「ごめんな、メルキゼ…何から何まで頼りっぱなしで…」


 旅になんか出たことが無い俺には、旅支度に何をして良いのかわからない
 この世界は自分が今まで生きてきた環境とはまるで違うのだ
 キャッシュカードと携帯電話さえあれば何とかなる世界ではない

 今まで培ってきた知識が哀しいほどに役に立たないのだ
 メルキゼは気力と体力があれば大抵の事は何とかなると言って励ましてくれた
 けれど気力はともかく、体力に関しては全く自信が無いのだからどうしようもない

 バスもタクシーも無いのだから基本は徒歩になるのだろう
 山で長年暮らしているメルキゼは歩くのに慣れているかも知れないが、最近の自分は自転車すら乗っていない


「…俺、絶対足手纏いになるよ…運動不足だし―――そもそも身体を動かすのは苦手なんだ」

「その件に関しては心配要らない―――君の体力に合わせて進むから」

 俺の体力に合わせていたら一年経ってもティルティロに着かないんじゃないだろうか…
 それにもうすぐ冬がやってくる
 この世界の冬がどれくらいのものかわからないが、もし北海道レベルだとしたら絶望的だ
 腰まで積もる雪の中を何日も歩いていくなんて想像するだけで嫌になる

 ―――でも、そうしなければ帰る手段が見つからない……

 しかし当事者の俺でさえうんざりしているというのにメルキゼは嫌な顔一つしていない
 普通ならじゃあ頑張って≠フ一言で俺を送り出すだろう
 けれどメルキゼは当然のように俺の旅について来るつもりなのだ

 誰だって好き好んで極寒の旅空を旅したくないだろう―――しかも他人のために
 それに俺のためにここまでしてくれるのは嬉しいけれど、それに見合った礼なんて到底出来ない
 大した金額も持っていないし、そもそもこの国では通貨が違う

 何のメリットも無いのに―――それどころか路銀は全てメルキゼが負担してくれているという現実
 ここまで来ると御人好しどころのレベルじゃない



「もう―――恐縮しっぱなしで背まで縮みそう…」

「私が好きでやっていることだからカーマインが縮む必要は無い…
 森暮らしもいい加減飽きていたから―――旅に出るのも悪くないと思っただけだから」

 メルキゼはそう言って、微かに口の端を持ち上げた
 長年笑うことのなかった彼は笑顔の作り方を忘れてしまったという
 まぁ…今は引き攣った微妙な笑顔しか出来ないけど、すぐにまた笑えるようになるだろう

「カーマイン、すまないが菜園から白い楕円形の木の実を全て採ってきてくれ
 あの木の実が私の発作の薬なのだ――――念の為、乾燥させて持って行こうと思う」

 そう言えば…すっかり忘れていたけど発作を抱えていたんだった
 大きな逞しい身体の陰に隠れてしまって、とてもじゃないけれど体が弱いなんて思えない

「そんな身体で旅に出て大丈夫なの?」

「ああ、もう大体良くなっているから
 だから本当に、念の為に持って行くだけ―――心配は要らない」

「ふぅん…それならいいけどさ」

 俺はそれ以上は特に追及せずに菜園に向かうことにした
 下手に聞き出して旅に出るのを思い留まらせてしまったら、俺としても困る
 メルキゼもそう思っているのか、俺から視線を逸らすと黙々と裁縫の続きを始めてしまった




「―――今日は遅かったじゃない」

「うわっ!?」

 菜園で俺を待ち構えていたのは昨日の魔女だった
 しかも口調からして結構前から俺の事を待っていたらしい

「…リャン…今日も来たの…?」

「べ、別にあなたに会いに来たって訳じゃないの!!
 ちょっと休憩がてらに寄ってみただけなのよ!?
 カーマイン、あなたちょっと自意識過剰なのではなくって!?」

 ――ちょっと寄ってみただけなら、そろそろ帰ってもいいんじゃないか…?
 でも下手に怒らせても困るしなぁ…口喧嘩では絶対に勝てなさそうだし
 この手の女の子って、世界が自分を中心に回ってるって思ってるから苦手だ……

「相変わらず今日もダサいわねぇ…髪の毛はねてるし…」

 ほっといてくれ―――って反論する気も起きない…
 あぁもう、勝手に言わせておこうっと

 俺はリャンの文句を聞き流して木の実採りに専念する
 小さな木の実はメルキゼに貰った袋をびっしりに埋めた
 後はこれを乾燥させれば保存もきくし長旅にも持ち歩けるようになる

「よし…これで全部だな」

 満杯になった袋の紐を結ぶと、後はもう家に入るだけだ
 しかし―――問題は目の前の魔女
 色々と文句を言いながらも、なかなか帰ろうとしないのだ

 ……困ったなぁ……家に入れても邪魔だし……早く帰ってくれないかな……



「それにしても、いくら田舎者だからって…あなた変わり過ぎよ
 普通はもっと恐怖感を覚えたり身の危険を感じたりするものよ?
 あなたは私を見て何とも思わないの?
 ほらツノとか羽も生えてるし―――人間からしてみたら脅威でしょう?」

