…あぁ…腹減ったなぁ…
 でもカエル食って死に掛けた身だし、自粛しなきゃならないよな

 ……けど、こんなに良い匂いがしてるんだもの、仕方が無い……



「―――う〜……腹減ったよ〜……」



 自分の声で意識が覚醒する
 深く沈んでいた体が、現実世界に浮き上がってきた

「…………」

 目覚めてすぐ視界に入ったのは暖かな木の天井
 そして身体を優しく包むベッドと毛布の感触

「……って俺、普通に寝てるし……」

 ――――夢オチ?
 季節外れの時期にキャンプに行ったのも夢?
 テント潰されたりカエル食って死に掛けたのも、全部夢でした…っていうオチかい?


 ……でも、ここは一体何処だろう
 ここは俺の家じゃない―――だとするとこの家は一体誰の?


「山菜取りにでも来てた人が助けてくれたのかな……」

 そう考えるのが一番自然だった

 窓の外を見てみると、大粒の雨が静かな森を濡らしていた
 手付かずの大自然―――広い森……ここはあのキャンプ場に違いない


「うん、きっと親切な人が連れ帰ってくれたんだな」

 窓の外の景色が森であることが推測に確信を持たせた
 キャンプ場の近くに住む人が助けてくれたのだ

「はぁ…良かった…家の人にお礼言って―――ついでに家まで送ってもらえないかな…」

 こんな森の中に住んでいるのだから自家用車がある筈だろう
 安心すると同時に図々しくなってみる
 人間とは現金な生物だ


「でもこんな森の中に住んでいるんだから…きっと年寄りだろうなぁ…気難しい頑固者じゃなきゃいいけど」

 倒れている人を運んで介抱してくれる位だから優しい人なんだろうけれど
 ……でも実は下心ありで大量の治療費とか請求するつもりだったりして……

 色々と推測を立てながら、俺はベッドの上で転がっていた
 本当は起き上がって家の主に礼を言わなきゃならない
 けれどベッドと暖かい毛布の感触が気持ち良過ぎて動く気になれなかった

「もう少しくらい寝てても良いっかな〜」

 本来が出不精な性分なのだ
 明るいうちからベッドでゴロゴロしていることに何の躊躇いも無い
 開き直ってしばらくの間、ベッドにパラサイトする事に決めた


「う〜ん…夢心地…」

 この際、他人の家であろうが何だろうが御構い無し
 やっぱりキャンプなんて慣れない事するから疲労ゲージがマックスになっていたようだ

 早くもウトウトと意識が落ちてゆくのを他人事のように感じていた―――……


 ――――が、次の瞬間、俺の意識は一気に覚醒した


 軽いノックの音が二度、響く
 少しの間を置いて、乾いた音を立てて扉が開いた


「……起きた……?」

 微かに震えた、か細い声

 見るからに恐る恐る、といった感じで家の主であろう人間が部屋に入ってくる
 倒れていたとは言え見知らぬ男を家に入れるのは、やっぱり勇気を要したのだろう
 それも時期外れのキャンプ場で一人倒れていたのだ
 常識的に考えても警戒心を持たれて当然だろう

 俺はベッドから飛び起きると、家の主に向かって深々と頭を下げた
 兎にも角にも、とりあえずお礼を言わなきゃならない
 命の恩人に礼儀知らずな奴だとは思われたくない


「あのっ、助けて頂いて、どうも有り難うございました!!」

 よし、お礼は言えた
 俺は顔を上げながら、まず電話を貸してもらおうと思った
 まず家に帰って、後日改めて菓子折りでも持って行けば良いだろう


「すみません、電話――――……………」


 そこで俺の声は止まった
 一方的に切られた通話のように
 ……むしろフリーズしたパソコンと言った方が正しいかも知れない

 ―――動けない
 全身が凍りついたかのように動けないのだ
 視線をそらす事も出来ない


「…あ…ああ……あ………」

 言葉が上手く出てこない
 どうやら口の中まで凍りついたらしい
 それほどまでの強い衝撃だった


 他でもない、この家の主の姿に、俺の視線は釘付けになっていたのだ


 時が止まるのを感じる
 俺はまだ夢の中にいるのだろうか
 胸が激しい鼓動を打ち、視線すら逸らすことが出来ずに―――俺はただ、その姿を見つめていた




 深い色の長い髪をゆったりと三つ編みにし、雪のような白い顔を撫ぜている
 象牙のようなその肌を包むのはレースとフリルで飾った淡い色の長いドレス
 肩を覆うケープを大きなリボンで結び上げて一輪の花のような華やかさを醸し出していた




 ―――いや、別にここまでは良い
 三つ編みは嫌いじゃないし、綺麗な女性のドレス姿ならいくらでも見ていたい


 そう―――綺麗な女性なら!!!


