「ぷはー」


 それが唇が離れた時の第一声だった
 ちなみに俺ではなく、メルキゼのである

 …って、何で『ぷはー』?

 風呂上りの一杯をやったオヤジ声のような響きである
 もしかして唇以外にも何か吸われていたのだろうかという不安も残る

 とりあえずその事に対して突っ込みを入れたい
 しかしそれよりも肩で激しく息をしている姿を先に突っ込んだ方が良いのだろうか


「はぁ…はぁ…く、苦しかった…
 口付けは胸が苦しくなると聞いたけれど…
 胸よりも先に、呼吸が苦しくなるものなのだな…知らなかった…」

 酸欠で大ダメージを受けている馬鹿がここに一人
 とりあえず、そんなお前に俺から一言『息は止めるな』と言ってあげよう


「…んじゃ、そういうことで…もう大人しく寝ろよ
 まだ頭に毒が残ってるということにしておいてやるから」

 俺は現状を深く考える事を放棄した
 全ては毒のせいだと思う事が一番平和な手段だ
 明らかに今のメルキゼは普段の彼とは違うのだから



「お前、きっとまだ疲れてるんだよ
 とにかくこのまま寝て休んでくれ…俺の為にも

「気持ちはありがたいが…しかしここで寝るわけには行かない
 ここで寝てしまっては次のステップへ進めないから…!!」


 進まんでいい!!



 というよりも、頼むから進まないで下さい
 むしろ、進んじゃいけないだろう

 俺は激しく首を左右に振った
 何かもう…声も出ない

「カーマイン、よく考えみてくれ…私たちはもっと、
 互いを深く知り合う必要があるとは思わないか!?」


 それは確かに一理ある

 しかし…もっと手段を選んでくれ!!
 他にも色々と方法あるだろう!?

 頭の中が稼動した洗濯機状態だ
 ぐるぐる回って…時たま逆回転もしてみたり
 要するに大パニックに陥っているということだ

 そんな俺の両肩を、メルキゼはがっしりと掴む
 そして俺の瞳を真摯に見つめてきた
 ついでに耳元で囁いて来たりもする

「カーマイン、私はもっと、君のことが知りたい…」

 あああ…物凄くキザな仕草とセリフなのに、
 元々の素材が良いだけに妙にハマっている(中身は別として…)



「ひー…待て、ちょっと待てっ!!」

「待てない」

 メルキゼは布団を跳ね除ける
 そして俺の手を強く掴んだ

 相変わらず凄い力だ
 この力で護ってくれていると思う度に心強くなる
 しかし、その力が自分に向くとなると脅威以外の何者でもないっ!!

 それにモンスターの骨を砕く怪力の持ち主に勝てる筈がない
 ああ、もうここは潔く腹を括るしかないのか…!?
 そうだな…悪足掻きをするよりも覚悟を決めた方が後味が良いかもしれない
 メルキゼには今まで数え切れない程世話になってるし、その分の礼を身体で払うと思えば…!!

 でも、やっぱりまだ心の準備がぁ―――っ!!


「カーマイン」

 メルキゼは静かに微笑んでいる――ように見えた
 その笑顔が妙に恐く見えて俺は硬く瞳を閉じる

「はっ…はい…」

 思わず敬語で返事
 心臓が脳味噌を突き破って飛び出しそうだ


「…カーマイン…さあ――…」

「ひっ…!!」

 俺は思わず息を呑んだ
 ああ…『さあ』、何をするというんだ…っ!!

 怖いし緊張するし、泣きたくなってくる
 ああぁ…どうしてこんな事になったんだ…

 涙ぐむ俺に、メルキゼは甘く低い声で囁いた



「さあ―――…コーヒーを飲んでくれ


 …………。

 ………………。

 ―――――――……あー…?


 俺は香ばしい香りに思わず目を開く
 そこには微笑むメルキゼがいた
 ホカホカと湯気を立てているコーヒーを持って…


「…コーヒー…?」

「ああ、コーヒー」


 …………。


 何でコーヒー!?



「ちょっ…何で…!?
 いやそれより、何処からそんなカップ出した!?」

「カップくらい宿に備え付けてあるだろう…無論、お湯もあるぞ
 しかしこの先辛くなってくるから、あまり細かい突っ込みは入れないでくれ
 手ぶら状態なのに何処からともなく色々と取り出すのはRPGのお約束なのだから」

「…………。」

 だからって、何でコーヒー?
 今までの展開とコーヒーがどうしても結びつかない
 しかしメルキゼは、やたらと嬉しそうな様子だった

「カーマインは砂糖とミルクは入れる派?」

「……ミルクだけ入れて」

 メルキゼは頷くと、コーヒーのカップに適量のミルクを入れてくれた
 ちなみに彼が飲むカップには大量の砂糖とミルクが投入されている
 ここまでやったら既にコーヒーの味はしないんじゃないだろうか…

