「―――…おい、おい…メルキゼ」


 俺はソファの上で眠りに落ちている巨体を揺さぶった
 こんな所で寝ていては風邪を引いてしまう
 それに今の季節は秋なのだから、ただでさえ冷え込むと言うのに

「こら、起きろ…ベッドで寝ろ」

 この2メートル近い巨体をベッドに乗せる気力は残されていない
 しかしソファに横たわる大男は、一向に目覚める素振りを見せなかった


「あー…もう、レンさんが調子に乗って飲ませるからこんな事に…」

 レンが大量の酒瓶を持って来たのは2時間程前のことだ

 日が落ちた頃から大人たちで酒盛りが始まったのだ
 しかし良識人のゴールドがシェルを寝かしつける為に早々と部屋を立ち去ってしまったのが運の尽き
 ストッパー役のゴールドがいなくなったレンは、ここぞとばかりにメルキゼで遊び始めてしまった

 甘党のメルキゼの為に大量の砂糖を入れた酒を、それこそ浴びるように飲ませた
 酒盛りと言うよりは新入社員のバツゲームといった感じのノリである
 俺は止める事も出来ずに、ただオロオロと成り行きを見守っていた

 その後、戻ってきたゴールドは酔い潰れて意識を失ったメルキゼに言葉をなくする
 しかしすぐに状況を理解し、俺とメルキゼに深々と謝罪の言葉を口にした
 そして半ば引き摺るようにレンを連れ帰って行ったのだが―――


「…どうせなら、ベッドまで運んでもらえばよかった…」

 今更どうする事もできずに、俺はメルキゼの傍らに座る
 桜色に染まった頬を突いてやると、じわりと熱が指先を伝った

 メルキゼは酔いがあまり表情に出ないタイプだ
 しかし決して特別酒に強いというわけでもない
 おまけに酔うと形振り構わず、その場で眠ってしまうタイプなのだ

「…何か、以前にもこんな事あったよな…」

 まだ森の中で生活していた頃だ
 酔い潰れたメルキゼを死に物狂いでベッドに連れて行った

「あの頃と比べると、随分と打ち解けたよな…
 お前も表情豊かになったし、俺も明るくなれたよ」

 メルキゼは完全に酔い潰れている
 いくら言葉をかけても返事が返ってくる事は無い
 けれども、それで構わなかった
 起きている時には言えない事、出来ない事も今なら可能だから


「…汗、かいてるな…
 本気で風邪引くぞ、お前…」

 起こさないように、細心の注意を払って手を伸ばす
 先程まで起こそうと躍起になっていたと言うのに変わり身の早いものだ

 自分自身に苦笑しながら、それでもそっとローブの留め金を外す
 横たわっている相手の服を全部脱がせるのは不可能なので、前を肌蹴るだけだ
 それだけでも汗を拭うには充分だから

「…やっぱり中はドレスなんだよな…
 もう見慣れたから良いけどさ…初めて見る奴は驚くぞ、これ…」

 相変わらずローブの中に律儀にドレスを着込んでいるのが可笑しい
 見えないというのにリボン飾りまでつけて…彼らしいと言えば彼らしいのだが…

 リボンを解いてドレスも寛げると、黒いシャツが汗を吸って濡れていた
 これは寛げて拭くより、やっぱり着替えさせた方が良いだろう


「メルキゼ、少しの間で良いから立て」

 無理矢理身体を起こさせると、メルキゼがうっすらと目を開けた
 しかし焦点が定まっていない…寝ぼけている状態なのだろう

「ん〜…んん…む…」

「…言葉になってないぞ、メルキゼ…」

 しかし何かを呟きながら、それでもメルキゼは足ってくれた
 足元がふらふらと覚束無い…俺が支えなければ、すぐにでも倒れるだろう

 それでも重力の力を借りて比較的楽に服は脱げた
 というより、メルキゼがふらふらと動いているうちに勝手に落ちてくれたのだ
 これ幸いにと下着のシャツもファスナーを下ろして脱いでもらう


「へぇ…お前、こんなの着てたんだ」

 一緒に旅を始めてかなり経つが、恥かしがりの彼は着衣を緩める事が少なかった
 だから下着姿の彼を見た事も実際のところ数えきれる程しかないのだ

 以前、灼熱の宿で見たときにはシンプルなシャツ1枚の姿だった
 しかし今見ると数々の装飾品がついていることに気付く
 恐らくあの時は暑さに耐えかね、邪魔な飾りは全て取り外していたのだろう

