海岸沿いに、ひたすら歩くと次の目的地に着くらしい
 本当はもう一度山脈を越えて行くというルートもあった

 しかしもうキツネに化かされるのは御免だし、隣が海である方が視野が良い
 ここまで見渡しが良いとモンスターが寄って来てもすぐにわかるから安全なのだ

 ただ、ひとつ難を言えば―――ひたすら歩きにくいのである



 砂漠のような砂浜を、何度も足をとられながら進む
 かと思えば次の瞬間ごつごつの岩場を海草で滑りながら登らされる
 ちょっと一休みと流木に腰を下ろすと頭から高波をかぶったりする事もあった


「…モンスターに食われる事は無いかも知れないけどさ…
 進むスピードは遅くなるし、ストレスも溜まるし…それに夜が寒そうだよ」

「流木が豊富だから火を熾すには困らない
 それに食料も得られ易いから良いかと思ったのだけれど…」

 歯切れの悪いメルキゼは、珍しく息を切らしている
 理由は一目瞭然―――彼の体重では砂に沈むのだ
 そして山育ちの彼は砂浜を歩くのも初めてであった

 慣れない足場に苦戦しながら歩くメルキゼは見ていて気の毒になる
 俺はまだ登山用にも使えるスニーカーを履いて来ていたから良い
 しかしメルキゼは山暮らしのくせに、ずっと革靴を愛用していた

 これはさぞかし歩き難いに違いない…そして滑るだろう


 実際、何度も岩場から足を滑らし、海水に頭から突っ込んでいる


 ずぶ濡れになったメルキゼは色っぽくて綺麗だったけれど――哀れだ
 きっと生乾きの服は着ていて気持ち悪いに違いない…
 靴だってガポガポで泣けてくる履き心地であろう事は安易に想像出来る

 一応、出来るだけ渚から離れて水のかからない足場を探して歩いてはいる
 しかしどうしても険しい所を歩かざるを得ない状況も数多くあるのだった



「…メルキゼ、そろそろ休もうか?
 ここなら広いから水が来ない所も確保出来るんじゃないかな
 流木も立派なやつが沢山あるし、これならテント作れそうだよ」

「―――カーマインは元気だな…」

「うん、海でのサバイバルキャンプはボーイスカウトで経験済みだし…
 それと俺って意外と潮干狩りとか得意だったりするんだよ、これでも
 小学生の頃は良く夏休みになると石狩のドリームビーチで遊んだなぁ」

 元・アウトドア派のオタク、ここに参上
 自慢じゃないが雨水の精製法も知ってるし、太い木三本あれば簡易テントも張れる
 ただ…メルキゼが俺の知識を遥かに上回っていたから使う機会が無かっただけなのだ


「海の野営に関しては君の方が頼りになるようだ
 やはりこういうものは経験が物を言うからな
 それではカーマインに任せよう…手伝える事があれば指示して欲しい」

 いや、経験と言っても数回なんだけど…
 ボーイスカウトだって毎週、海辺キャンプする訳ではない
 まぁ初めて砂浜を歩いたメルキゼよりは確かにマシかも知れないだろうけど…

 それでも流石は野生の男メルキゼデク
 俺が出した簡単な指示でも完璧に意図を飲み込めるらしい
 テキパキとテントを完成させると、いつも通りに火を熾す準備を始める


 普段の生活ペースになってしまえば俺に出来ることは哀しいほどに少ない
 仕方なしに砂浜をぶらついて食べられそうな物を探す

 果たして、こんな所に食材があるのか…
 しかし当の本人の予想に反して、色鮮やかな赤い実が目に飛び込んでくる


「…あ、浜茄子…」

 石狩とかの砂浜とか豊平川の河川敷とかにも植えられている植物だ
 ピンク色の綺麗な花をつけるこの植物は、赤くて小さな実をつける
 多少種が気になるけれど、微かに甘い果実はきっとメルキゼも気に入ってくれるだろう

 俺は赤く熟している実を片っ端から収穫すると、意気揚々とメルキゼの元へ戻っていった


「…カーマインの方も順調みたいだな」

 メルキゼは焚き火の前で寛いでいた
 テレビに出てくるような、串刺しにした魚を焼きながら―――


 …って、ちょっと待て



 釣り道具なんて持ってない筈だ
 それ以前に、俺が浜茄子の実を採ってる数分の間だ
 そんな短時間で、こんな大量の魚を釣り上げられる筈が無い

「お前、どうやって魚獲った!?」

 普段から気になってはいたのだ
 メルキゼはいつも、ふらりと姿を消しては獲物を抱えて戻って来る
 それは手で捕まえるのは困難な動きの素早い動物や絶対に届かないであろう飛んでいる鳥だったりする


 ―――どーやって捕まえてるんだ…?

