部屋に帰ると、ベッドの上に小さな人影があった



「……使い魔?」


 そこにはミニサイズになった使い魔が正座をしていた


「…ジュン様…? あぁ…よかったのです!! お姿が見えないから心配していたのです!!」

 使い魔は立ち上がるとベッドの上で何度も飛び跳ねた
 その姿が無邪気に喜ぶ子供そのものだったので、俺は思わず笑ってしまった
 …大きな姿も格好いいけれど、小さな姿も可愛くて好きだ


「ごめんな、ちょっとカイザルさんの所に行って話しをしてきたんだ」

「それは良かったのです!! カイザル様もお喜びになったのです!!
 ジュン様、これからもカイザル様と仲良くしてくださいなのですっ!!」


 …喜ばれは…しなかったと思う…
 何かカイザルは微妙な反応だった
 でも、リノライからも頼まれたことだし大丈夫だろう


「…あのさ、使い魔…
 俺、明日この国を出ることにしたんだ」

「………えっ………」


 使い魔の瞳が大きく見開かれる

「何でですかっ!? どうしてなのですかっ!?
 あ…やっぱりボクがジュン様にあんな不埒な真似をしたからですかっ!?」

「いや、別にそれは関係ないんだけどさ」

「じゃあ何故ですっ!?」


 使い魔の大きな瞳には大量の涙が溢れていた
 別に悪いことをしているわけでもないのに罪悪感が芽生える

 この小さな姿はずるい
 こんな姿で肩を震わされて泣かれては完敗だ

 それに、この状態で、ただ『帰る』と説明しても納得はしてくれないだろう


「この国が戦争ばかりだからですか? カイザル様の事、お嫌いになってしまったのですか…?」

「俺はこの国の事が大好きだし、カイザルさんとも友達になった
 もちろんリノライさんもお前の事も大好きだぞ?」

「じゃあ、どうして行ってしまうのですか?
 まだ来たばかりなのです…もっといて欲しいのです…」


 止め処なく流れる涙に良心が痛む
 下手な嘘をつく事が憚られる
 しかし、正直に本当の事を言うわけにもいかない


「その、な…? お前だけに言うことなんだけど…
 実は俺…リノライさんから頼まれ事をしたんだよ。要するに、お使いだ
 ちょっと向こうの大陸まで行って用事を済ませてくるだけだから、すぐ帰ってくるよ」

「……用事って、まさかジュン様お一人で行くのですか!?」

「うん。ちょっと行って来るだけだから―――…」

「じ、冗談じゃないですっ!! ジュン様死んでしまいますっ!!
 外はモンスターだらけなのです!! 悪い人もたくさんいるのですっ!!」


 使い魔の顔は本気で青ざめていた
 俺の服の裾をつかんだ小さな手が震えている



「……まぁ、何とかなるだろ」

「いけないのです!! 死にに行くようなものです!!
 絶対に許せないのです!! 絶対に行かせないのです!!」


 化け物と戦っていた時よりも険しい剣幕で怒鳴られた
 心配してくれているのが直に伝わって嬉しい
 でも、使い魔に許してもらえなくても俺は行く気だった


「俺は行くよ。俺がここに来たのは、きっとその為だったんだ
 こうなることはきっと運命なんだ…今なら、そう思える」

「じゃあ、ボクもジュン様に付いてゆくのです
 ボクがジュン様と出会ったのも運命なのです!!」


 使い魔の目は真剣だった
 脅しでも自棄になって言っているわけでもない
 本気でついてくる決意を固めた瞳だ

「ちっ…ちょっと待てっ!! それは困る!!
 いや、気持ちは嬉しいけど俺にも都合があるしな?」


 ここで使い魔が同伴してしまっては元も子もない
 召喚魔法の事は、あくまで機密情報なのだ
 何処で誰に情報が漏れるかわからない以上、使い魔にすら言うわけにはいかない