 そして、シャツの下も薄い素材のズボンを穿いていた
 シャツと同じ装飾品がついていることから、どうやら上下セットなのだと思われる
 ズボンの存在にも気付かなかった…これもきっと宿では脱いでいたのだろう

「…というか、ズボンだよな、これ?
 実はパンツだったとかいうオチは無いよな?」

 でも下着とセットだし…
 それに、わざわざドレスの下にズボンを穿くというのも変な話だ

「でも…それにしたって、どうして気付かないかな俺…?
 今までだって、たまに下着姿見てたのにズボン穿いてるかどうかくらい判れよな…」

「ん…んん…何…?」

 ぼーっとしながらも、メルキゼから返事があった
 寝ぼけながらも会話をしようという意気込みは立派だ
 しかしこの会話が彼の記憶にとどまる事はないだろう…


「いや〜…お前、このズボンいつの間に穿いてたのかな…って」

「ん…これ、はシェルが縫ってくれたものだ…
 …邪魔で外していた…装飾をつけて…くれて…
 砂浜に…打ち上げられていた…古い布を使って…」

 寝ぼけながらも言葉数は多い
 でも目は閉じたままだから傍から見れば寝言とも受け取れる

 しかし、そうだったのか…シェルがねぇ…

 いつの間に――ああ、そうかメルキゼが毒に犯されていた時だ
 きっと保温の為にシェルが縫ってくれたのだろう

 良く見ると、縫い目がかなり怪しい事になっているのに気付く
 縫い目幅もバラバラで、いかにも子供が縫ったものといった感じだ
 そういえばズボンの左右の長さもちょっと―――いや、かなり違うような…

 しかしこれはこれで何とも言えない味がある
 お金では決して買えない価値のあるズボンだ
 形が不恰好であろうが縫い目が不揃いであろうが装飾品が曲がってついていようが…


「そっか、良かったな…」

 メルキゼは無言で首だけコクコクと動かした
 再び眠りの世界へと誘われているらしい

 俺は手早くズボンも引き下ろす
 パンツじゃないと判った以上、もう躊躇いは無い

「…パンツっていうより、ギリギリまで短くしたズボンだなこれは」

 綿製のそれにはファスナーやボタンがついている
 しかしどうやら彼にはサイズが少々小さいらしい
 ボタンは止められておらず、ファスナーも途中までしか上げられていない
 その代わり本来ベルトを通す場所に、鮮やかな色彩のリボンを通して固定していた

「何でこう、着こなしがファンシー路線に走るかな、お前は…」

 なんて事ない綿パンもリボンをベルト代わりにする事で随分印象が変わって見える
 しかも黒いズボンに牡丹色のリボンは物凄く引き立って愛らしさを強調していた
 これはもう…逃れられない彼の宿命なのだろうか

「まぁ、黒いパンティにピンクのリボン付き…っていうのよりはマシだけどさ」

 とりあえず女物の下着でなかった事に胸を撫で下ろす俺
 精神的にも救われた気分でいっぱいだ



 俺は再び寝息を立て始めているメルキゼの背を押してベッドへ連れて行った
 立ったまま、そして歩きながら寝るとは随分と器用な奴だ…

 ベッドに横たえると、メルキゼの体から力が抜けていくのが判った
 すやすやと安らかな寝息は規則正しい
 俺は濡らしたタオルを片手に、彼に近付いた
 汗を拭いてやらなければ気持ち悪いだろう

 ランプの炎で照らされた室内は永遠の夕暮れのようだ
 橙色の光を浴びたメルキゼの身体は汗を反射させて艶やかに光る
 酔いのせいか、ほんのりピンクがかっているのも何とも言えない色気があった


「うーん、筋肉のラインが逞しい
 脱いだ途端に男らしくなるんだな」

 胸にタオルを押し当てる
 微かな鼓動が伝わって心が熱くなった

「うん、ちゃんと生きてるな…」

 胸には傷が残っている
 彼の再生能力のせいだろう、傷はそれでも綺麗なものだった
 微かに皮膚が盛り上がっているだけなので、至近距離からでなければ傷に気付かない

「…あれ…他にも傷が…」

 良く見ると、全身の至る所に傷の痕があった
 痕の大きさも形も様々だ

 …恐らく、自分と知り合う前についたものだろう
 メルキゼが住んでいた所はモンスターも出るような山奥だ
 きっとモンスターや獣との戦闘でついたものだろう

 どちらにしろ、あまり目立つものでなくて良かった
 彼の白くて綺麗な肌に傷は似合わない
 そして、真っ白で純粋な彼の心にも…やっぱり傷は似合わない
 今後一切彼が傷付かない事を願わずにはいられなかった
 出来る事なら心も、身体も…無傷なままでいて欲しかった


