自分語り


 注:文中、コメディは一切無しで、
   ただひたすら拙者が自分の事を語ってるだけにござります
   笑いを求めている御仁は小説の方をお読み下さりませ




 このサイトを立ち上げて5年
 節目なので、少々昔話でもしてみようかと

 とは言えサイトと全く関係ない話をするのもどうかと思うので、
 イラストのことでも語ってみようかと思いまする

 笑いは取らない上に暗い文面になる事が予測さるので、
 苦手な御仁は他のページを開く事をお勧め致しまする





 父親の職業は熟練のカメラマン
 母親は華道の師範代、看板を出せるだけの能力を所持

 両親は共に絵画も嗜み、今現在も美術展に度々足を運んでいる

 芸術方面に精通した二人の間に生まれた自分は、
 自然と両親の影響を受けていたのかも知れない


 物心ついた時には既に絵を描くのが何よりの楽しみで

 友達と外を駆け回るよりも、
 一人で想像の世界に浸り、それを絵にして眺めるのが好きだった



 ゲームにはエンディングがあり、小説やコミックには最終巻がある

 しかし自分が繰り広げる想像の世界には終焉というものは無く、
 自分と共に成長して無限の広がりを見せる、自分が住まう第2の世界だった


 その世界に住む無数の住人、どこまでも広がる風景
 日々繰り広げられる彼らのストーリー

 それを紙面に描き起こし、その世界に浸るのが日課
 日課というより、生き甲斐だったのかも知れない

 その行為は既に生活の一部と化していて、幼い頃から現在まで尚も続いている




 とにかく絵を描くことが大好きだった


 一度描き始めると何時間でも紙面に向かっている
 食事をする事も寝る事も忘れてしまうほど没頭できる

 楽しくて、嬉しくて、そして得られる充実感と満足感


 しかし世の中とは上手くは行かないもので
 自分の目の前には常に障害という存在があった

 障害の名は『母親』という

 見紛う事無き実の母親だ
 一人っ子の自分にとって、一日の内最も一緒に過ごす時間の多かった存在



 彼女は何事も、先ず否定や非難から入る

 目が肥え過ぎているせいかも知れないし、
 自らが芸術方面の才能に恵まれているからかも知れない

 とにかく母親の日課は、自らの娘の絵を批判する事だった


 『パースが狂っている』、『遠近法がおかしい』、『色彩センスが無い』


 ノートの切れ端に描いた落書きに対しても、
 写生会などの課外授業で描いた絵に対しても、
 母の日のプレゼントにと授業で描いた似顔絵に対しても

 容赦無くダメ出しをして描き直しを命じる母親だった



 当然ながら小学生低学年の画力で、
 目の肥えた母親が満足出来る絵など描ける筈も無く

 毎回毎回、散々叱られて訂正させられて、
 挙句の果てに才能の無い娘を持った自らを嘆く母親を見せ付けられる


 両親の才能を受け継いで生まれて来なかった自分も悪いのだろうが、
 十歳前後の子供に対して世界の名画並みの画力を求める母もどうだろう

 とにかく何を描いても返って来るのは批判と叱責、そして才能の無い娘を持った母の嘆き





 成長と共に流石の私も学習能力を身に着けた


 自分の描いた絵を隠すようになった
 決して第三者の目に触れないように

 絵を描く事に対しての想いは一向に変わらなかったが、
 自分が描いたものを人の目に触れさせる事は極力避けるようになった


 学校の休み時間だろうが自宅にいる時だろうが、
 とにかく人目に付かないように隠れながら絵を描いていた

 運悪く見つかりそうになった時は、急いで絵を破り捨てていた

 母親に絵が見つかってしまった時は慌ててそれを取り返して、
 その日一日は食事の時間になっても部屋から出ることが出来なかった



 美術の授業は大好きだった

 しかし、描いた絵を提出するのは大嫌いだった
 写生会で描いた絵を見られるのが嫌で仮病を使って休んだ事もあった


 自分の絵を第三者に見られたら叱られる、非難される、中傷されて傷付く

 もう、身体にそうインプットされてしまった
 俗に言うトラウマというやつだろう


 だから第三者に絵を見られることに対して、
 嫌悪感というより恐怖感を抱いていた



 中学に進学して、同じように絵を描く趣味の友人が出来た

 互いの描いた絵を見せ合って交換するよう求められ、
 何気ない風を装いながら、精一杯の勇気と虚勢で絵を差し出していた

 しかし、心の中では常に怯えていて
 いつ叱責の声が振ってくるか身構えていた




 人生の楽しみであり生き甲斐である絵が、