 問題は目の前の人物が綺麗な女性じゃないことだ
 いや、この際綺麗じゃなくても女性であれば許せる



 でもこの目の前のドレスを着た人物は――――どうみても女性ではなかった



 そう、俺の目の前には到底この場に似つかわしくないドレス姿のが立っていたのである
 可愛らしいフリフリのドレスを着たごっつい大男である
 しかも、トドメとばかりにその頭上にはプリティな猫






 ――悪夢かこれ












 俺は今、21年間生きてきた中で最大の恐怖感を味わっている
 これほどの恐怖を味わったことなどこれまでになかった

 ――――何で!?
 何でこんな所に猫耳のニューハーフが!?
 恐いんだけど、それ以上に驚いて、それでいて気持ち悪くて不気味で―――ああもう何が何だか……

 大体、何で目覚めてすぐにこんな珍妙な物体を見なきゃならないのか
 こんな拷問を受けなければならないような重罪は犯した覚えは無い!!

 ああぁ…これは夢だ
 そうでなければウシガエルの毒が見せた幻覚
 こんな恐ろしく不気味な生物がこの世にあってはならない……


 混乱した頭で命の恩人に向かって滅茶苦茶に失礼な発言を連発
 人を外見で決めてはいけないと判ってはいるが限度がある
 せめて人間としてもう少し常識ある格好をしてもらわなければ精神に支障が出る

 他人の趣味に口出しする気は無いが、せめて人目のつかないところでやれ…それが社会のルール
 そうじゃないと俺……これから社会に出て行く勇気が出ない……

 俺は常識ある大人になろうと、心のどこか片隅に固く誓った




「―――……何故、人の顔を見て泣く……?」

 気がつくと家の主は不振そうに俺を見ていた
 ああ…恐いから見つめないで欲しい……
 俺はようやく衝撃から立ち直った身体を奮い立たせた
 そして真っ先に目の前の男から目を逸らした

 ニューハーフは美意識が高い
 そしてナルシストが圧倒的割合を占めている
 容姿に対して失礼な発言をしては何をされるかわからない

「……いえ……ちょっと驚いただけなんで……」

 本当は物凄く驚いたんだけど
 いや、今はそんな事どうでもいい
 今俺がすべきことは……己の身の保身だ―――!!!



「あの、どうもご迷惑をおかけしましたっ!!
 え〜っと……あ、親が心配してると思うんで帰りますっ!!
 このお礼は後日改めて伺いますんで……どうもお邪魔しました!!」


 俺は深々と頭を下げると、全速力で部屋を飛び出した
 だって、絶対おかしい
 こんな深い森の中に人が住むなんて尋常じゃない

 それに―――あの男はどうみても日本人じゃなかった
 肌の色も髪の色も、体つきも東洋人のものではなかったのだ
 長い前髪に隠れていて顔は良く判らなかったが、きっと瞳の色も黒ではなく、青か緑なのだろう

 こんな森の中に隠れるように住む外国人といえば、まず連想するのが犯罪≠ニいう言葉
 不法に密入国した外国人……だとしたら、その影に暴力団が絡んでいる可能性も多大だ

 良く暴力団は飲食店や風俗店に繋がりがあるという話を聞く
 だとしたらあの男は暴力団に拉致されて連れて来られたのかも知れない
 あぁ、きっとニューハーフクラブを運営している暴力団が彼を………!!



 ―――妄想は止まらない
 信憑性があるかどうかは謎だが、一度妄想し始めると暴走してしまう
 同人女との付き合いが長かったせいか、想像力が逞しくなってしまったらしい

 ぐるぐると頭の中を駆け巡る犯罪色に染まった妄想に勝手に脅えつつ、俺は山道を駆け下りた
 道は無かった
 膝丈以上も伸びた草が行く手を阻む
 舗装された道路どころか、獣道すらない天然森100パーセント

 ―――自分が今、何処にいて何処を走っているのかすらわからない
 けれど、犯罪に巻き込まれてしまう前にこの場から離れなければならない
 そのためには兎にも角にも走り続けるしかないのだ

 ああぁ…何でキャンプに行ったのにサバイバルやら逃亡をしなければならないんだ……
 波乱万丈過ぎる己の日常に泣くべきなのか、それとも笑ったほうがいいのか



 とりあえず中間をとって泣き笑いを浮かべながら俺は山道を駆け下りていった



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