目覚めると空は見事な朱色
 見渡すと、室内も同じ色に染まっている事に気づいた


「…これは…朝焼けか…夕焼けか…」

 ちょっとわからない
 時計を見ると五時半だった
 しかしそれが午前なのか午後なのかは不明

 しかしもう少し時間が経てばわかる
 暗くなるか明るくなるかで午前か午後かは判明出来るだろう

「…それまで寝るかな…」

 まだ身体の節々が痛む
 疲れは完全には取れていない
 俺は羽毛布団をかぶり直すと再びベッドにもぐり込んだ

 ああ、気持ち良い
 久しぶりの布団の感触だ
 ふかふかの暖かな布団…

 ………。


「――…布団っ!?」

 俺は思わず飛び起きた

 だって…何で布団があるんだ!?
 テントで野宿生活をしていた筈なのに…

 そこで、はたと気付く
 自分が服を着ていない事に
 確か血と砂まみれの服を着ていた筈だ
 いつの間に脱いだのだろう…

 記憶を辿るように周囲を見渡してみる
 すると、そこがテントではない事に気付いた
 そこは素焼きレンガの室内だった
 窓から見える景色は茜に染まった港町―――…

 と言う事は、ここは町の宿だろうか
 でも、確か俺は町を出てメルキゼの所に行ったのに……


「―――って、メルキゼはっ!?」

 そう言えば彼の生死をまだ確認していない

 本当に助かったのか
 それとも手遅れだったのか
 確かめなければならない
 こんな所で寝ている場合じゃない

 メルキゼ…
 一体何処に行ったんだ
 今すぐに探さなければ…!!

 そう思って、身体を半回転させたところで―――はい、ストップ
 俺はそのまま、がっくしと脱力した


「…いるし…」

 メルキゼはすぐ傍にいた
 傍らというか…隣に

 それも、とても穏やかな寝息を立てて…

 ………。
 とりあえず、顔色は良い
 表情も問題ない
 呼吸も安定している

 一命は取り留めているようだった
 ほっと安堵の吐息を吐く

 しかし普通、真っ先に気付くだろう
 鈍いにも程がある


「…まぁ、気配も感じ取れないほど疲れてたって事で…」

 誰も聞いていないのに言い訳
 ちょっと哀しい
 そしてかなり恥かしい

「…それよりも、何で隣で寝てるんだ…?
 筋金入りの恥かしがり屋男のくせに…」

 もしかして、また部屋が足りなかったのだろうか
 それとも所持金が足りなくて一部屋しか借りれなかったのか―――…



「でもお前の性格からすると、床で寝てそうな気もするけどな…」

 物珍しさで、つい観察してしまう

 街中だからだろうか、ターバンを巻いたまま眠っている
 しかし髪は下ろしていて、三つ編みも解かれていた
 波打つような跡がついた長い髪が夕日を反射させて綺麗に輝く

 服はドレスではなくパジャマを着ていた
 宿の備え付けのものだろう
 白い木綿のシャツが彼の肌の白さを一層際立たせる

 俺はその白い頬を突いてみた
 微かな弾力…思ったより柔らかい
 でも少し荒れているような気がした

 メルキゼの寝顔は滅多に見られない
 それに、こんなに間近で眺めるなんて初めてだ
 しかもまだまだ明るい時間帯であるから、はっきりと見える


「…睫毛…長いな…」

 鼻も高いし、唇も微かに色付いて…
 本人が何と言おうと、やっぱり美人だと思う

 見ているだけで心が温まる
 黙っていても優しさが伝わってくる
 俺にとっては天使のような存在だ

 ただひとつ残念なのは
 その笑顔が見られないということ

 彼が笑ってくれたなら
 きっと、もっと優しい気分になれるだろう


「…たまには笑えよな…」

 唇の両端を指で押さえると
 そのまま、ぎゅ〜っと引き伸ばしてみる
 無理矢理笑顔を作らせても空しいだけだ

 それでも、何となく俺はメルキゼの顔を突き続ける
 手持ち無沙汰だったし、意外と気持ち良い感触だったから

 そして俺は少し荒れた白い肌に頬擦りしたい衝動に駆られる
 メルキゼを見ていると、いつも唐突に奇妙な衝動が湧いて来るのだ
 寝てるから大丈夫だろうと俺は、そっとその頬に顔を重ねた

