「カイザルさん…!! ま、魔女が…っ!!」


 部屋に飛び込むなり俺は叫んだ
 幸運なことに執務室の机には、カイザルの他にリノライもいた
 二人で何かの書類を見ていたようだ

「―――ジュン殿、魔女がどうかなさいましたか?」

 リノライが俺を落ち着かせようと背中を軽く叩く
 しかし、落ち着いてなどいられない
 ゴールドの命がかかっている

「魔女が庭に来て…ゴールドが時間稼ぎしてる
 でもあまりもたないって…二人とも早く来てくれ……っ!!」

 息切れで上手く喋れない
 しかしそれだけで二人には充分に伝わったようだ

「大丈夫だ。三人でテレポートして救出に向かう!!」

 即座にカイザルは呪文の詠唱を始める
 彼の周囲に淡いエメラルドグリーンの風が巻き起こった
 呪文が完成するまでの数十秒が物凄く長く感じる

「魔女…カーンって呼ばれていた…あいつ、強いのか…?」

 俺はリノライのマントを軽くつまんだ
 不安感で身体が震えている

「―――カーン…大魔女・カーンですか…!?
 恐ろしい力を持った魔女です…ですがゴールドは無事でしょう
 自分より弱い者の命は奪わないのが彼女の主義ですから……」

 そんなことを言われても気休めにしかならない
 命は奪われないかもしれないが、無傷である保証は無いのだ
 腕の一本くらい吹き飛ばされていても不思議ではない
 以前自分たちを襲った魔女も全身を粉々にするほどの力を持っていたのだから

「安心して下さい。カーンは風属性の魔女です
 土属性のゴールドには思うようにダメージを与えられない筈ですよ」

 しかし所詮は中級悪魔だ
 魔女の魔力に耐えられるのだろうか

「―――よし、魔法が完成した
 ジュン、リノ、我の傍に来るのだ」

 俺たちはいそいでカイザルの元へ向かう
 その途端、周囲がエメラルドの壁に包まれた
 竜巻の中心にいるとこのような気持ちなのだろうか
 微かに緑の香りのする風は激しく渦巻き、外部の世界を遮断する

 そして、その風が勢いを失い、やがて完全に消えた時―――
 俺たち三人は城の庭にいた
 呪文の詠唱からテレポートまで、時間的には50秒程だろう
 しかし俺には果てしなく長く感じた



「―――ゴールド!! 何処にいる!?」

 俺は走り出した
 二人は何処に行ったのだろう
 先程の場所には見当たらない
 リノライも走ってその姿を探す

 そして、その姿は白い花をつけた木の根元で見つけることが出来た

「……ゴールド……?」

 彼は、うつ伏せに倒れていた
 魔女の姿は見られない

 抱き起こそうとしても、想像以上に重くて持ち上がらない
 リノライが手を添えて手伝い、ようやく彼を起こすことが出来た
 しかし気を失っているのか、その身体は力が抜け支えていないとバランスを崩して再び倒れそうになる

「……おい、しっかりしろ……」

 土のついた頬を軽く叩く
 温もりを感じるので生きていることだけは確かだ
 身体に切り傷のようなもの多少があるが、大きなものではない
 既に血も止まっているようだし、数日で傷は消えるだろう

「どうぞ、気付け薬です。飲ませて差し上げて下さい
 私たちは魔女の姿を探してきますから…遠慮無くどうぞ」

 遠慮無く…って、何が…?
 俺に気付け薬を渡すなり走り去るリノライの背を眺めつつ、俺は首をひねった

「まぁ、いいか…ほらゴールド飲め」

 俺はゴールドの口を無理矢理開くと薬を流し込む
 しかしその薬は飲み干されること無く口の横から零れ落ちる
 意識が無いのだから飲み込むことが出来ないのは当然だった

「意識が戻ってから飲ませれば……って、それじゃ気付け薬の意味が無いか…」

 気絶しているのを起こすために飲ませるのが気付け薬だ
 今飲ませなければ意味が無い
 しかしゴールドには自力で飲み込む力が無い―――となると

「……要するに、口移しか……」

 俺は今になってようやくリノライの言葉の意味を理解した
 確かに第三者がいるとやりにくい
 しかしここは野外だ。見回り中の兵士に見つかる可能性も高い

「……人命救助だ。非常事態なんだ…よし、見つかったらそう言い訳するか」

 あくまでも言い訳の言葉を考えてから出ないと行動に移せない
 薄情かも知れないが今後の城での生活を考えると止むを得ない

 俺は周囲に誰もいないのを確認すると、薬を口に含んだ
 ――――マズい……っ!!
 苦いと思ったその薬は辛かった
 半ば吐き出すようにゴールドの口に流し込む
 つくづく悪いと思うが、俺は辛いものが苦手なんだから仕方が無い

