「…走りますよ…舌を噛まないよう口を閉じていて下さい!!」
使い魔は俺を横抱きにしたまま走り出した
細くて長い足は足音ひとつ立てずに階段を下りてゆく
俺は未だ緊張の解けない身体をほぐす事も出来ずに硬直しているだけだった
……使い魔が巨大化……使い魔が……あんなに小さかったのに……
俺の頭の中はショックでその言葉がずっとぐるぐるまわっていた
抱きかかえられた状態では使い魔の身長がどのくらいなのかわからない
それでも30cmの姿から少なくとも170cm以上には大きくなった
可愛い人形が急にイギリスの貴公子のような姿に変身してしまったのだ
例えるなら、可愛がっていた猫がいきなり豹になってしまった…といった心境だ
…可愛さが薄れる
というより可愛らしさは微塵も残っていない
ああ、でも…これはこれで良いかも知れない
確かに可愛くはないけど…良く見ると格好良いかも…
そう思えてしまうのは俺の頭が混乱しているからだろうか…
俺は思わず使い間の胸元に手を伸ばした
ゆったりとした黒いシルクのシャツは、しっとりと暖かい
ブロンドの髪がきらきらと弧を描く
熱気からか疲労からか、額から汗が流れ落ちた
吐き出される息が荒い…
額だけでなく、全身が汗をかいているのだろう
汗ばんで上気する白い首筋、鎖骨、胸……
……って、何で俺、こんなものに見とれてるんだろう……
「ジュン様、大丈夫ですか?」
「………え?」
「もう地下室に着きました」
「………あ……」
気が付くと確かにそこは薄暗い地下室と思われる場所だった
目の前にはカイザルとリノライもいる
「ジュン殿、この部屋は私が結界を張っています。安心して下さい」
「…リノライの魔方陣は強力だ。そのように案ずるな」
……二人の視線は俺に――正確には使い魔の胸元をつかんでいる俺の手に注がれていた
横抱きされているだけでも目立つのに、更に両手でしっかりとしがみ付いてたとなると…ちょっと言い訳できない
恐る恐る顔を上げると使い魔の満面の笑顔がそこにあった
「そんなに怖がらなくて大丈夫です。リノライ様の魔法があるんですから」
三人とも俺を安心させようと声をかけてくれている
暗に『早く手を離してや
れ』という含みを持たせて……
「…えっと…ごめん…」
俺は慌てて手を離すと使い魔の腕から飛び降りた
「いえ、ボクは別にいいのです。…ちょっと首が絞まっ
てましたけど」
使い魔は軽く咳き込んだ
…無意識に締め上げていた様だ
「…もうそろそろ来るかと思ってはいたが…まさか今日来るとは思わなかった
いくら奇襲とはいえ…せめて何かのサインを寄越してくれればこちらも対応できたものを…」
「カイザル王子、奇襲は相手に勘付かれないように行うものですよ」
「ならば、せめて敵の数やモンスター使用の有無を伝えてくれれば…」
「そんな手の内を明かしまくった戦なんてありませんよ」
その戦の渦中だというのに何故か落ち着いて突っ込みをいれてるリノライは大物だ
…つーかカイザルとリノライは普段からこうやって素で漫才をしてるのだろうか…
何とも緊張感の無いコンビである
「あの…カイザルさん、リノライさん…この城、今…攻められているんですよね?」
「そうですね…城の兵もどれ程生き残っているか…」
「うむ、モンスターの数も把握できぬ有様だしな」
何でそんな状況な
のに余裕なんです
か…
「ジュン殿、私は今、他の場所にも結界を張っているのですよ
敵の魔法攻撃の威力を軽減させる結界です
魔法が完成するなり反撃を開始する予定ですので安心なさって下さい」」
「…反撃って…兵士の生き残りが少ないんじゃなかったんですか…?」
「うむ。だが、いざとなれば我とリノの二人ででも受けて立つつもりだ
……使い魔、そなたはジュンを護るのだぞ」
俺…この中で最弱なんだな…
でもカイザルさんって確か、脚が…
「あの、カイザルさんて呪いで脚が石になってるんじゃなかったんですか?
歩くことも困難な状態で、敵とどうやって戦うつもりなんです?」
「心配は無用だ。我の風魔法でモンスターなど蹴散らしてくれよう」
「カイザル王子は非常に強力な風の守護を受けております
風精の王、シルフィードに愛されておられる証拠です
やはり風精王ともなれば真に護るべき者をきちんと心得てらっしゃるのですね」
…また惚気が始ま
りそうだ…
助けを求めてカイザルを見ると、すかさずフォローしてくれた
「リノ、まだ結界は完成しないのか?
無駄口をたたく暇があるのなら当然、最終段階に入っているのであろう?」
…フォローというよ
り脅し…?
「ええ。今、結界が魔法陣化致しましたよ。…参りましょう」
…早ぇ…
「…う、うむ…。ならば早速、行くとするか
これより風精を呼ぶ。リノ、我の傍に寄るが良い」
「はい、それでは参りましょう」
リノライがカイザルの傍によると、カイザルが何かを呟きだした
何か言っているのはわかるがはっきりと聞き取ることは出来なかった
これが風魔法というやつなのだろうか
「…使い魔、風精…って、何?」
「風精は高度の風属性の魔法を扱うための手伝いをして下さるのです
強力な守護を持った方でなければ精は呼べないのです
カイザル様はお強い方ですから風精を呼んで高度魔法を扱うことが出来るのです」
「…高度な魔法って?」
「今、カイザル様がお使いになるのです。高速移動の魔法なのです
風精が起こす風に乗って瞬時に目的地へ行くことが出来るのです」
使い魔の説明が終わるや否や…
薄緑色の風がカイザルとリノライを包んだ
風は淡い光を放ちながら小さな竜巻のように渦を巻く
その渦が消えると同時に渦中の二人の姿も瞬時に姿を消していた
「……すっげぇ…手品みてぇだ」
「手品じゃないです。魔法です。タネも仕掛けもありません」
風精はいるけどね
…
「…そういや、風精がいるなら雨精とか雪精とか、他の精もいるのか?」
「雨や雪はいません。風精、土精、火精、水精だけです
それぞれの属性に風精王シルフィー、土精王ゴーレム、火精王ヴォルケノ、水精王ウンディーネという精霊王がいる
のです」
「ちなみにお前は何か魔法が出来るのか?」
「ボクは土の属性があるのです。土の力は生み出す力です。土の力は温かく抱きしめる力です。土の力は頼れる力な
のです」
「……よくわかんないんだけど……」
「実はボク自身も、よくわからないのです」
「……………☆」
俺の命は今、よくわからない力に委ねられているのか…?
…リノライさんの魔法陣がどのような効力があるのかも…わからない
今ここに敵が突入してきたら、もしかしたら物凄く危ないんじゃあ……?
聞いた限りでは土の属性とやらは決して強力な破壊力があるようには思えない
喧嘩漫才をしても良い
うんざりするような惚気を聞かされても良い
「……カイザルさん、リノライさん…早く帰ってきて下さい……」
俺は心の奥底からそう願ったのだった…