「…早く戻って来いって言ったのに…何でまだ帰って来ないんだよ…」


 あれから何時間経ったのだろうか
 既に空は黄昏に染まり、あと少しで夜が訪れる時刻だ

 完全に暗くなってしまったらこの山の中である、メルキゼを見つけるのは難しいだろう
 焚き火でも作れば目印になるかも知れないがこの世界での火の熾し方をカーマインは知らない
 夜になれば夜行性の獣やモンスターも活発に活動を始める
 ここでじっと息を潜めて待っていた方が良いのか、それとも彼を探しに行くべきなのか…

 メルキゼは何かあったら大声で知らせろと言っていた
 しかし今ここで叫んで―――メルキゼ以外の生物が来てしまったら大変だ
 こんなに経っても戻って来ないということは、ここからかなり離れた所に行ってしまったのだろう


「…それとも、メルキゼの身に何かあったのか…?」

 単に道に迷ってしまったのかも知れない
 しかし崖から足を滑らせて谷底へ落ちてしまったという可能性もある
 …最悪の場合、モンスターに遭遇して――――……

「だめだ、じっとしてたら考えがどんどん悪い方向に行くよ
 仕方が無いなぁ…ちょっとだけ歩いて探しに行ってみるか」

 俺は立ち上がるとメルキゼが姿を消した方へゆっくりと進んでいった






 予想に反してメルキゼはすぐに見つかった
 藍色の木の下で蹲る様にして座っているその姿を見た瞬間、ふっと肩の力が抜けた
 それと同時に、ふつふつと怒りの感情も湧き上がってくる


「―――おい、メルキゼ!!
 こんな所で何やってんだよ…心配しただろ!?」

 怒りも露に怒鳴りつける
 しかし次の瞬間、それは深い後悔の念に変わった
 メルキゼの様子は見るからに尋常ではない
 両手で身体を支えるようにして蹲るその姿は悶え苦しんでいるようにも見える

「ちょっ…お前、具合悪いのか!?」

 その身体に触れると、微かな振動が伝わってくる
 荒い吐息に震える身体―――咄嗟に脳裏を横切ったのは発作≠ニいう言葉

「メルキゼ、まさか発作なのか!?
 確か荷物の木の実が薬だって言ってたよな
 よし…そこで待ってて、すぐに持って来るから!!」

 駆け出そうと踵を返す
 しかし歩を進める前に彼の指が俺のマントを掴んだ


「…薬はいらないから、傍にいてくれ…」

 メルキゼはマントを軽く引っ張ると俺に座るように促す
 具合が悪いせいで気弱になっているのだろうか

「薬飲まなくて大丈夫なの?」

「発作では無い―――ただ、寒くて…」

 寒い…というと熱があるのだろうか
 元々体温は高めだったが…風邪でもひいてしまったのか…

「どっ、どうしよう…俺、どうすれば良い?
 風邪薬なんて持ってないし…火も熾せないから暖かい物も飲ませれないし…」

 こんな事なら全部を彼任せにしなければ良かった
 せめて火の熾し方くらい教えてもらっていれば少しはマシだっただろうに

 震える背中に手を伸ばすと、メルキゼに腕ごと掴まれた
 そして俺の手に頬をすり寄せながら甘えるように言ったのだ


「暖めてくれ、その身体で」



 ………え゛?

 今、何つった!?
 俺の聞き間違えか?


「―――ちょっと待て、お前そんな事言うキャラだった?」

「たまになら良いだろう?
 今夜は甘えたい気分なんだ」

 そう言うとメルキゼは俺の手を口元に寄せて―――その指先を口に含んだのだった
 そしてそのまま舌先を這わせる

「わ゛」

 お前、いつの間にそんなテクニックを習得した!?
 何も知らない純情培養男じゃなかったのか!?
 いやそれよりも、手さえ握れないような奴が人の指食うなよ!!

「こっ、こら、メル…」

 静止を促すように手を引っ込めようとする
 すると咥えられていた指を軽く噛まれた
 別に痛くはなかったけれど、メルキゼに噛まれたという事実がショックだった

 そんな俺をメルキゼは上目遣いで見上げると―――微かに笑って見せた
 普段がストイックな雰囲気なせいか、このギャップに眩暈すら覚える
 しかし流石、元々が美形なだけに何をしても様になる

 薄く色付いた唇から覗く赤い舌先が艶かしい
 微かに垣間見える甘えるような動作がまるで悪戯好きの仔猫のようだ


 ―――って、観察してる場合じゃない!!

 変だ
 明らかにメルキゼの様子が変だ

 …というより別人だ
 まるで何かに憑かれたかのようだ

 何とかしなければ
 正気に戻さなければならない

 いや別に、こういうメルキゼも悪くは無いんだけどさ
 むしろたまになら良いかな―――とか思わなくも無いんだけど

 でも普段があの調子なだけに物凄い不安感を感じるのだ
 ここまで豹変するのはちょっと尋常じゃないだろう

 お前は二重人格者か、と問いただしたくてもそれさえ出来ない雰囲気だ
 しかしここでこのまま黙ってされるがままというのも問題だ
 最悪の場合、ちょっと口では言えないような展開に発展する可能性も……

 流石にそれはマズい
 メルキゼは明らかに正気じゃないのだ
 そんな状態の彼と事に及ぶのは良心が痛む
 何せ彼は普段は根っからの純情男なのだから


「……メルキゼ、ちょっと話を聞いて」

「話しなんか、しなくて良い
 この身体に直接聞けば良いだけだろう」


 ぎゃ――――…これまたメルキゼらしからぬ大胆な発言!!
 そして言葉だけじゃなく行動も大胆だ
 メルキゼは俺の手を開放すると、今度は自分の手で俺の身体を抱きしめる
 そのまま身体を摺り寄せるようにして密着させると、そのまま一気に体重をかけた

 メルキゼの体重がかなりのものであることは以前に痛感している
 この身長からして、きっと90sはあるだろう
 その重量感のある物体が俺に圧し掛かっているのだ

 当然ながら、俺は重力には逆らえずにメルキゼの下敷きになった
 メルキゼは俺の上に馬乗りになって、楽しそうに微笑んでいる
 そして妖艶な笑顔のまま俺の首筋に顔を埋めたのだった

 ―――この体勢はヤバ過ぎるっ!!

 しかしメルキゼを押し返そうにも体重差が20sはあるのだ
 そう簡単に退かせられるものでもない

 じゃあ第三者に頼んで退かせて貰おうか―――
 果たしてそんな人物がいるのかどうかは激しく謎だが…
 けれど大声で叫べば運が良ければ通りすがりの人が来てくれるかも知れない
 最悪の場合はモンスターが来る可能性もあるけれど…

 ―――って、別にモンスターでも良いじゃないか
 敵が来たら流石にメルキゼも俺の上に乗っていられないだろう
 …よし、人でもモンスターでも、何でも良いから助けを求めよう


 俺は助けを呼ぶべく、大きく息を吸い込んだ



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