 舌で喉の奥を開いてやると、意外と素直にゴールドは薬を飲み込んだ
 これで一先ずは大丈夫だろう
 口の中が焼けるように熱くて、ひりひりする



「……ぐっ……げ、はっ……!!」

 苦しそうに咽ながらゴールドは意識を取り戻した
 あんな辛いものを喉に流し込まれたら誰だって咽るだろう

「大丈夫か?」

「――――か…辛い…、です……」

 犬のように舌を出している様子からして、かなりの刺激だったのだろう
 微かに涙が浮かんでいているし、鼻と耳が赤い

「リノライさんから貰った気付け薬を飲ませたんだ
 お前、ずっと気絶してたんだ……怪我は大したこと無さそうだけど痛むか?」

「いえ、大丈夫なのです…心配かけて、ごめんなさい…」

 むしろ怪我よりも気付け薬の味の方が彼にダメージを与えたようだ
 多少ふらついているようだが、自分の足で歩けるらしい
 俺はゴールドの後ろでいつ倒れてきてもいいように身構えていたが、杞憂に終わった

 無事に部屋に戻ると、ゴールドは薬の入った容器を取り出して傷の手当を始めた
 少ないと思っていた傷は上半身裸になって、初めて多いということに気づく
 傷自体は浅いけれども量が多い

「―――ジュン、背中の方に薬を塗って下さい」

「ん、わかった」

 白い背中は日本人のものとは違う透明感があった
 地球人にも肌の色の違う人種が多数あるように、この世界にも様々な色の肌の者がいるらしい
 ゴールドやレグルスは肌が白い人種だが、レンは自分と同じ黄色人種のようだ

「この世界にも色んな色の肌があるんだな」

「そうですね…赤や緑、青や紫など実に様々なのです」

 ……そんな色の肌の奴もいるのか……
 まぁ草木も妙な色だし、人の皮膚の色も例外ではないのだろう


「終わったぞ。……少し寝てろ」

「別に大した怪我ではないのです。寝ていなくてもいいのです」

 怪我は大したこと無いのはわかっている
 しかし気を失っていたのだ
 やっぱり不安だろう

「見ていて不安になるんだ。頼むから寝ていてくれ」

 傷付いた身体を抱きしめると、ゴールドは苦笑しながらも大人しくベッドにもぐった
 見るからに仕方ないな≠ニいう表情だったが、素直に言う事を聞いてくれたのが嬉しい

「水差し空だな…ちょっと貰ってくる。大人しく寝てろよ」

 俺は少し気分を良くすると空になった水差しを持って食堂へと向かう
 水道が無いのは不便だが、こういう生活をしていると運動不足解消になりそうだ

 食堂の中に、飲料水を造っている樽がある
 樽の中には井戸水と殺菌消毒のためのハーブ、そしてブレンドされたスパイスなどが入っている
 井戸水をそのまま飲むと体調を崩したり伝染病にかかったりするそうだ

 俺は樽から水を汲み出して水差しを満たすと、ほっと一息をつく
 毎日毎日、色んな事が起こり過ぎて目が回りそうだ
 次から次へと休む事無く転がり込んでくる事件に皆慌しく駆け回っている
 課題は山積みなのに思うように片付かない苛立ちと、何も手伝えない己の無力さが歯痒い

「……俺、何の役にも立ってないしな……」

 戦う力も無ければ魔力も持っていない
 皆が忙しそうにしているからこそ余計に申し訳ない


「―――――じゃぁ、一緒に作るか?」

 いきなり背後から肩を叩かれる
 最近、どうも驚かされてばかりだ
 どうして皆、気配を消して背後から来るのだろう

「……レグルスさん、足怪我してるんですから歩き回らないで下さい」

 俺の背後に立っていたのは杖をついたレグルスだった
 この世界に松葉杖は存在しないらしい

「俺は黙って魔法実験見物してるようなガラじゃねぇんだ
 退屈過ぎて限界だったからよ、適当な言い訳して抜け出してきたんだ」

「言い訳って何ですか?」

「レンが腹減ったって言うからよ、適当に何か作ってやるぜ…ってな」

「料理出来るんですか?」

「出来ねぇ」

 何となく、そんな気はした…
 あまりレグルスが家事をしているという姿は想像つかないし似合わない
 しかしそんな彼が生み出す料理となると……何かとてつもなく恐ろしい

