この城で暮らし始めて随分経つ


 顔見知りの連中も増えた
 暇な時の話し相手も出来た

 通りすがりに名前を呼んで挨拶してくれる人もいる
 この世界で異質≠ネ存在である自分は城でも目立つらしい

 既に城の者の大半が自分の名前と顔を覚えていた


「…俺もそろそろ名前を覚えないと失礼だよな…」


 ジュンは人の名前を覚えるのが苦手だ
 しかもそれが聞き慣れない横文字の名前なら尚更

 レン、レグルス、カイザル、リノライ、そしてゴールド
 一緒に旅をする仲間の名前は何とか覚えることが出来た

 しかしその他の連中の名前をジュンは知らない

 食事の時、自分の給仕をしてくれる青年
 着替えやシーツを洗濯してくれる歳若い女性
 城門をいつも護っている同年代くらいの兵士…

 いつも世話になっている人たちだ


 顔は覚えている―――が、名前が思い浮かばない
 そもそも名前を訊ねた事すら無いのだ

 相手はいつも自分の名前を呼んでくれるのに、
 自分は相手の名を知らないというのも物凄く失礼な話だ


「今更だけど…名前、聞いてみようか…」

 思い付いたら即行動
 意外と行動派のジュンは早速メモ帳片手に部屋を飛び出した




「―――…え、あたし?」


 早速、廊下で雑談中のメイドたちに名前を訊ねてみる
 彼女たちは特に嫌な顔もせずに自己紹介を始めてくれた

「あたしはアルジュベタ、食器洗いをしているの
 こっちの娘はヤロスラヴァ、毛布の洗濯が担当よ」

「…あ、ある…じゅ…?」

 やっぱりここは異世界らしい
 聞き慣れない発音の名前にジュンは思わず顔を顰める


「私は厨房担当のエリシュカよ
 隣にいるのは新人のラジスラヴァちゃん
 それで、この娘が城一番の美女って言われているアグニェシュカちゃん」

 …………。

「…メモ取らせて貰って良いですか…?」

 思ったよりも、難易度が高い
 まさか五文字以上あるなんて…反則だ

 何とか書き留めたメモを改めて見て――…一瞬、読み方がわからなくなる
 声に出そうとすると唇が変な方向にねじれそうだ



「ど、どうも…お邪魔しました」

 ジュンはそそくさとその場を立ち去った

 この世界では女性の名前が極端に難しいのかも知れない
 もっとレンやカイザルみたいにシンプルな名前の男性から覚えよう…


 ジュンは兵士たちの詰め所へと足を運んだ
 あそこなら歳の近い兵士たちがいる筈だ

 いつも開け放たれている扉を潜ると、独特の鉄の香りが鼻につく
 武器と鎧が放つ、いかにも兵士といった重厚な香りだ



「ジュンさん、お疲れ様です
 今日も暑いですね…ジュースでも飲みますか?」

 兵士の一人が話しかけてくる
 歳の近い青年――…話すのはこれが初めてじゃない

 彼は俺の名前をしっかりと覚えていた
 そう思うと罪悪感と羞恥心が込み上げてくる

 ジュンは情けない気分に陥りながらも彼らの名を訊ねたのだった


「あー…そっか、俺たちって名乗ってさえいなかったんですね
 ジュンさんやレンさんの話題は城中に広まってるんで気付きませんでした」

「ははは…そ、そうなのか…」

 一体、どんな話題なのだろう
 物凄く気になるが当事者は知らない方が良いのかも知れない

 所詮自分は異質な者≠ナある事に変わりは無いのだから


「じゃあ名乗らせてもらいます
 俺は一階第二通路近辺の見回り担当、ヴィンツェンティマーマデュークです」


 ―――…はぁ!?


「ごめん、もう一回良いか?」

「ヴィンツェンティマーマデュークです」

 名前に15文字!?
 何処からが名前で、何処からが苗字なのか…それすら謎だ

「……ぶ、ぶいんつ…まま…?」

 残念だが覚えられる気がしない
 しかも頭のヴ≠ゥらして上手く発音できないし…


「ジュンさん、自分はロスチスラフペニュエルといいます
 こちらのアンヂェジェイゼノビア先輩と一緒に組んで中庭の見回りをしてます」

「僕はエルジュビェタサディっていいます
 こっちはズィグムントジェイルで、そっちにいるのがアウグスティーヌスリネット」

「俺たちは団長のアニェージョフロマティアズモンド様の直属の部下なんですよ」

「私、少しジュンさんに似てるって言われるんですよ
 どうですかね…あ、私の名前はベルンハルディーロセルマって言うんですけど…
 でもそこのセオフィラスミルドリザヴェータの方が顔立ちが似てると思いません?」

「あの…俺、レンさんのファンなんですよ
 今度サイン貰ってきてくれませんか?
 出来れば俺の名前を…ヒェローニュムスネインって入れて欲しいです」

「自分はこの度配属されました、オネシファラスザンティペと申します!!
 新人ですが頑張りますので宜しくお願い致しますっ!!」


 お前ら名前の把握出来てるのか!?


