絶望と悲しみ
 虚無感と自己嫌悪
 そして―――…恐怖感

 メルキゼを失う恐怖に俺は怯えていた


「…メルキゼ…死んじゃ嫌だ…」

 ここにいてもメルキゼを助けられない
 身体は重かったが俺はゆっくりと立ち上がった
 これからどうすれば良いかなんて判らない
 ただ、呆然と俺は病院を後にした

 日は既に昇っていた
 疎らながらも人通りが見え始める

 道行く人々が、俺の姿を見て振り返った
 さぞかし今の俺は酷い姿をしている事だろう


 涙でベタベタの顔
 血と砂まみれの服…

 それでも顔は洗えば綺麗になる
 傷はいつか癒えるし服も着替えれば良い

 しかし、メルキゼの代わりはいないのだ
 世界中の何処を探しても、彼はこの世に一人だけ
 一度失えば二度と会うことも無い



「…メルキゼ…」

 こんな日が来るなんて想像もしなかった
 いつも不器用な笑顔で自分を導いてくれる存在のメルキゼ
 彼を失えばもうこの世界で生きて行く事が出来ない
 否、生きて行きたくない―――…

 二度も大切な人を失って
 それでも立ち直れるような強い人間じゃない
 自分は弱い存在だ…心も身体も
 傷付けば簡単に壊れてしまう脆い存在


「…怖いよ…メルキゼ…」

 助けて、とは言えない
 今一番助けを必要としているのは他ならぬ彼なのだから

 それでも押し潰されそうな恐怖から逃れたい
 全身が震えて立っていられなくなる
 俺はその場に、しゃがみ込む
 足元から砂の城のように崩れて行く感覚に頭を抱えた

 その時だった




「―――大丈夫ですか…?」

 道行く人のひとりが、俺に声をかける

 メルキゼと同じくらいの年齢で
 メルキゼと同じくらいの髪の長さ

 その人の姿が一瞬だけメルキゼと重なった


「具合が悪いのですか?
 それとも何か困り事でもあるのですか?
 よろしければ、話してみてはくれませんか…?」

 その人は優しく微笑んだ
 穏やかな微笑みは心を少しだけ、癒してくれる

 話してみるだけなら良いかも知れない
 優しそうな人だし、気休め程度にならなるかも知れない
 俺は涙を拭くと、その人に今までの経緯を話した


「…そんな…一刻を争う状況ではないですか!!」

「でも、医者の所までなんてとても連れて来れないし…
 それにもう、かなり時間が経ってて…助からないよ…」

 止まった涙が再びこぼれた
 自力ではどうする事も出来ない
 それが現実だった


「諦めてしまっては全てが終りです
 仲間である貴方が信じてあげなければ助かるものも助かりませんよ!!」

「俺だって信じたい!!
 こんな所で死なせたくない!!
 でも…どうしろって言うんだよ…っ!?」

 何とか出来るなら、もうやっている
 どうしようもないから哀しいのだ
 何も出来ないからこそ辛いのだ

 それが悔しくて…涙が止まらない
 そんな俺に、その人は優しく微笑みかける


「…独学ですが薬草学の知識があります
 そして、貴方にも――いえ、貴方にしか出来ない事があります」

 俺はその言葉に思わず顔を上げた
 一体何が出来るのだろう
 メルキゼの為なら何でもしてやりたい
 たとえ、何かを犠牲にしても

 その人は俺の腕を掴んで立たせると一言、こう言った

「仲間のいる場所まで、道案内をお願いします
 これは貴方にしか出来ない事です―――頼みましたよ」

 その笑顔が、俺には天使の微笑みに見えた



「あの、走れますか…!?」

 一分一秒でも早く、メルキゼの所へ行かなくては
 しかし目の前の人は鉄の鎧を着た戦士だった
 この姿で砂浜を走るのは酷ではないだろうか…

「大丈夫です…見た目より軽い鎧ですから
 それよりも貴方の方こそ大丈夫ですか?」

「はい、大丈夫です!!」

 本来なら歩くことさえ辛い状況だろう
 元々運動神経の良い方ではない
 それに丸一日中走った上に怪我までしている

 しかしここで諦めるわけには行かない
 その気力が呼び起こした奇跡だろうか
 俺は火事場の馬鹿力で全力疾走を可能にしていた


 言葉を交わす事もなく、ひたすらに砂浜を走りぬける

 何度も足をとられそうになるけれど
 しかしまだ明るいせいで転ぶことは無かった

「…どの位掛かります?」

「直線的には結構近くなんですけど…
 でも海岸は入り組んだり複雑だから結局丸一日かかります」

 船があれば、半日で着くだろう
