先に目を覚ましたのはノワールだった


 太陽は既に海の彼方へと姿を消し、
 周囲には昏々と闇が覆い始めている

 エルバイトは出発を諦めたらしく、
 のんびりと焚き火を作り、野宿の準備を始めていた


「…あ、若さん…
 ようやく起きたっスか」

「セオフィラスは?」

「まだ寝てるっスよ
 風邪を引かないように、上から布をかけてるっス
 ワイバーンの薬は人族には強力過ぎたみたいで…」


 エルバイトが指で指し示した方には、
 荷物と一緒に横に転がる騎士の姿があった

 完全に熟睡しているらしい
 寝返り一つ打たずに彼は布団代わりの布に包まれている

 例え眠りについていたとしても第三者の気配には敏感な筈だが、
 薬で無理矢理昏睡させられている場合は、そうも行かないらしい

 セオフィラスの無防備な寝顔を、
 ある種の感動を感じながら覗き込むノワール



「…さて、若さん
 ちょっと提案があるんスけど」

「神族の提案など聞く耳持たん」

「そう言わないで…
 今日はこのまま野宿することにしたっス
 夕食用の狩りに行くか、ここで火の番をするか
 若さんにどっちかを選んでほしいんスよ」

 せっかくセオフィラスの寝顔を楽しんでいるのに邪魔されたくない

 正直、どちらもやりたくない
 しかし…それを後々、セオフィラスにチクられても嫌だ


「…火を吐く事なら出来るが番をしろというのは無理だな
 悪いが火を焚いているのを間近で見るのも初めてなんだ」

「じゃあ狩りをお願い出来るっスか?」

「………………。」


 正直言って、狩りにも出た事が無い

 しかし、ここで素直にそれを口にして、
 エルバイトに役立たずの烙印を押されるのは嫌だった

 神族にだけはナメられたくない
 ワイバーンという竜族のプライドにかけても



「…わ、わかった」

「それじゃあ宜しく頼むっス」


 笑顔で手を振るエルバイトを無視して、
 目に付いた森の方へと向かうノワール

 狩りというからには、何か獲物を仕留めて来れば良いのだろう

 腐っても竜の端くれ
 力だけなら自信がある

 動物だろうがモンスターだろうが、
 とにかく何かを狩って戻れば良いのだ

 そう自分を励ましながら、初めての狩りに赴くノワール


 しかし―――…


 生物が潜むなら森の中だろうという本能で森に向かったはいいが、
 失念していたのは自らの体型である


 とにかく横幅が広い
 そして悲しいほどに足が短い
 …ついでに言えば、手も短い

 木と木の間に挟まれる事数回、
 切り株や木の根に躓いて転ぶ事数回

 …起き上がろうとして前転してしまった事も数回あった


 弾力のある体のおかげで傷は出来ないが、
 流石にここまで思うように移動出来ないと精神的に参ってくる

 これでは狩りどころではない



「うぅ…このままでは神族の野郎に馬鹿にされる…」

 とにかく神族を目の敵にしているノワール
 何かと張り合いたくなるらしい

 ノワールは妖術を自らにかけると、
 その姿を人のものへと変化させた


「くそっ…あの神族に出来て、
 このオレに出来ない筈がないっ!!
 見てろよ…目に物を見せてくれるっ!!」

 気合を入れ直すと、
 慣れない人の姿で森の中を走り出すノワール

 狩りの際は物音を立ててはいけない、という暗黙のルールも彼には知る由も無かった






「わ、若さんっ!?
 どっ…どうしたっスか!?」

 ノワールの姿を見るなりエルバイトの悲鳴が上がる

「…何でもない
 ほら、狩って来たぞ」


 ノワールは背中に担いでいた、何かの動物をエルバイトに突き出す

 死闘を繰り広げたのだろうか
 獲物は既に原型を留めず、肉の塊りと化していた

 しかしその肉塊に負けず劣らず、
 狩りから戻った男の姿も惨憺たるものだった

 全身は見事に傷だらけ
 長い髪には無数の木の葉や枝が絡み付いている


「わ、若さん…大丈夫っスか…?」

「………神族に心配されたくない」


