あれからどれだけ経ったのだろう


 いつの間にか陽は高くなり、
 肌寒かった風は暖かく室内を駆け巡り始める



「……もう…昼、か……?」

「そう、みたいですね…」


 二人はあれからずっと、涙を流していた

 抱き合ったまま身動ぎさえせず、
 それも床に座り込んだままで―――…




「…部下には見せられん姿だな…」

「騎士団長殿、私も部下の一人ですが」

「そう…だったな…
 だが、お前は優しい男だ
 このような弱い姿を見ても嘲りもせず、それどころか共に涙してくれた」

「私は騎士団長殿を尊敬しています
 騎士団長の痛みは私自身の痛みでもあります」


 泣き崩れる彼を見ても、弱いとは思わなかった

 騎士団長は強い人だ
 誰が彼を嘲る事が出来るだろう


 騎士として、男として―――…彼の強さには憧れを抱かずにはいられない




「私は良い部下を持ったな
 赤の他人の痛みを分かち合おうとしてくれる者など、そういるものではない
 いや―――…過去に一人だけ、私にはそういう友がいた…
 しかし、その友は…カルラは、今では私を傷付ける存在でしかない――…」

「騎士団長殿…」


「……すまないな、こんな話ばかりをして……」

「いいえ…」

 大分落ち着きを取り戻したらしい
 身体の震えは既に治まり、その口調も以前の力強さを取り戻しつつあった




「…泣いてばかりもいられない…
 早く出張の支度をしなければ――…」

「で、ですが騎士団長殿!!
 それでは近衛騎士団長殿に…!!」

「言うな…気に病んだ所で、どうせ状況は変わらない
 それに私は騎士として…与えられた任務を全うする義務がある…」


 実に騎士団長らしい言葉だ
 しかし、その責任感の強さはいつか彼自身を滅ぼすだろう


 既に彼の身体は倒れそうなほど傷付いているというのに――…



「…明後日…か…
 想像以上に早いな、心の準備をする暇も無い
 その方が私にとっては好都合なのかも知れないが」

「騎士団長殿…」


 彼に掛けるべき言葉が見つからない
 ただその身を抱く腕に力を込める事で、想いを伝える

 騎士団長が微かに微笑んだ




「セオフィラス…だったな
 お前が家族想いの優しい青年だという話を耳に挟んでいた
 …噂通り、思い遣りのある男だな…やはり、お前が適任だ」

「騎士団長殿?」

「お前なら、ワイバーンとも心を通じさせる事が出来るかも知れないと…そう思った
 太古の時代には共存していたのだ、お前の優しい心で再びワイバーンと――…」

「で、ですが騎士団長殿…!!
 私にはあまりにも荷が重過ぎます
 恐れながら、本日も任務の変更を申し上げたく参じました」


 期待を裏切る真似はしたくない


 それでも自分には無理だ
 己の力量は、己自身が一番理解している



「…セオフィラス…大丈夫だ
 私は確信した、お前なら出来る」

「ですが私は剣も魔法も人並みの腕で…
 とてもではありませんが、ワイバーンを相手にするなど…」

「お前は戦いに行くわけではない
 それに、どんなに剣の腕があろうと…それで心を支配する事は出来ない
 剣よりも魔法よりも強い、その優しさがお前の最大の武器だ、自信を持て」


 そう言われても―――…


 自分には騎士団長のような勇気も責任感も無い
 そもそもワイバーンと意志の疎通が出来るかどうかもわからないのだ

 あまりにも無謀過ぎる

 表情を渋らせたままのセオフィラスに、
 騎士団長は突然話題を変えて語り始めた





「…はるか西の大陸に、とある鉱脈がある」

「き、騎士団長殿…?」

「魔石の鉱脈で、かなり大規模なものだ
 膨大な魔力を蓄積している石が数多く眠っている
 魔女たちはその鉱脈から魔石を掘り起こし、力を増幅させている
 私たちに与えられた任務は、鉱脈を採掘不可能になるまで破壊させる事だ」