 しっとりと暖かくて気持ち良い…
 やっぱり人肌の温もりは大切だ
 身体だけじゃなく、心も温まるから

 この温もりを、もしかすると失っていたかも知れない
 そう思うと今更ながらに身体が震えた

 …本当に、助かって良かった…
 頬に伝わるメルキゼの鼓動に涙がこぼれた



「…ん…んん…?」

 頬が濡れる感触にメルキゼは不振そうに顔を顰めた
 離れる暇も、涙を拭く暇も無いうちに彼は目を開けてしまった

 …ヤバい…
 背中に一筋の冷や汗が流れた

 恥かしがり屋のメルキゼの事である
 隣に寝てるだけでも問題なのに、更に顔を密着させていたのだ
 メルキゼにとっては憤死ものであることは簡単に予測できる
 この状況では、また大騒ぎさせてしまうだろう


「ごっ、ごめん―――…」

 咄嗟に頭を下げて謝る
 しかしメルキゼは無言のままだった

 ……?

 わたわたとしながらの絶叫が響くと思ったのにどうしたのだろう
 ショックで硬直しているのか、それとも怒っているのだろうか…

 俺は恐る恐る頭を上げると
 メルキゼの顔を伺い見る

 トマトのように赤面しているかと思ったその表情は
 堪える涙によって辛く哀しく歪められていた
 しかし程無くして溢れ始めた涙が頬を伝う


「…カーマイン…すまない…」

 メルキゼの指が俺の頬を拭う
 燃えるように熱い指先が、じんわりと涙を乾かした

「君を泣かせてしまった…
 絶対に君だけは傷付けたく無いと思っていたのに
 私は愚かだな…護るつもりが結局裏目に出てしまった」

 ぽろぽろと涙がシーツに零れ落ちる
 メルキゼの泣き顔を見るのは、これで何度目だろう
 もしかすると笑顔を見た回数よりも多いかも知れない

 俺はメルキゼの涙をシーツの端で拭ってやる
 この行為も既に慣れてしまった


「…カーマイン…君も私に失望しているだろう…
 いつも無様な姿ばかり見せて…愛想を尽かされても仕方が無い…」

 がっくりと項垂れるメルキゼ
 表情が髪に隠れて、暗さに拍車をかけている
 見ようによってはベッドの上の呪縛霊

 しかし…何でこう、マイナス思考なのかな…こいつは…
 俺も人のことは言えないけどさ…

「心配はしたけど失望はしてないよ
 俺、結構お前の事気に入ってるしね
 格好良い所も悪い所も全部…好きなんだ」

 長所も短所も、全部合わせてメルキゼなのだから
 ただ格好良いだけの彼では物足りない
 ありのままの、等身大のメルキゼが好きなのだ

 そう伝えると彼は恥かしそうに顔を赤らめた
 それでも、ちょっとだけ嬉しそうにも見える


「俺さ…お前に何でも良いからしてやりたい
 今回の事でさ…改めて痛感したんだ
 何もかもお前に頼りっぱなしだったって
 だから、たまには俺にもなにかさせて欲しいんだ」

