宿に戻ると、老婆が洗濯物を干していた

 俺は軽く挨拶をしてから部屋へと向かう
 老婆の寒いジョークを聞く前に

 部屋の前で俺は立ち止まった

 部屋のドアが少しだけ開いている
 メルキゼが風通しを良くする為に開けたのだろう

 隙間から涼しい風がそよそよと流れてきた
 気温は相変わらず高かったが、風があるせいで随分と快適だ

 メルキゼはもう風呂から上がったのだろうか
 俺はドアの隙間からそっと、室内を覗いてみる



「―――――――っ!!?」


 俺はそのまま凍りついた
 雷に打たれたような衝撃が身体を駆け巡る

 驚きの衝撃が過ぎた後、気まずさが苦々しく残る
 見てはいけないものを見てしまったような気分だった

 そっとその場を離れて、何も見なかった事にした方が良いのかも知れない
 しかし聴力が良いメルキゼには微かな物音も聞こえてしまう…と思うと身体を動かせなかった


 別に、メルキゼが鶴の姿で機織りをしていたわけではない
 墓場から掘り起こしてきた骨を美味そうに齧っていた訳でも決して無い

 そういったホラーとはまた別物の驚きがその室内で起きていたのだ

 メルキゼは想像通り部屋にいた
 ベッドに寝そべって瞳を閉じている
 夜風に身を浸して涼んでいるのだ

 そこまでは良い
 問題なのは――――服!!



 …メルキゼの奴…普段恥かしがり屋の癖に、何でこういう時に限って脱いでるんだよ…!!


 いや、理由はわかる―――暑いからだろう
 わかるんだけど…どうしよう、困った…

 彼の性格からして、もし俺に見られたと知ったらパニックを起こすのは確実だ
 しかし物音を立てずにこの場を去るのは俺の技術では絶対に不可能

 あああぁ…どうしよう…どうしよう…っ!!

 ぽたぽたと流れ落ちるのは井戸水か、それとも俺の冷や汗か…
 どちらにしろ、この状態で見つかるのは非常にまずい

 下手したら覗きと間違われる―――いや、確かに覗いている事に間違いは無いんだけど…
 問題は意図的にメルキゼの事を見つめていたと思われる事だ
 潔癖症の彼は俺のことをどんな目で見ることだろう…あぁ…

 こんな姿形の奴に変体扱いされる事だけはプライドが許さない
 いやそれよりも…今後の旅路に気まずいものが残ってしまっては大変だ!!


 ―――と、焦りつつも一方で冷静にメルキゼを観察している俺

 あー…これじゃあ、もう言い訳できない
 でも物珍しさ(怖いもの見たさ?)には勝てない……
 折角だからこの際、普段は絶対に見ることが出来ないものを見ておくことにする

 念の為に言っておくが、別にメルキゼは全裸というわけじゃない…安心してくれ
 彼はちゃんと、黒いシャツで身を覆っていたのだ

 ―――ふーん…メルキゼって、こんな下着つけてたんだ…

 思わずオヤジモードに入ってしまう俺…
 何となく気になっていたのだ、普段からドレスを着ている彼がどんな下着をつけているのか…
 もし物凄く可愛いベビードールとか着てたらどうしよう…と怯えた日もあったが杞憂に終わったらしい

