北へ進むには湖を迂回して行かなければならない
 しかしこの巨大な湖を迂回するのは容易なことではなかった
 …何せ8日間も掛かってしまったのだから


「やっと湖も終わりか…長かったなぁ
 ったく、何で湖のくせにこんなに広いんだよ
 俺は支笏湖と洞爺湖しか見たこと無いけど、比べ物になんないって」

「だが水が幾らでも手に入るという今の状況は贅沢極まりなかった
 湖を通り過ぎれば今度は山脈越えになるから…水が足りなくなるのは必至だろう」

 確かに険しい山の中にそう頻繁に湧き水があるとは思えない
 新鮮で冷たい水が飲めるのも今のうち、と言うわけだ

「それにこの山の中には野生の獣の他に魔女が生み出したモンスターも存在するらしい
 今までは奇跡的にも戦闘になった事は無かったが―――これからは覚悟しておいてくれ」

「戦闘…って、戦うの!?」

 自慢じゃないが、俺は喧嘩どころか人を殴ったことすら無い
 そして俺が持っている戦力になりそうな物はリャンから貰った爆破ポーションが3本のみ
 ちなみに大学入学時の体力測定で、俺の握力は29だった…

「俺はちょっと非力な部類に入りそうな予感なんだけど…
 お前、力は強いのか――――っていうより戦えるのか?

「…力は…どうだろうな、人と比べたことが無いからわからない」

 まぁ、そりゃそうだろうな…
 でもこれで俺みたいに非力だったらどうしよう

「…いざとなったら逃げるしかないよなぁ…」

「ああ、しかしそれはあくまでも最終手段として欲しい
 下手に背を向ければモンスターは飛び掛ってくる
 だから逃げるよりは攻撃を与えて追い払うようにした方が安全」

「…ちなみに攻撃手段は?」

 俺もメルキゼもRPG定番の剣や斧なんかは持っていない
 そう―――武器となるものを持ってきていないのだ

「攻撃手段は…こう、手を硬く握って相手に振り下ろしたり…
 あとは片方の脚に勢いをつけて脚力で攻撃する事くらいだろうか」

 要するに、殴る・蹴る…ということらしい
 ―――思いっきり、己の力が頼りなんだな…
 せめてナイフくらい欲しかったよ…使いこなせるかどうかわかんないけど
 でも俺が以前森の中で見た恐竜は、絶対素手の攻撃なんか受け付けなさそうだ
 そもそも巨大な敵が出てきた場合は近付くことすら命取りになりそうな予感がする



「何か…憂鬱…」

「安心してくれ、戦闘は私が引き受けるから
 カーマインは今のうちに水の感触を堪能しておくと良いだろう
 明日には山脈に入るから…当分の間は身体を洗う事も出来ないから」

  …今が夏場じゃなくて本当に良かった…
 これで気温が30℃とかだったら思い切り沈んでいた所だろう
 ちなみに生まれも育ちもずっと札幌の俺は暑さに滅法弱い
 弱い…というよりは免疫が無いだけなのかも知れないけれど

 東京では冷房を28℃に設定するとか聞くけれど俺には信じられない
 それはもう冷房じゃなくて暖房だと思うぞ、俺は…

 ああ、そう言えば後輩に沖縄出身の奴がいたっけ
 確かそいつの話によると沖縄の海開きは3月らしい
 北海道の海は天候によっては7月でさえ冷たくて入れない事もあるというのに…

 そう考えると日本も意外と広いと感じる
 北国と南国、ちょっと離れただけでこの違い…同じ日本国内だとは思えない



「あぁ…この地方が北海道に近い気候で本当に助かった…」

 沖縄に近い気候だったら、きっとバテて旅どころじゃなかっただろう
 不幸中の幸い…そんな言葉が脳裏を過ぎる

「そういえばメルキゼって暑いのと寒いの、どっちが苦手なの?」

「…森の中は寒暖の差が激しいから…どちらにも耐性がある」

「ふーん…俺のイメージでは冬になるとコタツで丸くなってそうだけどなぁ」

 それはメルキゼのイメージではなく猫≠フイメージかも知れないけど…
 まぁ、似たようなものだろう…たぶん

 丸くなって眠るメルキゼの姿を想像しつつ、俺はしばらくお預けになる水浴びを楽しんだ





 いよいよ峠越えスタートだ
 巨大な山は登山者を思わずUターンさせそうな程に圧倒させられる
 それに妙な不安感というのだろうか、胸騒ぎを感じさせる

「何か嫌な感じの山だなぁ…」

 メルキゼが住んでいた山とはまるで違う
 彼のいた山は凛と澄んだ空気が満ち、穏やかな木漏れ日が降り注ぐ所だった
 淡い光に照らされた小さな花が風に揺れて甘い香りを運ぶ
 豊かな水源では稚魚が遊び、羽虫が奏でるメロディが静かに木霊する
 そして柔らかいパステルカラーの木々を赤や黄色の果実が彩る美しい楽園のような森だった

 しかし、この山は重く湿った空気が胸に溜まってゆくような感じがする
 陽光が殆ど届かない程の深い森には毒々しい色の植物が絡まり合っていた
 見る者を不快にさせる―――そんな感じの森だ


「メルキゼがいた森が天国ならこの森は地獄だなぁ」

「予定では3日で通過する事にしていたが…もっと急いだ方が良い
 多少道が険しくなるけれど、最短ルートを通って早く超えてしまおう」

「そうしてもらえると本当に助かるよ…
 こんな所に3日もいたら病気になりそうだし」


 こうして俺たちの山越え・傾斜面編が始まったのだった



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