空の黄昏は夜の闇に包まれた
 澄んだ夜空は、切ない程に綺麗な星が輝いている



 悲しみに沈んだ沈黙の中、荒れた波音だけが悲しく響いた
 そこに明るい笑顔を振り撒いていた青年の姿は無い

 指の一本でも服の切れ端でも構わない
 何でもいいから見つけて―――故郷の土に埋めてやりたかった

 海岸を探し回っても遺留品と思われる物は見当たらなかった
 今や彼の存在を証明するものは、微かな鉄の香りのするものだけ
 だがそれも潮風に乗って消えていく

 この血痕が消えてしまえば、もうあの青年がこの世に存在していたことを証明するものは何もない





「――――この波では船も来れないでしょう……」

 ゴールドが誰にとも無く呟く
 火を熾す事も無く、食事を取る事も無く――――ただ、荒れた水面を見つめている
 もう、何もする気が起こらなかった

 レグルスは穏やかな表情で眠っている
 あまりにも激しいショック症状に陥っていたため、ゴールドが止むを得ず―――気絶させたのだ
 専門的なことはわからないが、首の後ろに一撃食らわせただけで意識を失うことが本当にあるなんて思わなかった


「明日、船が来たら……彼を城で治療しましょう
 ここでは骨折の治療をすることは出来ませんから…」

 城の中には高度な医療技術を持った医者がいる
 ……しかし、どんなに優れた医者であろうと――――レグルスの心の傷は癒せない
 この傷はレグルス自身が癒す他、どうしようもないのだ


「…夢の中でだけでも、せめて今だけでも―――穏やかな時を過ごして下さい……」

 ゴールドは折れた足に添え木をしながらそう呟いていた
 彼が目を覚ましたその瞬間から、受け入れ難い現実が襲い掛かってくるのだ
 絶望と悲しみの底で、彼が再び立ち上がることが出来るかどうかはわからない

 悲しみに押し潰されて気が狂う可能性もかなり高い
 しかし、ゴールドも、ジュンも―――彼を助けることは出来ないのだ


「……レグルスさん、立ち直れるだろうか……」

「わかりません。しかし―――今すぐに立ち直ることは不可能に近い筈です
 彼を立ち直らせるもの、それは流れる時と他ならぬ彼自身の強さだけなのです……」

 ゴールドはレグルスから色々と話を聞いていた

 レグルスは淋しげに、自分には何もなかったと言っていた
 家族も故郷も住む場所も何もない―――そんな彼が唯一、その手につかむ事のできた宝物
 それがレンという青年なのだと、惚気混じりでそう聞かされた

 天涯孤独の青年が唯一、心の拠り所にしていた存在を失ったときどうなるのか―――……


「彼はボクと良く似た境遇だったのです。ボクにも家族はいません。住んでいた城からも出て来てしまいました
 何もない、この身ひとつになって……そしてようやく手に入れた本当に大切なもの……それが愛≠ナした」

 レグルスの心の傷をおもうだけで―――胸が張り裂けそうになる
 自分だってジュンを失えばどうなるかわからない

「……痛み止めに、麻酔の葉を煎じておきましょう……」

 心の傷にも麻酔が効いて欲しい―――そう願わずにはいられない
 だが、自分が出来ることは足の傷の痛みを麻酔で誤魔化すことだけだ

「…手伝おうか……?」

「いえ、これは本当に単純な作業なので…ボクだけでも大丈夫なのです……
 ジュンは睡眠を取って下さい…眠れなくても、横になっているだけで違いますから」

「……お前の方が絶対疲れてるだろう?」

 ジュンは心配そうに顔を覗き込んでくる
 確かに呪文を唱え、武器を振るい続けた身体は疲労を訴えていた
 ―――しかし、自分から見ればまだまだ幼い二人の青年を起きて見守っていたかった