 鉱脈の破壊―――…
 恐らくは爆破して魔石もろとも粉砕させるのだろう

 それだけでもかなり危険な任務だ
 しかも、魔女との戦いも避けられそうに無い



「魔女に気付かれないように、私とカルラの二人だけで向かう
 人手がない分、今回の任務はかなり長期的なものになる事が予測される
 当然ながら任務が完了するまで、私とカルラはディサ国に戻ることが出来ない」

「…騎士団長殿…」

「過酷な任務だが辛いとは思わない
 カルラに陵辱され続ける屈辱に比べれば可愛いものだ
 今まで築き上げてきた騎士としての誇りも自尊心も全て…この身体ごと、あの男に奪われた
 この関係が終わりを迎えることは無いだろう――…恐らく、私がカルラに屈するまで、永遠に」


 暴力になど、屈しないで欲しい
 けれど…これ以上傷付いても欲しくない

 強く気高く、真っ直ぐな――…そんな彼の姿を、いつも見ていたい
 勝手なようだが、騎士にとって騎士団長の存在は常に絶対的な強さの象徴なのだ




「私は…絶対にカルラに屈しない
 どんなに残虐な拷問にも耐えてみせる
 この心だけは、決して明け渡したりするものか…!!」

 剣でも魔法でも…そう、暴力で人の心を動かす事は出来ない
 先程の彼の言葉は騎士団長自身に掛けられたものでもあったのだろう


 しかし、不意に騎士団長の瞳が曇る



「…だが…今度の任務はあまりにも長い
 度重なる暴力を前に、私は何度となく挫けそうになるだろう
 今の私には心の支えとなるものも、希望となるものも…何も無いのだ」

「そんな…騎士団長殿…っ!!」

「セオフィラス…頼みがある
 私の希望になってはくれないだろうか?」

「…えっ…?」



「お前の朗報を…心の支えにしたい
 辛い任務だという事は承知している…だが――…」

「き、騎士団長…殿…」

「無事に帰ってきてくれ
 そして…良い知らせを、お前のその口から聞かせて欲しい
 私も耐える…必ず耐え抜いてみせるから、頼む―――…!!」


 敬愛する騎士団長に頭まで下げられて
 この状況で、どうやって首を横に振れというのか


 セオフィラスは騎士団長の頭を上げさせる事が精一杯だった





「わ、わかりました
 力及ばずながら尽力を尽くす事を誓います
 ですからどうか、私のような者に頭を下げるような真似は――…!!」

「……すまない…お前の優しさに漬け込むような事をして…」

「い、いえ…滅相もございません
 騎士団長殿の心中を思えば私など…」


 そう言いながら、しかしセオフィラスはどこか上の空だった
 まるで夢の中の出来事のように、思考回路がフワフワと安定しない

 憧れの騎士団長と抱き合っている事
 そして、その騎士団長が自分を心の支えにしたいと言っている事――…


 予期しない状況が立て続けに起きて、どうしても現実感が湧いてこない




「……どうした、セオフィラス?」

「いえ、頭が混乱してまして…
 何だか夢を見ているような感じです
 少し、外の空気でも吸いに行った方が良いかも知れません…」

「そうか…それなら少し、付き合ってくれないか?
 出張に向けて必要物資の買出しをしたいと思っていた」

「えっ…えええ!?」


 騎士団長と買い物!?