「……自分の名前言ってて舌噛んだ事無いか?」

「ありませんけど…どうしてですか?」

「…いや、何でもないんだ…邪魔したな」


 ジュンは痛む頭を抑えながらその場を後にした



「…はぁ…大学で専攻したハングル語より難しいな…」


 部屋に戻るなりジュンはメモを眺めつつ悲嘆に暮れていた

 メモ帳の中には、何かの暗号のような文字の羅列で埋まっている
 音読しているだけで異次元の生物を呼び出せそうだ

 正直言って覚えられる自信は皆無
 ただでさえジュンは人の名前が覚えられないのだ


「…あぁ――…」

「ジュン、どうしたのですか?
 さっきから溜息ばかりです」

 ゴールドが心配そうに顔を覗き込んでくる


「なぁ、お前って…自分の名前が地味だと思った事ないか?」

「そんな事は無いのです
 …一体どうしたのですか?」

「うん…何か、皆の名前が想像以上に長くってさ
 俺、もしかしたら物凄くダサい名前をお前につけたのかも…」

「ボクは今の名前が好きですよ
 それに、地域によって名前も違うのです
 レンやレグルスはシンプルな名前でしょう?
 ディサ国の住人は比較的長い名前をつける事が多いだけですよ」

「でも、そういえばカイザルさんやリノライさんは…」

「彼らは元々ティルティロ国出身ですから…
 それにボクが以前いた地域では苗字が無かったり、
 逆に名前の方が無かったりした人たちもいましたし…
 あまり神経質になる程、名前の事は気にしなくてもいいと思うのです」

