町は深い眠りについていた


 灯りのついている窓は疎らで
 当然ながら外を歩く住人も見当たらない


 俺は足を引き摺りながら町を彷徨った

 足はもうボロボロで感覚すら無い
 何度も転んだせいで膝から血が出ていたけれど
 その痛みすら感じない程に疲労し切っていた


 とにかく医者を探さなければ

 しかし初めて訪れる町だ
 何処に何があるかなど判る筈も無い
 尋ねる通行人もこの時間帯では現れない

 民家の戸を叩いてみたが
 深夜の来客を出迎えてくれる者はいなかった



 無常にも時は流れてゆく
 一刻を争うというのに、こんな所で立ち往生するわけにはいかない
 しかし町は予想以上に大きなものだった

 本当にこの中から病院を探し当てる事が出来るのだろうか


「…メルキゼ…」

 涙が頬を伝う

 間に合わなかったらどうしよう
 もし彼を失う事になったら、自分はどうすれば―――…!!


 丸一日走り通しだったせいだろうか
 疲労感と絶望感が合わさって、思考は悪い方へと流れて行く

 こんな時は、いつもメルキゼが慰めてくれた
 不器用で口下手で墓穴を掘ることも多かったけれど
 それでも精一杯に気遣ってくれるのが嬉しかった…

 助けたい
 失いたくない


「…泣いてる場合じゃない…」

 諦めたら終りだ

 まだ歩ける
 まだ探せる

 まだ…希望はある筈だ

 俺は涙を拭うと、再び歩き始めた




 病院の看板を見つけた時
 空は徐々に明るみ始めていた

 俺は病院の扉を開く

 入院患者がいる為だろうか
 時間はまだ夜明けだったが、幸いにして開いているようだ

 チリリ、とベルを鳴らすと
 音を聞きつけた医者と思われる人が駆け寄ってきた


「こんな時刻に――急患ですか!?」

 年老いた男だ
 白衣を着ているから医者だという事はわかる
 彼は俺の姿を見るなり顔を歪めた

「ああ、これは酷い――…
 手も足もこんなに傷付いて…痛いだろう?」

 医者は俺の身体を診察しようと手を伸ばした
 骨の浮いた細い指が傷口に触れる

 しかし今、医者を求めているのは俺ではない


「俺は大丈夫です
 それより、仲間を助けて下さい…」

 俺は医者に経緯を話した
 詳しく話さなければ効果的な治療が出来ないかも知れない

 急ぐ気持ちを押さえ込みながら
 俺は出来る限り状況を細かく説明した


「…花弁を着た人型のモンスター…かい
 むぅ…それは厄介だねぇ…猛毒だよ…」

 医者は歯切れ悪く言葉を紡ぐ
 その表情は苦虫を噛んだ様に冴えない
 一抹の不安感が脳裏を掠めた

「解毒剤を処方して貰えませんか…?」

「うむ…そうしてやりたいのは山々なんだが…
 あの毒は時間が経つにつれて症状が徐々に変化してなぁ…
 実際に患者を診察しなければ効果的な薬を処方出来んのだよ
 しかし私もこの歳だし、ここを離れる事も出来んから…その…残念だが…」

 医者は辛そうに目を伏せると、それ切り口を閉ざした



「……そんな……」


 目の前が真っ暗になる
 底の無い谷底に突き落とされたようだ

 …助けられない…?

 その言葉の意味を理解する事が出来なかった
 理解したくないと全身が拒絶したのだ
 しかし医者の表情が全てを物語っている

「…嘘…だろ…?」


 …助からない…?

 じゃあ、メルキゼは……?
 メルキゼはどうなるんだ――…!?

 全身から力が抜ける
 立つ体力も底を尽きた


 助けたいのに
 どうする事も出来ない

 俺はいつも無力だ
 あの時もそうだった

 もう随分昔の事のようになってしまったけれど

 大切な恋人の要
 彼女を失った時も同じだった

 苦しみながら死んでいった要
 医者も最後には匙を投げた

 次第に勢いを失ってゆく呼吸
 鼓動を止めてゆく脈
 冷えてゆく身体―――…

 そんな彼女の傍らで
 俺はただ、声を上げて泣いているだけだった
 何もする事が出来なかった


 同じ事の繰り返し


 何も出来ないまま
 涙を流すだけ

 無力な自分に絶望しながら

 俺はまた
 大切な人を失うのだろうか


「…嫌だ…」

 ずっと孤独だったメルキゼ
 笑い方すら忘れてしまう程の辛い生活
 決して幸せだったとは言えない人生

 このままで良い筈が無い

 こんな寂しいまま一生を終わらせたくない
 彼には苦しんだ分の幸せを手に入れて欲しい

 そうでなければ、あまりにも報われない人生
 彼はこれからもっと幸せになるべきだ

 それなのに
 明かりすら無い寂しい場所で、
 毒に苦しみながら死んでゆくなんて―――…!!


「…嫌だよ…メルキゼ…っ!!」


 頬を伝う涙は
 手足の傷を濡らし

 微かに赤く染まって床に落ちた



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