山の斜面に、大きく開いた洞窟


 光苔が自生しているらしく、中は仄かに明るい
 穴の中からは生暖かく湿った風が吹いてくる

 この場所がワイバーンの巣窟なのは間違いないだろう


「…うぅ…トカゲの巣…」

 嫌だ
 入りたくない

 でも、このまま入り口に突っ立っているわけにも行かない




「……ご、ごめんください……!!」


 無言で居住区に立ち入るのも失礼だ
 聞こえるかどうかは解らないが、とりあえず声をかけてみる

 下手に存在をアピールしたせいで、
 一斉に襲って来たらどうしよう…


 それ以前に、意思の疎通は出来るのだろうか
 言葉が通じるという保証は全くない

 何よりサルの肉を食べるという、
 知らない方が幸せだった知識が恐怖に拍車をかける




「……ど、どうしよう…やっぱり…帰ろうかな……」


 …うん、帰ろう

 やっぱり自分の身が最優先
 死んだら何にもならないし…


 くるり、と方向転換
 そのまま洞窟に背を向け、歩き出そうとしたその瞬間――――…




「……客人、か……?」


 ずしん、という重量感のある足音と共に、
 頭上から低い声が響き渡った

 反射的に後ろを振り返る俺

 そして―――…
 俺は見てはいけないものを見てしまった


「ぎゃああああああああああっ!!」



 トカゲ!!
 でっかいトカゲ!!

 トカゲそのもの!!
 混じりっ気無しのトカゲ素材100パーセント使用!!


 ザ・トカゲ!!



 ダメだっ!!
 やっぱりトカゲは…

 トカゲだけは生理的に受け付けないっ!!


 なんて気色悪いんだっ!!
 こんな醜い生き物がこの世に存在しているなんて…!!




「嫌だあああっ!!
 怖い…トカゲ怖いっ!!
 来るんじゃなかったぁ!!」


 マントを頭からかぶって、
 駆け抜ける悪寒と戦う

 想像を遥かに超えるワイバーンの迫力に俺は完全にやられていた




何しに来た

 ごもっともな突込みが入る
 ――…が、返答をするだけの余裕が今の俺には無いっ!!



「…ま、待って!!
 もう少し待って…まだ心の準備が!!」

「…………。」


 律儀なのか呆れているのか、
 言われるまま黙って待ち状態に入るワイバーン

 …が、何を思ったか奴は、
 事もあろうに俺の隣りに座りやがった!!



「…ひいぃぃぃ〜…」


 トカゲが…
 でっかいトカゲが俺の隣りにぃ…!!

 爬虫類臭が漂ってくる…っ!!


 …いや、でもこのままじゃダメだ!!

 何とかしないと…
 このままだと本気で話が進まないっ!!



 そうだ…!!

 これをトカゲだと考えなければ良いんだ!!
 例えば、カボチャやピーマンだと考えれば!!


 うん、何か緑色っぽいし野菜路線で行こう!!
 というわけ、今からこいつは野菜


 キュウリに決定!!




 …これはキュウリ、これはキュウリ…
 ちょっと大きくて喋るけど、これはキュウリ…

 だって緑だし!!


 モップが喋る島なんだ、
 キュウリが喋っても不思議じゃない

 そう、これはこの島名産の珍しいキュウリなんだ!!


 ―――…うん、そう…断じてこれはトカゲではない!!


 これは爬虫類臭じゃない、トカゲ臭じゃない…
 そう…これはキュウリの香り、青臭いキュウリ臭…

 キュウリキュウリキュウリキュウリキュウリ―――…


 ……よし、OK!!
 さあこれからキュウリと話す





「……大変見苦しい所をお見せ致しました」

「い、いや、それは構わん…」


「私はディサ国より参りました、
 騎士のセオフィラス・ミルドリザヴェータと申します」

「遠い地よりよくぞ参られた
 我はワイバーンと呼ばれる竜の一族」


 あーあーあー…
 聞こえない、聞こえない…

 これはキュウリ!!



