二時間ほど歩いただろうか…
 一向に慣れる事の無い不快感に次第に口数が減ってゆく



「…カーマイン…大丈夫…?」

 不安そうにメルキゼが顔を覗き込んでくる
 喜びや嬉しさは表情に出ないけれど、不安や悲しみの表情ははっきりと表現できるらしい
 つくづく難儀な顔の筋肉を持った奴だ

 彼の顔が笑顔に綻ぶのはいつの日の事だろう…


「別に体調が悪いわけじゃないんだ
 ちょっと嫌な感じがするだけで…
 だからそんなに心配しなくても大丈夫だって」

 ひらひらと手を振って健康さをアピール
 特に我慢出来ないわけではないから大丈夫
 こんな事でいちいちメルキゼに心配かけたくないのだ

「あーあ…それにしても気分が滅入る森だなぁ…
 近付いた時からずっと嫌な気はしてたけど、何なんだろうね」

「恐らく、森に充満した強力な魔力が原因なのだと思う
 森のモンスターが放つ魔力が人体に負の力を与えているらしい」

 魔力…って言われてもピンと来ない
 俺の住んでいた世界には魔力を持った人間など、いなかったのだから
 せいぜいゲームや書籍の中で目にした事があるぐらいだ

「ファンタジー世界ならではの悩みだなぁ…
 あー…そう言えば、メルキゼは何ともないの?」

「…私は…耐性があるから…」

 この世界に住んでいていれば自然と魔力にも慣れるらしい
 …俺が魔力に慣れるには、あとどの位かかるのだろう…



「…やっぱり少し休んだほうが良い」

 メルキゼは足を止めると周囲を見渡す
 休めそうな場所を探しているらしい

「休憩するくらいなら少しでも進んで、一刻も早く山越えたいんだけど」

「気持ちはわかるけれど…顔色が悪い
 少しでも良いから休んで欲しい…頼むから」

 心配させないように…って思っていたのに余計に心配させてしまった
 俺もまだまだ大人になり切れていないことを痛感する

 けれど親が子供を労わる様な、真摯で暖かい眼差しは悪い気はしない
 ちゃんと俺のことを気遣ってくれているという事実が何よりも嬉しかった

「…じゃあ…ちょっとだけ休もうかな…」

 俺は適当な所に足を投げ出して座った
 爪先から脹脛にかけて微かに痺れた様な感覚が走る
 自分でも気付かない内に、かなり足に負担をかけていたらしい

 ―――休むことにして良かった……
 このまま歩き続けていたら足を痛めていたも知れない



「…足、疲れていない…?
 山道は足の負担が特にかかるから…」

 …しっかり見抜かれてるし…
 もしかすると俺、一生メルキゼに敵わないのかも知れない
 別に勝とうとか思ってるわけじゃないけどさ…

「座ってみて初めて疲れてる事に気づいたよ
 もしかすると俺って鈍かったりして…ははは」

 足を軽くマッサージしながら笑ってみせると、メルキゼもつられて笑った―――ような気がする
 笑ってるのかどうなのか実際は良くわからないような曖昧な顔なんだけど…
 それでも以前よりは表情が豊かになってくれたと思う

「…カーマインは休んでいてくれ、私は見回りに行って来るから
 先程から邪悪な気配を感じるから念の為に…杞憂なら良いけれど」

「邪悪って、モンスターとかいうやつ?
 また巨大な恐竜とか出てこられたら嫌だなぁ」

 あんなのに襲われたら頭から飲み込まれてしまう
 どうせ敵と遭遇するなら小動物くらいの大きさの奴が良い
 それならまだ俺でも戦える―――ような気がする

「それでは少しの間、待っていてくれ
 何かあったら大声で呼んでくれれば聞こえるから」

「うん…早く帰って来いよ…」

 自分の想像以上に力の無い声が出た
 急に弱気になってきたのは、やっぱりこの森のせいだろうか
 メルキゼの背中が小さくなってゆくにつれて不安感が募る
 初めて留守番をする子供のような心境だった



