シェルが仲間に加わってから、1週間が経った


 エルフは人間とは違う生き物らしい
 しかし外見上、耳が長いという事以外は人間と変わらないのだ

 人の形をしていれば人間、という考えは通用しない異世界
 まだまだ知らない種族が溢れんばかりにいるのだろう

 けれどもカーマインは、どうしてもエルフと言われても実感がわかない
 ちょっと耳が長いけれどカーマインにとってシェルは人間の子供なのだ
 今まで人間以外の人の形をした生物を見たことがないのだから仕方がない

 しかしそう開き直るのにも、そろそろ限界を感じ始めてきた今日この頃…



 秋の浜辺に三つの人影

 その日の食材を得る為、三人総出で狩りをしてるのだ
 海で魚や貝を獲ったり海鳥を捕まえたりするのが日課になっていた

「…おにーちゃん…あっちに、えものいる…!!」

 狩猟生活に早くも馴染んだシェルは狩りにも積極的だ
 ところが、カーマインにとっては致命的な問題があった

 カーマインにはシェルが示す場所に何も見つける事が出来ない
 どう見ても青い空と白い雲があるだけの空間だ
 これの一体何処に獲物がいるというのだろう


 しかし―――…



「…そうだな、大きさ的にも丁度良い
 シェルはそのまま真っ直ぐ進んでくれ
 私は背後から隙を窺って捕らえよう…」

 どうやら、その獲物はメルキゼにも見えているらしい

 メルキゼはシェルと簡単に作戦を練ると、それぞれの持ち場につく
 最近は二人の見事な連係プレイで獲物を狩っていた

 幼いシェルにとっては、狩りも遊びのひとつであるらしい
 実に楽しそうに獲物を捕まえてくれる

 今日もメルキゼと手分けして海鳥の群れを捕らえる事に成功した
 ちなみに、カーマインには鳥の群れも狩りの様子も見えていない
 二人の姿はぶらりとどこかへ消えたかと思うと、大量の獲物を抱えて突然現れるのだ

 その事からしても狩場が数メートルの距離ではない事がわかる
 彼らには、一体何キロ先の獲物が見えているのだろう…?


「お前らは一体、どういう視力をしてるんだ…」

 ついでに、運動能力にも疑問を感じずにはいられない
 やっぱりこれが人間とエルフの身体能力の差なのだろうか…

 メルキゼが思いのほか強かったり特殊能力があるとわかった時よりもショックだ
 彼は第一印象から色々な意味で常人とは違うと思っていた
 だから素手で敵の骨を砕こうが手で傷を癒そうが、それもひとつの個性として受け入れていたのだ

 しかしシェルは耳の形さえ除けば人間の子供と変わらない
 カーマインは保護対象としてシェルの事を見ていた

 護ってやらねばと思っていた相手が、実は自分よりも身体能力が優れていたと知った時のショック
 カーマインの中の『おにーさん』としてのプライドが日増しに傷付いてゆくのがわかった


 せめて手ぶらでテントに帰るのだけは止めよう…切ないから
 日本人視力の俺は、海中に手を伸ばし潮干狩りに勤しむことにした

 ―――が……


「かーまいんのおにーちゃん、しぇるもやる…!!」

 貝殻拾いが趣味のシェルは潮干狩りも大好きだった
 そして趣味としているだけあって、その腕前もかなりものだったりする
 海に入るのが嫌いなメルキゼが見守る中、シェルは次々と大きな貝を掘り当てるのであった

「…シェル…おにーちゃんの立場、無くなっちゃうなぁ…」

 ちょっと寂しいカーマインであった






 その夜、突然俺はメルキゼに揺り起こされた
 夕食を終え、のんびりとテントで横になっていた矢先の事である
 俺たちは無邪気に眠っているシェルを起こさないよう細心の注意をはらってテントから出た

 彼の様子から、どうやらシェルには聞かせたくない話題なのだろう
 いつもにも増して浮かない表情のメルキゼが全てを物語っている
 俺には何となく話の予測がついていた


「後数日で町に着く…シェルの事を考えておかなければならない」

 やっぱり、ね…
 そんな感じの話題だと思った

「でも、実際問題どうするんだ?
 シェル自身が記憶喪失で何処から来たかわからないっていうのに…
 エルフの集落が世界にいくつあるか知らないけど、ひとつやふたつじゃないだろ?」

「ああ、ひとつずつ当たっていたのでは何年経っても終わらない
 しかし私たちの旅は常に命の危険がある危険なものだから
 エルフとは言え幼い子供を連れて行くのは、それこそ酷というものだろう…」

 メルキゼの表情は暗い
 彼が何を言いたいのかわかった


「…要するに、適当な所に捨てて行こう…って言うんだろ?」

「辛い選択だけれど…シェルには何処か引き取り手を探すしかない
 裕福な家庭の養子になれれば良いのだけれど、最悪の場合は孤児院になる…」

 メルキゼは両手で顔を覆う
 俺も一緒に泣きたい気分になった


「信頼していた者に捨てられるという気持ちは私自身が良くわかっている
 しかし生延びる事さえ出来れば、その後に幾らでも幸せを得る事が可能だ
 冷酷だと思われるかも知れないけれど…結果論から考えるとそれが最善の策になる」

「……………」

 シェルには悪いけれど、確かに彼の言う事の方が正しいのかも知れない

 まだ幼いシェルには未来がある
 この歳で危険な目に遭って命を落とすよりは安全な町にいた方が良い
 シェルが成長して己の力で故郷を探す事が出来るようになる日までは…

 理屈では、それが良いのだと理解している
 しかし心は感情に正直で、それを受け入れようとはしない

 俺は首を横に振った



「カーマイン、わかってくれ」

「…わかんない…可哀想だよ…っ!!」

 本当はわかっている
 わかっているからこそ、辛いのだ
 やり場の無い怒りと悲しみの感情が、心の中で激流の様に渦巻く

 だって…せっかく仲良くなってきたのに
 自分たちの事をおにーちゃん≠ニ呼んで慕ってくれていたのに…!!

