―― EYE ――



 朝、鏡を見ると目玉がひとつ増えていた




ぅぎゃあ――――…!!



 爽やかな魔界の朝
 閑静な海辺の町に、この世の終わりを思わせるかのような絶叫が木霊した


 ここはダナン家が住む一軒家
 そこの2階の洗面所で、一人の青年が鏡に映った己の姿を凝視したまま固まっている

 首にはタオルを掛け、
 手には歯ブラシを持ったまま

 顎をいつ外れても不思議ではない程大きく開いたその姿は滑稽以外の何者でもない
 しかし、その愉快な状況に反し、当の本人は深刻な現実に直面していた


 宝石のような輝きを持つ青緑色の大きな瞳
 その二つの瞳の上…つまり、額のド真ん中

 そこに、何故か見慣れない目玉が発生中


 …鏡が汚れているのだろうか?

 どんな汚れ方をすれば目玉が増えて見えるのかは謎だが、
 青年は歯ブラシの上に歯磨き粉を乗せ、お約束的に鏡を磨いてみる

 ――が、結果はシトラスミントな香りの空間が広がっただけだった
 青年の手から泡まみれの歯ブラシが滑り落ちる



「…な、何でっ…!?
 寝ている間に、俺に何があったのっ!?」 

 青年は落ちた歯ブラシを拾う余裕も無い

 挙動不審なゴリラの如く、洗面所をうろうろ彷徨ってみる
 が、当然ながらそんな事をしていても事態は一向に変わらない

「お、落ち着け…落ち着くんだ、俺…!!」

 青年は無理矢理平静を装うと、
 鏡に向き合って、思いつく限りの仮説を挙げてみる事にした


「目があるって事は、窪んでるって事だよね…
 って事は寝返りの時に額を打って、それが強過ぎて頭蓋骨が陥没したって事かな」


 …んなわけあるか


「死ぬっちゅーねん…!!」

 鏡に映った自分自身に突っ込んでみる
 痛みが無いのだから、怪我関連の説は間違いだろう

 そもそも、怪我如きで目玉が増える筈がない

「怪我した部分が目玉になるんだったら、
 今頃俺は妖怪百目男になってるっての…!!」

 再び青年は思考を巡らせる
 目玉…目玉と言えば――…


「……父さん……?」

 話しかけても当然ながら返事は無い
 まぁ、喋られても困るわけだが

 つか、このネタはヤバい



「わけわかんないよ…何なのさ、この目は…」

 鏡を覗き込んで、見慣れない瞳を観察してみる

 猫のような金色の目
 静かに瞬きを繰り返すそれは、真っ直ぐに自分を見つめていた

 ――…不気味な事、この上ない


「…さて…この目を一体、どうしてくれようか…」

 睫毛も眉毛も無い
 風が吹いたら一瞬でゴミが入りそうだ

 …まぁ、かと言ってデコ毛が生えられても困るのだが



「…ダメだ、俺の手に負える相手じゃない
 ここは年の功を信じて、兄貴たちに相談しよう…」

 青年には歳の離れた兄が二人いる
 医療知識を持つ白魔道師のユリィと、民間戦士のセーロス

 青年にとっては血の繋がりのない義兄だが、実の家族のように暮らしていた


 どちらもクセのある兄貴たちだが、弟のピンチには助けになってくれるだろう
 特に、医療知識を持つユリィなら何か知っている可能性がある
 戦士のセーロスも以前世界中を旅して回った経験から雑学が豊富だ