「はい」

「…どうも」


 俺はわけもわからないままコーヒーをすする
 メルキゼはその横で実にご満悦の表情だ

「…なぁ、メルキゼ…
 ひとつ聞いて良いか?」

「何?」

コーヒーの意味がわからないんだけど」

 これは一体何の儀式なのだろう
 この国伝統の何かなのか―――


「ああ、昨日『互いを更に深く知り合うにはどうするべきか』と聞いたら、
 『ベッドの上で口付けを交わし、夜明けのコーヒーを飲めば良い』と教えられて…」


 ………………。

 確かにある意味では間違ってはいない
 こういう理解の深め方も確かにあるのだが―――

「お前…馬鹿正直に言葉のままを実行したんだな…」

「馬鹿正直…というと、もしかすると比喩的な何かがあったのか?」

「…比喩ではないけど…」

 暗に大人の事情が隠されてはいる
 しかしそれを彼に告げても良いのだろうか


「ちなみに、ファーストキスの感想は?」

「憤死する程恥かしかったに決まっている
 何かもう…頭の中がグラグラと煮える感じで、
 呼吸が止まっている事にすら気付かなかった…」

「………そっか……」

 駄目だ…
 真実を告げたら呼吸どころか心臓が止まりかねない
 ファーストキスを経験したばかりの彼には刺激が強すぎる


「……あ……」

「どうしたメルキゼ?」

「…思い出したら…眩暈が…」

 ふらふら〜と、そのままベッドに倒れこむ馬鹿が一名
 その顔は案の定、真っ赤に色付いている
 顔から蒸気が噴出しそうな勢いだ

「…ああぁ…っ!!
 今更ながらに羞恥心がっ!!
 私は…私は何て不埒な事を…!!
 嫌ぁ―――…恥かしいぃ―――っ!!」

 大絶叫を上げつつ、
 ベッドの上で転げまわる大男

 ばったん、ばったんと盛大な音と共に埃が舞い上がる
 衝撃に耐え切れなかった布団は裂けて雪のように羽毛が降り注ぐ
 そして白いシーツに赤い飛沫が飛び散った



「め、メルキゼ…っ!?」

 あまりにも興奮し過ぎたせいだろう
 彼は盛大に鼻血を噴出していたのである

 惨殺死体のように見事に顔面は血だらけ
 白いパジャマに無数に飛び散る血痕も恐ろしい


 その姿は地獄の底から這い上がってきた何かのようだ



「ひいぃ…っ!!」

 俺は咄嗟にベッドから飛び退いた

 鼻から血を流しながら、それでも転げまわるメルキゼ
 シーツに、壁に、絨毯に赤い染みが飛び散って収集がつかない

 もうベッドどころか部屋中が滅茶苦茶だ
 殺人事件があったと言ったら対信じてもらえるだろう

「お、落ち着いてくれメルキゼ…っ!!
 頼むからこれ以上鼻血を撒き散らすな!!


 俺は恐怖に震えながらも、何とか彼を宥めようとした
 しかしそれは今のメルキゼにとっては逆効果だったらしい

「ああ…嫌ぁ―――…っ!!
 恥かしい…恥かしくて君の顔が見れないっ!!」

 更に激しく悶絶するメルキゼ

 あああ…鼻血が!!

 鼻血が天井にまで飛び散ったっ…!!



 どうすんだよ…この部屋…
 弁償代いくら請求されるかわかったものじゃない…っ!!

 メルキゼは血まみれで恐いし…もう泣きそうだ

「うわーん…メルキゼが恐いっ…恐すぎる―――っ!!
 お願いだから、早くこっちの世界に戻ってきてくれぇ…!!」


 俺は捨て身の攻撃で、ベッドの彼に飛び乗った
 とりあえず動きを封じないことには部屋の惨事が増すばかりである
 メルキゼの上に馬乗りになると、俺は懇親の力で押さえつけた

 彼の口から断末魔のような悲鳴が響き渡る


 そして―――…




「どうかしましたかっ!?」

 騒ぎを聞きつけた人たちが部屋に駆け込んできた
 そこで彼らが見たものは―――…

 裂けた羽毛布団
 床に転がるティーカップ

 全身血だらけで悲鳴を上げる人物
 そして、そんな彼を馬乗りになって押さえつけている裸の男(俺)―――…


「…………」

「…………」




 俺は問答無用で取り押さえられたのであった





 ああ…
 一体俺が、何をしたというんだ
 むしろ被害者だと言っても過言じゃない…!!

 その後、数分遅れで駆けつけてくれた恩人戦士のフォローにより、
 やっと解放された俺は―――――本気で号泣していたのであった




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