「……俺、一応独り暮らし長いんで…手伝いますか?」

 次の瞬間、俺は厨房内へと引きずり込まれていた
 どうやらその言葉を待っていたらしい

「得意料理ってのはあるのか?
 一応材料は何でも揃ってるみてぇだが…」

「強いて言うならクレープとホットケーキとお好み焼きかな…」

 物凄く偏っているような気がしないでも無いが
 我が家のホットプレートは生活の必需品――――というより友だ
 これさえあればフライパンもコンロもいらないし、焼肉も焼きそばも出来る

「小麦粉と卵を混ぜて……後は適当に野菜とか肉とか入れれば即席お好み焼き完成」

 皿の上にピサの斜塔のようなバランスで聳え立つお好み焼きの塔が出来上がった
 肝心の味は――――ソースやマヨネーズで誤魔化して食べてくれ
 とりあえず火は完全に通っているから食中毒の心配は無いだろう

「エビとイカが入ってるんだな…シーフードケーキみてぇなもんか?」

 …シーフードケーキって…何だろう……
 ショートケーキのイチゴようにして魚介類が入っているのだろうか
 妙な想像が頭から離れなくて、何となく上にかけたソースとマヨネーズがチョコレートとクリームに見えてくる

 俺はお好み焼きに対して軽いコンプレックスを抱きながらも何とかそれを実験室へと運ぶ
 魔法の本をずっと読んでいたらしいレンに礼を言われた後、俺は部屋へと急ぐ
 ゴールドの分にとキープしておいた皿と本来の目的の水差しを持って早足で歩く
 想像以上に時間を食ってしまった
 ……心配しているだろうか



「ごめん、遅くなった……」

 部屋へ戻ると、ゴールドはベッドに寝たまま本を読んでいた
 ランプの炎を反射して眼鏡のレンズが光る

「あ、お帰りなさい。……先程、リノライ様が来たのです
 魔女は取り逃がしてしまったそうで…注意するようにとの事です」

「そっか……で、その本は何だ?」

「技術向上のための勉強をしているのです…
 出来るだけ負担をかけたくないので…リノライ様に貸して貰ったのです」

 ということは魔法の本だろうか
 やっぱり魔女相手だと勝ち目の無いことを気にしているらしい
 魔力を持たない俺からしてみれば充分に強いのだが上には上がいるのも事実だ

「軽い食事を作ってきたから……一休みしたらどうだ?」

「そうですね……。ジュン、これはシーフードケーキですか?」

「…………お好み焼き…………」

 気になる…シーフードケーキ…一体どんな代物だろう
 レグルスもゴールドも知っているのだから意外と一般的な食べ物なのだろうか

 慣れた手つきで箸を運ぶゴールドを見守りながら、俺は手持ち無沙汰だった
 何となくベッドの上に放り出されている本を取り上げるとページを捲ってみた

「――――って、白紙なんだが……」

「特殊なインクで書かれているのです
 この眼鏡をかけると読めるのです」

 ゴールドは、かけていた眼鏡をはずすと俺に渡してくれた
 一見普通の眼鏡だが、確かにそれをかけて本を見ると字を読むことが出来た


「――――滋養強壮、肉体疲労に愛情込めて、この一本…―――って、何だこれ」

「戦闘能力には限界を感じたので、薬剤師の勉強をしようかと思ったのです
 薬の調合法がたくさん書かれているのです。これならボクでも役に立てるのです」

 剣に魔法に、次は薬物学……実に多才だ
 一種の資格マニアなのだろうか

「俺も何か勉強したいんだが…」

「ジュンもですか? …これはどうです?」

 ゴールドが手渡してくれたのは一冊の赤い本
 普通のインクで書かれた文庫本サイズの―――

「―――マジックストーン・アート……?」

「魔力を帯びた宝石―――魔石の力を最大限に生かす方法です
 魔石に特殊な細工を施すことによって様々な効果を引き出すことが出来るのです」

 彫刻や細工の分野は未知の領域だ
 しかしアートの一種であることには違いない
 剣術や薬物学を学ぶよりは、まだ可能性があるだろう

「……やってみるかな……」

 俺は本にしっかりと向き合うと、最初のページを開いた
 ゴールドは笑顔で紙とペンを貸してくれる
 これから一緒に勉強していこう、と黄金の瞳が言っていた


 ―――――ようやく、俺にもやるべき事が見つかったようだ


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