「……船、物凄い揺れだな……」

 頭上から下げられた照明が今にも落ちてきそうだ
 ギシギシと木の軋む音が恐怖感を駆り立てる

「船酔いには気をつけてくださいね?」

 首筋を舌で突いていたゴールドが悪戯っぽく笑う
 ……キスが欲しいと言っていた筈なのに、ちゃっかりとその先に進んでいるあたりが、やっぱり悪魔だ
 でも、こんなに優しい悪魔になら全てを委ねても構わない……

 再び、ゴールドに口付けようとした時だった




 ――――ドン、ドン、ドン!!


「すみません、ジュンさんと使い魔さん!! ちょっと甲板に出て来てもらえますかっ!?」

 切羽詰ったような船員の声が室内に響いた



「………どうしたのですか?」

 ゴールドは手早く衣服の乱れを正すと、完璧な作り笑顔で船員を出迎える
 ……でも、内心は、かなり……怒ってる……と、思う
 俺は冷や汗をかきながら事の成り行きを見守った

「あ、あの、上空にモンスターらしき影がありまして……船長が、使い魔さんに応援を……」

 まだ歳若い船員はしどろもどろになりながら説明を始める
 ゴールドはモンスター≠フ一言で表情を変えると、俺を振り返って叫んだ

「ジュン、急いで甲板へ向かいましょう!!」

「あ…ああ、そうだな」

 明らかに敵意丸出しのゴールドに思わず後ずさる
 まぁ、レンの事もあるし敵の存在に対して過敏に反応してしまうのは仕方がないだろう
 しかしその剣幕に脅えて震えている船員が少し気の毒だった



「上空っていうと、やっぱ空飛んでるのか?」

「恐らくはそうでしょう……全く、いくら年寄りのボクだって、いい加減に欲求不満になりますよ」

 まぁ中断させられたのも、これで二度目だし…いい加減ゴールドも苛立っているようだ
 俺としては残念なような気もすれば、少しほっとしたような気もする微妙な心境なのだが…

 …いや、それよりも……ゴールドって歳はいくつなんだろう……
 自分で年寄りだと言うくらいだから、もしかしたら物凄い歳なのかも知れない
 ―――とりあえず、自分よりは年上であることは確かだと思うが

 そんなどうでもいい事を考えているうちに、いつの間にかゴールドは甲板で船員と話をしていた


「…すみません、何か剣のような武器はありますか?
 海の上では大地が遠過ぎて…土の魔法が使えないのです」

「あぁ、この剣を使って下せぇ。質は悪いが手入れだけは十分でさ」

「ありがとうございます。……それで、モンスターは何処に?」

 ゴールドは剣を振って、その重さや切れ味を試していた
 小ぶりの剣が手の中で、まるで生き物のように見えるような見事な剣舞の腕だ

「ついさっき、海の中から鳥のようなモンスターが出て来て…
 空と海を行ったり来たりしてまして…こんなモンスターは初めてでさぁ…」

 船員は青ざめた表情で空と海を交互に監視していた
 その手には望遠鏡が握られている

「……そのモンスターに心当たりは無いのですね?」

 ゴールドも警戒しながら水面や上空を交互に見つめてる
 船内の緊張が更に張り詰めた

「―――水中と空中を自由に動き回るモンスターなんて……
 いや、もしかしたら……セイレーンとかいう奴かもしれませんぜ!?」

「セイレーン…? それは確か海の守り神といわれてる……?
 ですがそれは架空上の…伝説として本の世界にのみ存在しているのではないのですか!?」

 渋い顔をして海面を睨むゴールドに俺は駆け寄った

「……ゴールド、セイレーンって何だ?」

「セイレーンはモンスターでも魔でもない…精霊…そう、水精に近い存在といわれています
 鳥の羽を持つ美しい海の守り神で水中と空中から常に海を護っているとされている架空の存在です」

「船乗りたちの間では…セイレーンは災いを呼び寄せる鳥だって伝わっておりますぜ?
 セイレーンの近くでは常に異常気象に見舞われて…巨大な津波が起こったり海から化け物が出てきたりするそうでっせ?」

 結局、海を護っているのか荒らしているのか…よくわからない奴らしい
 ただその容姿が鳥のようなものだということだけは確かなようだ

「そうか…伝説のセイレーンが実在してたのか…へへ、通りで波が妙だと思ったぜ…
 こりゃぁ…もうお終いですぜ? この船は沈められちまう…セイレーンは船乗りにとって死神でさぁ!!」