 ゴールドがそう言ってくれるなら一先ず安心だ
 しかし、ジュンの悩みはそもそも他の所にある


「俺さ…皆の名前が覚えられないんだ
 あまりにも長過ぎて頭がパンクしそうだ」

「じゃあ、簡略化したあだ名で呼べば良いじゃないですか」

「あぁ…そっか…そうだな…
みーちゃん≠竍くーちゃん≠ンたいに呼べばいいんだ」

「何か、犬猫みたいですね…」

 苦笑を浮かべるゴールド
 確かに三毛猫やチワワっぽいかも知れない…

 でも、まぁ…ニックネームで呼ぶのは名案だ
 さっそくメモから簡略化した名前を考える



「えーと…じゃあ、ヴィンツェンティマーマデュークは…ヴー君≠ゥな」

「それじゃあ何か苦しんで呻いているようなのです…
 彼の名前ならヴェンツィー≠ニ呼べば良いのですよ」

「へぇ…何か格好良いな
 じゃあヒェローニュムスネインは?」

「そうですね…ヒューム≠ナ良いと思います」

 その位の名前なら何とか覚えられそうだ
 何だかフレンドリー感も増す気がするし――…


「…ニックネーム…」

「ん?」

 急にゴールドの表情が曇る

「どうした?」

「ジュンにニックネームで呼ばれるなんて羨ましいです
 傍目からはボクよりも親密に見られるかも知れません」

 それは許せない、と呟くゴールド
 嫉妬深い恋人は音を立てて奥歯を噛み締めた

 単に覚えられないから略しているだけなのは彼自身も理解している筈なのに


「お前なぁ…そんな事で一々腹立ててどうすんだ」

「だって羨ましいじゃないですか
 恋人のボクでさえニックネームで呼ばれた事がないのに」

「そりゃぁ…お前の名前は略しなくて良いからな」

 彼の名前は4文字
 この位なら略しなくても覚えられる

 しかしゴールドにとってはそういう問題じゃないらしい


「ボクの事も、ニックネームで呼んで欲しいです」

「いや、そう言われても…」

 彼の名前は、あまり弄り様がない

ゴー≠竍ゴル≠ニ略して呼んでも変だし、
 かと言って金≠ニ漢字変換した所で果たしてこの世界で通用するか…


「ちょっと…難しいな…」

「…う〜…」

 不満そうに唸るゴールド
 まるで駄々っ子のような仕草

 自分の前でだけ見せてくれる彼の幼い部分なのだが、
 こういう時ばかりは少しばかりタチが悪く思えてしまう

 何せ―――…彼はこう見えて意外と我侭なのだ




「じゃあ、慰めて下さい」

「はぁ…?
 何でだよ」

「これでも傷付いてるのです
 傷心の恋人を優しく身体を張って慰めて下さい」

 途中の身体を張って≠ニいう部分に重圧たっぷりの不安感が過ぎる


「…傷心のくせに元気だな
 俺が慰める必要なんか無いだろ」

「そんな事ありませんよ?
 ジュンは何かと理由をつけてボクを避けますし」

「そ、そうだったか…?」

「そうですよ…『今夜は疲れた』とか『筋肉痛が酷い』とか
 ジュンは深夜になると急に体調が悪くなるみたいですね?」

 にっこりと微笑むその笑顔が怖い


「あー…今日も頭使ったし、疲れたかな…」

 空笑いしながら、数歩後ずさるジュン

「それは大変なのです
 さあ、ベッドに横になって下さい
 気持ち良くなるマッサージをしてあげますよ」

 そんな事したら速攻で喰われるのが目に見えてる
 爽やかに笑いながら、言動は下心丸出しだし…


「いや、そこまでは疲れてないから…」

「じゃあボクの相手も出来ますね?」

「……………。」

 何かもう、張り倒してやりたくなる
 が、そんな力は無いので苦し紛れに憎まれ口を叩く

「…オヤジのくせに…腰痛めるぞ…」

「今、何て言いました?」


 ―――…ぴしっ

 その場の空気に亀裂が入った



「…そうですか…そんなにお仕置きをして欲しいのですね?」

「あ、いや、訂正っ!!
 今のは失言だったからっ!!」

「いえ、ジュンがそう思っているなら構いませんよ
 その身を持ってボクの若さを思い知らせてあげますから」

「ご、ゴールド…」

「何です?」

「…まだまだ若いってムキになる時点で既にオヤジ入ってる…」


 ―――…ぶちっ

 ゴールドの中で何かがキレた
 ジュンとの年齢差を気にしている彼にとってオヤジ≠ヘ禁句なのである

「今夜は眠らせませんから、覚悟して下さいね」

 ゴールドは力任せにジュンを担ぎ上げる
 そのまま問答無用でベッドに放り投げるとドス黒い笑みを浮かべた




「…っ…くぁ…ぁ…」

 絞り出すような呻き声
 既に精根尽き果てていた

「…も、もう…死ぬ…っ…
 こ…これ以上されたら、俺…死ぬっ…」

 朦朧とする意識
 呼吸も危うくなってくる

 本気でこのまま過労死しそうだ


「若いんですから、まだ大丈夫でしょう?
 ほら…ゆっくり動いてあげますから、もう1回良いですよ」

「…無理だって……っ…く……!!」

 流れ落ちる汗がシーツを濡らす
 このままでは脱水症状を起こすかも知れない

 夜が明ける頃には、確実に減量している事だろう


「…はぁ…ぁ……お、お前の体力…どうなってんだ…」

「これでも戦士ですから体力には自信あります
 適度に身体を鍛える事も若さを保つ秘訣なのですよ
 …あぁ、こんな事を言えばジュンにまたオヤジ扱いされてしまいますね」