「お前は本当に、良く頑張ってるよ…」

 身体を拭きながら労いの言葉をかける
 数え切れない傷を抱えながら、それでも俺に優しくしてくれる
 彼の心の広さには毎度の事ながら感動を覚えていた

 ターバンを解いて、ついでに三つ編みも解いてやると、シーツに細い曲線が散る
 そっと髪に指を絡めると、さらさらとそれはシルクのように指先を滑った
 猫や犬を飼っていたせいだろうか、どうもメルキゼを見ると頭を撫ぜてやりたくなる

 昔から動物が大好きなのだ
 フサフサの耳の感触を指先で感じるのも好きだ
 感極まってその耳を口に含み、飼い犬に警戒されたのも今となれば良い思い出…

「おー…ふさふさだ…」

 久しぶりの猫耳の感触に思わず頬が綻ぶ
 シャンプーの香りがする耳に頬擦りすると、うっとりと幸せな気分になれた
 こんな事、絶対に起きている彼には出来ないだろう

「これで、ふさふさ尻尾とぷにぷに肉球があれば最強なんだけど…
 でも耳も負けず劣らず大好きだ…ぴこぴこ動くのもたまらないな…」

 今、この瞬間…メルキゼを男≠ニしてではなく猫≠ニして見ているカーマインであった



「さて…どうするかな…」

 ひとしきりメルキゼの耳で遊んだ後、カーマインは暇を持て余していた
 もう一度起こす気にはなれなかったのでメルキゼはパンツ一枚のまま寝息を立てている
 せめて風邪を引かないようにと俺の分の毛布をかけて、暖炉の火も大きくしておいた

 残った酒を飲み干してみても元々アルコールにだけは強い体質である
 睡魔が訪れるほど酔う事は出来なかった
 むしろ中途半端に酔ったせいで余計に目が冴えて来たような気もする

 時刻はもう遅い
 外に行くのは危険だろう

 風呂も済ませてしまったし、特に空腹感も無い
 テレビも無ければ本も無い…退屈極まりない室内
 特にすることも無く俺は暇を持て余していた


「あーあ…結局、暇潰しになりそうなのはメルキゼだけか…」

 再び眠るメルキゼの傍らに移動する俺
 別に起こそうという気持ちは無い
 ただ、少しだけ暇潰しさえ出来れば良いと思っていた

「うーん…どうしようかな…」

 すやすやと一定のリズムで繰り返される呼吸
 微かに上下する白いのど
 薄く開いた唇から漏れる吐息…

「…黙っていたら、イイ男」

 顔には申し分ないのだ
 美人で色気もあって―――…なのに、生まれ持ったその性格が全てをぶち壊している

 レンのように冗談めかした会話で人を楽しませる事なんて出来ない
 ゴールドのように甘い微笑みを浮かべて場を和ませる事も出来ない
 要領が悪くて生きるのが下手で―――でも、一生懸命に生きている

 あまりにも不器用過ぎて、もどかしい気持ちを抱く事も少なくない
 予想もつかないような大失敗をして脱力させられる事も日常茶飯事だ

 しかし…そんな彼が、俺は決して嫌いじゃない
 嫌いどころか―――…むしろ、大好きだったりするのだから我ながら情けない


「あー…何か救い様がないな…」

 俺はメルキゼのベッドにもぐり込んだ
 どうせ今朝も一緒に寝ていたのだ
 今夜も別に構わないだろう

 恥かしがり屋のメルキゼも近頃ではかなり人に慣れて来たらしい
 下着姿で人前にいること、他人と同じベッドで眠ること…
 以前の彼では考えもつかなかっただろう事が、近頃は日常と化している

 彼のその変化が嬉しかった
 閉ざしていた心が少しだけ開いてきたような気がするから

「これからもっと、心を開いてくれたら嬉しいんだけどな…」

 毛布をめくると白い胸が露になる
 その胸に頬を寄せて、静かな鼓動に耳を傾けると心の底から安心できた
 熱いほどの温もりが体を芯から暖めてくれるような気がする

 冴えていた筈の目が、不意に重く感じられた
 安堵感から睡魔が呼び起こされたのだろうか


 俺は意識が闇に溶けて行くのを感じながら、そっと瞳を閉じた



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