「どうしたのです?
 何か嬉しそうなのです」

 ゴールドが紅茶を注ぐと甘い香りが広がった


「うん…ちょっと…な」

 俺は笑みを噛み殺すのに必死だった
 どうしても顔がにやけてしまう

 そんな俺を見てカイザルは更に顔を赤くしていた


「本当に仲が良いのです…ボクも見ていて嬉しいのです
 ……はい、お茶が入りました。カイザル様のお好きなブラックカラントティーです」

 ゴールドがティーカップを差し出す
 甘い香りを放つその紅茶は――――どす黒かった

「怖っ」

 黒いといっても墨のような黒さではなく、むしろ濃い紅色と言った方が正しい
 例えるなら―――少し古くなった大量の血液をカップに注いだといった感じだろうか









「ブラックカラントのジャムがたくさん入っているのです
 甘酸っぱくて疲労回復にも健康にも良いのです
 ここに来る途中で研究チームの三人にも差し入れとして渡しておきました」

「うむ、ご苦労であった
 して…研究の方はどうであった?」

「当初の予定以上に進んでいるようなのです
 これも伝説のセイレーンの起こす奇跡なのでしょうか」

 しかし、レンの場合絶対に油断は出来ない
 何もしなくても妙な生物を出現させたりするような奴だ
 これが意図的に呼び出すとなると…本気でどんなものが出てくるかわからない


「根菜民族呼び出したらどうする?」

「煮物にでもしてみましょうか?」

 ――――食べたくない……
 あれを食べるのは巨大なネズミくらいだろう

「しかし、レンの服の傷み様は目に余るものがあるとは思わぬか?
 やはりここはセイレーンに相応しき衣を新調しておくことにするか…」

 確かにレンの服は魔女との戦いに巻き込まれたこともありボロボロだった
 あの姿で城内を歩くのは酷だろう
 尤もこの城の住人はジャージ姿の王子に見慣れているから、今更ボロの服如きではあまり驚かれないと思うが

「レグルスとやらも気丈なことだが折れた足で魔法実験に立ち会うのは褒められたことではない
 一先ず手当てはしたが、本来ならばしっかりと寝ていなければならぬ。治りも遅くなるというものだ」

 部下の管理も上に立つ者の役目
 自然と協力者であるレンとレグルスにも目をかけてしまうらしい

「……薬師を呼び寄せておくか…ついでに仕立て屋も……いや、それよりも先に食事か……」

「カイザルさんて意外と面倒見良いんですね」

 今日一日でカイザルに対する印象が大きく変わった
 時と場合によっては本当に折り目正しく頼れる人物に変わるらしい

「じゃあボクはシェフにディナーを頼みに行くのです
 …ジュンはレンさんたちを迎えに行って欲しいのです」

「ああ、確か地下室から更に隠し通路があるんだったな
 わかった…ちょっと行って来る。食堂集合で良いんだよな」

 お世辞にも、あまり広いとは言えない城だ
 以前世話になっていた数日間だけで、ある程度の内部構造は記憶していた

「それでは我はその間に薬師と仕立て屋を手配しておくとしよう」

 俺たちは揃って席を立つ
 それぞれが目的の場所へ向かう


「秘密の魔法研究室か…楽しみだな」

 極秘で進められている召喚実験は当然ながら、その研究室も隠されている
 人間という生き物は、隠されているものほど気になるものだ

 俺は半ば嬉々として地下へと向かう
 その場所は以前戦中に緊急避難した場所だ
 恐ろしい化け物の姿に気絶したこともあった
 しかしその場所にあまり嫌な印象を抱かないのはゴールドとのキス未遂の思い出もあるからだろう

「あの頃は…まさかゴールドとこんな関係になるなんて思っても見なかったな……」

 人生は本当にどうなるか予想がつかない
 そもそも異世界に呼び出されるなんて誰が想像できただろう
 しかし、こういうハプニングも決して俺は嫌いじゃない

 ゼミの発表会も出席日数の危なかった授業も―――――今はもう未練も無い
 実のところ元の世界に帰ることができなくても、別に構わないとさえ思っていた

 見るもの全てが斬新な大冒険の毎日
 危険もあるが、だからこそ信頼し合い助け合える仲間たち
 そして――――何よりも俺の事を愛してくれる恋人がいるこの世界の方が、ずっと魅力的だ
 むしろゴールドを置いて日本に帰ることのほうが信じられなかった



 薄暗い地下室は殺風景ながらも大理石製で豪華なものだった
 この床の一部が更に地下へと通ずる隠し階段になっている

「左端の…灯りの真下の床が外れるんだよな…」

 予め隠し場所を聞いていないと地下室の存在など想像もできない
 本当に自然に階段は隠してあった
 同じく大理石の隠し部屋は、しかし想像以上に狭い所だ
 ランプがひとつしかなくても部屋の隅にまで灯りが行き届いている



 レンとリノライはひとつの魔法陣の上に立って何かの書物を読んでいた
 レグルスは特に手伝うことも出来ないらしく、のんびりと彼らを眺めながら紅茶を飲んでいる

「……あの、皆さん夕食の時間なんで休憩して下さい」

「あ、ジュン君…もうそんな時間? ここって窓が無いから時間の経過がわかんないんだよ〜」

 レンは書物を持ったままで手を振る
 危うくそれが隣にいたリノライに直撃しそうになって、俺は思わず冷や汗をかいた

「実験は進んでいるんですよね?」

「…ええ、私自身も大変驚いているのですよ…
 まさかここまで強い魔力を魔法陣に注ぎ込めるとは思ってもおりませんでした」

「レンは強ぇ魔力があるってぇのに、それをコントロールする事が出来ねぇんだ
 力の方向を魔法陣に向けるまでに、物凄ぇ時間と労力が必要だったんだぜ?」

 レグルスは欠伸を噛み殺していた
 魔力を持たないがため、蚊帳の外である彼には退屈極まりないのだろう

「だって仕方が無いよ。今までは魔力なんて持ってなかったんだよ?
 いくら力が覚醒したからって、いきなり使いこなせるようになんてならないよ〜」

 レンが頬を膨らませる
 伝説のセイレーンと化した彼自身も、その力を持て余している様だ

「大丈夫ですよ、まだまだ若くてらっしゃいますし…すぐに魔力の制御法も身につくことでしょう…」

 リノライは散らかった書物を本棚に戻すとレンの方に手を置いて労う
 背表紙を揃えて収納しているあたり、几帳面な性格なのだろう
 大雑把なレンの片付け方とは対照的だ―――誰が何処を片付けたのか一目でわかる

「…まぁ、こんなモン…かも知れねぇな。とりあえず足の踏み場はあるしよ」

 レグルスのフォローが虚しく部屋に響く
 微かに木霊するのが切なさを煽った









「……え…っと…じ、じゃあ行きましょうか?」

「そうですね…皆様も、さぞかしお腹が空きましたでしょう?」

 俺とリノライは無難な話題を持ち出して切なさを払拭した
 そして心に誓う―――――二度とレンに後片付けはさせないと

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