 ふらふらとセオフィラスが眠る場所へ進むと、
 ノワールはそのまま彼に寄り添うように座り込んでしまう

 既に疲労困憊だった


 ノワールが本日、身をもって学んだ事

 それは竜の姿では無傷だったが、
 人の姿で転ぶと怪我をするという事
 そして、人の姿では炎を吐く事が出来ないという事だった

 特に後者は致命的だった



 散々森の中を彷徨った挙句、
 ようやく獲物を見つけたノワール

 向こうもノワールを敵と見定めて襲い掛かってきた

 ノワールは獲物を仕留めるべく、
 自慢のドラゴンブレスを浴びせかけた―――…つもりだった

 しかし、その口から出たのは無色透明の吐息のみ


 そしてノワールは敵の攻撃を真正面から食らい――…
 数メートルは森の中を吹っ飛ばされた

 巨木に全身を強打し、細い小枝が腕や足に突き刺さる
 ダメージを受けたノワールに、相手は更に追い討ちの攻撃を仕掛け続けた

 慣れない人の姿で何とか応戦したものの、
 敵を仕留めた頃には既にノワールの身体はボロボロ状態

 正直言って、勝てたのが奇跡的だった




「…若さん、傷の手当しなきゃダメっスよ
 治療するから傷口を見せて欲しいっス」

「神族の情けなど受けるものか」

「…………。
 若さんにもしもの事があった場合、
 責任はセオフィラスの旦那に行くっスよ」


「うっ…」

「竜族と人族の絆を取り持つ為の旅っスからね
 若さんに何かあった場合、竜族の人族に対する目が変わる可能性大っス
 竜族代表として旅に出ているという自覚を持って欲しいっスよ」

「………………。」

「…ちょっと言い過ぎたっスね
 でも、今の若さんはそれだけ重要な役割を担っているっス
 だから今…この旅の間だけは、意固地にならないで欲しいっスよ」


 そう言うとエルバイトは愛嬌のある瞳でノワールを見上げる
 視線が合うと彼は歯を見せて笑った



「…というわけで、傷の手当をさせて貰うっスよ」

「勝手にしろ」

「じゃあ、勝手に脱がせても良いっスか?」

「………えっ?」

「服脱いで貰わないと治療が出来ないっスよ
 あと、ここじゃ暗いから火の所まで来て欲しいっス」

「………………。」


 不機嫌度120パーセントの眼力で睨まれた

 それでも大人しく焚き火に向かうノワールに一安心するエルバイト
 ノワールは相変わらずの仏頂面で、それでも素直に服を脱ぎ始める

 ショルダーガードに手を掛けて、
 装飾品を外すと、ローブを肩からすべり落として―――…


「……って、ちょっと…若さんっ!?」

「何だ?」

「べ、別に…全部脱げとは…」


 目の前には一糸纏わぬ姿のノワール
 焚き火の炎に照らされながら踏ん反り返って仁王立ちしている

 ここまでオープンにされると反応に困る
 流石にエルバイトも顔を引き攣らせた

 もう何処に視線を持って行けばいいのかわからない


「…どうした?」

「ど、どうって…いや、何でもないっス…」


 元々服を着る習慣の無いワイバーンだ
 恐らく服を脱ぐ事や裸体をさらす事に対する羞恥心も感じていないのだろう



「そ、それじゃあ…失礼して…」

 適当に目星をつけた傷口に手を伸ばすエルバイト
 彼は慎重に手の平を、その傷口に重ね合わせた


「…………。」

「………………。」

「……おい…何をしている?」

「えっ…だから、治療を…」


「傷を触ってるだけだろう
 本当にこれが治療なのか?」

「信用無いっスね…
 自分、治癒の能力があるっス
 傷口に触れているだけで癒えるっスよ」

 そう言うとエルバイトは傷口から手を離す
 彼の言葉通り、血の滲んでいた傷口は綺麗に消えていた



「……ふん
 神族にも多少は使える脳があるらしいな」

「本来なら火精王の加護を受けた者なら誰もが使える能力だったっス
 でも、30年ほど前…火精王が失踪して以来、この能力を持つ物は廃れて行ったっス
 今では神族でも魔族でも、ほんの一握りの連中しか、
 この治癒能力を持つ者はいないといわれてるっスよ」

