「…ねぇ、どうしたの?」


 先程から黙ったままのレグルスに、レンは不満そうに声を上げる
 夕食から解散して以来、どうも上の空の恋人に違和感を覚えた

「ん…ちょっとな…」

 レグルスは頬杖をついたまま動かない
 いい加減焦れてきたレンは彼の後頭部を小突く

「何だよ、さっきから独りで考えてばっかりでさ
 そんなの全然レグルスらしく無いじゃん?
 いいから考えたり悩んだりする前に俺に言ってみなさいよ」

 レンは彼の相談にも良く乗っている
 年上の恋人として、そして時には家族のいない彼の親代わりとしても
 レグルスは普段は粋がって悪ぶって見せているが、本当は傷付く事を恐れて内気になりがちなのだ
 人一倍繊細な感受性を持っているらしく、何かあるとすぐに口を噤んで自分の内にこもってしまう
 そんな彼の状態を見つけて、さり気無く話題をふってフォローするのもレンの役目になっている

「………ジュンの奴、変だった………」

「ジュン君が? どうしてそう思ったの?」

「……嘘をついてる目をしてたんだ…あいつ、良心が痛んで傷付いてた」

 憶測ではなく、確信を持っての断言
 普段あまり考えることが得意ではないが、こういう時にだけ異常なまでの鋭さを見せる

 ……以前の彼は人を疑うということを知らなかった
 馬鹿正直な性格のせいで、よく騙されたり虐められたりしていたらしい
 そんな彼が人の嘘を感知出来るようになったのは、レンがセイレーンとして覚醒してからだ

 あの日以来、何かとレグルスに心の内を見透かされているような気になる
 以前は簡単に嘘で誤魔化せたのに、それが出来なくなったのだ
 ……彼にとっては喜ばしいことなのかもしれないが、レンとしては複雑だ

「なぁ、あいつら…本当にスケッチ旅行に行きてぇだけだと思うか?
 オレはどうも口実に聞こえてならねぇんだ…もっと、他に理由があるんじゃねぇかって」

「……他に理由って……?」

「そこまではわからねぇ…でもよ、好きでオレたちに嘘をつく様な奴らじゃねぇだろ?
 オレたちに言えない様な厄介事でも抱え込んでんじゃねぇかって思ってよ…
 でも無理に聞き出しちまったら、もっとあいつらを傷付けちまうじゃねぇか
 だから我慢して…あいつらを信じて待ってようって…そう自分に言い聞かせてたんだけどよ
 でもやっぱり気になっちまって…何で全部打ち明けてくれねぇんだろうって、考え込んじまって…」

 ふたつの心が葛藤を起こして、レグルスを傷つけている
 仲間を信用したい気持ちは確かだが、疎外感を感じるのもまた事実なのだ

「ダメだなオレ…いつまで経ってもガキのまんまでよ…
 一番辛いのは嘘をついてるあいつらなのによ、その気持ちもわかってやれねぇ」

 それは違う……と、レンは感じている
 彼らの気持ちを自分の事の様に感じているからこそ、レグルスもここまで苦しんでいるのだ
 そんなレグルスに、レンは悲しみに似た切なさを感じる

「本当に、優しくて良い子だね…レグルスは」

「……何言ってんだ、んなわけねぇだろ」

 視線を逸らしてわざと毒づく
 しかしそれは微かに染まった頬を見られたくないからだということをレンは知っている
 そんな仕草に、どうしようもない程に愛しさが込み上げてくる

「そんなことない…良い子だよ、レグルスは
 ―――――おいで、ご褒美に抱いてあげるから」

 本当は俺が抱きたいだけだけど……
 そっと両手を広げると、少し躊躇しながらも俺の胸に身体を預けてくる
 長い髪の感触を楽しみながら、あやす様に頭を撫ぜてやると仔犬のように懐く

 レグルスにこんな一面があるなんて皆は知らないだろう
 これは恋人である自分だけの特権
 レンは優越感に浸りながら母親のようにレグルスの背を抱きしめる
 自分より一回り小さい身体は筋肉が少なくて細い
 元々痩せ型だったのが骨折により運動不足になっていたことで更に筋肉が落ちてしまったのだ

「……また痩せちゃったね。レグルスご飯食べる量も少ないし」

「お前の食う量に比べれば少ねぇかも知れねぇけどよ、オレは人並みに食ってるぜ」

「悪かったね大食漢で。…ふん、どうせ俺はデブだよ」

 レグルスと比べると、更に体格の差を実感させられる
 身長は数センチしか違わないのに体重は数十キロ違うのだ

「別に悪いとは言ってねぇだろうが。あー丸くて可愛いなレンは」

 …それ、褒めてるの?
 丸いっていう表現は褒め言葉なの?
 何かが違うと思うんだけど……まぁ、いっか

「レグルスも可愛いよ」

 よしよし、とハグしてやると気持ちよさそうに目を細める
 日溜りでうたた寝するの様なその姿にレンの頬も緩む
 彼が外見に似合わず甘えん坊だなのと気付いたのはいつだっただろう…
 甘えん坊で淋しがり屋の彼は、しかし決して自分から甘えるような真似はしない
 ……甘えたくても、その方法がわからないのだ