 並んで歩く事さえ恐れ多いというのに
 まぁ、この状況からして今更という感じもするけれど――…



「私服に着替えて、中庭で待っていてくれ」

「り、了解致しました…」

「ああ…頼む」


 混乱は頂点に達した

 一体自分はどうしてしまったのか
 ここ数日で、己を取り巻く環境が一変したような気がする

 まるで違う世界に来てしまったかのようだ


 部屋を後にする足取りは、かなりふらついていた









 顔を洗って、服を着替えて
 中庭へと歩を進めている内に現実感は戻ってきた

 …というより、現実を突きつけられて更なる混乱に陥るハメになった


「あぁ…結局、任務を受けてしまった…
 俺にもしもの事があれば母さんたちは――…」


 気が重い

 しかし自分の口で、しかも騎士団長本人を前にして、
 任務を受ける事に同意してしまったのだ…もう後には引けない

「泣き言を吐いても仕方が無い…
 騎士団長殿と同じだ、逃げ道が無い以上、前に進むしかない
 それに…俺が頑張る事で少しでも騎士団長殿の励みになるなら…」



 彼は嘘のつけない男だ
 騎士団長の言葉は全て真実なのだ

 言葉の小細工が出来るような性格なら、
 もっと上手く現状を切り抜けている筈なのだから


 …本気で、自分の朗報を支えに任務に赴くつもりなのだろう





「せ、責任重大だ…」


 家族の命だけでなく、騎士団長の期待まで背負う羽目になるとは
 考えただけで、プレッシャーに押し潰されそうだった

 しかも―――…これから騎士団長の買い物に付き合わなければならない


「め、眩暈がしてきた…」

 元々、あまり度胸がある方ではない
 自分の心臓が何処まで耐え切れるか―――…自信が無い

 失礼の無いように、言葉遣いには気をつけて…
 荷物はやっぱり自分が全て持つべきだろう

 退屈させないように気の利いた話題も選ばなければ
 でも緊張で、会話を楽しめる余裕があるかどうか――…


 悩み過ぎて、目の前が見えていなかったらしい




「…セオフィラス、ここだ」

「えっ…あ、き、騎士団長…殿…?」


 気がつけば中庭を通り過ぎていた

 髪の長い男が手を振っている
 恐らく彼が騎士団長だろう


 慌てて彼の元へと駆け寄る





「お、お待たせして申し訳ございませんでした…」

「いや…私の方こそ突き合せてしまって、すまないね」

「いえ、そんな…」


 間近で見る彼は、普段自分の見知る騎士団長とは随分と印象が違っていた


 騎士の鎧姿しか見たことが無かったからだろうか
 ラフな私服姿の彼は、とても騎士には見えない

 装飾品も全て外しているし、
 シンプル過ぎて、物足りなささえ感じる


 というか、何かが足りないような―――…




「…あっ…眼鏡!!
 騎士団長殿、眼鏡はどうされたのですか!?」

「街に出るときは外すようにしている
 少しでも私だとわからないように…まあ、ちょっとした変装だな」


「変装…って、どうしてそのような…?」

「今の所落ち着いてはいるとは言え、戦争中に変わりは無い
 街中を騎士が歩いていれば市民によからぬ憶測や心配をさせる事になる
 まして、普段は城にいる筈の騎士団長が出歩いていれば尚更に――…な」

