レン・レグルスのカップルが割り当てられた部屋へ入り、
 ゴールドとジュンのカップルがベッドへもぐりこんだ丁度その頃――――……



 最上階にあるカイザルの執務室では被害報告書をまとめ、
 復興の予算を計算し終えたカイザルとリノライが一息ついていた
 書類の山をファイルに閉じてコーヒーを飲み干せば、室内に静寂が訪れる

「…………」

 リノライは居心地の悪い空間に落ち着き無く座っていた
 久しぶりの二人きりで過ごす時間
 しかしそれは以前のように胸の高鳴るものではなかった

 職務の間、カイザルは業務的なこと以外は何一つ口にしない
 そうなると自分もそれに答えること以外は口に出来なくなる
 それでも意識が仕事に集中している間はまだ良かった
 沈黙は書類とペンの音でうめる事が出来たし余計なことを考えることも少なかった

 しかし、仕事が終わってしまうと状況は一変する

 相変わらずカイザルは無口なままだ
 頬杖をついたまま、ただ机を眺めている
 その表情は何かを考えているようでもあり―――リノライを責めている様でもあった

 声をかけたくても、そんな事が出来る立場に無いことはわかっている
 あの晩、感情を抑えきれずに彼を暴行した事実は未だ記憶に新しい
 主を―――忠誠を誓い永久に仕え続けると心に決めた相手を意図的に傷つけてしまった……

 今更後悔しても、もうどうにもならない
 カイザルは裏切られたと思っただろう
 失った信頼を取り戻すのは至難の業だ

 カイザルは自分を決して許さないだろう
 その夜、リノライは死を覚悟した
 相手は王子だ。一言命じれば部下の命など造作も無く消してしまえる身分にあるのだ

 ……しかし、リノライは今もこうして生きている

 それが彼の慈悲深さからなのか、それとも同情心からなのか―――それとも単に解呪の為なのか
 カイザルの意図はわからないがリノライに何の罰も咎めも与えられなかった事だけは確かだった

 しかしそれが余計に心落ち着かせなくする
 真綿で首を絞められるように、じわじわと苦しめられる
 そしてカイザルに完全に無視されることも拷問のように辛かった


 沈黙が苦しい
 謝罪の言葉を述べることが許されるなら、命を捧げても惜しくは無い
 許されなくても当然。許しを請う気も無い。
 ―――しかし、せめて謝罪の言葉を口にすることを許して欲しかった

「………………」

 言葉が出ない
 口を開いても、か細く吐息が漏れるだけ

 無言のカイザルを姿を前にすると、どうしても声が出せない
 せめて何か―――何か、きっかけをつかむ事が出来れば……
 祈り、縋るようにカイザルに視線を向けても、彼は自分の姿を見ようともしない
 交差する事の無い視線は空しく宙を彷徨った












「……リノ」

 視線を机に向けたまま、カイザルは補佐官の名を呼ぶ
 リノライはそれだけの事で、心が舞い上がるような喜びを覚えた

「はっ、如何なさいました?」

 少し声が上ずっただろうか
 平常心を保つように意識を集中させ、必死で笑顔を作る
 心臓が破裂しそうなほど脈打ち、全身にじっとりと汗が滲んでいた

「………そんな目で僕を見るな」

 抑揚の無い声
 非難とも受け取れる言葉に全身が凍りつくような錯覚に襲われた
 一体自分はどんな視線を彼に向けていたのだろう

 まさか無意識に、下心丸出しの飢えた獣のような視線を向けていたのでは…
 一気に血の気が引いてゆく
 昔からカイザルの前では平常心が崩れやすい
 また、隙が出てしまったのだろうか

 あの晩、彼にかけた魔法も中途半端だった
 魔法陣は確かに対象者を捕らえてはいたが、平常心を保てなかったが為に完全にその効果を発揮しなかったのだ

 抵抗を封じる為と、苦痛を感じさせない為にかけた筈の深い眠りへ誘う魔法陣
 しかし中途半端にかけられた魔法は彼の身体の自由を奪っただけだった
 カイザルの肉体は眠りにおちていた
 しかし、意識はしっかりと覚醒していたのだ

 いわゆる金縛り状態―――閉じた目蓋を開くことも悲鳴を上げることも出来ない
 指先ひとつ動かせない状態、しかし皮肉にも意識も感覚もはっきりとしている状況だった
 リノライがそのことに気づいたのは、既に何もかもが終わってしまった後だった

 ――――最低、最悪……言い逃れ出来ない

 思い出す度に頭痛と眩暈がして来る
 傷つける気は無かった―――などという言い訳は絶対に言えない
 あまりにも白々し過ぎる。ナイフで刺せば傷付くのは当たり前なのだから