 戦士だったという彼の母親は他人のために剣を振るうことを生き甲斐としていた人だったという
 しかし他人の役に立つことばかりを考えていて、自分の子供には殆ど目もくれなかったらしい
 レグルスはいつも、家に独りきりだった
 誰もいない家で寂しさと戦いながら唯一の家族である母親を待つ毎日…

 血は繋がっていなくても、二人の義兄に溺愛されて育ったレンには想像もつかない生活だ
 レンはレグルスに同情心を抱いたが、当の本人はそれでも幸せだったという
 一緒にいられる時間はほんの僅かであったが、その一瞬の空間の中に確かに愛情を感じていたというのだ
 母親に抱きしめられた記憶も無い、会話すら滅多にすることができない状況であっても

 長い旅の途中、何気無く聞いた彼の母親の話
 自分は母親に愛されていたと幸せそうに語るレグルスに、レンはもっと愛情を与えてやりたくなった
 大好きな人と一緒に過ごす日々の暖かさ、優しい腕に抱かれて眠る、ゆったりとした幸せな時間を教えてやりたい

 その日からふたりの距離は少しずつ近付き始めた
 ずっと拒んでいたレグルスの気持ちを正面から受け止めて――――そして気付く
 愛情を教えてやるつもりが、逆に人を愛するということを教えられているという事実に


 腕の中では恋人が静かな寝息を立てている
 レンが回想に浸っている間に眠ってしまったらしい

「…いいのかな、こんな無防備で…俺、化け物なんだよ?」

 レグルスはレンがセイレーンと化した後も以前のように付き合ってくれている
 羽が生えて魔力を持ち始めて――――それでも変わらず愛してくれる
 ……もともと目が三つという状態で出会ったのだから、レグルスとしては今更羽くらいじゃ驚かないのかも知れないが

 額を押さえると、微かな鼓動を感じる
 魔女・カーンに命を狙われている…それはきっと、自分がセイレーンだから
 セイレーンの力が魔女にとって都合の悪いものだから覚醒する前に葬ろうとしたのだ

 消えたはずの邪眼が再び現れたあの夜――――あの時から、カーンは俺がセイレーンであることに気付いていたの だろう
 そして、俺が覚醒することを恐れて刺客を送り込んだ
 しかしそれが失敗に終わると知ると、今度はカーン本人が現れたという

 狙いは当然、自分の命だろう
 まだセイレーンとしての能力を扱うことが出来ない
 戦闘にも慣れていない自分が一体どこまで魔女と戦う事が出来るかはわからない

「……でも、絶対に負けるわけにはいかないよ……」

 ジュンからレグルスが自分の後を追って死のうとしたと聞いたとき、血の凍るような恐怖に襲われた
 危機一髪で彼を救い出せたから良いものの、後数分遅れていたら……そんなの、想像するのも嫌だ

 絶対に強くなってみせる――――レグルスを護るためにも
 そのために魔法実験の合間に修行をしているのだ
 慣れない魔力の操作に身体は既に悲鳴をあげ始めている

 しかしここで諦めることは、カーンに殺されて終わることを意味する
 持ち前の明るさと強運で乗り越えるにも限界がある

「まずは魔力をコントロールできるようにならなきゃ…そうしたら実験にも役立つし」

 今のレンの魔力には波があり過ぎる
 あまりにも極端な魔力の放出に実験の進行にも大きな波が出来てしまっているのだ
 皆、自分を励ましてくれているが、それが余計に辛い

「王子様の命が掛かってるんだもん…悠長にしてられないよ…」

 早く召喚実験を成功させなければならない
 ワイバーンを召喚して力を借りなければ第一王子の消息もつかめない
 ……はやくカイザルに元の身体に戻って欲しい

 自分には新たな目的が出来たのだ
 初めて知った自分の正体
 ――――自分のルーツを探りたい……
 毎日が幸せすぎて今まで疑問にすら思わなかったが

「セーロスは俺を海で拾ったって言ってたけど…何で俺、捨てられたのかな…」

 自分の本当の親はどこにいるのだろう
 そして、自分の生まれた故郷は一体どこにあるのだろう
 ……あまりにも謎な事が多すぎる

「無事にカイザル様が治ったら…またレグルスと一緒に旅に出たいな…」

 そして、自分の故郷を探したい
 …まだまだ先の事になりそうだが

「どっちにしろ、修行あるのみなんだよね…頑張らなきゃ」

 腕の中のレグルスを起こさないように気をつけながらベッドに横たえる
 そして魔法書を取り出すと髪を結い直して気合を入れた

「俺、絶対に負けないから応援しててね………愛してるよ、レグルス」


 レンは愛用の魔法書を小脇に抱えると、部屋を後にした

TOP 戻る 進む