空はほんのりと朱に染まり、カラスの歌が木霊する時刻
 俺たちは今日の野営所をここに決めた

 足場が丘のように盛り上がっている為、眺めはかなり良い
 俺たちは暫くの間、波を照らす夕日を見つめる


「…ここからだと町が見えるな…近いうちに着けると思う」

 メルキゼは遥か彼方を見つめて呟いた
 彼の視線の先には港町が広がっているのだろう

 しかし、俺にはその姿は見えない

「…ふね…いっぱいあるね」

 シェルは海を指して喜ぶ
 その隣でメルキゼが『漁船だろう』、とコメントした

 しかし、やっぱり俺が見る限り海には何も浮かんではいない

 …どうせ、俺は日本人の平均的視力の持ち主さ…
 ちょっとだけ疎外感を感じて、いじける俺
 いつか二人の視力を測定してみたいものだ




 夕日は沈み、空に三日月が光る頃


 俺とメルキゼは町に着いた時の事について話し合う
 そして今後のルートを地図と照らし合わせて打ち合わせを始めた
 地図によると小島が幾つかあり、どの島で停泊するかが目下の課題だ

「どの島にも小さな村がある
 それぞれに特徴があるのだけれど―――」

「物価が安くて、宿にちゃんと部屋があれば良いよ」

「確かに…」

 以前の悪夢を思い出したのだろう、メルキゼは苦笑を浮かべた



 波の音に混じって、微かな口笛が聞こえる
 カーマインがシェルに口笛教えたのは、つい先日
 どうやら気に入ってもらえたようだ

 しかし…子供特有の物覚えの良さだろうか
 シェルはもう完璧に口笛をマスターしている
 自分は何日も掛かったのに…と、少し悔しくも思うカーマインだった

 いつもは遊んでと、くっついて来るシェルも今は独り遊びで退屈を凌いでる
 どうやらシェルなりに俺たちに気を遣っていくれているらしい
 テントの周囲をぶらぶらと散歩している姿は少し寂し気だった

 流石にちょっと可哀想になってくる
 俺たちは早々に話を切り上げ、シェルと遊んでやる事にした
 この子と一緒にいられる時間はもう、あまり長くはないのだから



「お話し終わったから、一緒に遊ぼうか」

 俺はテントの裏で座っているシェルに優しく声をかけた
 しかしその青い瞳は、ある一点を見たまま動かない

「…おおきな…おはな…?
 …みたいなのが、ここにあるよ…」

 どうやら珍しい花を見つけたらしい
 俺はシェルの隣に座ると、その視線の先を辿った


「…こんなのが咲いてたんだね…」

 テントを張った時には気がつかなかった
 鮮やかな色の花をつけた、かなり大きな植物だ

 薄く透ける様な花弁に薔薇の様な鋭い棘
 蔓植物なのだろう、細い蔓が砂地を這っていた


「…しぇるよりも、おおきい…」

 シェルは好奇心旺盛だ
 躊躇い無くその花に手を伸ばす


 ―――その直後だった


 突然その花が意思を持つかのように動き始める
 地を這っていた蔦は手足のように複雑な動きを見せた

 直感的に危険だと察知する
 見慣れないものはモンスターだと疑わなければならない
 それは植物だとしても例外ではなかったようだ


「…これ、もんすたーなの…?」

 シェルは呆然と見入っている
 確かに今まで見てきたモンスターとは雰囲気が違った

 俺の知っているモンスターは生理的嫌悪感を抱く恐ろしい容姿
 見るからに凶悪で殺意むき出しの化け物そのものだった

 しかし、今目の前にいる者は不気味ながらも美しい
 色鮮やかな花弁で着飾るその姿は芸術作品の様でもある
 花の妖精と言われれば、思わず納得してしまいそうな姿だ








 しかし、見とれている暇は無かった
 外見はどうであれ向こうは自分たちを獲物と見なしているのだ

 モンスターは鋭い棘のついた蔓を鞭の様に撓らせる
 餌にするなら小さな子供よりも大人を狙おうという魂胆なのだろう
 無数の棘の鞭は迷わず俺を目掛けて襲い掛かってきた


「―――うわぁっ!?」


 身体が恐怖で動かない
 俺は瞬間的に瞳を閉じた

 ―――殺される…っ!!

 もうだめだ
 俺は死を感じた

 次の瞬間


「ぐあっ!!」

 全身が地面に叩きつけられた
 そして重いものが圧し掛かる
 激しい痛みと押し潰されそうな衝撃で頭の中が真っ赤になる

 棘の鞭で打たれたと言うより、思い切り突き飛ばされたような衝撃

 頭の中がガンガンと脈打つ
 打ち付けられた身体を押さえながら、俺は目を開いた


「…ぁ…」


 瞳に飛び込んできたのは、心配そうに俺の顔を覗き込むメルキゼ
 身体が重かったのは、メルキゼが俺に覆い被さっていたからだった

 彼は間一髪、俺を突き飛ばして敵の攻撃から護ってくれた
 しかし勢い余って彼自身も俺の上に飛び乗ってしまったのだろう

 ほっと息を吐く
 危ない時は必ず助けてくれるメルキゼ

 彼が来てくれれば、もう大丈夫だ―――…

 俺は感謝の意を込めて彼に微笑みかける
 メルキゼは無事な俺の様子を確認すると、何かを言おうとして口を開いた



 しかし、その口から言葉が出る事はなかった
 彼の唇からは、声の代わりに赤いものが流れ落ちる

 ぽた、ぽた、と俺のマントに赤黒い染みを作ってゆくそれは途切れる事を知らない


「……メル…キゼ……?」


 声が震える
 そっと彼の身体を抱きしめると、ぬるりと生暖かいものが両手を濡らした

 …まさか…そんな筈無い…!!

