今日もいい天気だ
 俺は城の中庭を気ままに散歩していた



 部屋ではゴールドが薬物の調合実験で試験管と向き合っているだろう
 しかしあまりにも酷い臭いがするので俺は部屋を出てきたのだ
 しばらくの間あの部屋に帰るのは遠慮しておきたい

 部屋から逃げ出すと城の廊下で、喧嘩漫才をしながら歩いている恒例のカップルとすれ違った
 どうやらレグルスは今朝から足のリハビリを始めたらしい
 二人の元気な声が廊下に響き渡る

「ほら、俺が後ろから支えてあげるから…まずは右足からゆっくりね」

「―――って……こら、レンっ!! 支えるふりして脇腹くすぐってんじゃねぇっ!!」

 献身的に(?)レンが付き添っているその姿は見ていて仄々とさせられる
 頭上からいきなり絵画が降ってきたりシャンデリアが落ちてきたり絨毯から蛇が出てきたりと、なかなかハードだが…
 ……何だかリハビリどころではないような気もしたが、それでも二人は幸せそうに……見えなくもない











 俺は心の中でエールを送り、そのまま城から出て現在に至る



「……平和だな……」

 最近、自分の中で平和であることの基準が変わりつつある
 恋人が部屋に異臭を充満させようが友人たちが城を破壊させようが、それでも平和なのだ
 誰かが傷付いたりしないこと―――――それが平和であるということなのだと、そう思うようになったのだ

 いつ戦争が再び起こるかわからない状況でも、今こうしていられることを幸せに思う
 俺は大切な人と共に笑っていられるこの日常の喜びを、大切に噛み締めて生きていきたい……


 庭には常に季節の草花が咲き乱れている
 初冬の今は蒼い草葉に白い小さな花を咲かせていた
 大理石の城に可憐な小さな花が素朴ながらも暖かい印象を与える

 そっと花に頬を寄せてその香りを胸に吸い込んだ
 甘酸っぱい清涼感のある香り、そして微かな――――

「………キナ臭い……香り……?」

 微かに何かが燃えるような臭いがする
 ……これは花の香りではない

 俺は咄嗟に周囲を見渡す
 すると花壇と城壁に挟まれた死角部分から白い煙が立ち上るのが見える
 ――――火事……!?

 木製の家具や絨毯のある城内ならともかく、何故大理石の城壁が燃えるのだろう
 そんな疑問を抱きながら、俺は恐る恐るその煙に近づいた
 煙はまだ少ない…きっと未だ炎も小さいに違いない

 そんな期待を込めて煙の発生元と思われる場所を覗き込むと―――――



「…………り、リノライさん………?」

 そこには何故か王子の補佐官兼教育係権婚約者のリノライが座っていた
 氷細工を思わせるような繊細で細い髪が風に揺れている

「………ジュン殿…!? 如何なさいましたか…?」

 いや、お前こそどうした
 そしてあの煙は一体―――そう、煙!!
 リノライがいるということは彼の仕業なのだろうか

「あの、煙が見えて…火事かと思ったんですけど…」

「それはそれは…お騒がせしてしまいまして、申し訳ございません
 ですが見ての通り、火事ではございませんのでご安心下さいませ」

 そういって彼が見せたのは、紫煙を燻らせる―――煙草だった









「……リノライさんて…タバコ吸う人だったんですね……」

 優雅で繊細で洗練されたその容姿は、どこか神秘的な印象を与える
 彼には白い椅子に座って紅茶を飲んでいたり水辺で竪琴を弾いていそうなイメージを持っていた
 それが―――――城の裏でタバコをふかしているだなんて、一体誰が想像できるだろう
 俺は少なからずショックを受けていた

「ええ、色々と溜まっているものがございますから…
 ジュン殿、申し訳ございませんがカイザル王子には秘密にして頂けますでしょうか?
 あの方に知られてしまうと、しばらくの間、顔を会わす度に不良と罵られてしまいますので…」

 少しバツの悪そうな笑顔がまた、良く似合う
 そんな彼に不良という言葉は物凄く違和感を感じた

「ははは…ふ、不良ですか…」

「ええ、カイザル王子には昔から吸う度に咎められておりまして…
 いつの間にか、こうして隠れながら吸う様になってしまい…お恥ずかしい限りです」

 まぁ、確かに身体には良くないのだが
 きっとカイザルもリノライの身体を心配してそう言うのだろう

「でもリノライさんて25歳ですよね?
 いくら何でも不良扱いはないですよね…」

「ええ、まぁ…ですが私の場合は8歳の頃から吸っておりましたので…」

 不良だ…

「本当にお恥ずかしい限りですが…お酒もタバコもギャンブルも幼い頃から嗜んでおりました」

 それは不良…というよりも、やさぐれていないか?
 彼は一体どんな子供だったんだろう…
 ……本気で想像できない

「ふふふ…ですが、女性関係は健全でございましたよ
 私は幼い頃からずっと…カイザル王子一筋でございましたから」

 幼い頃…って、具体的に何歳ぐらいだろう
 まさかこれも8歳からなんだろうか
 いや、それよりも更に幼い頃からだったらどうしよう―――……本気で恐ろしい


「さて、一服出来たことですし…私はそろそろ執務に戻らさせて頂きます
 楽しい息抜きの一時をありがとうございました―――ではまた、後程お会いいたしましょう」

 リノライは妙にすっきりとした表情で去っていった
 タバコの吸殻を厳重に梱包してから捨てるあたり、本気でカイザルに知られるのが嫌なのだろう
 しかしそこまでして吸いたいものなのだろうか…

 タバコを吸わない俺としてはその辺がわからない

「まぁ…確かにストレスとか色々溜まってそうだしな…」

 俺は意外なリノライの素顔に微妙な思いを抱きつつその場を後にした




「…まだやってるな」

 廊下では相変わらずレンのスパルタ(?)リハビリが行われていた

「…レンさん…その手の鞭は一体…」

「あ、ジュン君〜これ、いいでしょ?」

 レンは嬉しそうに鞭を振り回して見せた
 その姿が妙にハマっていて怖い

「……そんなもの、どこから……」

「ゴールドさんがくれたんだよ
 持つとムードが出るだろうって」

 こら、ゴールド
 何を考えてる―――つーか何をしてるんだ奴は
 そしてムードって一体……

 俺の困惑をよそに、レンは鞭を鳴らせる

「ほらレグルス!! この鞭を巧みに避けつつゴールを目指すんだよ!!」

 ―――何の特訓ですか……?
 足のリハビリじゃなかったんですか……?