「な、成程…そうでしたか」


 流石はディサ国の安全を守る騎士
 一般市民への心遣いも欠かさないとは、尊敬に値する


 騎士の姿で普通に街中を歩いている自分が恥ずかしい…




「ああ、というわけで私が騎士だと言う事は伏しておくように
 それから私の事を『騎士団長』と呼ぶ事も禁止する
 街中では私を名で呼ぶようにする事――…良いな?」

「えええっ!?
 そ、そんな…恐れ多い…っ!!」

「セオフィラス、これは命令だ
 そして市民の心の平穏の為でもある」


「は、はい…了解致しました」

「…そこで敬礼をするな
 敬礼も畏まった口調も禁ずる
 何が切っ掛けで身分が明るみになるかわからないからな」

 確かに…
 それに街には魔女のスパイが潜んでいる可能性もある



「も、申し訳ございません
 それでは参り――…いえ、行きましょうか、騎士…いえ、アニェージョフ殿」

「…アニェージで良い
 多少不安感は残るが…まぁ、行くか…」

「は、はい…」


 不安なのはセオフィラスも同じだ

 緊張でガチガチになった身体に鞭を打ち据えながら、
 セオフィラスは騎士団長の後を追うので精一杯だった







「…騎…いえ、アニェージ殿は街へは良く足を運ばれるのですか?」


「ああ、見回りも兼ねてな
 最近は珍事件も良く起こる
 暇を見つけては街の様子を見るようにしている」

「ち、珍事件…と申しますと…?」

「…先日も巨大なサンマが追突して、船を突き破った事故があった
 謎の幽霊船が島をぐるりと囲んだ後、津波に乗って去って行ったという報告も来ている」



 ああ、それなら知っている
 そして恐らくその珍事件を起こしたであろう張本人の存在も

「…セイレーンの…レン殿、でしたよね…?」

「ああ、カイザル様の客人との事だが…
 彼が国に来てから海絡みの珍事件が急増した
 注意したくても彼本人が意図しているわけでもないようだし…難儀な事だ」


 セイレーンは海の守り神と言い伝えられている伝説の種族

 しかし守り神という呼び名とは裏腹に、異常気象や天変地異を引き起こす厄介な存在でもある
 そして、彼が引き起こした事件の後始末は全て―――…ディサ国騎士団が担っていた

 ただでさえ忙しいこの時期に仕事を増やされて、
 正直言って迷惑極まりないのだが――…




「…そのわりに、騎士団の連中は喜んでますよね…」

「その辺の娘より、ずっと器量が良いからな
 今では城のアイドル扱いだ…ファンクラブも結成されたらしい
 私には到底理解の出来ない現象だが…騎士ともあろうものが嘆かわしい」


 騎士団にも、近衛騎士団にもファンクラブの輪は広がりつつある

 確かに騎士として緊張感の無い姿だが…
 しかし、レンの存在は確実に騎士たちの士気を高めてもいる


 その事実もまた、騎士団長の頭を悩ませているのだろうが…


「ジュン殿とゴールド殿が、レン殿とレグルス殿を連れて来たんでしたよね?
 あの当時は城の女性たちが色めき立って―――…凄い騒ぎになりました」

「…ああ…カイザル様が、ホスト様御一行を城に招いたという噂が立った、あれだな?」

「あの四方が城に入って来た時、私もその場に居合わせていたのですが…
 確かにあれは、ホストに見えなくもありませんでした…揃いも揃って美形でしたし」



 しかも四人とも、見事にタイプが違う


「ゴールド殿の人気は昔からでしたが…
 レン殿は見ての通り可愛らしい容姿の持ち主ですし、
 レグルス殿も多少言動は粗雑ですが、真っ直ぐで気持ちの良い性格をしています
 それにあのジュン殿は…一見平凡な感じですが、何故かミステリアスな雰囲気がありますし」


 彼らの中でも最も得体の知れない存在が、人間のジュンだった

 しかし…よくもまぁ、あそこまで綺麗に美形ばかり集められたものだ
 城の女たちから質問が殺到して詰め所は一時的にパニックに陥った


 おかげで騎士たちも奔走させられたわけなのだが…




「カイザル様がそういう趣味に目覚められた、だとか、
 新手の魔女対策だとか――…様々な憶測が飛び交ったが…
 しかし、今でも彼らには謎が多いな…一体、何の目的で城にいるのだろう…」

「難民とも思えませんし…ねぇ…
 あの待遇の良さからして見ても、ただの客人とは思えません
 最初は何処かの国から招いた王族なのかと推測していましたが…
 ですが、そのわりには妙に庶民っぽいですし…謎は深まるばかりです」


「まぁ…リノライ様もカイザル様も考えがあっての事だ
 それに私たち騎士は口を挟めるような立場には無い
 騎士として与えられた任務を忠実にこなす―――…私たちに出来る事は、それだけだ」

