船から下ろされた場所は、見事に何もない所だった



「この国自体が物凄い偏狭にあってなぁ…この辺には他の国どころか町すらねぇんだ
 兄ちゃんには悪いが、俺たちが送っていけるのはこれが限界なんだ
 真っ直ぐ北に向かえば小さな村があるはずだから、まずはそこを目指して頑張りな」



 船員たちはそう言い残して去っていった

 目の前には―――巨大なジャングル
 原色ばりばりの毒々しい台地が広がっている


「…いかにも化け物がいそうだな……」

 アマゾンの入り口に立たされたような気分だ
 この先にある村といっても…きっと原住民族って感じの集落なのだろう
 しかも、こんなジャングルの中だから大して大きい集落だとも思えない
 さらにはっきりと村があると断言されたわけでもない

 強い水属性の奴どころか、人がいるかどうかも怪しい…




「…ま、何とかなるか」


 俺は運を天に任せてジャングルの中へ踏み込んだ


 腰丈以上もある草が行く手を阻み、満足に歩くことも出来ない
 頭上から垂れ下がる鞭のようなツタも鬱陶しい
 視界を塞ぐ植物を掻き分けながら進んでも無駄に体力を消費するだけだ
 しかし、それ以外に進む術もなかった

 いつ化け物に襲われるかわからない
 このような状態で敵に遭遇したら逃げることも困難だ
 常に警戒して進まなければならない緊張感に身体が強張った

 それに敵は化け物だけじゃない
 毒を持つ危険な虫が足元に潜んでいるかもしれない
 鋭い牙を持った猛獣が飛び出してくるかもしれない
 猛毒を持った大蛇が頭上から降ってくるかもしれない…

 危険の数を数えてもキリがなかった
 とにかく今は、無事にジャングルを抜けるしかない

 力任せに押しのけた植物が、反動で跳ね返ってきた
 頬を掠めた巨大な樹木の葉が薄く皮膚を切り裂く

「痛っ…!」

 しかし、このくらいの痛みは耐えなければならないだろう
 化け物に襲われたら軽い切り傷で済むわけがないのだ
 もしかすると、手足を食いちぎられるかもしれない
 そう思うと背筋に悪寒が走った




 どの位経ったのだろう…

 時計を持っていないため、時間の経過が良くわからない
 距離的には大して進めていないだろう
 脚の踏み場も無いジャングルの中を進むのは至難の業だ

 極彩色の植物は、そこにあるだけで危機感を感じる
 今にも意思を持って襲い掛かってきそうな赤い斑点の模様
 見るからに有毒そうで、押し退けるのを憚られた


「…何してんだろうな…俺……」

 溜め息が漏れる
 カイザルと使い魔の反対を押し切って
 大切な友人を傷付けてまで来たのに
 満足に前進することすら出来ない有様が惨めで悲しくなった


「とにかく、このジャングルを抜けない事には始まらないな…」


 まだ何も結果を残せていない
 せめて何かカイザルの役に立つ情報を手に入れたかった

「…水の属性か…」

 属性の見分け方などわかる筈もない
 強いかどうかも判断することは難しいだろう
 それ以前に自分に人間と魔物の区別をつけることが出来るのだろうか…

 考えていくそばからマイナス方面へ引き込まれていく
 気を引き締めなければならないと思いながらも、ぼんやりと取り留めのないことを考えてしまう
 熱帯の印象が強かったジャングルは身震いするほど肌寒い
 空気も乾いて湿気は殆ど感じられない

 それでも額にはじっとりと汗が浮く
 息も乱れて手足は激しい疲労を訴えていた

 休息がとりたい
 しかし、座って休めるような場所は見当たらなかった
 足元に毒虫や蛇がいるかもしれない
 そう思うと、地面に座ることも出来なかった

 一体村までどのくらいの距離があるのだろう


「…まさか、一日以上かかるなんてオチはないよな…?」


 今日中に着かなければ野宿をするしかない
 しかし、それがいかに危険なことか…想像しなくてもわかる
 翌朝生きている自信はなかった

 想像以上に冷たい風が吹き抜ける
 頭上で、足元で、大きな葉が音を立てて揺れた
 ツタが蛇のようにうねる

 俺は寒さと恐怖感に身を震わせた

 橙色の植物が異様に大きな音を立てる
 風が吹いたのは一瞬の事だった
 周囲の植物は再び静止の姿を取り戻したというのに
 一箇所だけ、橙色の葉だけが延々と揺れていた


 ――――何か、いる…?