 何かして欲しい事はないか、と聞くと彼は驚いて目を見開いた
 それでも俺の様子を見て何か言わなければと思ったのだろう

 彼は少し考える様子で俯いていた
 しかし何かを思いついたのかすぐに顔を上げる
 その表情は微かに微笑んでいた


「で、何をして欲しいんだ?」

「ああ…その、本当に何でも良いのだろうか」

 もじもじと恥かしそうな様子に俺は苦笑する
 奥ゆかしいと言うか、内気と言うか…

 ちょっとした事でも過大なリアクションをするメルキゼ
 彼のことだから、きっと大した望みでは無いだろう
 それ以前に要望があるのかどうかすら不明だ

「何でも良いって言ってるじゃないか
 肩でも揉むか…それとも背中流そうか?」

「いや…そのまま、じっとしていてくれ…」

 メルキゼはそう言うと、恐る恐るといった感じで俺に手を伸ばす
 彼の手は俺の頬を優しく包んだ
 高めの体温が気持ちいい


 …もしかして、顔を触ってみたかったのだろうか…

「メルキゼ…?」

「…少しだけ、失礼する…」

 彼はそう言って微笑んだ
 そしてそのままゆっくり俺との距離を近くする

 互いの影が重なる距離
 吐息をすぐ傍で感じる距離
 20cm…10cm…5cm…

 って、おいおい何処まで近付くつもりだ―――!?

 俺は後退した方が良いのだろうか
 しかしメルキゼには、じっとしていろと言われたし…


 何て考えているうちに、ついに顔と顔がぶつかった
 むに、と柔らかい感触
 とりあえず痛くなくて良かった

 でも、メルキゼは顔をぶつけて一体何がしたかったのだろう……

 熱を測りたかったのだろうか…しかし別に額がくっついてるわけではない
 顔は凹凸があるから、くっつけても完全に密着する事は無いのだ

 今だって、触れ合っているのは唇だけだし――――…


 ……………。


 …………ん…!?



 唇!?




 …何で…?
 どうして唇がくっついてるんだ?

 というか、これって…まさか…
 俗にいうキスというやつでは…!?

 真っ白になった頭の中に?マークが大量に飛び交う
 どうやら驚きよりも疑問の方が強いらしい
 そのせいか驚いているわりには、やたらと頭は冷静だ

 そして冷静ながらも混乱しているらしい
 何故か俺は客観的に今の状況を眺めていた










 うーん…

 夕焼け(朝焼けかも知れないが)の差し込むベッドの上で
 裸の男(俺のことだけど…)とキスシーンなんて、まるで映画のワンシーンだ

 しかし何故だろう
 まったくもって全然、悲しい程に色気が感じられないのは…
 普通こういう状況って多少なりともドキドキしたりするものじゃないのか?

 やっぱり相手が男だから!?
 いや、でもそれなら普通は嫌悪感で突き飛ばしてるだろう
 嫌かと言われれば俺は迷い無く『別に…』と答えられる

 嫌悪感を抱くわけではないのだけれど、かと言って嬉しいわけでもないのだ
 この気持ちをシビアに一言で言い表すのなら―――無
 はっきり言って、無感動…つまり、何も感じないのである


 いや、多少なり思う事はあるのだ
 しかしそれは決してロマンチックなものではない

 俺が思う事は『毒、完全に消えてるんだろうな…じゃなかったら俺危ねーぞ』
 万が一、口移しで彼の中の毒が俺にも回ってしまったら大変な事になる

 吸い付かれて毒を注ぎ込まれるなんて―――お前は蚊かよ、といった感じだ
 いや、別に吸血されているわけではないんだけどさ…

 そう言えば蚊≠チていうゲームがあったな
 あれはなかなか難しい上に主人公が蚊で感情移入がいまひとつ…
 だってそうだろう、そもそも蚊と言うものは―――…


 …って違うだろう俺よ…
 別に蚊は関係ないんだよ、蚊は…
 駄目だ、思考回路が妙な方向に捻じ曲がっている

 今、気にすべき事はそんなことじゃない
 とりあえずメルキゼがどういうつもりでいるのかを考えなければ
 何せ、いつもの事ながら彼の意図がまるでわからないのだから
 そしてどんなオチがあるのかも予測がつかないのである

 …でも、絶対に何か凄まじい脱力感を伴うオチがある筈だ
 その衝撃に備えて、少なからず心構えをしておかなければ…!!


 心の中で、ぐっとコブシを握り締めて気合を入れる
 相変わらず色気の欠片もない俺であった




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