「…そう…ですね…」



 それが自分たちの存在意義であり、全てだ
 下手な憶測を生んで混乱を招くような真似はしてはならない


 今はただ、騎士として任務に向かうだけだ








「でも…アニェージ殿も、実は結構…」


「…む…何だ?」

「いえ、わりと美形の部類に入るのではないかと…」

「私がか…?
 見え透いたお世辞を言っても何も奢らないぞ
 ゴールドのような華やかさも、レン殿のような愛嬌も無い
 私にあるのは鍛え抜いた無骨な身体と戦いの知識だけだ」


 確かに騎士団長の身体は逞しい


 鎧のせいで余計にそう見えているのだと思っていたのだが…
 しかし…鎧を脱いだ今の状態を見ても、その体格の良さは群を抜いている

 強くて逞しい騎士団長
 なのに、何故か女性からの人気は乏しい


 その理由は、ただ一つ――――…野暮ったいのだ



 どうも田舎臭い


 無造作にまとめた長い髪と重鎧の組み合わせも、
 鍛え抜かれた身体のシルエットの美しさを台無しにしている

 そして何より―――…トレードマークの眼鏡だ



 重々しい鎧とビン底眼鏡の組み合わせが物凄くミスマッチ

 騎士としてのスポーツマン的な爽やかさを眼鏡が見事に潰し、
 そして眼鏡をかけたが故に現れるインテリな雰囲気を鎧が消している

 一つ一つのパーツは決して悪くないのだが、
 とにかくこの騎士団長…コーディネートのセンスが抜群に悪いのだ


 ここまでモテる要素をことごとく潰したファッションを生み出せるのも…ある意味凄い






「…今の状態で城内を歩いたら、
 翌日には女性人気が急増していると思います…
 眼鏡を取って、鎧を脱ぐだけで凄く格好良くなってますよ
 アニェージ殿って本当は爽やか系だったんですね…知りませんでした」


 何だか得した気分

 普段では絶対に知ることが出来ないであろう、
 素顔の騎士団長の姿を見る事が出来たのだ…貴重な体験だ


「垢抜けたアニェージ殿の姿なんて、滅多に見られませんし
 今日は本当に良いものを見させて頂きました…ありがとうございます」

「何だか凄く…複雑な心境なんだが…」

 その言葉通り、複雑そうな表情を浮かべる騎士団長
 そしてそんな彼とは対照的に、新発見に感動している部下の騎士



「凛々しくて逞しい性格の持ち主だと常々思っていましたが、
 実は顔の作りも凛々しかったんですね…もう少し童顔かと思っていました…」

「わ、私は…童顔に見られていたのか!?」

「眼鏡のせいでしょうか?
 瞳が一回り程、大きく見えていたようです
 でも普通、近視用の眼鏡を通すと小さく見える筈なんですが…
 ―――…あっ…もしかしてアニェージ殿、老眼なんですかっ!?」