 俺はその場所を凝視した
 下手に背を向けて逃げれば背後から飛びつかれるかもしれない
 何が潜んでいるのかわからない恐怖

 俺は今更ながらに武器となりうるものを何も持っていない事実に気づいた

 足元を見渡しても木の枝ひとつ見つからない
 冷たく嫌な汗が背を伝う
 逃げるしか手段は無いのに、身体が動かなかった


 やがて、草葉の間から姿を現したものの姿を見て俺は卒倒しそうになった

 枯れた木々が組み合わさったかのような姿のものが動いている
 植物の姿をした―――化け物だ
 木の幹には生々しい血痕がこびり付いている
 巨大な植物を模った姿…しかし、その中央に人の顔のようなものが浮き出ていた


 その顔は、真っ直ぐに俺を見つめて不気味な笑みを浮かべている


「―――っ……!!」

 目が合った瞬間、恐ろしさに凍りつくかと思った





  





「ひっ…!!」


 想像以上に素早い動きで化け物は近づいて来る
 気がつけばすぐ目前にまで迫ってきていた

 逃げようとして、足元の草に行く手を遮られる
 前のめりに倒れた拍子に草で指先を切った

 しかし今はそんな痛みを感じている暇すらない

 この場から何としても逃れなければ命が無い
 敵に遭えば逃げればいい――そんな軽率な考えを抱いていた自分に後悔しても今更だ

 化け物はその木の枝を手足のように操れるらしい
 それぞれが複雑な動きで自分を目掛けて襲い掛かってくる

 辛うじて避けた最初の一撃は地面の草ごと大地を深く抉っていた
 身体に当たれば骨ごと貫通する威力だ
 こんな攻撃が頭にでも命中すれば即死だろう

 歯が、がちがちと音を立てて震える
 抑えようも無い恐怖が全身を支配した
 周囲の草葉が牢獄のように身体を包んで身動きが取れない

 ただ、脅えて震えることしか出来ない身体を目掛けて化け物が枝を伸ばす
 俺は眼を開けることが出来なかった
 硬く瞳を閉じて、恐怖と絶望の悲鳴を上げた



「うわあああぁ―――っ!!」


 この声が、俺の人生最期に発した声

 こんな所で死にたくは無かった
 頬から涙が伝う
 硬く閉じた瞳の裏
 瞼に映って見えたのは、悲しそうに微笑む使い魔の姿だった



 やがて、頬に生暖かい滑った感触を感じた
 うっすらと目を明けると、真紅の血が飛沫を上げて宙に舞っている

 一瞬の間を置いた後



「ギャァアアア………!!」


 擦れた断末魔が耳を貫いた




 ―――……?


 自分の声ではない
 気がつくと目の前の化け物が絶え間なく悲鳴を上げていた
 その胸には深々と剣が刺さっている

 化け物は断末魔を上げながら、次第に変色してゆく
 やがて、完全に色素を失い燃え尽きた炭のように粉々になって崩れ落ちた



 何が起きたかわからない
 呆然と目の前の化け物の残骸を見つめていた

 …助かったのだろうか

 しかし、あの剣は…?
 剣の持ち主が近くにいるはずだ

 周囲を見渡す
 すると、自分の背後の草が再び音を立てた


「―――っ!!」



 また、化け物だろうか…
 俺は祈りながら背後の草むらを見守った

 葉擦れの音が近づく
 その音がすぐ後ろまで来た時


 そこから飛び出した影が俺を目掛けて飛び掛ってきた




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