「ボクは大丈夫なのです……心配してくれて、ありがとう」

 ジュンの頬に口付けを落とす
 その頬が涙に濡れていたことを、ゴールドはあえて気づかないふりをした







「…ジュンさん、だっけな? あんたに生きてまたあえるとは思わなかったぜ〜?」


 船乗りは大きな歯を光らせながら日の出と共にやって来た
 豪快な仕草で俺の頭を撫ぜながらもう片方の手で背中をバンバン叩かれる

 ゴールドは他の船員に手を貸してもらいながらレグルスを担架で運んでいた
 モンスターだらけの世の中のせいだろうか、ちゃんと担架が常備されているあたり流石だ

「遅れて悪かった。何か昨日の夕方あたりから波が妙でなぁ……
 俺たちゃぁ予定通りになるように出発したつもりだったんだが、思うように船が進まんで…
 こっちとしても不思議でしょうがねぇ……こんな事は初めてだ。帰りも予定通りになるかわからんぞ」

 船乗りの言ったとおり、船に乗った瞬間に妙な違和感を感じた
 船の揺れ方が―――波が尋常ではない
 巨大な渦潮が右に左に、暴れるようにうねっている様だ

「………大丈夫なんですか?」

「ジュンさんも船が沈まないことを祈っておくれ……俺たちとしても本気でこんな波は初めてなんでよ
 悪いがこの間のように話し相手が出来る状況じゃ無い。あの優しそうな使い魔さんとよろしくやっててくれや」

 船乗りたちの間に常に緊張感が張り詰めている
 その顔も笑顔は無く不安に満ちていた
 確かに、甲板にいても邪魔になるだけだろう
 俺は言われた通りにゴールドの元へと向かった


「……レグルスさんは?」

「奥の寝室で寝ていますよ…睡眠薬を投与させてもらいました」

 今朝、目を覚ましたレグルスは明らかに精神に異常が見られた
 焦点の合っていない目で、言葉にならない声で、失った恋人の幻影を追い求めていた
 その姿は見るに耐えない痛々しさがあり、とてもじゃないが自分には直視出来なかったことを覚えている

「……船の揺れ方が妙です。嵐とも違いますし……良くない事が立て続けに起きなければ良いのですが……」

 船は前後左右に激しく揺れている
 自分たちの不安に揺れる心のように、不安定に

「船員が、こんな波は初めてだって言ってた」

「そうですか…」

 ゴールドはそう言ったきり、口を噤んでしまった
 黙って俯いているその表情は暗い
 彼の全身を包む黄金の輝きも今は翳りを見せている
 ランプが放つ橙色の光が彼の表情に更に暗い影を落とした










「ゴールド、あまり自分を責めるな」

 ジュンは気づいていた
 ゴールドがずっと自分自身を責め続けている事を
 魔女を倒せなかったこと、レンを護りきれなかった事…それを全て自分のせいだと抱え込んでいるのだ

「……ボクがもっと強ければ…誰も傷付くことなんて、なかったのです……」

 確かに、ゴールドは魔女にダメージを与えることが出来なかった
 しかしそれは悪条件が重なり過ぎたためだ

 相手が魔女であったこと
 土の力が思うように発揮できない地形であったこと
 足場も悪く狭い砂浜で、更に三人の仲間を護りながら戦わなければならなかったこと―――……

 きっと、ゴールド独りだけだったなら上手く対処できた筈だ
 むしろこんな結果になったのは足手まといとなった自分のせいでもある

「お前は頑張った。誰もお前を責める事なんて出来ない…」

 俯いた顔を両手で包んで上向かせる
 微かに涙の浮いた瞳が切なく光った

「俺にはお前の笑顔が必要なんだ。何よりも俺に力を与えてくれるその笑顔が―――大好きだ」

 だから、早く笑顔を見せてくれ
 そう耳元で囁くと、ゴールドは少し冷たい指先で俺の唇を辿る

「―――口付けを下さい。ボクに勇気と―――愛を感じさせて下さい」

 黄金の瞳が不安に揺れている
 俺はゴールドを安心させるために強くその身体を抱きしめた

 船の傾きに合わせて長い髪が揺れる
 触れ合う肌から感じる体温に安堵の息をついた
 不安な心を癒す一番の方法は人の温もりを感じることだ

 それはゴールドも同じらしい
 貪るようにジュンを指で、舌で―――全身で、味わっている
 猫科の肉食獣に襲われているような、それでいて心底落ち着ける様な、妙な気分だった

「……なぁ……ゴールド……
 俺にも、愛を感じさせてくれ―――もっと、たくさん」

 縋るようにそう告げると、ゴールドは優しく微笑んで俺の頬に口付けた
 そのまま覆いかぶさって来る大きな背中を、俺は黙って受け止めた


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