「ろ、老眼と言うなっ!!
 遠視と言ってくれ、遠視とっ!!」

「す、すみません…
 あ…あの、失礼ですがアニェージ殿、お歳は…?」

「そんな視線を向けるな!!
 私はまだ三十代だっ、お前とそう変わらん!!
 この目も歳のせいではなく、敵の魔法で痛めた結果で――…!!」


 騎士団長の言葉に熱が入り始める
 この様子からすると、どうやら本人も気にしていたらしい


 しかし、まさか彼のトレードマークの眼鏡が老眼鏡だったとは…




「アニェージ殿…奥が深いです…」

「私の事は放っておいてくれ…
 もう良い、早く買出しを済ませるぞ」


 これ以上、触れられたくないらしい

 騎士団長はバツの悪そうな表情を浮かべると、
 肩を怒らせながら城下町に向かって歩き始めた

 ここ数日で薄幸な印象が強まった騎士団長だが…
 本来は面白味のある男なのかも知れない―――…


 しみじみとそう思うセオフィラスだった








 購入した物資は騎士団長の部屋に届けるように手続きした


 せめて荷物持ちだけは――…と意気込んでいたセオフィラスだったが、
 結局何も手伝える事がなく、ただぶらぶらと騎士団長の供をしているだけだった


「…想像していたより、早く済んだな
 陽が沈む前に終わるとは思っていなかった」

 騎士団長は木陰に腰を下ろすと、のんびりと空を見上げている
 用事が早く済んだからと言って、早く城に戻るというわけではないらしい

 完全にリラックスする体勢に入っていた



「こんなに楽しい時間を過ごせたのも久しぶりだ
 今日は随分と良い気晴らしになった…礼を言う」

「い、いえ…そんな…
 勿体無いお言葉です」

「そんな事は無いぞ?
 お前と出歩いている間は、現実を忘れる事が出来た
 嫌な事は全て忘れて…ただ純粋に買い物を楽しめたんだ」


 そう言うと騎士団長は自嘲を含んだ笑みを向ける



「…城に戻ればまた、辛い現実が私を襲う
 せめて陽が沈むまではこうして私に付き合っていてはくれないだろうか?」

「私で良ければ喜んで…
 ですが、執務は宜しいのですか?」

「ああ、執務はもう片付いている
 それに…私が本当に忙しくなるのは日が暮れてからだ」


 騎士団長は一介の騎士とは仕事内容が違う
 身体を動かしていれば良い自分とは違って、やはり忙しいのだろう


 何せ、軍隊と呼べる量の騎士たちを纏める立場にあるのだから





「…やはり深夜遅くまで会議などがあるのでしょうか」

「いや、そういう事は副騎士団長の役割だ
 私は仕上がった書類に目を通して、印鑑を押す程度だ」

「え…そ、それでは―――…?」


 騎士団長は苦笑を浮かべると、
 諦めの表情で首を左右に振る

「夜はカルラの部屋に行かなければならない
 朝の内に仕事を終わらせて、夜になればカルラの所へ…
 そして夜明けと共に、何事も無かったように自室へ戻る――…それが私の日課だ」

「…あ……」


 せっかく、現実を忘れていたというのに
 まさか自分が彼を現実に引き戻してしまう事になろうとは


 セオフィラスは己の軽率さを悔いた




「も、申し訳ございません…」

「…いや、気にしないでくれ」

「で、ですが―――…!!」

「……良いんだ…」


 浮かべた笑顔は想像していたより、ずっと穏やかなものだった
 昼間に思う存分泣いたせいで吹っ切れたのか、それとも―――…


「…今の私には、お前がいる
 心の支えが出来た事で随分と勇気付けられた
 他の誰でもない、お前のおかげだ―――…ありがとう、セオフィラス」


 静かな笑みを湛える騎士団長

 その瞳には彼が持つ強さと優しさが滲み出ている
 今朝までの騎士団長とはまるで別人だ


 しかし―――…恐らく、これが彼本来の素顔なのだろう




  





「…でも…カルラも優しい男だったんだ…
 天涯孤独の私にとって、彼はまさに弟のような存在だった
 いつでも傍にいてくれる――…一番の理解者だと思っていた…」

「アニェージ殿…」

「だから、彼が私を恋愛の対象として見ている事を知った時、悲しかった
 私に見せていた優しさは全て下心から来ているのだと思い…裏切られたと感じた
 しかし―――…もしかすると、私の方が彼を…カルラを裏切ったのかも知れない…」


「…えっ…!?」

「彼から想いを告げられた時、私はカルラを軽蔑した
 思い付く限りの言葉で罵倒して――…虫を見るような目で彼を睨み付けた
 憎悪の視線を向けながら、二度と近付くな、視界にも入るなと…言ってしまった…」


 そして、逆上したカルラは騎士団長を―――…
 恐らくそういう流れで今の関係に陥ったのだろう

 近衛騎士団長にも同情出来る部分はある
 しかし…だからと言って、現状が許されるわけではない


 理由がどうであれ、犯罪を正当化するわけには行かないのだ





「…私には近衛騎士団長殿の気持ちが理解できません
 愛する存在は慈しみ、命に代えても守り抜くべきです
 それを自らの手で傷つけるなど、騎士として…いえ、人として間違っています」