「船長、落ち着いて下さい!! …まだセイレーンだと決まったわけではないのです
 セイレーンは実在しているかどうかもわからない存在なのですから、諦めないで下さい」

「……いや、あれは確かにセイレーンだ……間違いない、本で見たとおりの姿だった……」

 船員はそう言ったきり、甲板に座り込んでしまった
 ―――船内に重い沈黙が漂う


「…ゴールド……」

「ジュン、何があっても貴方だけは護ります
 貴方の為ならこの命など惜しくはありません」

 ゴールドはいつ襲い掛かってくるかわからない敵に備えて剣を構えている
 その目は本当に敵と刺し違える決意に満ちていた

「……俺だけ助かっても意味が無い
 お前が死ぬなら…俺も一緒に連れて行ってくれ」

「……ジュン……ええ、そうですね………」

 もし本当にセイレーンが巨大な津波を起こしたなら
 この船が沈められてしまったら―――もう助かる見込みは無い
 周囲を見渡してみても陸も見えない
 それに冬間近の冷たい海に投げ出されて無事でいられる自信は無かった

 どうしようもない、やり切れない気持ちで胸がいっぱいになる



「あ…あの、すみません…ジュンさん、あの…」

 不意に、少し離れたところで歳若い船員の声がした
 振り向くとあの船員が―――レグルスを支えて立っている

「れっ…レグルスさん!? どうして……」

 船が激しく揺れていたせいだろうか
 思いのほか睡眠薬が早く切れたようだった

「あ、あの、彼が…どうしても外に出たいと…あの、その……」

 船員は叱られると思っているのか、見るからに青ざめている
 ゴールドはそんな彼に気を遣い代わりにレグルスを支えると船員を下がらせた

「……レグルスさん、足が折れてるんだから寝てないと危な……」

「悪ぃがよ、ひとつだけ頼みがあるんだ。頼まれてくれねぇか?」

 レグルスの表情は静かだった
 目もしっかりと焦点が合っている
 それはいつものレグルスそのものだった

「…どうしたのです? 何か欲しいのですか?」

 ゴールドはレグルスの背を軽く叩きながら、あやす様に声をかける
 しかし彼は水面から目を離さなかった

「―――オレを、そこの海に沈めてくれねぇか…?」

「………え…?」

 一瞬、言われたことの意味がわからなかった
 わかりたくないと脳が判断したのだ

「オレはレンと一緒にいてぇから、あいつのそばに行く
 あいつの眠るこの海で――――オレも眠りてぇんだ
 お前たちならオレの気持ちも、わかってくれるだろ……?」

「…………」

 俺たちは、何も言えなかった
 つい先ほど死ぬ時は一緒だと誓い合ったばかりなのだから
 レグルスの気持ちは手に取るように―――まさに自分自身の事のように良くわかる

 俺がレグルスの立場でも、やっぱり彼と同じ言葉を言うだろう
 しかし、だからといって彼を海に投げ込むことは俺には出来ない
 これ以上誰かが死ぬのは見たくない……

 俺は黙って項垂れた
 悲しくて切なくて涙が止まらない

「……ボクたちに友殺しの十字架を背負わせる気ですか?」

 ゴールドは悲しそうにレグルスを見つめる
 涙こそ浮かんでいないが―――それが余計に彼の嘆きを表していた

「貴方はそれで幸せかもしれません
 ですが、ボクたちは一生その罪を背負わなければならないのです」

「そうだったな、悪ぃ。ぎりぎりの所まで連れて行ってくれれば良いぜ
 その後は―――自分で飛び込むからよ……だから、頼む……」

 ゴールドは答えなかった
 しかし、彼の身体を支えたままゆっくり歩を進めることが肯定を表している

「……そんな……ゴールド、本気か!?」

「ボクは彼を海のそばまで連れて行くだけです
 あとは全て彼次第なのです……ごめんなさい……」

「――――っ……」

 俺にはゴールドを責める事が出来なかった
 そして、レグルスを引き止める術も無かった

 ―――悲しい
 あまりにも悲し過ぎる結末

 涙で滲んだその先で
 一人の青年が船から身をなげた

 氷のように冷たい荒れ狂う波は一瞬でその姿を飲み込む
 夜の闇のように暗い海の底へ
 青年は深く深く―――沈んでいった


「レグルスさんっ……!!」

 手を伸ばしても、もうその姿は何処にもない
 彼はもう、いってしまったのだから

 ―――愛しい恋人の眠るその場所へ





「おい!! 津波が来るぞ―――!!」

 船員たちが叫ぶ
 海は更に荒れて巨大な津波を生み出していた

「……ジュン、室内へ避難しましょう」

 ゴールドは俺を抱えるようにして船内へと走る
 船は大きく揺れて時折バランスを崩して固い床に叩きつけられた

 それでも何とか部屋の中に駆け込む
 船員が部屋のドアを閉めるのと、巨大な津波が船を飲み込んだのは、ほぼ同時だった

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