「…嫌な気分だな…メルキゼがいなくなったら尚更気分が滅入るよ」

 ちょっと離れているだけで物凄い心細さに襲われる
 無口な仏頂面男でも傍にいるだけで違うものらしい

「…まぁ最近では警戒心も解れてきたみたいだけどなぁ…」

 でも俺としては、まだまだ物足りない
 もっと信用して貰える筈だし、もっと仲良くなれる筈だ
 しかしメルキゼにはまだ遠慮というか―――戸惑っているような感じがする
 ずっと孤独の中で生きてきた彼には、いきなり仲良くしようと言っても難しいのだろうか

「…まぁ、どうせ旅はまだまだ続くんだし…そのうちに友情も芽生えるだろ」

 こういうものは焦っても仕方が無い
 ゆっくりと歩み寄ってゆくのが良い

 昔、家で飼っていた猫がそうだった
 捨て猫で人間不信――というより人間恐怖症だった
 近付くと即座に逃げ去ってしまい、手を伸ばせば威嚇されて怪我を負ったこともあった
 警戒心バリバリで、人がいると餌も口にしないような猫だった

 そんな猫が俺の手から餌を食べるようになるまで実に1年は掛かったものだ
 そして初めて寝顔を見ることが出来たのはそれから更に数ヶ月のこと…
 要するに地道な接触の積み重ねが大切なのだ




「…少しずつでいいから、俺に慣れていって欲しいな…」

 近頃では意図的にスキンシップを増やすようにしている
 ―――とは言っても肩揉みをしたり、軽く背をさすったりするくらいだが…
 しかしその程度でさえメルキゼはプルプル震えているのだから救いようが無い

「そんなんじゃ恋人が出来ても格好つかないっての…」

 メルキゼに想う人がいると知ったのは数日前
 しかも何故か知らないがその人をリャンと奪い合っているらしい

 相手が誰だか俺に知る由も無い
 しかしそうと知ったからにはメルキゼを応援せずにはいられない
 特に恋敵がリャンとなると尚更の事、何とかしてやりたいと思う
 個人的に彼女の事が苦手だということもあるが…
 けれどせめてもの恩返しに、その恋を成就させてやりたいと思うのだ

「…でもなぁ…まさかリャンと競い合ってるとは思わなかったなぁ…」

 そこで浮上してくる素朴な疑問
 …果たしてその渦中の想い人の性別は男か女か…

「まぁ俺は恋人の仕業で、そっち方面には耐性ついてるからどっちでも良いけどね…
 リャンが女好きだろうがメルキゼが男好きだろうが俺には直接関係ない事だし
 この際、相手の性別は不問で良いんだ…メルキゼが好きな人なら誰だって良いんだよな」

 大切なのは容姿でも性別でもない―――彼がその相手と幸せになれるかどうかだ
 メルキゼが幸せになれるのなら例え何であろうと俺は手放しで喜べるだろう

「でも問題はそれ以前の所にあるんだよな…彼の場合
 恋人同士になれたとしても相手の手さえ握れないんじゃ絶望的だよ…」

 やっぱり同じ男として、メルキゼには是非意中の相手と行き着く所まで行って欲しいものである
 目指すはホテルの一室で恋人と夜明けのコーヒー…定番だが基本中の基本だ



 メルキゼが誰かと幸せになってくれれば俺も気兼ね無く元の世界に帰ることが出来る
 ―――そう、俺はいつまでも彼と一緒に過ごす事は出来ないのだ
 住んでいる世界が違うから…俺は元の世界に戻らなくてはならないから…

 しかしメルキゼの孤独を知ってしまった今、彼を置いて帰るのは忍びない
 だからこそ自分の代わりに彼を支えてくれる相手を探さなくてはならない
 メルキゼの為に、そして俺自身の為にも、メルキゼを幸せにしてくれる相手を探したい
 好きな人がいるのだというのならその人が適任だろう

「…その位しか俺にも出来る恩返しが見つからないしなぁ…」

 自分で言っていて切なくなるが、やっぱりメルキゼには幸せになって欲しい
 だから彼の幸せの為に―――できる事なら何でもやろう…
 とりあえずはこのまま、メルキゼを人肌に慣れさせるトレーニングをさせて―――!!



 日が翳ってゆく山道の中央で、新たな闘志を燃やすカーマインであった



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