 俺はレグルスに向かって深々と頭たれた
 俺の恋人が物凄く余計なことをしてしまって…ごめんなさい、と呟きつつ


「…こら、レン…お前、単にオレを打って楽しんでるだけじゃねぇのか…?」

「そんな事ないよ〜? 愛あるリハビリ風景じゃん〜?」

 何のリハビリをしてるのかわからない
 というより何をしたいのかが既にわからない
 そして果たしてそこに愛があるのか―――謎である









「何か重りになりそうなものが欲しいね…鉄球とかタイヤとか
 せっかく砂浜もあることだし、うさぎ跳びで海岸一周とかしてみたいよね」

 ……トレーニング……?

「あの、足のリハビリですよね…?」

「え?」

 ………え?≠チて…あんた……

「あはは〜冗談だって!! ちゃんとリハビリしてるよ
 ほら、レグルスだってあんなに頑張って歩く練習してるし」

 ―――歩く、というよりは逃げていると言った方が正しい

「あの…あまりやると逆効果ですよ
 そうとう足に負担かかってそうですし…」

「あ―――やっぱり?
 しょうがないなぁ…今日はこのくらいにしてあげよう
 身体を壊しちゃ元も子もないからねぇ…本当はもっと遊びたかったけど」

「―――って、やっぱりオレで遊んでやがったんじゃねぇか!!」

 あーあ…
  また、喧嘩漫才の始まりそうな予感だ
 毎日毎日よく飽きないものだ
 俺は半ば感心しながら、その場を後にした





「お…いたな」

 ゴールドは食堂のテーブルについていた
 彼の前には数種類の瓶が置かれている
 俺はゴールドの傍に駆け寄った

「ジュン…あぁ、丁度いい所に来たのです
 実は薬を作ってみたのですが試飲する相手を探していて…」

「邪魔したな」

 俺は踵を返した

「ちょっと待って下さい…一口でいいのです
 この中から好きなのを選んでいいですから…」

「見るからに怪しいぞ、その薬
 そんなの飲んで大丈夫なのか!?
 俺は悪魔よりも繊細で、か弱いんだぞ!?」

 悪魔が飲んでも大丈夫かもしれないが人間が飲んで大丈夫という保証は無い
 しかも原材料が不明なのも恐ろしい

「毒になるものは入っていないのです
 簡単な調合で作った薬草のエキスなので大丈夫なのです」

 そういって見せられた色とりどりの液体の入った瓶は――――見るからにヤバそうだった
 小さな瓶の中には赤、青、緑、紫、黒の五種類の液体…

「……いや、寒色系は止めような?」

 見るからに恐ろしそうな色ばかりだ
 緑はいかにも草を搾りました、って感じだし、黒いのは―――中から何かが出てきそうな予感がする
 何より恐ろしいのが青……絵の具を溶かしたようなその色は未知の不安を駆り立たせる
 紫は―――見ようによってはワインや葡萄ジュースに見えなくも無いが…胡散臭い
 赤いのもトマトジュースだと思い込めば―――いや、しかし物凄く辛そうな予感もする








「ジュンはやっぱり、赤いのが似合うのです
 寒色系が嫌なのなら、これを飲んで欲しいのです」

 ぐいぐい、と赤い液体の入った瓶を押し付けられる
 表情こそは笑顔だが、問答無用の迫力があった

「…飲めばいいんだろ?」

 俺は息を止めて赤い液体を飲み干す
 あのゴールドが俺を危険な目に遭わす訳が無い
 そう、彼を信じ切っての行動だ

「――――どうです?」

 その、妙に不安気な表情…やめてくれ
 こっちまで物凄く不安になってくる

「……物凄く熟したトマトをアロエの絞り汁で煮込んで上からタバスコをかけたって味だな……」

 要するに、甘くて酸っぱくて苦くて辛い
 更に要約すると―――不味い、の一言に尽きる

「これ、どうやって作った…?」

「物凄く熟したトマトをアロエの絞り汁で煮込んで上からタバスコをかけたのです」

「………………おい」

「冗談です。蝙蝠の鮮血と芋虫の腸、百足の触手に蝸牛の目玉を煮込んだスープに薬草の――――」

「うがあああああああああ――――――っ!!!!」

 俺は最後まで聞かなかった
 耳を塞いだまま、全速力でトイレに駆け込む
 この恐ろしい地獄の劇薬を一刻も早く吐き出さなければならない

「ご…ゴールドの野郎…っ…!!」

 こうもり? いもむし? むかで…かたつむり!?
 普通そんなものを飲ませるか!?
 だらだらと脂汗と冷や汗が全身から流れ落ちる
 その後、俺は2時間程トイレから出て来れなかった――――



「………あぁ、驚いたのです……
 ですが、ジュンがあんなに大声を出すなんて…大成功なのです
 早速、このスタミナドリンクを皆に配って元気になってもらうのです♪」

 ゴールドはトイレのドアを気にしつつ、鍋に向かったのであった

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