 歳が離れているだけあって、自分は息子のように溺愛されている
 絶対に親身になって助けてくれるに違いない


「…他に相談できそうな相手もいないしね…」

 青年はタオルを折って額に巻くと、階段を駆け下りていった




 兄のセーロスは今日も定位置のキッチンに立っていた

 戦士というだけあって、見事に鍛えられた身体を惜し気も無くさらしている
 しかし、その筋肉質な肢体を包み込むのは何故かピンクのエプロだった

 これがまた、恐ろしい程に似合ってない

 本人は気に入ってるらしいので、自分は何も言わずにいるけれど…

 でも、正直言って裸エプロンはどうかと思う
 とにかく物凄い迫力で、近所の住人も警察も何も言えずにいるのだが…

 誰でも良いから取り締まって欲しいものである


「…セーロス、おはよ…」

「やっと降りてきたな
 全く、朝から何を騒いでいた?
 また大学に遅刻しても知らないぞ」

 低血圧症のセーロスは神経質そうに顔を顰めている
 しかし俺は知ってる―――この顔は、怒っている顔ではない

 料理に失敗した時の顔だ
 キッチンの至る所に散乱した残骸が全てを物語っている


「…まぁた、変な料理作ったね?」


 セーロスは国宝級の料理下手

 以前、町内会のバザーで彼が披露した地獄の踊るヤキソバの伝説は、
 この地域周辺でちょっとした怪談話として広まっている



  


 きっと、未来永劫語り継がれてゆく事だろう




「今度は何やったの」

「…私はただ、ベーコンを炒めていただけなんだ…
 それなのに、気が付くと得体の知れないものになっていた…」

 静かにフライパンを差し出しすセーロス
 その中では黒コゲの小人たちが何かに憑かれたかのように踊り狂っていた


 …あぁ、本当だ
 既にベーコンの原型すらない―――…


 ――…って、何か生きてる!?


「…な、何で…ベーコンが小人さんに…?」

「カリカリにしようとして、焦がし過ぎたのが原因か…」

 もはや、そういう次元の問題じゃない


「…はぁ…」

 青年が重い溜息をついた瞬間、
 背後で聞き慣れない音が聞こえた


「……ん……?」

 振り返って見ると、そこには沸騰した寸胴鍋
 何故かそこからフクロウのような鳴き声が聞こえてくる




  



「…セーロス、この鍋の
 中身は…何者!?


 何だか、物凄く嫌な予感がする
 そう―――まるで、邪気のようなオーラを感じるのだ

「――…ん?
 あぁ、桃缶だ」


 何故桃缶が、沸騰した鍋の中に!?



「ま、まさか缶ごと煮てないだろうね…?」

「―――えっ…ダメなのか…?」

「…………。」

 青年は無言で火を止めた
 兄の背中が物凄く遠い所にあるように感じた

 青年は現実から視線を逸らそうとする
 が、その瞬間己の身に起きている現状を思い出した


「…あ、あのさ…
 ちょっと相談に乗って欲しい事があったんだ」

 しかし、そう言いながらも青年は目頭が熱くなって行くのを感じていた

 果たしてこの兄貴に相談して良いものだろうか
 色々と不安要素が多過ぎて頼る事に躊躇われる


「…ゆ、ユリィは…っ!?
 ユリィにちょっと聞きたい事があるんだけど」

「あぁ、奴なら今朝早くに出掛けて行ったぞ
 何故か『雷雲を極める』と言っていたな…」


 極めてどうする?

 何がしたいんだ!?



「…落雷食らわせたい相手でもいるの…?」

「いや、夢でお告げがあったそうだ」


「…どんな夢だよ、それ…」

「まぁ、そんなに落ち込むな
 以前にも『白百合の精になる』とか言いながら、
 白百合抱えて飛び出して警察の御用になっていただろう
 きっと今頃も無事に捕獲されているだろう…安心して良い」

 安心して良い、って言われても…
 我が家の社会的信用はどうなる!?


 頼むから、この異常さに気付いてくれ

 そして何より俺の非常事態に気が付いてくれ…っ!!

 まぁ、実際俺もセーロスの料理のインパクトの方が強くて忘れてたんだけど…



「ユリィの代わりに、私が相談にのってやろう」

「そ、そう…だね…」

 人生、妥協も必要だ
 それにセーロスも雑学は豊富だし…

「あのさ、俺の額を何も言わずに見て欲しいんだけどさ…」


 青年は額に巻いているタオルを外すと、
 真っ直ぐセーロスに向き合った




 慌しいノリで始まりました『EYE』にござりまする
 きっと初めから最後までこの勢いは変わりませぬ
 読者様の意表をつくような展開の、ドタバタしっぱなしコメディを意識して頑張りまする

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