 恋人のいない自分が言っても説得力が無いかもしれないが
 それでも、好きな人を痛め付けるという行為がセオフィラスには理解できなかった


「カルラは私を憎んでもいるからな…
 それも暴力行為に訴える理由の一つなのだろう」

「私は近衛騎士団長殿の事…
 物腰も柔らかで人当たりも良いですし、優しい方なのだと思ってました」


「優しい男である事に違いは無いのだが…
 しかし、ベッドの上では見事に豹変する
 私に触れる手には優しさの欠片も無い…あるのは暴力だけだ」

「ベッドの上でも優しそうに見えるんですけどね…
 城の女性たちも近衛騎士団長の事を、抱かれたい男…とか言ってますし」




 ゴールド程ではないが、近衛騎士団長の人気もかなりのものだ


 人懐っこい仕草と気さくな口調がその理由である
 飾らない性格の彼は部下の面倒見も良くて――…


 …とにかく、絶大な信頼を寄せられているのだ
 そんな彼が騎士団長に暴力を振るっていると聞かされても、耳を疑うだけだろう


 しかしそれらは騎士団長の一言によって完全否定された





「…抱くだなんて、そんな生易しいものではない
 確かに性的なものが圧倒的に多いが…
 しかしあれは限りなく拷問に近い残虐行為だぞ
 とは言え、私が何をされているのか想像つかないだろうな」

「え、ええ…そうですね…」

「ならば昨日、私が何をされたのか教えてやろう」

「えっ…!?」


 そんな、まだ陽も高いのに
 しかも尊敬する騎士団長の口から猥褻な話題が――…!!

 あまりの事に、耳を塞ぎたくなるセオフィラス

 聞く事に罪悪感も抵抗もある
 でも興味が――…無いとも言えない


 しかし彼の口から語られる内容はセオフィラスの想像をはるかに超えたものだった





「昨日の昼過ぎ―――…お前が帰った後の事だ
 カルラと二人で私の部屋に行って…案の定、暴行を受けたわけなのだが」

「は、はぁ…」


「カルラは私を裸にすると手足を鎖で繋いで身体の自由を奪った
 それから腹を殴られたり股間を蹴られたり…首を絞められたりもしたな」

「…ほ、本当に暴行なんですね…そのままの意味で…」


 暴行を受けた、という騎士団長の言葉から、
 ベッドに組み敷かれているような姿を想像していたのだが…

 現実は、かなり物理的な痛みを伴う状況に置かれていたらしい



「…まあ、その程度ならまだ序の口だ
 焼いた鉄を押し当てた上から針で串刺しにされたし
 …ちなみにその針にはタバスコが塗ってあったわけだが
 それから傷口を広げる為に、針の両端に重石を―――…」

「あ、あの、聞いてる私の方が痛くなってきたんですけど…っ!!」


 酷過ぎる
 これは確かに拷問と呼べる責め苦だろう

 性的な関係を強要されていると知り、彼に同情の念を抱いていたが…
 それだけでなく、更に拷問まで受けていたなんて―――…




「あ、アニェージ殿…っ…」

「普段は夜から明け方までなのだが…
 昨日は昼から夜明けまでずっとだったからな、流石に堪えた
 だがカルラも賢い男だな…どの傷も決して外からは見えない場所にしか付けない
 顔は勿論、腕も足も掠り傷一つ付けないという徹底振りだ…ある意味感心するな」


 確かに見た所、外傷は見当たらない
 しかし、手足にも傷を付けさせないとなると―――…

「あの…じゃあ、どこに拷問を受けたんですか…?」

「ん――…胸とか、股間とかにだが…
 最初の頃は足の裏にも暴行を加えられていたな
 歩くのに支障が出る上に靴を脱いだ時に見られる可能性もある
 その事に気付いたらしくて、すぐに止めたみたいだが」