 自らの苦しみと恐怖心を植え付けたとは何とも皮肉なものだと思う

 どんなに誹謗中傷されても一向に冷めない絵への情熱
 もしかするとこの事こそが最大の悲劇だったのではないかとさえ感じる


 いっそ、こんな思いをするくらいなら

 絵を描く事を止めてしまおうか
 絵を描くことを嫌いになってしまおうか

 …そうしたら、楽になれるだろうか


 ―――…なんて発想すら一度も脳裏を掠めなかったほど、自分は絵が好きだった





 絵によって傷付いた心は、絵を描く事によって癒された
 嬉しい時も哀しい時も、嫌な事があった時も自分は絵を描いていた

 画力のかけらも無い、才能に恵まれなかった親不幸な絵だけれど、
 それでも絵を描く事を嫌いになれなかったのだから仕方が無い


 下手でごめん

 狂ったパース、歪んだ線画
 遠近法も出鱈目な上に色彩センスも無い



 最低な画力が生んだ最低の絵が積み重なって行くだけ
 罵詈雑言を浴びて日増しに強めて行くトラウマを抱え続けて

 時は流れ、自分は晴れて大学進学


 そして―――…躊躇いも無く美術関連の講義を受講

 ゼミも授業も美術関係
 何を思ったか美術部まで立ち上げてしまった


 どんなにトラウマがあっても、
 それでも本当に好きなものは嫌いになる事が出来ないものらしい




 ゼミの教師と美術部担任は同じだった

 ゼミでも部活でも顔を合わせる事になる
 しかも部長である自分は色々と担任と話し合う事が多い


 嫌でも顔を覚えられてしまう

 そして顔を覚えられると必然的に、
 授業でもゼミでも目をかけて貰えるようになる



 ある日のゼミ終了後、教師に呼び止められた

 そして教師は、
 『前から疑問に思っていたが、どうして絵を隠したがるのか』

 そう問いかけてきた


 そんなの答えるまでも無い
 見せたくないからに決まってる


 課題の提出さえなければ大学は素晴らしいところだ

 一日中、絵を描いていられる
 英語も数学も無い、ただ絵だけを描いていれば良い


 描いた絵は部室に隠しておけば良い
 画材は部費で購入出来る
 部室に篭れば滅多に人も来ない


 好きな事を好きなだけやって過ごせる大学生活
 …ただ、その絵を提出しなければならない事だけが難点だった





 才能が無いから人に見せるのが恥ずかしい


 いつもそう答えることにしている
 運が良ければ相手が笑って、そのまま流してくれる

 それでも相手に食い下がられた場合は


 下手だから
 こんな絵、見ても不快になるだけだから


 だから見ないで
 何も言わないで

 ほっといて欲しい


 ただ絵が好きなだけで
 好きだから描いているだけで

 楽しんで描いているだけで幸せだから、そっとしておいて欲しいと



 流石にそこまで言えばクラスメイトも無理に絵を覗こうとはしてこない
 こんな性格のせいで友人は少ないが、トラウマを刺激されて傷付くよりずっとマシ


 自分が絵を見せるのは、本当に限られた一部にだけだ

 何も言わないでいてくれる
 肯定も否定もしないでいてくれる

 ただ、自分の隣りで一緒に黙々と絵を描いてくれる友人だけだった




 こういう、ひねくれ者の生徒もたまにいるらしい
 私の態度にも慣れているのか教師は終始笑顔だった

 そして一言、『才能あるよ』と


 逆鱗に触れるというのは、こういう事を言うのではないかと

 とにかく自分の絵に対して意見されるのが嫌
 何を言われようとトラウマが刺激されて傷付く



 下手だと叱責されて罵られるのも嫌だが、
 見え透いたお世辞も好きではない

 下手な事は自分が一番良く知っている
 有りもしない画力を褒められても余計に傷付くだけで


 とにかくこの時の自分は不快感と惨めさで古傷を抉られた気持ちになっていた



 頼むから何も言わないでくれと

 否定も肯定もしないで、
 褒めたり貶したりもしないで欲しいと

 自分は何を言われても傷つく捻くれ者だから
 もう自分の描く絵に対して何も言わないでくれと


 心の中で何度も繰り返しそう呟きながら、
 教師の話が終わるのを待っていた


 けれど、その次の瞬間
 今まで抱えていたトラウマが一気にひっくり返った




 『絵を描いて楽しいと感じる感性こそが一番の才能だ』


 自分が描く絵に対してではなくて、
 絵を描く自分そのものに対して掛けられた言葉で

 トラウマだらけで捻くれていた自分なのに、
 何故かその言葉は屈折せずに、すっと心に入ってきて



 『あとは自分の絵を見失わずに、大切にして行きなさい』


