり俺の理想のタイプはコスプレしてくれる人だな」


「…コスプレ…ですか…」

「ああ、んでもって俺は年上趣味だから
 猫耳つけた年上の美人に毎朝、味噌汁作ってもらいたいな…」

「…猫耳の部分を除いてなら、その意見に賛同できます」


「へぇ…お前も年上好き?」

「嫌いじゃないですね
 猫耳とかは要りませんけど
 俺の好みは長いブロンドかな…」

「金髪かぁ…洋モノ好き?」

「ええ、わりと
 …だからってブロンドなら誰でも良いわけじゃ無いですよ
 俺は運命の出会いを信じたいです」


「あー…意外とロマンチストなんだな
 でも運命的な出会いっていうのも良いよなぁ…
 例えば『朝、目覚めたら目の前に見知らぬ麗人が!!』とか――…」


「…いや…そういうのはちょっと…怖いですよ」

「あっはっは」

 何気無い会話
 しかしこの時には笑い飛ばせた内容が後に笑えなくなる事を…まだ彼らは知らない






「――…カーマイン先輩、原稿の下書きできました」


 後輩の一人が描き立ての原稿を持ってくる
 枚数は十数枚――…小説とコミックを織り交ぜた独特のスタイルで描かれていた

「おっ、『カーマインシリーズ』の最新作だな?
 ふんふん…今回のも良い具合に弾けた内容だなぁ」


 一番の人気連載、カーマインシリーズ

 自分をモデルにした原稿を読むのってどんな気持ちなんだろう
 しかもそれが年齢制限のつくような内容で―――…

 まぁ、自分には関係無い世界だけど
 ジュンはそう思いながら消しゴムかけの作業を続けた


 消しゴムかけくらいしか出来ないけれど、少しでも役に立ちたい
 その一心で与えられた作業をこなす事に集中する

 ―――…が、次の瞬間思わず消しゴムを取り落とした



「今回のカーマインの相手は『赤魔導師・ジューン』か…
 設定は『口下手で自己表現が苦手』
 そして『カーマインよりひとつ年下の茶髪男』、と…」


「ち、ちょっと先輩っ…それって…!!」

 ジュンは立ち上がるとカーマインの手中の原稿を覗き見る
 そこではカーマインそっくりの青年が、ひと回り大きな青年に抱き締められていた


「……先輩…この赤魔導師、妙に俺に似てる気がするんですけど……」

「間違いなくモデルはお前だな
 容姿どころか性格も口調もそっくりだ」

 …………。
 眩暈がしてきた

 先輩の事は好きだ
 その感情に嘘は無い


 でも―――…流石にこれはキツい…っ!!




「……さ、さて…と……」


 見なかった事にしよう

 ジュンは徐に視線を逸らすと、再び机に向き合った
 あの原稿の事は記憶から抹消して、ゴムかけに集中しよう

 精神統一、神経集中、雑念よ去れ――…



「うーん、ここのジューンのセリフは『うふん』より『あはん』の方が良くないか?」


 待て



「ちょっ…俺に何を言わせる気ですか先輩っ!!」

「所詮は同人誌だ、気にするな
 自分とは別人だと思って割り切ってくれ」

「だってそのキャラ、俺そのものじゃないですか!!
 こんな本が世に出たら…もう俺、恥ずかしくて外歩けませんっ!!」


「心配するな、ちょっと腐女子たちからヨコシマな視線を浴びるだけだ」

「それ、凄く嫌ですよ……はぁ…」

 あぁ…最悪だ
 何で、よりによって俺なんだ…

 しかも内容はエロだし
 せめてもの救いは、比較的ソフトなシーンが多い事だろうか――…



「ここのシーンもっと刺激的にしたいな…
 ジューンの汁、気持ち多めに書き足しておこうか」

「ちょっ…何て事言うんですか先輩っ!!
 しかも『汁』って…俺から一体、何が出てるんですか!?」

「まあまあ、タケ、落ち着け
 ――…ああ、これのページも少しヌルいな
 ジューンの乳首を責めるシーン、舐めるだけじゃなくて甘噛みも追加」


 更に何を追加させてるんですか


「別に良いじゃないですかヌルくてもっ!!
 たまにはソフトで爽やかな路線で行ってもいいじゃないですか…!!」

「あーはいはい、わかったわかった
 それと、ここの『もうこんなにして…悪い子だ』のセリフあるだろ?
 この後に『いやらしい子にはお仕置きが必要だな』っていうのを追加してくれ」

 わかってねぇええええ―――…っ!!
 ソフトどころかSM入って来てるぅ―――…っ!!