「……ジュン様、リノライ様のお使いはボクには言えない内容なのですか?
 スパイや女王様の耳に入ってはいけない、秘密の何かが起きているのですか?」

「……う……」

 まさにその通りだ
 しかしそれを肯定してしまっては二人の今までの苦労が水の泡だ


「いや、あの、別にそんな事はないんだ
 隠すような深刻なことでもないんだけど…」

「……誤魔化さなくてもいいです……何となくわかっていたのです」


 使い魔は俯くと、濡れた頬を袖で拭った
 一々動作が痛々しくて良心が痛む
 しかし使い魔はすぐに顔を上げると真っ直ぐに俺の顔を見つめてきた

「ジュン様、ボクのご主人様になって欲しいのです!!」

「…はい!?」

「使い魔は普段はお手伝い係として色々な所で色々な方の為に働きます
 でも一生に一度だけ、たった一人だけご主人様を作ることが出来るのです
 ご主人様を持った使い魔は他の人の命令は聞かないのです
 一生、ご主人様だけにお仕えして、働いて、一緒にいる事ができるのです!!」


 使い魔は嬉しそうだった
 名案と言わんばかりに胸を張って俺の答えを待っている
 でも、ご主人様といわれても…


「いや、ご主人様とか言われても困るから
 どうしていいかわからないし…ご主人様ならもっといい人がいるって」

 ご主人様とか、使えるとか、そういう関係はどうも好きじゃない
 何か人として悪いことをしているというか人権を尊重していない気がして嫌なのだ


「ボクはジュン様じゃないと嫌なのですっ!!
 それにジュン様を護ることができるのはボクしかいないと思っているのです
 いえ…正直に言うとジュン様を護る役目はボクじゃないと嫌なのです…
 他の人に護られているジュン様を見るのは耐えられないのです。我侭だとはわかっているのです
 それでも、嫌なものは嫌なのです。ジュン様を始めて腕に抱いた時にそう思ったのです。誰にも渡したくないのです」

 …何か、最後の方で物凄いことを言われたような気がするのは俺の気のせいだろうか…
 顔を真っ赤にして泣きじゃくっている使い魔を前に、俺は自分の耳を疑うことしか出来なかった
 どういうリアクションをすれば良いのかわからない


「ジュン様…、ジュン様にだから思い切って言うのです
 ボクは女王様に送り込まれたスパイなのです
 ずっとカイザル様とリノライ様の事を探っていたのです」

「え…えええっ!?」


 聞いてはいけないことを聞いてしまったような気がする
 いや、それよりも、この事はカイザルさんやリノライさんに言うべきなのか!?
 でもそうしたら使い魔はどんな目に遭うのだろう
 …殺されたりはしないんだろうか……

「ボクはスパイです。本当は女王様のお城の使い魔なのです
 女王様の命令でカイザル様のお城に潜り込んでいるだけなのです
 それがお仕事ですからボクは何の疑問も抱かずにスパイとして生きていました
 でも、ジュン様を護って以来、そんな自分に疑問を抱き始めたのです
 ボクの力はスパイとしてではなく、ジュン様を護るためにあるのだと思ったのです」

「……そう言われても困る」

 本気で困る
 この際、使い魔がスパイだろうが何だろうが関係ない
 問題なのは、目の前の使い魔が俺の事を過大評価し過ぎているということだ

「俺はそんなに大した人間じゃないって
 確かにお前と違って自己防衛する力は無いかも知れない
 でも、だからって、お前が人生駄目にしてまで護る値はないと思うぞ?」

「そんな事はないのですっ!! ジュン様はボクの全てなのですっ!!」

「いや、全てって…それはないだろう」

「ありますっ!! …この際だから全て言ってしまいますけれど…
 ボクはジュン様の事が好きなのです。とても愛しているのです」

 …友達として好き…というオチではないだろう
 使い魔は本気で俺の事を好きでいてくれている
 …それは使い魔の様子からはっきりと見て取れた

 そういう風に考えて見れば、確かに今までも告白紛いの言葉を何度か聞いていた


「…そっか……でも、じゃあ地下室でのことは何だったんだ?
 俺の事が好きならあの時、キスしてたんじゃないのか?」

 何となくそれが引っかかる
 あの時の空虚な気持ちは少なからず俺にショックを与えていた

 使い魔の瞳は気まずそうに宙を漂った


「……あれは……本当は、キスするつもりだったのです
 ジュン様が驚くだろうって予想して…キスした後に冗談だって誤魔化すつもりだったのです
 でも、ボクの予想に反してジュン様は目を閉じて受け入れてくれようとしたのです
 それでボクは何だか嬉しくなってしまって…でも、このままキスしたら大変なことになると思って…」

