偶然見つけた泉で顔を洗い、
 限られた環境で大雑把に身形を整える

 太陽の位置を確認してからセオフィラスは膝を付いた

 身支度を整えた後は祈りの時間
 これは子供の頃からの習慣


「…天を支える神々よ、世を取り巻く精霊たちよ
 今日もこうして新たな一日を迎えられたことに感謝いたします…」


 争いや悲しみのない世界
 涙ではなく笑顔があふれる世界

 人々の平和を守る騎士として、
 そしてこの世に生を受けた者として

 世の平和を祈りそして神々に感謝する



「…神よ…私の母を、妹をどうかお守り下さい…」

 一番気がかりなのは国に残してきた家族のこと
 けれど負けず劣らずセオフィラスの心を痛める上司の存在

「騎士団長殿…
 神よ、どうか騎士団長をお守り下さい」


 今頃、彼はどうしているのか

 生真面目な彼のことだ
 任務に没頭していることだろう

 しかし―――…
 本来ならば彼の一番の理解者である幼馴染の存在
 近衛騎士団長の存在が気に掛かる

 一番の味方である筈の仲間が、
 今では危害を加える最も厄介な敵

 騎士団長の心中を考える度に胸が痛む




「神よ―――…」

「人が神に祈る、か」


 祈りを遮り響く声
 頭上から降り注ぐこの声

 持ち主は安易に予想できる
 王が言っていた迎えが来たのだ


「己の罪を棚に上げ、どの面を下げて神に祈る?
 お前ら人の祈りなど神に届くわけがない…恥を知らぬ罪人めが」

 王のものよりも色素の薄い竜の姿
 冷たい声と視線が不躾にセオフィラスに降り注ぐ


「王は貴様を受け入れると仰った
 だが全ての民が貴様を受け入れると思うな
 俺は貴様を…人を決して許さない、和解など戯言だ」


 剥き出しの敵意
 隠す気など毛頭無いらしい

 自分が彼らを嫌悪するように、
 向こうも自分を毛嫌うものがいるようだ

 しかし目的は友好、そして協力
 些細な溝も埋め距離を縮めるのも務め

 セオフィラスは理不尽に憤る内心を隠し、目の前の竜に作り笑顔を向ける




「お初にお目にかかります
 私はディサ国より参じた使者のセオフィラス・ミルドリザヴェータと申します」

「貴様と馴れ合う気は無い」

 これ以上話す気も無い、という素振り
 竜はセオフィラスに背を向けると無言で歩き始める


「えっ…あ、お、お待ち下さ―――…」

「セリ、待ちなさい!!」


 バキバキと枝の折れる音
 傾き倒れる木々の間から新たな竜が顔をのぞかせる

「…ひぃっ…!!」

 苦手なトカゲ
 一対一ならまだしも二匹に挟まれると流石に足がすくむ

 恐怖に硬直するセオフィラス



「セリ、過去にとらわれるのは感心しません
 世界は絶え間なく動き時は流れています
 …時代は変わりました、我々も考えを改めなければ」

「ならばお前は許せるというのか!?
 この、自らの罪も忘れ臆面もなく面を出すような愚かな輩を!!」

「私は彼らを許します…ただし忘れはしません
 我々は過去を伝え聞かせ過ちを繰り返さぬよう務めるべきです」


 そう言うと竜は微かに身を曲げセオフィラスの目線に合わせる
 顔を近付けられ思わず仰け反った
 あまり近くで見たくない顔
 しかし相手の礼節ある言葉仕草に思いとどまる