「……いや、別にそれほど脅威でもないけど……」

 何せ、初っ端から一番強烈な者を見ちゃったからなぁ…
 コスプレしたオカマに比べたら悪魔ファッションの魔女なんて可愛いものだ
 少女に生えたツノよりも、ゴツい男の頭に生えた猫耳の方が何百倍も恐ろしい

「人間にしては肝が据わってるのねぇ…それとも鈍いだけかしら?」

 メルキゼのおかげで耐性がついてるだけです
 きっとこの先、どんな奇抜な奴が出てきても、人の形さえしていればそんなに驚かないだろう

「まぁ必要以上に脅えられるよりは、多少礼儀知らずでも会話が成り立つ方がいいわ
 人間って皆、魔女だと聞くとガタガタ震えて腰を抜かすか裸足で逃げ出しちゃうんだもの」

 俺も逃げ出したいんですけど…
 とにかく口実を並べて帰ってもらおう

「これからまだ、やらなきゃならない事が山積みだからさ
 そろそろ帰って作業の続きしないといけないんだ―――…」

「あら、作業って…何をやってるの?
 薬草の調合ならアタシの専門分野よ
 その木の実を使うのならアタシがやってあげるわよ?」

 物凄く遠慮します
 居候の身の上、個人的な旅に付き合ってもらう挙句に家に女を連れ込むなんて、とんでもない

「…夕食の支度と裁縫…洋服作りなんだけど、でも別に―――」

「ごめん、アタシ家事だけは絶対に無理なのよ
 料理も裁縫も一度もやったことなくて―――手伝えないわ」

 手伝ってもらうつもりは無い―――って、一度もかよ!?
 それも凄いなぁ…この世界の学校って家庭科の授業ないのかな…
 もしかしたらこの世界って男の方が家事が得意とか?

 だとすると料理下手な俺って…物凄くダメ男?
 しかも料理どころか火も熾せない―――って、もしかして家事全般が出来ない?
 俺、この世界で生きていけるんだろうか…何が何でも元の世界に帰らなきゃ―――!!



「……あ、あの…カーマイン…どうしたの…?
 珍しく渋い顔してるけど…やっぱり…家事やった事無い女の子って変かな…?」

 押し黙った俺の反応に、リャンは違う解釈をしたようだ
 別に最近の女の子は家事が出来ない子も多いし、そんな事で今更驚かないのだけれど
 でも、まぁ―――フォローしなくても良いか、この娘ちょっと苦手だし

「で、でもね、薬草の調合は本当に得意なのよ!?
 下手な店で売ってる薬よりずっと効くんだから!!
 ビタミン剤から暗殺用の毒薬まで作れるのよ!!」

 毒薬は止めようよ、毒薬は…

「ほ、本当に調合だけは凄いのよ!?
 アタシの腕を見せてあげようじゃないの!!
 今すぐに調合して持ってきてあげるから楽しみに待ってなさい!!」

 リャンは一気に言い切ると、薬草の入ったかごを持って大股で去っていった
 ―――楽しみに待ってろって言われても…毒薬は勘弁だなぁ…

 彼女の勢いに半ばうんざりしながらも、俺は木の実の入った袋を持って家に入ったのだった




 メルキゼは相変わらず製作途中の服と格闘していた
 鈍い光沢を放つ深い紫色の布は、確実に服の形に近付きつつある

「木の実、採ってきたよ」

「――ありがとう、暖炉の前に広げて乾燥させておいてくれ」

 見ると暖炉の前には既に綺麗な布が敷かれている
 俺はその上に白い木の実を広げると、ついでに自分自身も暖をとる
 小さな暖炉の中には炭と薪が混ざって燃えていた

「あ〜暖かい……あれ?
 この肉とか魚とかって…何?」

 見上げると暖炉の上に大量の肉や魚が干してあった
 さっきまでは無かった様に思うのだが―――鈍くて気付いてなかったのだろうか

「非常用の保存食として持って行こうと思って干している
 旅する中で一番辛く危険な事は食料が尽きることだから」

 確かに餓死してしまっては元も子もない
 大量に食料を持って行けば、飢えてカエルを口にすることも無いだろう

 しかし―――大人の男二人旅である
 どんなに大量に食料を持っていっても足りなくなるだろう

「……これ、何日分なの?」

「心配しなくても大丈夫、これはあくまで非常用だから
 普段はその場にあるもので済ませれば良い
 食用の野草や木の実にも詳しいし、狩りも得意だから任せてくれ」

 さすが山暮らしが長いだけの事はある
 サバイバルのプロだ……逞しい
 頼りにしてます―――むしろ、人生預けてます


「…果物も乾燥させて持って行こうか
 糖分が高いからカロリー補給にも良い
 菜園に行って取って来るから、悪いがパンとチーズを焼いておいてくれ」

 メルキゼは胸のリボンを外すと大きめのかごをもって菜園に向かう

 ―――そういえば、そろそろ昼食の時間なんだよな…

 調理は出来ないけれど何かを焼く事は出来るだろう――たぶん
 いや、21歳の意地で焦げ付かせずに焼き上げてみせる!!

 俺はキッチンからパンとチーズを持ってくると、暖炉の火で焼き始めた


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