「あと、『カーマイン…そんな事されたら俺、もう――…あぁ…ん…っ』っていうセリフ
 俺が思うにタケの奴は『ああんv』より『…くっ…!!』って少し堪えた感じの声の方がいい気がする
 そっちの方がしっくり来ると思うんだけど―――…タケ、実際はどういう声で喘いでる?」

 聞くな


「先輩…そんな物凄く答え辛い質問をさらりと投げかけないで下さい」

「ま、小さい事は気にするな
 というわけでちょっと口に出して喘いでみてくれ」

絶対嫌です


「恥ずかしがり屋さんだなぁタケは
 まあ良いや、俺たちの逞しい想像力で忠実に再現してみせるさ」

「何がどう忠実なんですかっ!!」


 だいたい俺が受けキャラとして描かれている事自体が納得できない

 確かに年齢は下だけれど
 でも先輩よりガタイ良いし

 きっと、力だって強い
 体力も運動神経も先輩より上だ

 それなのに――…


 何でこの先輩相手に受けなんだよ俺っ!!



「…先輩、この話…
 カップリング間違ってませんか?」

「あー…今回のカップリングは、あって無きが如しってやつだよ
 カーマイン×ジューンとジューン×カーマインの豪華二本立て
 まあ、俗に言うリバってやつかな―――…お得感があるだろ?」

 そんなお得感、要らない…


「じゃ、このカーマインシリーズの原稿もゴムかけ頼んだぞ」

「え゛」

 目の前に原稿用紙の束が置かれる
 そこには当然ながら二人の男のあられもない姿が―――…


「…先輩…これ、直視するのが辛いんですけど」

「そのうち慣れるから大丈夫だ
 そうだ、そろそろトーンの扱いも教えてやろう
 ここの濡れ場シーンの背景にこのトーンを重ねて…」

「――…って、見せないで下さいぃ―――…っ!!」


 その後、半泣き状態になりながらも俺は原稿に取り掛かった

 できるだけキャラの姿は見ないように心がけて
 あー…でも、ホクロの位置まで正確に書き込まれてる…

 何でこんな所まで厳密なんですか先輩っ…!!
 ああ、そよ風が妙に冷たく感じる…



「…夏なのに…寒い…」

「はっはっは…ここは北海道だからな
 そういえばお前の出身は沖縄だっけ?
 でも、そのわりに顔立ちが――――…」

「元々両親は関東出身です
 親の仕事の都合で転勤が多いんです
 たまたま俺が生まれた時に沖縄に住んでいたってだけで
 大学入学を期に一人暮らしを始めましたけど…両親は未だに日本中あちこち引っ越してますよ」