「酷い…酷いよ、そんなの…っ!!」

 抑えきれない感情は目の前の男に打ち付けられる
 彼自身が悪いのではないとわかっているのに、八つ当たりせずにはいられない

 シェルが可哀想で、何も出来ない自分が悔しくて…頭の中が真っ白になる
 もう声に出す言葉すら思い浮かばなくなって、俺は硬く握った手をメルキゼに打ち付けた
 癇癪を起こした子供のように、何度もメルキゼの胸を殴り続けた

 メルキゼは抵抗する事無く、ただ黙って耐えていた





 数十分後、我に返った俺は激しい自己嫌悪で消え入りたくなっていた

「…あー…もう、嫌になるな…
 お前に当たるの何度目だよ…」

 以前から度々メルキゼに八つ当たりする事があった
 それだけでも悪いと思っているのに、今回は更に殴りつけてしまったのだ

 メルキゼ自身も物凄く理不尽に思っている事だろう
 しかし彼は不平不満を何一つ言う事は無かった
 そんな様子に申し訳無さが怒涛の様に込み上げてくる

「……ごめん、痛かっただろ…?」

「普段から鍛えてあるから大丈夫だ
 それに、感情は押さえ込むと心が病む
 私で良ければ好きな時にぶつけると良い」



 ぽんぽん、と俺の頭を軽く撫ぜて微笑むメルキゼ
 普段のクールに見えて実際は抜けているような雰囲気はなりを潜めている
 今のメルキゼには落ち着いた大人の余裕があった

 そんな彼を見ていると、自分がまだまだ子供なのだと思い知らされる
 6歳の年齢差がずっしりと重く感じられた

 一緒に過ごし始めて、もうかなり経つ
 互いの性格や価値観も理解し始めて、互いの距離はずっと近付いた筈だ
 しかし彼を知れば知る程に、どんどんその姿が遠くなって行く錯覚に襲われる

 自分が知っている彼は内気で恥かしがり屋の泣き虫で、少し抜けた所のある…でも頼りがいのある男だ
 しかしある時、急に人が変わったように冷静沈着な大人の雰囲気を感じさせる
 その豹変振りを目の当りにする度に、彼との距離が開いて行く気がするのだ


 自分の知っているメルキゼが、だんだん別人になってゆくような空虚感
 彼独りで何処か遠くへ行ってしまいそうな焦燥感に心が乱れる

 二重人格…という表現が正しいのかは良くわからない
 大抵の人間は二面性というものを持っているものだから

 しかし彼の場合は二面性と言うよりも、ふたつの人格を無理矢理ひとつにくっつけたという印象を受ける
 元々は別の人間同士を融合させた結果、それぞれの人格が衝突し合ってしまったような感じだ

 何気ない会話の、ほんの一瞬だけ…彼の中の別人格が顔を覗かせるような気がする
 彼の中では常にふたつの意識が衝突し、葛藤を呼び起こしているのではないかと思わせる

 実際にはそんな事がある筈ない…そうわかってはいても不安になるのだ



 俺は嫌な気分から逃げるように、メルキゼに背を向けた
 そんな俺を彼はどう感じたのだろう
 少し躊躇しながらも、その背にゆっくりと語り始めた

「……カーマイン、怒らずに聞いて欲しい」

「怒る、って…何?」

 予想外の彼の言葉に思わず振り返る
 そこにはバツの悪そうな表情のメルキゼがいた

「…カーマイン、今更ながらに思い付いた案なのだけれど…
 君を元の世界へ戻す事が出来たらという仮説の話で悪いのだが…
 その帰り道に私がシェルを引き取って連れ帰るという手段も一応ある
 どちらにしろ、一度は何処かに預けておかなければならないのだけれど…どうだろう」


 どうだろう、も何も――――…


「お、お前なぁ…それ、普通真っ先に考えつかないか!?
 自分で引き取ることが出来るなら、何でそれを最初に言わないんだよっ!!」

 脱力感と、先程のものとは質の違った怒りが込み上げる
 とりあえず好きな時にぶつけろと言われた怒りの感情を、素直に彼にぶつける事にした

「そんな平和な解決策があるのなら呼び出す以前に切り出せっ!!
 そうしてくれたら俺もお前を殴ったりする事も無かったんだぞ…!?」

 重低音の声で凄むと、メルキゼは流木の陰に逃げ込んだ

「だ、だから今更ながらに≠ニ言っただろう…っ!!
 私だって先程君に殴られた衝撃で思いついたのだから怒らないでくれ
 …しかし、たまには攻撃も受けてみるものだな…妙案が鮮やかに浮かぶ」

「――――…☆」



 お前は寿命の来た古テレビか



 俺は更に重みを増した脱力感に押し潰された

 …ああ、いいさ、もう…
 そんなお前が大好きだよ、メルキゼ…ああ、大好きだとも


 とりあえず、俺の良く知るボケたメルキゼに戻った事だけは確かなようだった




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