「セリの無礼をお許し下さい
 私はワイバーンのラキオバと申します
 セオフィラス殿と仰いましたね、どうぞお見知りおきを」

「は、はい…あ、あの、ラキオバ殿…
 過去に我々は何の罪を犯したのでしょう…?」

 彼らの話から察するにかなりの衝突があるように感じる
 この歪を解消しない限りは真の友好関係は築けない


「お望みのままにお話し致しましょう
 それが歴史を知る我々の務めでもあります
 少々お時間を頂くことになると思います…腰を下ろして下さって結構です」

「…は、はい…」

 柔らかな草の上に座ると、
 続いてラキオバも隣りに座る

 セリは馴れ合う気は無いらしく少し離れた場所に腰を下ろした




「昔―――…我々ワイバーンと人は共存をしておりました
 互いの長所、短所を補い合い文明を築き発展していたと伝えられております」

「その話は存じております
 我が国にも文献が残っていました」

「そうでしたか…」

「ふん、だが貴様らが犯した罪には一切触れていないようだな
 都合の悪い部分は全て無かったことにする…ふん、所詮貴様らはそういう生き物だ」

「セリ殿…それは、一体―――…」


 彼らの話から、自分たちの先祖が何かの罪を犯したらしい
 それが彼らとの歪を生み出しているようだが―――…


「貴様らは神の力を得ようと天に戦いを挑んだ
 そして敗れ―――…その全ての罪を我らに押し付けて逃げた」

「我々ワイバーンは捨てられました
 セオフィラス殿たちの遠い祖先にあたる者たちに
 …我々に罪と心の傷だけを残し――…貴方たちは去って行ったのです」

「我ら一族がこんな偏狭の島で隠れ住み続けなければならないのも、
 全て貴様らが犯した罪のせいだろう!!
 ワイバーンに全てを背負わせ、なのに貴様らは何事も無かったように生きてきた!!
 そして…事もあろうに戦に協力しろだと…?
 誰が貴様らなどを助けるものか、恥を知るがいい!!」



 眩暈がした
 知らなかった
 本当に何も知らなかった

 どの文献にもそのような過去は記されていなかった
 人が…自分たちの先祖が都合の悪いこと全てを歴史から抹消したせいだ


「…わ、私は…私は…」

「セオフィラス殿、貴方は本当に事実を知らなかったのですね
 もう遥か昔のこと…貴方に直接罪はありません
 セリも彼に怒りをぶつけるのは止めなさい」

「許せるものか!!
 我々が受けた屈辱と怒りは代々この血に受け継がれてきている
 先祖から受け継いだ血には貴様らへの恨みや怒りが流れている」

「そうですね…全て遺伝として受け継がれています
 怒りも悲しみも、そしてそれに勝る人への深い愛情も
 昔のまま変わらずこの竜の血として流れ続けています…」


「……あ、愛情……?」

「我々は本当に貴方たちのことが大好きでした
 種族は違っていてもそれを超える愛情を持っていました
 愛していた分だけ、悲しみも大きかったということです」

「そんな…」

「勿論、貴方たちのことは恨みました
 ですが誰一人として復讐しようという者はおりません
 愛する貴方たちが罰せられるくらいならと、罪も甘んじて背負いました
 理由は…いつか貴方たちが戻ってきてくれることを心の奥底で信じているからです」


「ラキオバ殿…」

「そして貴方が来てくれた
 長い年月待ち続けた貴方がようやく来てくださったのです
 確かに全ての歪を水に流すのには時間が掛かることでしょう
 ですが…我らワイバーン一族は貴方という存在を歓迎致します」

「ラキオバ!!
 俺は人を受け入れたわけではない!!
 少数意見を切り捨てるな!!」

「セオフィラス殿、お気になさらずに
 セリの場合は可愛さ余って憎さ百倍といった感じですから
 元々天邪鬼で恥ずかしがり屋で…素直になれない年頃というやつです」


「何を言うか!!
 俺はそんな――…」

「はいはい、話は後で聞かせて頂きます
 それではそろそろ参りましょうか、セオフィラス殿」

「は…はあ…」


 どう見てもラキオバのほうが一枚上手だ
 そして、どうやらセリはまだ歳若い…ということがわかった

 傍から見ていても二匹の竜の仲の良さが知れる
 その姿が騎士団長と近衛騎士団長と重なって少し切なくなる

 セオフィラスは滲みそうになる視界を振り切るように早足で彼らの後について行った