 くすくすと自嘲気味に笑いながら、指先を戯れさせる

 白い指が口の中に滑り込んで舌先を弄んだ
 湿った音が卑猥に響く

「…んぅ…ん……っ…く…」

「いつもより体温が高いですね
 少し薬の量が多かったみたいです
 でも、これだけ効いていれば痛くは無いでしょう?」

 普段のジュンは緊張と恐怖から全身を強張らせてしまう
 そのせいで傷を負い、必要以上の痛みに苛まれていた


「今度から麻酔の量を増やしましょうか
 後遺症の出ない程度の分量で再調合しておきましょう」

 ぐったりと脱力した肢体
 余計な力が入らない分、負担は少ない

 それはジュンだけでなくゴールドも同じだった

「でも…本当は薬に頼らずに受け入れて欲しいのですよ
 許してくれるなら本格的にジュンの身体を開発したいです」

「…ん…っ…んんぅ…う…!!」

 ゴールドの指を銜えたままジュンが声を上げる
 それは既に言葉になっていなかったが、明らかに拒絶の色を含んでいた

「そうですね、それは嫌なのですよね
 大丈夫です…無理強いはしませんよ
 今はこうして抱かれてくれているだけで充分です」



 引き抜いた指で頬を撫でる
 優しく微笑むとお喋りはここまでです≠ニ、ジュンの耳元で囁いた

「…え…っ…?」

 不思議そうに見上げてくる琥珀色の瞳
 ゴールドは笑顔のままその瞳に唇を落とした

 少しだけ体勢を直すと、そのまま強く突き上げる

「…っく……んぅ――――…っ!!」

 予期しなかった衝撃に息を呑む
 咄嗟に握り締めたシーツが微かに音を立てた


「…くぅっ…うぅ…ぁ……」

 潤んだ瞳
 上気した頬

 がくがくと震える肢体が限界を告げる

「…くっ…ぁ……ゴ…ルド…っ…」

「我慢しなくて良いですよ…」

 耳元で囁かれる甘い声
 それだけでジュンは一気に駆り立てられる

「んっ……くっ―――…ぅっ…!!」

 積み重なる刺激で敏感になった身体はいとも簡単に促された




「…く…ぁっ…はぁ…ぁ…」

 荒い呼吸を繰り返しながらジュンはベッドの上に肢体を投げ出す
 火照った身体は微かな痙攣を繰り返しながら弛緩して行った

「…ふふ…今夜も素敵でしたよ…」

 隣ではゴールドが髪を結い直している
 憔悴し切っているジュンとは対照的に、彼の表情は晴れやかだ

 むしろ肌が艶々しているようにさえ見える

 自分は過労死しそうな程精根尽き果てているというのに、
 見るからに上機嫌なゴールドの姿は一抹の腹立たしさを湧き上がらせた


「…なぁ、ゴールド…」

「何ですか?」

「お前のニックネーム、思いついた」

 ジュンが徐に呟く
 少し掠れた声が夜明け色に染まった部屋に響いた


「へぇ…どんなのですか?」

「エロオヤジ」

 身も蓋も無い

「…そ、それはちょっと…」

 露骨に顔を引きつらせるゴールド
 未だにオヤジ扱いされている事もショックだ


「不満なら絶倫≠ニ変態≠フ文字も追加してやる」

 ふん、とゴールドから背を向けるジュン

 完璧に機嫌を損ねている
 全身から不機嫌のオーラを漂わせていた


「じ、ジュン…」

「うるさい、絶倫変態エロオヤジ
 お前のせいで俺の身体はボロボロだ」

 実際、全身の関節が軋んでいる
 腰痛と筋肉痛は免れないだろう

「…ジュン…ボクが悪かったですから…」

「反省してるんなら当分の間、禁欲しろ
 お前に付き合ってたら俺の身が持たない」

「えぇ――…そんなぁ…」

 こうなると圧倒的にゴールドの分が悪い
 機嫌を損ねたジュンは鉄壁≠ニなってゴールドを拒むのだ


「ジュン〜…機嫌直して下さい〜…」

 すりすり
 頬を摺り寄せて甘えてみる

 ――…が、

「ヒゲがじょりついて痛い」

 …怒られた


「ジュン…どうしたら機嫌を直してくれますか?
 ボクはジュンに嫌われたら生きて行けません〜…」

 最終的には泣きが入る

 ひっしりと背中に張り付いて懺悔の言葉のオンパレード
 その姿はまさしく金色に輝く背後霊

「ジュンの微笑みが無ければ、ボクは干乾びて死んじゃいます…」

 じゃあ死ねば?
 …とは流石に言えないジュン

 これ以上歯の浮きそうなセリフを聞き続けているのも辛い
 結局いつも根負けして、適当な所で妥協して許してしまう



「ったく、お前は…よくそんな言葉が思いつくな…」

「だって…ジュンはボクの全てなのです
 もう愛し過ぎてどうしたら良いのかわからないのです」

 どうしましょう、と顔を覗き込まれる
 ――…が、そんな事聞かれても困るだけだ

 ジュンは視線を逸らすと、わざと素っ気無く答える


「…じゃあ、とりあえず風呂に入れてくれ
 どこかのエロオヤジのせいで足腰立たない」

「はいはい、綺麗に洗わせて頂きます」

 とりあえず機嫌の直った様子に胸を撫で下ろすゴールド
 そのまま抱きかかえられて浴室に運ばれるジュン

 既に情事の後の日課とも化している行為だ


 そして―――…


 浴場で再度ジュンを押し倒し、抗議鉄拳を食らうのもまたいつもの事なのであった




 このSSは同人誌Sweet castle≠謔阡イ粋致しました

 ちなみに、これでも分類はコメディなのじゃよ
 web版のコメディと比べたら雲泥の差じゃろうが…

 同人誌の方ではあまり吹っ飛んだ笑いを取っておりませぬが故ご了承下さりませ

 そして、こちらに載せるに当たって微妙に一部手直しをさせて頂きました
 具体的に言えばラブシーンを60%ほどカットしておりまする(笑)

 コメディを謳ってるサイトで、いきなりエグいのを載せたら読者の方も躊躇するのではないかと…
 一応、少しずつラブシーンを増やして行こうという野望はあるのじゃがな(笑)