 認めたくなかった
 絶対に認めるわけにはいかなかった

 それでも頭は意思に反し、現状を鮮明に感じ取る


 彼は俺を助けてくれた
 自らの身体を盾にして…

 俺が受ける筈の攻撃は、全てメルキゼが身代わりになっていた

 鋭い棘に貫かれた身体
 流れる血で濡れたローブ
 大量の失血で青白い顔…


 泣き叫ぶ子供の声が、何処か遠くから聞こえた


「…メルキゼ…っ!!」

 俺の声に、ぐったりとしていた彼の身体が一瞬反応した
 メルキゼは苦しそうに顔を顰めながら、それでも立ち上がる

 彼が動く度に赤い滴が砂浜に染みをつける

 止めてくれ、もう動かないでくれ―――そう叫びたかった
 しかし俺の声が出る前にメルキゼは歩き出した

 無理をしているのは一目でわかった
 足元は覚束無くふらついている
 出血多量で力も殆ど出ないだろう

 それでもメルキゼは敵と戦う事を選んだ


 勝算があるのかどうかはわからない
 泣き喚くシェルを気遣う余裕すら無く
 俺はただメルキゼの無事を祈る事しか出来なかった


 メルキゼは血に濡れた赤い両手を、ゆっくりとモンスターに向けた

 彼の身体が淡い光に包まれる
 ゆらゆらと原型を留めない光
 朱と橙のその光は―――炎だった

 心の中が、じんわりと温まって行くような暖かい炎
 メルキゼに優しく抱かれているような錯覚を覚える彼の香りがする炎

 俺は身体が温もりに包まれてゆくのを感じた
 メルキゼの炎は俺には優しく暖かかった

 しかし、それはモンスターの身体を包むと途端に姿を豹変させた
 穏やかな光は紅蓮の炎へと姿を変え、敵を飲み込む


 一瞬の出来事だった

 モンスターは灼熱の炎にその身を焼き尽くされ、塵となって消えていった



 敵を倒した事を確認すると、メルキゼは安堵の息を吐く
 そしてそのまま、力尽きて崩れ落ちた

「―――メルキゼっ!!」

 俺は駆け寄った
 抱き起こして、何度も呼びかける
 しかしメルキゼは意識を失ったまま、俺に答える事は無かった










 震える手で彼の服を脱がして行く
 血に濡れた服は乾きかけていて、パリパリと音を立てる

 出血はもう、止まっている様だった
 傷口も思っていたよりも小さい

 もしかすると大きな傷だったのかも知れないが、彼の特殊能力で治癒が早まっている可能性もある
 しかし、どちらにしろ油断は出来ない状況だ

 俺は彼の傷に触れようとして―――思わず動きを止めた
 彼の塞がりかけた傷口は確かに回復へ向かっている

 しかし―――…何故か傷口が次第に青黒く変色して行くのだ
 痣の様に青黒い傷口は、彼の白い肌の上にゆっくりと広がる



「…おにーちゃん…これ、どくだよ…!!」

 横から覗き込んでいたシェルが再び泣きそうになる
 モンスターの棘には毒があったらしい

「大丈夫、毒消しがあるから…!!」

 俺はテントに駆け込むと、荷物の中から毒消し用の血清剤を掴んで再び彼の元へ走る
 以前メルキゼに教えられた通りに、血清剤を患部に塗り込んだ

 しかし、一向に毒素は消えて行かない
 傷口は見るも無残に変色し続け、痛々しい姿を曝していた

「…だめ…きいてないよ…っ!!」

 シェルが泣き出す
 俺も一緒に泣きたい衝動に駆られた
 しかし泣いた所で彼が助かると言う訳でもない

 ここで俺が行動を起こさなければ、最悪の事態を招く事になる


「…シェル、この先に町があるんだよね…!?」

「……うん」

 町があるなら薬局も病院もある筈だ
 そこに行けば効果の高い血清剤も手に入る

 明かりも無い暗い海辺は危険だ
 そして、再びモンスターが出る可能性も否めない
 しかし俺が行かなければ彼を見殺しにする事になる


「…俺が戻るまで…メルキゼの事を頼む…っ!!」



 俺は全力で駆け出した

 足元すら見えない漆黒の暗闇の中
 まだ見えない町に一抹の希望を託して


 ―――大切な人を救う為に……





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