「…大変な事って?」


 思わず聞き返すと、使い魔は急に俯いた
 その顔は真っ赤に染まっている
 その顔に近づくと微かに呻く様な声が聞こえた


「……おい?」

「……ジュン様、意地悪なのです…そんなことまでボクに説明させるのですか?」

 使い魔の目は恨みがましそうに俺を見つめていた
 でも耳どころか首まで赤くなっている様子が可愛いくて思わず頬が緩んでしまう


「俺としては聞かせて欲しいな。あの時、何故か知らないけど裏切られた気分になったんだ
 ちゃんと理由を聞かせてもらわないと、お前の告白も信憑性を感じられない」

 多少の嫌味を込めて言ってやる
 すると使い魔は再び俯いて黙り込んでしまった

 しかし、少し経つと意を決したように――それでも蚊の鳴く様な小さい声で答えた



「………あんなに舞い上がった状態でキスなんかしたら…歯止めがきかなくなってしまいます
 あの時は身体も大きい状態でしたし…あそこで思い留まっていなければ間違いなく押し倒していました」

「……………げ」


 思い留まってくれて本当にありがとう…
 俺は思わず使い魔の自制心に感謝した

 あの場で押し倒されていたら立ち直れなかっただろう
 助けられた相手に襲われる…なんて展開にならなくて本当に良かった


「本気でジュン様の事を好きだということ…わかってもらえましたか?
 ボクだって本当はキスしたかったのです。でも、それ以上にジュン様を大切に扱いたかったのです」

「…いや、もういい。よくわかりました」


 聞いていて、居た堪れない
 こういう空気も苦手だ

 一途な想いをぶつけられるのが恥ずかしい
 今までに数々の女性と付き合ってきた自分に後ろめたさを感じる

 合コンに誘われれば必ず参加した
 ひと月に何人も恋人が変わったときもあった

 そんな自分に、こんなに真っ直ぐで純粋な使い魔の想いは勿体無い
 彼に愛されることさえ罪に感じる

 それに俺と使い魔では住んでいる世界が違う
 俺はいずれ日本へ帰らなければならない
 ここで使い魔の想いを受け入れることは、かえって彼を傷付けることになる

 …俺たちはずっと一緒にはいられないのだから


「使い魔、お前の気持ちは良くわかった。嬉しく思っている
 …でも俺はお前のご主人にはなれないんだ。悪いけれど…」

「……そんな……どうしても駄目なのですか?
 ボクはもう、ジュン様しかいないのです。もうスパイは嫌なのです」

「…ごめん……でも、お前には……もっと良い相手が見つかるよ」


 俯いて子供のように泣き喚く使い魔を思わず抱きしめたくなる
 しかしその衝動を押さえ込んで、俺はわざと突き放した


 スパイだということを告げるのは決死の覚悟だったのだろう
 カイザルやリノライにそのことが知られてしまえば、処刑されるかもしれない
 まさに命懸けの告白だった筈だ

 使い魔の傷付いた心の痛みを想像すると涙が出そうになる


「……お前がスパイだってことは、俺だけの秘密にしておくから」


 俺はそうとしか言えなかった
 それだけが、唯一の彼に告げることのできる救いの言葉

 使い魔はしかし、泣きじゃくりながら部屋を飛び出していってしまった





  





「…あっ……」


 咄嗟のことで引き止めることも静止の言葉をかけることも出来なかった
 扉の閉まる音が、異様に大きく感じられる


「……使い魔…でも、俺は……」

 彼の座っていた箇所は涙で濡れていた
 胸が押し潰されるような痛みに震える

 無意識に俺も嗚咽を漏らしていた

 使い魔の涙の後を指でなぞりながら俺も涙を流す
 どうしようもなかったと諦める心と、深い後悔を訴える心が衝突して悲鳴を上げていた




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