 シンプルなノースリーブのシャツは彼に良く似合っている
 下着が似合うというのも妙な話だけれど、ドレスよりずっと見られる姿だ

 黒いシャツからは白い手足が伸びている
 無造作に重ねられた手と、剥き出しの太ももが新鮮過ぎる














 太くて逞しい二の腕は俺がぶら下がっても折れそうに無い
 腕相撲大会に出場したら優勝できそう……あぁでも彼の場合、他人の手を握れないから駄目か…

 それよりも、この腕に碇のマークを描き込んでみたい…!!
 突然、意味の無い衝動に駆られ悶える俺
 人は混乱すると、どうでもいい事を思いつくらしい



「……♪」

 ドア一枚隔てた所で旅の相棒が、そんな事を思っているとは露も知らないメルキゼ
 風に吹かれながら、優雅にメロディを口ずさんでいたりする


 ―――メルキゼって…歌なんか歌う奴だったんだな…
 でも恥かしがり屋の彼の事だ、俺の前では絶対に歌ったりしないだろう

 だとしたら彼の歌を聴くのはこれが最初で最後かも知れない
 ならこの際しっかりと耳に焼き付けておこう

 俺は聞き耳を立てて、メルキゼの歌に神経を集中させた―――



「…あぁ麗しの愛しき我が君よ
 君への想いは日増しに募るばかり――…♪」


 ガラにも無くラブソングらしい
 しかし物悲しいメロディは何処と無くメルキゼのイメージに似合った

 曲の感じからするとオペラだろうか
 聞く者を切なくさせるような情緒豊かな旋律

 彼の掠れたハスキーボイスが更に哀愁を誘い、胸に響く


「…許されない恋 伝えられぬ想い
 言葉で伝えられぬ この気持ち
 旋律よ愛しき君に流れておくれ
 我が想いを乗せて 彼の元へ―――…♪」


 身分違いの恋を歌ったものだろうか

 月明かりに照らされて歌う彼の横顔が歌の主人公の姿と重なる
 静かに歌う蒼いシルエットが彼の切なさと悲しさを表しているように見えた

 ―――…綺麗だ……

 まるで自分がオペラのステージの前にいるみたいだ

 俺の前で歌うメルキゼは悲劇の恋に落ちた主人公
 彼はスポットライトの下で甘く切ない歌声を響かせる

 俺は彼の歌に聞き惚れていた
 元来想像力豊かな俺の頭の中には悲劇のふたりの姿が浮かんでいる
 身分と権力に引き裂かれ涙する若い恋人同士の姿が、はっきりと

 彼の歌と、自分の空想の世界に引き込まれてゆく――――…



「届いておくれ この想い
 伝えておくれ この愛を―――はぁいゃッ!! えんや〜こら〜っと!! よっさほいほいッ♪」







 「伝わるかぁ― ―!!」






 んなメロディで伝わる想いなんて、いらねぇ!!

 何でいきなり合の手入って音頭調になるんじゃ!!
 ラブソングを…恋愛を舐めんなぁ―――!!



 俺は思わず、ドアごとメルキゼを張り倒していた






「う゛わ゛ぁ゛!?」





 突然の突っ込みに飛び上がるメルキゼ
 何だか彼らしからぬ鈍い叫びが聞こえた



「…あ゛…」


 しまった…あまりにも酷い歌に、思わず突っ込みを入れてしまった…
 せっかく隠れていたのに…台無しである

 しかしこうなってしまったからには仕方が無い
 開き直って―――誤魔化そう!!


「あ、あのな、メルキゼ…」

 俺は真っ赤になって震えている彼に近付く
 物凄いスピードでシーツに包まったメルキゼは新種の生物のようだ

 サナギ状の生物はプルプル震えている
 ここからエイリアンが生まれてきそうでちょっと不気味だ

 ―――実際にここから這い出してくるのは猫耳男なのだが…


「……暑くない?」

「――――暑い…」

 やっぱり、そうだろうね…
 いくら風が吹いてるからとはいえ、シーツに包まれば暑い

「出て来れば?」

「…こんな姿では出る事が出来ない…」

「いや、もう充分見たから今更だって
 歌だって聞かせてもらったし―――…」

「あああっ!!
 恥かしい…もうお嫁に行けないっ!!」

 お前はそんな心配しなくても良い
 最初っから貰い手なんかいないから!!


「―――じゃなくて、お前まさか嫁に行くつもりだったのか!?」

「いや、一度は口にしてみたかった言葉だったから…」


 ちょっと言ってみただけかよ!!
 人騒がせな―――心臓に悪いっての…


「…カーマイン、すまないが一分間だけ部屋から出て貰えないだろうか」

 当然ながら、その間に着替えるつもりだろう
 しかし素直に出て行ったのでは面白くない

 ここはちょっとだけ、虐めて鍛えてやることにする


「いいけど、お前のドレスとコートは洗濯に出すからな」

「え゛」

 固まるサナギ状生物

 ふっふっふ…困ってる困ってる…
 困って寝た耳が可愛いぞ

「…カーマイン、私は何を着れば…」

「お婆ちゃんが持って来てくれたパジャマ着れば良いだろ
 サイズも特大サイズだし…良かったな、俺とペアルックで」

「…パジャマ…って、もしかしてこの何色とも言えない色彩の服の事なのか!?」

「いかにもババ臭いセンスだねぇ…でも派手な服には慣れてるだろ?
 良いじゃないか、お揃いのパジャマ着て寝るなんて新婚夫婦みたいだし」

「何もこのような寂れた村の、しかも部屋も無いような宿の一室で男ふたりが…?
 更に灼熱の蒸し風呂のような状況で夫婦気分を満喫しなくても良いと思うのだけれど…?」


 ごもっともです、はい


「じゃあ制服だとでも思って着ようね
 ―――というわけで、洗濯に出してくるよ」


「え゛」


 再び硬直するメルキゼを尻目に、俺は彼の服を持って部屋を後にした
 ついでだから俺の服も洗ってもらおう…生乾きだと臭うし

 俺は足取りも軽く老婆に洗濯依頼をしに歩いて行った











 その後、あまりにも似合わない互いのパジャマ姿を笑い合いながら、それなりに楽しい夜を過ごしたのだった



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