 上手いとか下手とかは二の次で
 一番大切なことは、楽しんで描けているかどうかの気持ちで


 この描き方で
 この絵で良いのだと

 『自分の絵』を楽しく描き続けていなさい、と



 褒められたわけでも、貶されたり蔑ろにされたわけでもなく
 自分という存在を『認めて貰えた』というのが凄く胸に沁みた

 ずっと否定されきた人生で、自分という存在を見失っていた時に、
 『君はここにいるんだよ』と教えて貰えた安堵感



 目からウロコが落ちた心境、
 というのをここまでハッキリと感じたのは初めての経験だと断言できる

 その瞬間から、目の前に広がる世界が全く別のものに変わった気さえした




 大学生活で、少しずつ自分の意識は変化して行った


 卒業する頃には絵を隠さないで描くようになっていた
 第三者から何を言われても流せるようにもなっていた

 一種の開き直りなのかも知れない


 決して上手な絵ではないけれど、
 この絵は自分が楽しく描く事が出来た『自分の絵』なのだから

 誰に何を言われようと、これが自分の画風
 自分と共に成長もすれば衰えても行くパートナー


 …そんな風に考えるようになっていた


 もしかすると大学生活の中で、
 私は自分の絵との付き合い方を教わったのかも知れない





 卒業後、訪れた二度目の転機


 久しぶりに出会った幼馴染の存在
 彼の母親がギタリストだという事を、その時初めて知った


 そしてピアノが趣味だという彼
 時間さえあれば鍵盤を叩いている彼
 ピアノを弾く事が生活の一部と化していると彼は語った

 けれどピアニストは目指さず、
 音大に行く事もしなかったらしい


 少なからず親の存在が影響したという

 けれど、彼は社会人になってもピアノは弾き続けている
 それが彼なりの音楽との付き合い方なのだと



 …自分と近いものを感じた

 互いに共感できるものがあったらしく、
 意気投合して今では同じ時間を共有する事が多くなっている


 ある日
 そんな彼からの突然の提案

 『ホームページでイラストを公開してみないか』


 数日考えて首を縦に振ることにした
 自分で自分の行動が信じられなかった

 しかしその瞬間、
 初めて自分は長年受けていた傷が癒えていた事を知った

 いつの間にかトラウマも消えていた


 ―――…それが、今から5年前の事である




 パソコンの知識が全く無かった自分

 当時は画用紙にボールペンで描いた線画に、
 コピックで色を塗って彼に手渡す事しか出来なかった


 やがて


 仕事をしながらパソコン教室に通い始めるようになって

 独学ながらCGにも手を出してみた
 絵だけでなく文章でも自分の世界を表現するようになった


 絵はアナログからCGへと変わったが、
 自分の画風は昔からずっと大切に育て続けている

 絵を描くことの楽しさや喜びは幼い頃から変わっていない
 当時の気持ちはそのままに、自分は新たな自分へと日々成長して行く

 自分の心の中で広がる第二の世界も、
 この手で生み出される絵たちも、一緒に成長して行く




 大学で大切な事を教えてくれた教師

 彼が春に逝去した事を知った
 彼が亡くなった後も、彼が設計したという時計塔は残っているらしい


 それでも、あの教師はもういない
 学校に行っても残っているのは彼が設計した時計のみ


 見て欲しかった

 今の自分を見て欲しかった
 サイトを、絵を、見て欲しかった



 『先生のおかげで、こうやって絵を公開出来るまでになりました』

 そう伝えたい

 先生のあの時の、あの言葉で
 あの瞬間、自分は救われたのだと伝えたかった


 たった一言の『ありがとう』も伝えられない

 だから、感謝の言葉の代わりに創作を続ける事にした
 こうやって絵を描いてサイトに公開して、沢山の人に見てもらう


 この今の自分の姿

 今も変わらず絵を楽しむ自分の姿を、
 彼がどこかで見ていてくれていると信じて





 今日もパソコンに向かって創作活動

 描き上げた絵をサイトにアップして
 小説の構造を練り上げながらキーボードを叩く


 イラストを褒められたら素直に嬉しいと感じる自分がいる

 決して自分の絵が上手だとは思わないし、
 自分の画力に自信があるわけでもない


 けれど、好きなのだ
 好きで楽しんで描いている

 …それで良いじゃないか、と思う自分がいる


 その志を教えてくれた教師の言葉を時折思い起こしながら、
 今日もこの手で新たな世界を描き連ねて行く