「ねぇ、さっきから何か…海が言って来るんだよ
 でも俺も海の言葉ってわかんないし困っちゃうよ」

 食事の最中、レンがポツリと言った
 その言葉にリノライが興味を示す

「海からの言霊でらっしゃいますか?
 この城から海までは1km程離れておりますが…」

「何か、潮風に乗って声が聞こえて来るんだよ
 でも何言ってるのかは、さっぱりわかんない」

 レンは困ったように窓の外を見やる
 海の守り神となった今、海からのメッセージを聞く義務がある
 しかしいくら聞いても言葉が通じなければどうしようもなかった

「それでは、その声はどのような感じでらっしゃいます?
 例えば落ち着いておられるとか、怒っておられるなど…如何でしょうか?」

「んっと…怒ってるというよりは―――慌ててるよ。どうしたんだろう」

 レンの耳には潮風に乗って、慌てふためく海の声が聞こえていた
 切羽詰ったような、何かに脅えるような…そんな感情を訴えるような声だった

「俺、ちょっと見てくるよ。これでも一応守り神らしいし
 …みんな、悪いけど少しの間レグルスの事よろしくね」

 レンは急いで皿の残りを一気に平らげた







「いや、別にオレはガキじゃねぇんだが…」

「うん。でも何か頼らざるを得ない予感がするんだ。折角だから、みんなに頼っててよ」

「……はぁ?」

 それはどんな予感なのだろう
 理解に苦しむ言葉を残してレンは食堂を出て行った



「レンさん、一人で大丈夫か?」

 俺は暗くなった外に不安を覚える
 夜の一人歩きが危険なのは常識だ

「ここはカイザル様の領土なのです。常にお城の兵士が巡回しているのです
 危険なモンスターや悪い人はこの島にはいないのです……安心してください」

「……そっか、そうだな…ここはジャングルじゃないもんな」

 仮に何かあっても――――レンだから大丈夫だろうし
 それにもう彼は以前の魔族ではない
 強い魔力を持つ伝説のセイレーンなのだ

「それにしても…レンさんって、随分たくさん食べるんだな」

 俺は既に空になったレンの食器を眺めた
 山積みになった皿が所狭しと並べられている

「魔力を使うと特にお腹が減るのです。カロリーを大量に消費するようなのです
 今日は沢山特に魔力を使ったみたいですから、沢山食べても不思議じゃないのです」

「でも、だからって…シチュー六杯とパン一斤も食えるものなのか?
 あのサラダの量も換算するとキャベツ一玉くらい軽くあるよな…?」
 ついでに言えばデザートの洋梨のタルトも、甘いものは別腹とか言ってたし…」

 彼の胃袋は一体どうなっているのだろうか
 同じく実験していたリノライでさえ、シチュー三杯で満腹しているというのに

「確かに…あれはボクも驚いたのです
 でも、ほら、レンさんもまだ若いし体格も良いから…」

「言っちゃ悪ぃがよ、レンの奴は魔力を持つ前からあの位食ってたぜ?
 酒には強くねぇみたいだけどよ、好き嫌いしねぇで何でも食いやがる
 例えそれが凶暴化した鍋料理だろうが何だろうがな…マジですげぇぜ?」

 ……凶暴化した鍋料理って、何だ……?

「これもレンさんの個性ということなのです…それでいいのです」

 本当にいいのか、それで…
 まぁ俺がどうこう言える立場にはないが
 俺は一杯のシチューさえ余しそうになりながら、それでも何とか口に押し込んだ




 ―――それから30分ほど経った

 俺たちは雑談をしながら軽くグラスを傾けている
 レグルスもカイザルも、重い装飾を外し、ラフな服装で寛いでいた
 毛足の長い絨毯の上で足を伸ばし、暖炉の炎を眺めながら穏やかな時を過ごす
 久しぶりに静かにゆっくりと流れる時間だ

「リノ、そなたも疲れておるだろう?
 しばし早いが湯浴みにでも行くが良い」

「いえ…お心遣いは感謝致しますが今しばし歓談の時を楽しみたいので」

 リノライは微笑むとグラスにワインを注ぐ
 歓談を楽しみたいというよりはカイザルの傍にいたいのだろう―――何となくそう思う

「レン、遅ぇな…そろそろ帰って来ても良いんじゃねぇか?」

 レグルスは窓辺に立って外を見た
 骨折した足は硬く固定されているため、引きずるような歩き方だ
 その歩き方はカイザルの歩き方と良く似ていた









「レグルス殿、立っていては危険ですよ。どうぞお座り下さい!!」

 その姿が一瞬カイザルと重なったのだろうか
 リノライは珍しく慌てたようにレグルスのそばへ駆け寄る

「…………なぁ、リノライさんよ。この城ってぇのは、いつもこんなに修羅場ってんのか?」

「え…?」

 リノライはつられる様に窓の外を見やった
 そこでは薄闇にまぎれて城の兵士たちがバタバタと走り回っていた
 ここからでは聞き取れないが、何やら大声で叫び合っている

 リノライが怪訝そうに顔を顰めた次の瞬間、勢い良く部屋の扉が開け放たれた



「―――失礼致しますっ!! カイザル様、リノライ様!! 魔女が…敵襲との報が只今届きましたっ!!」

 城の兵士たちが息も荒く一気に言い放つ
 尋常ではない雰囲気に俺たちは一気に飛び起きた
 しかしカイザルは慣れた様子で兵士に指示を与える


「城の兵半数を海岸へ配備せよ!! 門を閉じ進入を許すな!!
 敵船が上陸する前に沈めるのだ、何としても城下への襲撃は食い止めねばならん」

 カイザルとリノライが兵士に指示を与えていると、新たに兵士が駆け込んで来た

「―――し、失礼致しますっ!! れ、レン様がお独りで魔女の船へ…!!
 このままでは大変危険です!! ど、どうか大至急応援をお願い致しますっ!!」

「――――レンが!?」

 レグルスの顔が青ざめる
 俺とゴールドにも悪夢のような過去が一気に思い出された


「ゴールド、貴方はレグルス殿を連れて地下へ避難して下さい
 カイザル王子は兵と共に城の警護をお願い致します
 ……申し訳ございませんが、ジュン殿は私と海まで御同行願えますでしょうか?」