 実際に彼が狩りをしている現場は見た事がない
 だからこそ物凄く気になるのである
 罠でも仕掛けるのかと思っていたけれど―――数分の間に仕掛けて捕まえるのは不可能だ
 ましてや海の中なら尚更ありえないであろう



「…長年の野生生活で培った特技―――とでも思っていてくれ」

 メルキゼは適当に茶を濁す
 嘘が得意でないのは本人もわかっているだろう
 それでも答えたくないらしい…となると、絶対に知られたくない何かがあるのだろうか…



尻から糸を出すとか…?」



「勝手に人を蜘蛛男にしないでくれ」



 ごもっともです、はい
 …でも、気になる…

「その髪が触手みたいに動いて―――」


「…頼むからこれ以上、私を変な生物に仕立て上げないでくれ」


 まぁ確かに今でも充分、変な生物だもんなぁ…



 しかし最近ではあまり違和感を感じなくなってきたのが恐ろしい

 それどころか、最近では彼の猫耳に可愛さを感じるようになってきた
 ドレスも三つ編みもリボンも、何となく似合っているように感じ始めている

 …慣れって…恐ろしい




「そう言えば、片手間に作ってみたのだけれど―――使ってくれ」

 魚を齧る俺に、メルキゼは小さな器を差し出した
 器の上には白い粉末状のものが盛られている

「海水を煮詰めて作った塩なのだけれど…」

 いつの間に作ったんだ、お前…
 どう考えても数分の間に魚とって串に刺して塩を作るなんて芸当出来ないぞ

「それから、そのついでに作った蒸留水」

 ……だから、いつの間に……
 ここまで来ると手際の良さとかいう問題じゃないよな―――むしろ、芸!?


 まぁ、ファンタジー世界だから…

 最近では、すっかり言い訳のように口にしてしまう一言
 しかしそうとしか言い様の無い事態が立て続けに起こっているのだから仕方が無い
 それにこの珍事を一言で片付けることが出来るのだから安いものだ

 それでもかなり免疫力ついたつもりだけど…




「―――カーマイン、海が妙な気がするのだけれど…
 普通、このように海面の形が変わるものなのだろうか」

 メルキゼは海の一部を指差した
 海を初めて見る彼には、波の形ひとつとっても新鮮なのだろうか

「波って風ひとつで変わるから―――って、あれ…?」


 メルキゼの言う通り、確かに海の形が変わっていた
 特に波が出ているわけでもないのに、一部だけ明らかに形状が変なのだ

 見るからに不自然に、海の一部が盛り上がっている
 そしてそれは意思を持つかのように蠢いていた

「海の水とは実に不思議な動きをする…」

「違う、普段はこんなんじゃない!!
 もっと全体的に波打つんだよ―――これは明らかに変!!
 もしかしてこれって…モンスターの一種なんじゃないか!?」



 こういう形態のモンスターがいるのかどうかはわからない
 しかし、とりあえず見慣れないものはモンスターということにしておこう

 この世界では警戒するに越したことは無いのだ

 モンスターという言葉にメルキゼも敏感に反応する
 静かに立ち上がると、奇妙な動きを繰り返す海辺に近付いていった

「お、おい…迂闊に近寄ると危ないって
 海に引きずり込まれたらもう打つ手ないし…!!」

「しかし敵だとすると君の身に危険が及ぶ可能性もある
 安全性だけでも確かめなければ、落ち着いて休むことも出来ない」

 そう言ってメルキゼが一歩海の中に踏み入れた時だった



 突然不穏な動きをしていた海中から人影が飛び出す
 その影は間髪置かずメルキゼに向かって無数の何かを投げ付けた

「―――…っ!!」

 咄嗟に後ろに跳んで避けるメルキゼ
 しかし慣れない足場にバランスを崩し、そのまま倒れ込んでしまう


「大丈夫か、メルキゼ!!」

 メルキゼに駆け寄るが、当の本人は転んだだけで掠り傷ひとつ負っていない
 安心した俺は、投げ付けられた物を確認するため周囲を見渡した

 そして、視界の隅に鈍く光るものを見つけて―――背筋が凍りつく錯覚に襲われる



「…も、もしかして…今投げられたのって……あれ?」

 砂浜に深々と突き刺さっているそれは―――鋭利な刃物だった
 包丁の刃よりも大きなそれはまさに剣≠ニいうのが相応しい

 所々赤錆が浮いてはいるが、こんな物が刺さったら致命傷だろう

「なっ、何て危ない…っ!!
 当たったらシャレにならないって!!」

「敵も殺すつもりで投げているから仕方が無い
 モンスターとは常に殺すか殺されるかのどちらかだから」



 当然の事の様に、さらりと言ってのけるメルキゼ
 間一髪で避けたから良いものの、一歩間違えば命を落としていても不思議じゃない
 それなのに、彼のこの落ち着き様は一体どうした事なのだろう

