「れぇぇえーん!!」


「うぉあっ!?」


 ドアを開けると同時に俺は巨大な人影に押し倒された

「ああ、よかったわぁ…
 無事に帰って来たのねぇ〜!!」


 その巨大な人影は俺を絞め技の如く抱きしめると
 長い髪を犬の尻尾のように振り乱していた

 分厚い胸板で視界を塞がれていて見えないが
 恐らくこれはもう一人の義兄のユリィだろう



「……ユリィ、背骨が砕ける……」

「あら〜ゴメンね〜兄ちゃんったらつい嬉しくて……
 とにかく部屋に入って頂戴よね〜」

「うん……一刻も早く座らせて……」


 畑仕事で傷めた腰に追い討ちをかけるように絞め技をくらって俺の腰は
 ちょっと軋んでいた



「お茶淹れるわねん〜」


 足取りも軽く義兄はキッチンへと消えてゆく
 職業柄か、おばちゃん看護士と行動を共にする事が多かった彼は
 そのパワフルさと口調を全身に染み込ませていた

 仕事中もこのおばちゃん口調でいるらしい
 そんなユリィは今年で28歳……世の中それでいいのだろうか……


 すぐにユリィはマグカップを三つ持って戻ってきた

 レンが小学生の頃に課外授業の時間に焼いた物で、
 それぞれに違う魚のイラストが描かれている

 ちなみに、ウツボアンコウマンボウ

 今となっては何故よりによってこの魚を描いたのか――記憶が定かではない



「はい、お茶飲みなさいね〜暖まるわよ
 それで旅は……大丈夫だったの?
 モンスターに襲われたりはしなかった?」

「うん……」


 モンスターにはね


「御免なさいね…いきなり家を出されて心細かったでしょう?
 私さえあの場にいたらそんなことさせなかったのに……
 …ったくあのクサレ外道剣士が…
 

 ユリィ…最後の呟きが怖いよ……

 
「……そういえばセーロスは?
 カップは三つあるけど……いないよね?」

「あらやだ、いつもの癖で用意しちゃったわ
 ……ん〜でもそろそろ大丈夫よね……連れてくるわ」


 ねぇ 

 何があったの?


「セーロス、怪我でもしたの?」

「あぁ、セーロスが勝手に先走ってあんたを家から出しちゃったでしょ?
 あれはいくらなんでも酷いからさ、反省しろってことでね、
 ちょいと厳しくお仕置きしてやったのよ、ビシバシと
 そしたらベッドから起き上がれなくなっちゃってね……
 もうあれから一週間になるかしらねぇ……」


 一週間も!?


 ユリィ……

 何やった!?


 俺のいない間に何があったのか気になる

 怖くて聞き出せないけど




「……帰ったようだな……」

「あ、セーロス」

 噂をすれば…というやつだろうか
 いつの間にか居間に来ていたらしい
 約一月ぶりに見る義兄は

 げっそりとやつれていた


「セーロス……大丈夫?」

「ああ……辛うじて生きてはいる」


 極限状態ってことかい


 戦士のセーロスをここまでさせるユリィって一体…
 ちら、とユリィの方に視線を送ると、にっこりと満面の笑顔が返ってきた


 逆に怖い



  



「…セーロス…ユリィと何かあったの?」

「…私の事は別にいいだろう
 知らない方が幸せだろうし
 …それで、お前は一体どこに行っていたんだ?」

「うーん…」


 えーっと…
 あの村って名前、あったっけ…?


「……遠い……田舎……」

 としか言いようがない
 とにかく遠い所だった

「そうか…だが、南ではないな…南へ行かなければ……」


 また行けと?




「ちょっと、いい加減にしなさいよ?
 今回は無事に帰って来たからいいものの……
 今度こそ本当に命の危険があるかも知れないのよ!?
 あんた、レンを見殺しにする気なの!?」


 ねぇ……
 兄ちゃんたち

 頼むから
 何か知ってるんなら


 残さず吐けや



 さっきから聞いてれば
 不安を掻き立てるような単語が
 遠慮無しに飛び交いまくってて

 当事者の俺は気が気じゃねぇ

 つーか

 そんなに危険なのか!?



「……だが、仕方が無いだろう?
 それに死ぬと完全に決っているわけではあるまい」

「死なないって断言できるわけでもないでしょう!?」

「―――人はいつか死ぬんだっ!!」


 開き直りやがった!!