「お、俺!? 何で俺がですか!?」

「魔女の中には相手の放つ魔力を察知して攻撃を仕掛けて来る者がおります
 ですから魔力を持たない貴方のサポートがあると大変心強いのです
 ……ご安心下さい、私がしっかりと貴方を守護致します故、身の保障は致します」

 俺の力で役に立つなら喜んで戦地に立ちたい
 もう何も出来ずに仲間が傷付いていくのは見たくなかった

「はい、わかりました」

「感謝致します。では急ぎましょう、少数ではありますが魔女の中にもカイザル王子のように
 風精を操り瞬間移動して城へ攻め入って来る者もおります……時間はあまりございません」

 ゴールドは俺に軽く目配せすると、レグルスを肩に担いで走ってゆく
 カイザルも城の警護のため、風精を呼び出し何処かへ瞬間移動して行った
 俺とリノライも外に向かって走った

 たまに地面が激しく揺れる
 既に魔女の一部が城に潜入しているのだろうか
 ぱらぱらと頭上から崩れた石の粉が降る

 城内の照明は消えていた
 暗闇の中を、リノライが杖をかざして光を生み出す
 光は雷のように波打ちながら彼の周囲を照らした








 リノライは無言のまま走り続ける
 その手にはしっかりと杖が握られていた


 城の出口まであと少し
 しかし更に1kmほど離れた海まで、まだまだ走らなければならない
 果たしてそれまで体力が持つだろうか…それが心配だった

「…リノライさんは体力に自信あるんですか?」

「いえ…恥ずかしながら毎日研究室に閉じこもっている身ですので…」

 確かに魔法実験ばかりしているリノライは運動とは無縁そうだ
 いくら魔法がカロリーを消費するからといって身体を鍛えるということにはならない
 体力の無さでは、もしかすると自分と良い勝負なのかもしれないと思った

「海に着くまでは出来るだけ敵とは遭遇したくありませんね…体力は温存しなければ後が辛いことになります」

 リノライがバテてしまっては自分の命も危ない
 俺は極力敵に遭わないように祈りながら走った
 しかし地球人の祈りは異世界の神には届かなかったらしい

「――――リノライさんっ!! 化け物が!!」

「…運が悪いですね…まさかこんなに大勢でいらっしゃるとは…」

 城門のところで俺たちは化け物に囲まれてしまった
 目の前に立ち塞がる化け物は姿こそ人の形をしていたが、鋭い角や牙の生えた獣のようだった

「この数では逃げるのは無理でしょう。残念ですが戦うしかありませんね…」

 敵の数は6体と多い
 しかし引き返して裏口から城外へ出る時間は無い
 ここは強行突破をするしかなかった

「ジュン殿、私の後ろに下がっていて下さいね…くれぐれもお怪我をなさらぬよう」

 リノライが杖を構える
 その優雅な物腰で、一体どのような戦い方をするのだろう
 俺にはまるで想像できなかった
 しかし――――


「ここは我に任せてもらおう。 リノ、ジュン!! 先を急ぐが良い!!」

 瞬間移動の魔法を使ったのだろう
 俺たちと化け物の間に突如カイザルが現れた

「え…でも、カイザルさん独りじゃ…」

「案ずるな、我とて最高位悪魔…モンスターごとき造作も無い」

 しかしカイザルには自由に歩き回れないというハンデがある
 この数の化け物に対してどう戦うというのか
 いや、それ以前にカイザルは敵と戦うことが果たして出来るのだろうか

「恐縮でございますが、宜しくお願い致します
 ―――さぁジュン殿、時間はもうありませんよ…参りましょう」

 予想に反してリノライが俺の腕をつかんで再び走り出す
 カイザルの事を何より優先するリノライに有るまじき行為だった

「ちょっ…リノライさん、カイザルさんが心配じゃないんですか!?」

「あの御方なら心配要りませんよ…アイニオス家は武闘派であることでも有名でらっしゃいますから」

「えっ…」

 思わず後ろを振り返る
 俺たちから10メートルほど離れたその場所では既に、2匹の化け物が地に沈んでいた

 気合の入った掛け声と共に強烈なパンチが繰り出される
 直撃した化け物は軽く3メートルは吹っ飛び、そのまま動かなくなる

 カイザルは今、格闘王と化していた










「……強いな……」

「ええ、血筋もありますが…あの御方の場合は日常生活が既に筋力トレーニングでらっしゃいますから…」

 確かに石の塊と化した脚を引きずっての毎日は、さぞかし重労働だろう
 そんな日常の中で彼の上半身は格闘家レベルにまで鍛え抜かれているのだ
 露出度の低い服装のせいで目立たないが、きっと腹筋も凄いに違いない

 筋骨隆々のカイザル―――いや、想像するのは止めておこう
 俺は恐ろしい雑念を振り払うと、海を目指して走ることだけを考えることにした


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