「お前、もっと怯えろよ!!
 下手したら死んでたかも知れないのに…!!」

「戦闘では先に恐怖心を抱いた者が命を落とす
 一瞬の躊躇いや隙が命取りになる過酷な世界だ
 悠長に怯える暇など無い―――次の攻撃に備えなければ確実に殺られる」


 メルキゼは言い捨てると、海上を睨み付ける
 そこには不気味な姿のモンスターが、真っ赤な口を反らせて笑っていた

 ぬるぬると光るその姿は人間と魚が混ざったような異形のモンスター
 見るからに話し合いの出来る相手ではなかった











「…くっ…」


 メルキゼが微かに間合いを詰め始める
 しかし以前のように素早く敵の懐に飛び込む事は出来なかった

 その理由のひとつは敵が海中にいることだ
 水深もわからない場所に飛び込むのは自殺行為
 流石のメルキゼも泳ぎながら攻撃を繰り出すことは出来ない

 そしてもうひとつの理由―――それは、敵の手にはまだ数本の剣が握られている事だった
 いつ剣が飛んで来るかわからない状況では、迂闊に近付くことも出来ない



 …ど、どうしよう…

 この状況で、本気で何の役にも立たない自分が悲しい
 足手纏い承知の上で攻撃でもしてみようかとも思うけれど―――武器が無い

 メルキゼのように一撃で敵の骨を砕けるような強靭な肉体など持ち合わせていない
 どうしても何か武器に頼らざるを得ないがナイフすら持っていない状況では御手上げだ
 どっちにしろ、包丁すらまともに持ったことが無い身の上なのだが…


 ざっと周囲を見渡して、武器になりそうなものはふたつ

 その辺に転がっている流木と、敵が投げ付けた刃物だ
 しかし俺が立っている場所から刃物までの距離はかなりある

 更にそれはモンスターとメルキゼの丁度中央あたりに突き刺さっている
 俺のスピードでは、あそこまで走っていく間に確実に殺されているだろう

 …だとすると、やっぱり流木を使って戦うしかない
 太過ぎる物は扱いにくいし、細い物は強度に不安が残る



 ―――って、別に剣みたいに振り回す必要も無いんじゃないか…?

 相手も剣を投げ付けて攻撃してきているのだ
 こっちだって、流木を投げ付けて攻撃したって構わない筈だ

 俺は、そっと爪先を動かして手頃な大きさの流木を近くに寄せる
 タイミングを見計らって投げ付ければ良い

 運動神経の無い自分にコントロール力を期待してはいけない
 しかし、そもそもこんな木の破片で倒せるなどとは微塵も思ってはいない

 俺が狙っているのは、ただひとつ
 モンスターの注意をメルキゼから一瞬だけでも引き離す事だ



 そう―――まさにメルキゼが言っていた『一瞬の隙が命取りになる』という言葉を実践するのだ
 モンスターに隙を作らせることが出来れば、後はきっとメルキゼが何とかしてくれるだろう

 結局はメルキゼ任せという所が切ないけれど…
 それでも文句なんか言っていられない


 チャンスは一度だけだ
 もう一度、屈んで流木を拾う隙は与えては貰えないだろう
 下手をすればモンスターの剣が俺目掛けて飛んで来る可能性もある

 それでも何かせずにはいられない
 元々深く物事を考えない根っからの大雑把人間だ

 失敗したら、失敗した時に対策を考えれば良い
 とにかく今は行動あるのみだ



「見事命中したら、めっけもの!!
 とりあえず食らってみろや、半魚人―――っ!!」

 わざと注意を引き付ける為に大声で叫ぶ
 そしてモンスターがこっちを向く瞬間に流木の欠片を投げ付けた

 まさか隅で怯えていた俺が物を投げ付けてくるとは思わなかったらしい
 驚愕の表情を一瞬浮かべたモンスター
 しかし素早い反射神経で手にしていた剣の一本を流木に投げ付け相殺させる

 勢いを相殺した剣は小さな音を立てて海中へと沈んでいった



 その隙を見逃すようなメルキゼではない

 モンスターの視線が離れた瞬間、彼は一気に助走をつける
 そして特撮ヒーロー顔負けの見事な跳び蹴りを放ったのだった

 一瞬だったが、確かにモンスターの身体が構造上あり得ない方向へ折れ曲がったのが見えた
 腰骨か背骨がわからないけれど、確かに真っ二つに折れていた

 断末魔さえ上げる暇も無く、沈んでゆくモンスター
 周囲の海水が赤黒く染まる

 どうやら一撃で確実に仕留めるのがメルキゼの特技らしい
 それっきりモンスターが浮かんで来る様子の無い海は、元の流れを取り戻す



 ―――が



「お前…泳げないくせに海に向かって蹴りなんか入れるなよ…!!」


 海中で溺れているメルキゼの姿に、俺は激しい脱力感に襲われた
 勇敢に戦っていたあの時の面影は微塵も無い

 …このギャップが彼の魅力でもあるのだろうか…

 何となくそんな事を考えつつ救出に向かう俺
 その間に沈まれても困るので、太めの流木を浮き輪代わりに投げてやる

 ある意味器用に、ぱちゃぱちゃと流木につかまってバタ足をするメルキゼ

 何か―――物凄く格好悪い…

 戦っている姿は普段の二割り増しに見えるけれど、泳いでる姿は五割り減!!
 本人は必死になって泳いでいるのだろうけど、傍から見れば笑いを誘っているとしか思えない

 元々が美形なだけに、不細工さが際立って見えてしまうのが哀しい…
 それでも彼は無様としか言いようの無い泳ぎ方で何とか岸に辿り着いたのだった









 どうやら、最後の最後で格好がつかないのは彼の宿命のようである…



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