「逆ギレしないでよ
 とにかく、危険な事には反対よ」

「レンは昔から微妙なレベルで悪運が強い
 何かと珍妙な事故に巻き込まれやすい体質だが
 何故か当の本人は掠り傷一つ負った事も無いだろう?
 だからたぶん無事で帰ってくる確率が高いと思っていたのだが…」

「まぁ、確かに運だけは良い子だったけどね
 人生そのものが奇跡の生還ドラマだし」


 …兄貴たち…

 確かに俺は怪我はしないけどそれなりに苦労はしてるんだよ
 今回だってかなりの重労働だったし……

  でも二人の喧嘩に巻き込まれるのが怖いから黙っておく



「――というわけで、
 次に旅に出しても無事に帰ってくるような気がする

「だからって、危険に遭わないとは言えないでしょ!?
 あんたは戦士だから危険を楽しいと感じるかも知れないけど、
 レンは訓練を積んだ戦士でもなければ冒険家でもないのよ!?
 ただでさえ、意味不明なトラブルに遭ってばかりいる子なのに!!」

怪奇現象に見舞われるのも青春の1ページだ、良い事じゃないか」


 良くねぇよ

 冷静にツッコミを入れる俺
 どうもセーロスの価値観がわからない

 …っていうか、言ってる事が無責任だよ…
 そんなセーロスの隣りでは、ユリィが鼻息も荒くアツくなっている


「大体あんたは冷血漢過ぎるのよ!!
 弟を危険な目に合わせるなんて…
 もしこの子に何かあったらどうするつもりよ!?」

 口調はアレだが、中身はわりと常識人…らしい
 ユリィの母親のような物言いに、ちょっとホロリとなる俺

「この子が私たちにとってどれ程大切な存在か
 いくらあんたでもわかってるでしょう!?
 よく胸に手を当てて考えてみなさいよ!!」


 うーん…ノリが青春ドラマっぽい

 聞いててちょっと恥ずかしいけど
 ここまで熱弁をふるわれると結構嬉しいかも…

 うん、やっぱり俺って可愛がられてるな



「ほら、思い出してよ、あの子と過ごす楽しい毎日を…
 この幸せがあんたのせいで失われてたかもしれないのよ!?」

 うんうん
 ユリィ、もっと言ってやれ
 それにしても、俺ってこんなにまで愛されてたんだなぁ…


深夜一服盛って完全に眠ったレンに
 あんな事やこんな事をして楽しんだあの夜を
 まさか忘れたとは絶対に言わせないわよっ!!」


 ちょっと待てや


「ユリィ…そうだな、私が間違っていた…
 
あの楽しさを手放す事はもう出来そうに無い…」


 あんたら俺に何をした!?

 聞き捨てならない言葉のオンパレード
 俺は思わず手に持ったマグカップの中身をぶち撒いていた


「……あぁ、安心しなさいね、レン……
 あんたを旅に出させるような真似は二度としないわ」

 
 ……ユリィ……
 その、黒い微笑みは一体何!?
 

「ねぇ、ユリィ……さっきの……」 

「いいからもう今日は寝なさい」 

 …………。



「疲れているだろう?
 この茶を飲んだら寝るといい
 これはとてもよく眠れる茶だぞ…」

 アンコウ模様のマグカップを手渡される
 ―――でも、ちょっと気になる事がひとつ


「セーロス…このお茶の底に沈んでる白いの…
 砂糖にしては全然溶けないんだけど

 これは何?

 いつの間に盛った!?



「…あぁ、もう時間だよ
 魔法が解けちゃうからお家に帰らなきゃ…」

 俺は適当な事を良いつつ、
 自室に猛ダッシュした



 内側からしっかりと鍵をかけることを忘れてはいけない
 ―――…己の身の保身のために

「…ったく、あいつら…
 こんなに可愛い弟で遊ぶなんて鬼だ」


 けれど自分の部屋は安全地帯だ
 ほっと息をついてベッドに腰掛ける

 約一月ぶりに入る自分の部屋は


 血生臭かった



「…って、何で…!?」

 キョロキョロと部屋中を見回す
 そして、壁に書かれた巨大な血文字を発見した


還りたまい祓いたまい

 ――…呪い!?



 そういやセーロスがニワトリの血を煮詰めるとか言ってたけど……
 もしかして、これのことか?


「………。」

 セーロス流のおまじない…なんだろう、たぶん…
 何かよろしくない生物が召喚されそうな雰囲気だけど


 俺はシーツで血文字を拭き取ると
 何も見なかった事にしてベッドに潜り込んだ

「うまく消えないな…
 まぁ、時と共に風化してくれるよね、きっと」


 じゃないと、夜眠れなくなる

 疲れのせいか睡魔はすぐに訪れる
 薄れ行く意識の中で俺はぼんやりと思った 


 そういや俺、何日風呂に入ってないんだろ…

 計算するのが怖い
 明日、起きたら一番に風呂に入ろう


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