 しかしたった二人の為だけに動いてくれる船なんて無い
 かなりの遠回り覚悟で海岸沿いに走るしか方法は無いのだ


 戦士は少し考えながら、それでも嬉しそうに微笑む

「それでは直線に進みましょう
 少しでも早く助けに行きたいですから」

「でも、海が―――…」

 海があるから進めない、と俺が言う前に
 戦士は俺の身体を抱き上げると海に向かってダイブした



「う゛わ゛――っ!!」


 直線的には近いと言っても、メートル単位ではない
 少なくても30キロメートル以上はあるだろう
 とてもではないが泳げる距離ではない

 それに、幾ら軽いとはいえ戦士は鎧姿だ
 この状態で海に飛び込むのは自殺行為以外の何者でもない
 メルキゼを助ける前に自分たちが海の藻屑になりそうな勢いだ

「助けてメルキゼぇ―――っ!!
 こんな所で溺死なんて嫌だぁ―――っ!!」

「落ち着いて下さいッ
 誰もこんな所に沈めたりしませんから!!」

 そんな事言われたって水が!!
 水に突っ込んだんだぞ!?


 このままじゃ溺れ――――………て、ない


「…あれ…?」

 水の感触もない
 身体は乾いたままだ

「このまま飛んで行きます
 落ちないように掴まっていて下さい」

「あ、そう…飛んで―――」


 ……。


 飛んで!?

 そう言えば足元に地面の感触がない
 ふわふわとした浮遊感もある
 何事かと戦士の姿を見ると―――そこには巨大な羽があった


 …えーっと…
 とりあえず驚いてはいるんだけど…
 それよりも先に疑問の方が口に出る

「あの…その羽、いつの間に生えたんですか…?」

「自由に出し入れ出来るんですよ」

 …便利だ…
 本当にこの世界には色々な人間がいる

 まぁ耳が4つあったりする人間がいるくらいなのだから
 背中に羽が生えている人間くらいいても不思議ではないだろう

 俺はコアラのように戦士にしがみ付く
 ここで落ちたら元も子もない


「それでは行きますよ!!」

 戦士はそう叫ぶと激しく翼を羽ばたかせる
 身体は海上の1メートル程上を滑る様に移動して行く

「うわぁ…!!」

 生まれて初めての体験に不謹慎にも感動してしまう俺だった





 空が燃えるような夕日に染まる頃
 俺と戦士はようやくメルキゼの所へと辿り着いた


 メルキゼはぐったりと横になっていた
 その傍らでシェルも眠りについている

 身体を拭いたと思われる濡れた布
 包帯代わりに巻かれた小さな子供のコート
 小枝ばかり集められて作られた焚き火の跡…

 シェルなりに出来る限りの看病をしていたのだろう
 その健気な姿に涙腺が緩んだ


「…この方ですか…?」

 戦士はメルキゼに近付くと、静かにシェルのコートを外した
 血痕は綺麗に洗い流されている
 シェルが念入りに拭いてくれたのだろう

「…傷口は完全に塞がっているみたいです」

 確かに貫かれていた傷は塞がっている
 傷口は多少盛り上がった跡が残っているものの、再び開く事は無いだろう

「数種類の毒が彼の体内に生まれてきています
 それをひとつずつ消していけば完全に浄化させる事が出来ます
 もう大丈夫ですよ…彼のことは安心して任せておいて下さいね」


「…本当に…?
 良かった…メルキゼ…」

 俺は彼に手を伸ばした
 メルキゼの白い指先を握ると、仄かに暖かい
 彼にしては少し低めの体温である事に気付く
 少しでも暖めてやりたくて俺は何度もその手をさすった

 その様子を見ていた戦士は俺に優しく微笑みかける

「…大切な人なのですね…
 その想いは彼にも伝わっていますよ
 大丈夫…すぐに元気にさせて見せます」

 戦士はそう言って微笑むと、所持品から数本のビンを取り出した
 そのまま中身を混ぜ合わせて薬を作り始める
 その姿を確認して、ようやく俺は息を吐いた


 これで大丈夫
 メルキゼは、助かる…!!

「…良かった…」

 ふっと全身の力が抜ける
 安心するのと同時に、緊張が一気に解かれたらしい

 続いて、どっと一気に押し寄せる疲労感
 ついでに睡魔も津波のように襲って来た

「…眠い…」

 頭の中がぐらりと揺れる
 俺はそのまま砂の上に倒れ込んだ
 メルキゼの手を握り締めたまま…


 太陽の熱で暖められた砂が気持ち良かった


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