「……カイザル…王子」

「言いたい事があるなら臆せず言えばいい
 僕もリノに伝えなければならない事がある。 ―――まずはリノから言え」

 伝えなければならない事とは何だろう
 ついに自分の処罰が決まったのだろうか
 リノライは身体の汗がすっと引いて行くのを感じていた

 死罪を言い渡されても仕方が無い事を自分はやったのだ
 今更命乞いをするのも見苦しいだろう
 ――――どうせ死ぬなら、この胸の内を洗い浚い吐き出してからでもいい

 リノライは黙って立ち上がると、向かいに座っているカイザルの元へと歩み寄った
 そのままカイザルの足元で跪くと、その靴に口付ける

「この罪は私の命で償いましょう
 どうぞ、この首を切り落として下さい…」

「………謝罪の言葉は無しか?」

「謝罪をした所で許される罪ではございません
 星の数の謝罪より、死をもっての償いを私は選びましょう」

 全て故意的にやったのだ。謝り様が無い
 ただ、自分の首を切り落とすことで少しでもカイザルの怒りが治まればいいと思った

「……ふん、まぁ良いか」

 次の瞬間、リノライは頭に強い衝撃を受けた
 ガツ、という鈍い音が響く

「―――痛っ!!」

 床に顔面を打ち付けて目の前に星が飛ぶ
 鼻の奥がツンと痛んだ

 思い切り後頭部を殴られた
 拳と床の間に挟まれた上、妙な体制のせいで背骨がギシギシと痛む

「うっ…く…ぅ…」

 息が出来ない
 苦しくて呻き声が漏れた




「………」

 カイザルは黙ってその姿を見ていた
 本当は足で踏んでやりたかったが、石の塊で踏めばその頭を踏み潰してしまう
 仕方無く後頭部を思い切り殴りつけたのだが

 ――――意外と、気持ち良いかも知れない……

 思いの他すっきりとした自分の心に、内心驚きを隠せないでいた
 こんな事で怒りが治まるならもっと早く殴っておけばよかった

 ――――本当は、リノライの泣き顔を見たかったんだけどな……

 まぁ、とりあえず反省しているらしき事はわかったし
 怒りも静まったのだから許してやっても良いかも知れない
 リノライの泣き顔を見るのは、またの機会にしよう

 カイザルはリノライから手を離すと、徐に立ち上がった
 次は自分の番だ
 ジュンと約束したとおり、自分に正直になってリノライを好きであることを認めよう

「………………」

 そこで、はたと気づく
 告白の言葉を決めていなかったのだ
 ――――困った…何と言えば良いのだろう
 カイザルは腕を組むと、そのまま考え込む







 ただ好き≠ニか愛してる≠ニ伝えるのでは味気ない
 では何と言って伝えるのがいいのだろう

 ……黙って俺について来い……?

 いや、何か違う…それに自分のキャラが違ってしまう
 大体リノライは既に黙って自分について来ているではないか

 ……リノライの作った味噌汁を毎日飲みたい……とか言ってみたり…?

 しかし城には専属のシェフがいるのだからそんな必要など無い
 それにリノライに料理なんて出来ただろうか
 ……というよりそれは愛の告白を通り越してプロポーズの域に達している

 いや、思い切って…いきなりプロポーズというのも良いかも知れない
 きっとリノライも喜ぶだろう…←普通その前に驚く


「―――リノ、そなたに命ずる」

「…は。覚悟は出来ております」

 リノライは跪いたまま動かない
 静かに目を閉じたまま、死刑宣告を待っていた
 そして―――……

「結婚しよう」

「………はい……………………って、はいぃ!?」

 この時のリノライのアホ面は、きっと一生忘れないだろう
 泣き顔よりも珍しいものを見たかもしれない
 カイザルは妙な感動を胸に感じていた

「別に大規模なものでなくても良い…ジュンたちを招いて―――」

「あ、あの、ちょっとお待ち下さい!! 何なのですかっ!?
 その……いきなり、け、結婚などと……冗談にしては質が悪過ぎますよ!?」

「失敬な!! 別に冗談ではないぞ?
 それとも何か? その気も無いのに僕を抱いたのか?
 身体だけが目的だったというのなら本気で許さないぞ!?」

 何か、いきなり連ドラのような展開になってきた
 リノライは目まぐるしく色を変える場の空気に翻弄されながらも何とか自分を取り戻す

「そんな筈無いでしょう…そうではなくて、どうすればいきなり結婚などという発想が来るのですか」

「ジュンと話し合ったんだ。 その結果、どうやら僕はリノの事が好きらしいとなってな
 これで僕たちは相思相愛という訳だろう? それなら別に結婚してもいいじゃないか
 ―――あぁ、それと身分の違いとか跡取りの問題とか、つまらないことは口にするなよ?」

「いえ、あの…しかし……」

「―――何だ、僕と結婚するのがイヤなのか?」

「そんな事はございませんが……」

 リノライは痛む頭を押さえつけた
 眩暈がとまらない

 ……どうしてこの方はいつも発想が極端なのだろう
 カイザル独特のペースにいつも振り回されてばかりだ
 きっと何年経っても彼に振り回され続け、慣れる事など一生無いのだろう…

 彼のおかげで今まで、どれ程の寿命が縮まったことか
 いつも心臓が止まりそうなことばかりだった

 ――――しかし………

 その分の苦労が、ようやく報われる日が来たのだろうか
 実るはずの無い不毛な恋
 自分とカイザルの想いの間には常に厚い壁があった
 しかし、まさかその壁をカイザルの方から壊してくれる日が来るなんて――――!!


「……り、リノ……頼むから泣きながら笑うな
 顔面崩壊していて……怖すぎるぞ……?」

「あ……申し訳ございません
 嬉しくて、つい……理性を失ってしまいました」

「……そ、そうか………
 まぁ、喜んでの事なら許す」

「はい。……カイザー、私が必ず貴方を幸せに致します…」

 リノライはカイザルの身体をしっかりと抱きしめた
 幸せかと問われれば、間違いなく首を縦に振るだろう
 しかし――――

 ……この方のなさる事には、必ず何かオチがりますから……

 一体どんなオチに泣かされるハメになるのだろう
 リノライは一抹の不安を胸に抱きながら幸せを噛み締めた



 ―――とりあえず、今ここに新たなカップルが誕生した事だけは確かなようである


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