「なにも北海道を選ばなくても…極端な選択だなぁ」

「どうせなら南から北まで制覇したくて
 それに沖縄にいたせいか、雪国っていう言葉に惹かれるものがあって…」

「で、住んでみてどうよ?」

「引越し二日目に風邪を引きました
 涼しさを通り越して寒いですよ…本気で」

 冬長いし
 それでなくても気温低いのに




「よし、じゃあこの同人誌を仕上げろ
 見も心も厚く煮えたぎって来るぞ?」

「……それ、寒さに拍車かけますよ先輩…」


 まあ…どっちにしろ、
 原稿から逃れられない事は理解できた

「…さっさと終わらせよう…」

「うん、良い心がけだ
 しっかり頑張ってくれたまえ若人よ」


「……先輩、俺で遊んでません?」

「うん、だって後輩で遊べるのは先輩の特権だから」

「…………………。」


 腕力や体力とは別の所で、この人は強い
 特に年下相手に対しては絶大な力を発揮するようだ

 俺、先輩には一生勝てなさそうな気がする…






 その後、何とか原稿は無事に仕上がった
 コミケも充分間に合ったらしい

 先輩は俺に礼を言いながら俺にカーマインシリーズ最新刊をプレゼントしてくれた


 凄く嬉しくないけど


「…自分をモデルに描かれたエロ本貰っても使い道無いぞ…」

 相手は鎌井先輩だし

 しかも俺、受けだし
 厳密に言えばリバだけど

 鎌井先輩相手に受けだって事にプライドを傷つけられた


「いや、それ以前に―――…」


 この本どうしよう

 普通のエロ本とはわけが違う
 ここまで置き場に困る本も珍しい

 しかも一応貰いものだ

 それに先輩たちが頑張って描いている姿も目の当たりにしている
 これは流石に…捨てるに捨てられない


「どこにしまえばいいんだ…」

 本棚に入れておいたら、来客者の目に触れる
 教科書と一緒にしておくと間違って鞄に入れてしまいそうだ

 ベッドの下はホコリだらけになってしまう
 たとえ何であろうと、先輩たちの努力の結晶を汚すわけにはいかない


「無難な所で…クローゼットの中かな…」

 人目につかないし
 第三者が開ける事も少ないだろう

 俺はクローゼットの隙間に薄い同人誌をそっと隠した
 ちなみにこのクローゼットは後に先輩から貰うコスプレ衣装やグッズの置き場所になる



「同人誌って奥が深いな…
 何でも題材になるんだから凄い」

 何よりもその発想力や妄想力が凄い
 ある意味尊敬に値する―――…が、見習う事は無いだろう


「でも、やっぱり先輩って凄いな
 住む世界が普通の人とは違う感じだ
 あの人に会って俺の人生も変わっていくような気がする…」


 武瀬 純
 大学一年目の夏

 平和だ
 毎日毎日が平和そのものだった


 鎌井蘇芳と武瀬純
 人生どころか、住む世界まで本当に変わってしまう事を彼らはまだ知らない


 彼らが剣と魔法の世界へ召喚されるのは、まだまだ先の話である―――…







「…ジュン、ぼーっとして…どうしたのですか?」

「――――…えっ…?
 あ、ああ…ちょっと昔を思い出してた」


 黄金色の瞳が俺を現実に引き戻した
 ここは美術室でもアパートの一室でもない

 カイザルの治めるディサ国の城
 自分がこの世界で生活する為の部屋だ


「…故郷が…恋しいですか?」

「恋しくないと言えば嘘になる
 残してきたものがあまりにも多すぎて…
 両親にも友人にも――…世話になった先輩にも、別れを告げられない」

 大切な優しい人たち
 きっと今頃は心配してくれている事だろう

 せめて一言だけでも伝えたかった

 心配しなくていい
 自分は今、幸せだから―――…と



 両親はきっと捜索願いを出しているだろう
 何の連絡も寄越さずに姿を消した一人息子を心配しない筈が無い

 警察沙汰になっているに違いない
 テレビのニュースや新聞でも報道されているかも知れない

 突然の失踪事件だ
 事件性を疑われても仕方が無い

 マスコミはありもしない犯罪の香りを無理矢理作って騒ぎ立てるだろう


「…あぁ…困った…」

 部活の先輩たちが容疑者に思われたらどうしよう
 もしかすると警察が事情聴取に行っている可能性もある

 ああ、だとすると俺を一番可愛がってくれた鎌井先輩が怪しまれるのは明確だ
 鎌井先輩にだけは迷惑をかけたくないのに――…





「最悪だ…」


 警察は家宅捜索を始めるかも知れない

 プライバシーも何もあったものじゃない
 人に見られたくないものもたくさんあるというのに

 そう、例えば―――…


「…同人誌っ…!!
 あれ見られたら終わってる…!!」

 俺の部屋から自分と仲のいい先輩をモデルにしたエロ本が出てきたら世間はどう思うだろう

 いや、警察や刑事が家宅捜索で探す分にはまだいい
 所詮は赤の他人だし、何を言われようが大した事は無い

 でも―――…

 両親に見られたら痛過ぎる


 というか、きっと既に見られている事だろう
 しかも奥付けには、はっきりと俺と先輩の名前が載っている

 言い訳できない状況


 ああ…母さん、父さんっ!!
 でも、あれは違うんだぁ―――っ…!!



「…俺の人生…終わった…」

「突然、何を不吉な事を言い出すのです
 そんなに酷いホームシックに掛かったのですか?」

「いや、ホームシックじゃない
 確かに寂しい気もするけど、俺は向こうの世界には戻らない」


 というか戻れない


 人生最大の恥を残してきてしまった
 俺も泣きたいが両親はもっと泣きたい心境だろう

 ごめん…母さん、父さん…
 でもこれだけは信じてくれ

 俺、当時は本当にそんな趣味無かったんだ…!!
 しかしどんなに叫ぼうと、違う世界にいる両親には届かない



 もう断ち切ろう
 というか封印してしまおう

 この恥が、いい思い出だと思えるその日まで





 28000番を踏んで下さったK殿へ捧げる一本にござりまする
 リクエストは学生時代のカーマインとジュンだったのじゃが…

 内容的に原作の同人誌の設定を引きずっておりまするな
 まあ、このジュンはゴールドにラブじゃからカーマインに対して下心は抱いておりませぬ
 (原作ではジュン→カーマインというジュンの片思いだった)


 実はこの話、リクエストされておきながらもK殿と一緒にネタを考えました
 メールしながら『こんなネタどうよ?』とか『こんな会話入れて』とか話し合っておったのじゃよ

 ごく一部に拙者とK氏の実体験も含まれておりまする

 さて何処じゃろな?
 ふっふっふ…


 …これ、合作って言うのじゃろうか…?
 とりあえずこの小説はK殿に捧げまする