「は、はぁ…」

「流石にここでズボンを脱ぐ事は出来ないが…
 乳首の傷なら見せられるぞ、少し見てみるか?」

「い、いえ、遠慮させて頂きます…」

「…そうか
 まあ、見て楽しいものでもないからな」


 楽しい筈が無い
 尊敬する騎士団長が痛め付けられた痕なんか絶対に見たくない


 改めて、近衛騎士団長に対する怒りが湧き上がってくる






「一日でも早く、この状況を打破しないと…!!
 私は…アニェージ殿が苦しむ姿を、これ以上見たくありません!!」

「だが、私がカルラから解放される手段は二つしかない
 彼が私に飽きるのを待つか、私が暴力に屈するか、だが…
 カルラは私への拷問を楽しんでいるようだし、私自身も負ける気は無い」


 耐久戦と呼ぶには、あまりにも騎士団長が不利だ
 しかし、それでも彼は耐え忍ぶのだろう

 決して屈しない騎士としての誇り
 それは彼の強さでもあり、弱さでもあった


 傷付いた彼の姿は、見ているセオフィラスの方が辛くなってくる




「カルラは…私が彼の物になれば、暴力を止めると…
 恋人として優しく扱う事を誓うと言うが…それを呑むわけにも行かないだろう
 暴力手段に訴えた彼を許す事も、愛する事も出来ないし…それに、私には他に想う人が…」

「それは―――…
 ですが、このままではアニェージ殿があまりにも…!!」

「大丈夫だ、私は耐える事ができる
 精神力にも体力にも自信はあるし…何と言っても打たれ強さが私の売りだ」


 それは知っている

 しかし…だからこそ、心配なのだ
 いっそ耐え切れないと逃げ出してくれたら、どんなに良いか…





「…あぁ、もう空が赤くなり始めた
 この季節になると日増しに陽が短くなるな
 時が止まってくれれば、お前といつまでもこうして語り合えるというのに…残酷なものだ」

「あ、アニェージ殿…!!
 その…やはり今夜も近衛騎士団長の…」

「ああ…行かなければ後が恐いからな
 以前、無視した事があったのだが…翌日酷い目に遭った
 お前たちには急病という事にしておいたが、実際はベッドから起き上がれなかったんだ」


 確かに少し前、騎士団長が急病で何日か執務を休んだ事があった
 丁度、熱病が流行っていた為に騎士たちは特に疑いもしなかったが――…


 まさか、そんな事情があったなんて…想像もしていなかった




「セオフィラス、今日は本当に楽しかった
 任務を終え帰還したら―――…また、こうして付き合ってくれるだろうか?」

「はい…必ず
 いつでもお呼び下さい」

「……ありがとう
 私は城へ戻るが、お前はこのまま帰って良い
 お前にも旅立つ為の準備が必要だろう――…」


 そうだった
 結局、ワイバーンの調査と捕獲に向かう事になってしまったのだ


 家族にも伝えなければならないし、何よりも支度をしなければならない





「は、はい
 それではお言葉に甘えて、お先に失礼します」

「ああ、お疲れ
 …それと、もし私がミーティングに顔を出さなかったら…
 その時はベッドから起き上がれない状態だと思ってくれ
 騎士たちには…出張の支度で忙しいとでも言って誤魔化しておいて欲しい」

「えっ…あ、はい…」


 そう言われてみれば、ミーティングには以前から度々顔を見せない事があった

 多忙な人だからと、特に気に留めてはいなかったけれど…
 もしかすると、それもベッドから起き上がれなかったせいなのだろうか


 …明日、騎士団長がミーティングに来なかったら――…


 その時は様子を見に行ってみよう
 少しでも励ましになるように


 彼の味方になれるのは事情を知っている自分だけなのだから