「我はワイバーン一族の王
 遠方の客人を歓迎しよう」


 キュウリの王様、こんにちは


「…それで、何用でこのような遠方の島へ参られた?
 道楽目的には見えぬ…それに―――…」

 そういうとキュウリ王は俺に視線を向けると、
 野菜とは思えない笑みを浮かべた


「…トカゲ嫌いの者が、あえて訪ねて来るとは…
 余程の事情があると見受けられるが…如何かな?」

 青々しいキュウリスマイル
 少し嫌味っぽいような、でも悪意はあまり感じないような…



 とりあえず意思の相通は出来る
 キュウリの方もこっちの話を聞くつもりはあるらしい

 ……よし、事情を話してみるか…


 俺は目の前の野菜王が、
 話のわかるキュウリであることを信じて全てを語ることにした







 それからキュウリと語り合うこと30分―――…



「…ふむ…我がワイバーン一族と友好を結びたいとな…?」

「無理は承知のことと弁えております
 しかし何卒、寛大な御決断を御願い申し上げます…!!」


「その方の事情は理解した
 我は全ての決定権を握る王ではあるが…
 しかし民の意思を尊重してこそ正しき王の姿であり務め」

「は、はい…」


「これより民を集め論議させて貰う
 ディサ国の使者よ、明日を待たれよ
 我も色好い返事を携えることを願う」



 …どうでもいいけど、
 何でこんなに回りくどい喋り方するんだろ…

 王だから?
 それともこれがキュウリ語?

 普通に『ちょっと相談してくるから、また明日ね☆』で良いじゃないか…


 カイザル様の妙にフレンドリーな演説に慣れてるせいか、
 どうも小難しく回りくどい口調に頭が付いていかない

 …ふん…どうせ、国語2だったよ…



「本来ならば客人を持て成し寝所を整えるべき…
 しかし―――…いや、あえて聞かせて貰おう
 我が住処に宿を取る意思はあるだろうか
 その…もし嫌でなければの話だが―――…」

嫌です


 きっぱり

 ちょっと失礼だったかも知れないけれど、
 キュウリの巣で寝る趣味は無い

 というかそれ以前に、
 そんな所で眠れるか



「…うむ…だろうな…」

「私は野営をさせて頂きます
 訓練で慣れておりますのでご心配なく」


「そうか…無礼を許されよ
 明日、遣いの者を寄越させて貰う」

「はい―――…あっ、そうだ!!
 これ、つまらないものですが…」




 流石に手ぶらというわけにも行かない
 俺は道具袋からワインのビンを取り出すとキュウリ王に差し出した

 …念のために言っておくが、
 別に俺が酒豪で常に酒瓶を携帯しているというわけではない


 飲料水の代わりとして遠征の際に用意したものだ

 間違っても水より酒が好きだから、なんて理由じゃない
 これにはちゃんとした理由がある



 …まず、酒は水と違って痛みにくい
 水分補給で食中毒を起こさない為にも酒は必要なのだ

 更に殺菌力を生かして消毒液として使える
 つまりアルコール消毒というやつだ

 それにいざという時の気付けにも使用できる


 ただでさえ遠征の多い騎士にとって、
 これは必要不可欠といえる知識なのである


 …と、出発前に騎士団長から教わった




「…おお…これが、あの伝説の…!!
 このような高価なものを…」

「いや、あの…」


 銅貨三枚で買った安ワインなんだけど

 というか、ワインに一体どんな伝説が…
 キュウリにとって、そんなに珍しいものなんだろうか



「我がワイバーン一族の国宝として代々奉らせて貰おう」


 飲めよ

 頼むから飲んでくれ
 こんな安物を友好の証として納められても困る


 しかし当のキュウリ王は、
 俺の昼飯代より安いワインを宝のように抱えてその場を後にした




「あーあ…
 俺、知らね―――…」


 キュウリが去った後

 俺は少し軽くなった道具袋を抱えて、
 逃げるようにその場から立ち去った