食料を、これでもかと言う程買い込むと俺たちは一旦部屋へ戻った
 流石に大量の荷物を抱えたまま情報収集する気にはなれなかったのだ

 宿に戻ると、老婆が二人分の寝間着とランタンを準備していてくれた
 夕食は欲しい時に言えば出してくれるらしい


「すみませんねぇ、本当に部屋もろくにない宿で…
 お詫びと言っては何ですけれど、お食事だけは沢山作りますんで
 それと、お風呂は24時間沸かしてありますんでお好きな時にどうぞ」

「ありがとうございます」

「それとね、おトイレもお好きな時にお好きなだけ使って下さって結構ですんで」




 それが普通だろ




 俺とメルキゼは心の中で鋭く突っ込んだ

 老婆なりのジョークだったらしい
 自分で言って自分で笑う姿は、俺たちの心の隙間に生暖かい風を吹かせた

 そして俺たちそれ以上の事を聞かずに、そそくさとその場を後にしたのだった







「へぇ…ここが酒場かぁ…」

 真っ先に目に入るのが、モンペ姿のウェイトレスが欠伸をしているところ
 その奥では、いかにも農夫といった感じの中年男性が数人、酒を酌み交わしている

 ―――客はそれだけだった

「…情報収集するまでもなさそうなんだけど…」

「私も同意見」

 一日を野良仕事に費やしている者に異世界の話をしても通じるわけがない
 その手の話に詳しそうな人物の姿はここでは見られなかった

 ―――農作物の作り方なら教えてもらえそうだったが…


「…出よっか…?」

 俺の問いに、メルキゼは静かに頷いた





 空は茜に染まり始める
 綺麗な夕日だった

 しかしそんな夕暮れを堪能する余裕すら俺達には無い



「あ、あぢ―――っ!!」

 秋だと言うのに、猛暑に襲われたのだ
 しかもただ熱いというのではなく、不快な蒸し暑さなのだから救い様が無い

 メルキゼは茹だるような暑さの中、ぐったりと座り込んでいた
 ちなみに俺は座る力すら無く、床に倒れ込んでいたりする

 全身から汗が滝のように流れ落ちて服を濡らしていた

 ふたり分の汗を集めれば、金魚くらい飼えそうな勢いだ
 ―――金魚に悪いので実際にはやらないけれど…


 老婆の話によると、この地方だけ特殊な気流のせいで初秋に気温が上昇するらしい
 その時の平均気温は42℃―――既に風呂の温度だった


「…暑い…自分の血液で煮えそう…
 俺は暑さと高い所は苦手なんだよ…」

 クーラーどころか扇風機すら無い
 当然ながら、氷も存在しないのだ
 熱い体を冷やす術も無く、床で伸びる俺

「それにしても汗で気持ちが悪い
 風呂に入ってこようかと思うのだが…」

「お前、こんなに暑いのによく風呂なんか入る気になれるな…
 俺は遠慮しておくよ…身体は気持ち悪いけど、この状態で入ったら確実に倒れる」

 全裸で倒れて運び込まれるという失態は避けたい


「それなら井戸で水をかけてきたらどうだろう
 この気温では水も温いだろうが、湯よりは冷たい筈…」

「あっ…そっか、水なら身体も冷やせるね
 お前って本当に頭良いなぁ…じゃあ早速行って水かけてくるよ
 身体が冷えるまで水浴びしてくるから、ちょっと遅くなると思うけど心配しないで」


 そうとなれば、一刻も早く身体を冷やしたい
 俺は井戸を目指して駆け出した





 地上深く掘られた井戸
 陽光も届かない深い地底の水は―――想像以上に物凄く冷たかった


「ぎえ―――っ!!
 冷たい―――っ!!」


 井戸の周りで飛び跳ねる俺

 傍から見れば、馬鹿丸出し
 ちょっと哀しいけれど、とりあえず身体は良く冷える

「ははは…地上が暑いから油断したよ…
 まさか井戸水が雪解け水並の冷たさを持ってるとは…」

 何時間でも水を浴びるつもりだったけれど、おかげで30分足らずで身体も冷えた
 どの位冷えたかと言うと、周囲の気温が心地よい暖かさに感じるくらいに冷えたのだ
 身体が冷えたと言うより、凍えていると言った方が正しいような気がしなくも無い

 迷彩柄のマントは大量の水を含んで見事な重石と化していた
 この重さは洗濯したての、たっぷりと水分を含んだ毛布を想像して頂ければ良いだろう
 そして更にマントの下はデニム素材のジャケットとズボンである

 重いし硬いし―――最悪であった


「あー…しかも俺、タオル持って来てないし…」

 マントを絞れば即席タオルになるかもしれない
 しかしそんな体力は無かった

 俺は濡れ鼠―――というより、ずぶ濡れのネズミ男のような姿で帰ることを余儀なくされたのである



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