「…火精王が失踪…!?
 成る程、世界のバランスが妙だとは思っていたが…
 精霊王の一人が欠けたせいだと言われれば納得出来るな」


「精霊王は神族たちにとっても雲の上の存在っス
 自分たちでは臆面の無い噂話しか耳に出来無いっスが…」

「どんな噂が流れている?」

「他の三人の精霊王たちと喧嘩して家出したとか…」

「い…家出!?
 そんな理由で、この世が崩壊に向かっているというのか!?」

「い、いや、だから単なる噂っスよ
 ただ他の精霊王たちと火精王が
 激しく言い争っていたという事実はあったみたいっスけど…」



「…頭痛がしてくるな…」

「でも大丈夫っス
 神族も火精王捜索に動き出しているっス
 自分の知り合いも火精王捜索に参加してて…
 あの子は確か、こっちの世界に探しに来てるはずっスよ」

「さっさと連れ戻してくれ
 精霊王同士の喧嘩のとばっちりで滅ぼされるなんて真っ平だ」

「頑張って捜してるっスよ
 ただ、何処の世界にいるかわからないっス
 人間界や魔界…本当にあちこち虱潰しに捜してる最中っスから」

 口を動かしながらも、治療の手は休まず動かすエルバイト
 見る間にノワールの傷は消えて行く



「これで見た所、傷は無くなったっスけど…
 他に痛むところはないっスか?」

「…ん…腰の辺りが…」

「腰?
 どれどれ…って、うわっ!!
 若さん、お尻に大きな青痣が出来てるっス
 これは…かなり派手に転んだっスね?」

「う、うるさい…」

 転んだ事を知られて、思わず顔を顰めるノワール
 戦いによって受けた傷ならまだしも、
 尻餅を付いて受けた青痣は屈辱しか感じない


「ええと…じゃあ、治療していいっスか?」

「早く治せ」

「…えっと…その…
 じゃあ、お尻に触っても良いっスか?」


「…………………。」

 無言のまま、凄い目で睨まれた

「黙ってるって事は肯定って事で…
 じゃあ…ちょっとだけ失礼するっス」



 そーっとノワールの臀部に手を掛けるエルバイト
 野良犬の頭を恐る恐る撫ぜる時の心境に近い

「だ、大丈夫っスからね
 痛い事は何もしないっスから」

「わかったから、早く終わらせろ」


 この上なく不機嫌なノワール
 そして、目のやり場に困り視線を泳がせるエルバイト


「えー…あー…
 若さん、意外といいお尻してるっスね」

「口を動かす暇があるなら、
 その分、早く済ませたらどうだ」

「何か喋らないと場が持たないっスよ…」



 参ったなぁ…と視線を遠くへ向けるエルバイト
 その時、ふと何かを感じて彼は振り返った

 エルバイトが視線を送った先

 その場所には、
 あんぐりと口を開けたまま硬直する騎士の姿があった


 ぴきっ…
 その場の空気が凍り付く


「…おい、どうした?」

 異変を感じたノワールもつられて振り返る
 自然と交差する三人の視線


「……………。」

「…………………。」


 しーん…

 何とも言えない沈黙が広がる
 エルバイトは背筋を冷たい汗が流れて行くのを感じていた



 全裸で四つん這いのノワール
 その背後に膝立ち状態で、彼の臀部に手を掛けている自分

 まずい
 これは非常にまずい

 状況的に、言い逃れ出来ない

 ノワールもエルバイトと同じ事を思ったらしい
 ヒクヒクと口元を引き攣らせながら妙に上擦った声を出す


「せ…セオフィラス…
 い、いつから起きていた?」

「とりあえずエルバイトの、
 『ちょっとだけ失礼するっス』の辺りから聞いてました」


 ちょっと、あんた…
 何もそんなタイミングで目覚めなくても…っ!!

 そう心の中で叫ぶ二人
 心境はすっかり、エッチを子供に見られた親の気分

 …実際には何もしていないわけだが




「ちょっと、王子っ!!
 これは一体、どういうことですかっ!?」

「あー…ええと、セオフィラス?
 これはだな…その…誤解というもので…」

「酷い…ズルいですよっ!!」

「………は?」


「私には手を出されたくなければ近付くなと言っておきながら!!
 御自分はちゃっかりエルバイトと美味しい思いをしてっ!!
 私だけ仲間外れで禁欲生活を強いられるなんて、ズルいですっ!!」

「いや、待て!!
 待て待て待てっ!!」


 酷い誤解だ
 この誤解を一刻も早く解きたい

 しかし…一体、何処から修繕して行けば良いのやら
 無言のまま顔を見合わせるエルバイトとノワール

 二人がそうしている内にも、
 事態は更に修復不可能な方へと進んで行く



「仲間外れという言葉、嫌いなんです!!
 二人がその気なら私も参戦させて頂きますからねっ!!」

「ちょっ…待て!!」

 参戦って言われても
 いや、それ以前に自分たちは全く『その気』じゃない


「お、おい、貴様も何とか言えっ!!」

「えっ…あ、あー…そうっスね…
 ええと…旦那は自分と若さん、どっちが好みのタイプっスか?」

「何言ってるんだ貴様はっ!!」

「な、何となく気になったものっスから…っ…」


 ガルルルル…と怒りの咆哮を上げるノワール
 引き攣った愛想笑いを浮べるエルバイト

 しかし、そんな二人を前に空気の読めない騎士は一人マイペースを貫く



「うーん…正直に言うと、どっちも好みなんだ
 王子は掛け値なしの美貌の持ち主だし、
 エルバイトも愛嬌があって可愛いからな…選べないな」

 そう言うとセオフィラスは、
 にっこりと爽やかな笑みを浮かべる

「というわけで、俺は両方イケるクチだな
 せっかく好みの綺麗どころが二人もいるんだ
 どうせなら、両方ともツバ付けておきたいよな?」


 …いや、『よな?』って聞かれても…

 それ以前にセオフィラスよ
 そんな爽やかな笑顔で両天秤宣言をしなくても…


「よーし…二人まとめて可愛がってやるよ
 実は俺、3Pってちょっと憧れてたんだ
 それに両手に花って男の永遠の夢だもんな」

「ちょっ…な、何故、発想がそっちへ行く…っ!?」

「だ、旦那ぁっ!!
 同じ男として、ちょっと見損なったっスよ!?」

「大丈夫だって
 俺も騎士の端くれだから体力には自信があるんだ
 一晩に二人同時に相手にするくらい造作も無いって」

「そういう問題じゃないっス!!」


 ピキピキと、竜族と神族の額に血管が浮き出る



「オレたちが良好な関係で旅を続ける為にも、
 ある一定の距離は保つ必要性があると何度も話しただろう!?」

「それはそうなんですが…
 でも王子、私が旅に出てからどれだけ経っていると思っているんですか
 もうかなりヤバいところまで来ているんです」

「ヤバいって…何が?」

「欲求不満に決まってるじゃないですか!!」

「……………。」

 そんなこと
 胸張って断言されても困る




「まだまだ私は性欲旺盛、
 犯り盛りの健康な成人男性なんですよ!?
 任務の間中ずっと禁欲するのは私には無理ですっ!!」

「だからってそれをオレに向けるな!!」


「私だってずっと抑えていましたよ!!
 でも、こんな巨尻を見せられて黙っていられると思いますか!?」

「きっ…巨尻!?」


「こう見えて私、かなりの尻フェチなんです!!
 逞しい男性の引き締まった大きな臀部…これはもう芸術作品でしょう!?
 理想の尻がまさに目の前に…これを触らずして何を触れって言うんですか!!」

「アホか―――…っ!!
 お前は一体、何を力説しだすんだっ!!」


 ギャーギャーと怒鳴り合うワイバーンと騎士
 思わず耳を塞ぎたくなるようなお下劣単語が遠慮無しに宙を飛び交う

 眩暈と頭痛に天を仰ぐエルバイト
 もう居た堪れない



「…確か旦那をスマキにしていた布、
 あの海岸辺りに捨てた筈っスよね…」


 言い争う二人から離れると、
 海岸に投げ捨てられていた布を拾うエルバイト

 そして、気配を殺してセオフィラスの背後に近付くと、
 一思いにその布で彼の顔面を覆った



「―――――……。」


 どさっ

 無言のまま、その場に崩れ落ちるセオフィラス

 慌ててノワールが抱き起こすが、
 彼は再び深い眠りに落ちていた

 次にセオフィラスが目を覚ますのは一体いつになる事やら


「おい、貴様…
 流石にこれはやり過ぎだと…」

「いや…こうでもしなければ自分たち、
 旦那に手篭めにされてたっスよ
 一応、向こうは戦いのプロっスからね
 少なくとも自分は、力じゃ旦那に敵わないっス」


 そう言うと脱ぎ捨てられていたノワールのローブを手渡す
 無言のままそれを受け取ると、素直にそれに袖を通す

 極力、人前で肌を…特に尻を出すことは止めようと心に決めるノワールだった




「…で、どうするっスか?」

「何がだ」

「旦那が目を覚ましたときの対処っスよ
 何か対策を練っておかないと、自分たちの貞操の危機っス」

「…………確かに」

 神妙な表情のまま、顔を見合わせる二人


「どうすればいい?」

「それをこれから考えるんスよ
 人任せにしないで若さんも考えて下さいよ?
 一番狙われているのは若さんのお尻なんスからね」

「そ、そうだな…」


 うーん、と腕組をしつつ首を傾げる二人

 もう種族がどうとか言っていられる状況ではない
 今は二人で知恵を絞らなければ、我が身が危ない

 即座に協力体制が築き上げられる

 妙な事を切っ掛けに、
 仲間意識が芽生えた二人だった